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1953年の広島カープ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1953年の広島カープ
成績
セントラル・リーグ4位
53勝75敗2分 勝率.414[1]
本拠地
都市 広島県広島市
球場 広島県総合野球場
球団組織
監督 石本秀一(5月まで)
白石勝巳(5月から)
« 1952
1954 »

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1953年の広島カープでは、1953年シーズンについての広島カープの動向についてまとめる。

1953年の広島カープは、石本秀一監督の4年目のシーズンであり、5月から球団経営に専念した石本に代わり、白石勝巳が監督に就任した1年目のシーズンである。

概要

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広島カープの当年及び近年のシーズン成績
年 最終成績 リ
丨
グ
試
合
勝 敗 分 勝
率
総
得
点
総
失
点
打
率
本
塁
打
盗
塁
犠
打
四
死
球
O
P
S
防
御
率
完
投
失
策
監
督
1953 リーグ4位4位13053752.414507634.2427317473469.4.0038165石本秀一
1952 リーグ6位6位12037803.316365573.233294480396.3.8335114石本秀一
1951 リーグ7位7位9932643.333402555.245426177310.4.6343151石本秀一
1950 リーグ8位8位13841961.299511877.243817452447.5.2059229石本秀一

球団4年目のチームは4月までは石本監督が指揮を執っていたが、球団経営専念のため1950年創設以来、選手兼助監督として活躍した白石勝巳が選手兼任で5月から監督に就任。しかし、監督交代と前後して4月を最下位で終える最悪のスタート。白石監督が就任した5月以降は巻き返し、6月以降は4位で定着するものの上位3チーム(巨人・阪神・名古屋)の厚い壁を破ることはできなかった。投手陣は不動のエースとなった長谷川良平が弱いチームの中で奮闘し、打撃陣でもこの年大洋に合併された元松竹の金山次郎・小鶴誠などが松竹スピリットを見せ、特に金山は58盗塁で盗塁王に輝き若い選手の多かったチームの中で4位躍進に大きく貢献した。最後は優勝の巨人に36ゲーム差、2位阪神に20ゲーム差をそれぞれつけられながらも球団初の4位になり、翌年以降のAクラス入りが期待されたが巨人の第2次黄金時代の中でチームは伸び悩み、Aクラス入りするのは15年後の1968年まで待たなければならなかった。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 二金山次郎
2 遊白石勝巳
3 左木村勉
4 中小鶴誠
5 一大沢伸夫
6 三山川武範
7 右長持栄吉
8 捕藤原鉄之助
9 投長谷川良平
1953年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 巨人-- 巨人-- 巨人-- 巨人-- 巨人-- 巨人--
2位 名古屋2.5 名古屋3.0 名古屋3.5 名古屋5.5 名古屋7.5 大阪16.0
3位 洋松4.5 大阪6.0 大阪5.5 大阪8.0 大阪9.5 名古屋18.5
4位 大阪5.0 洋松11.0 広島13.5 広島16.5 広島18.0 広島36.0
5位 国鉄9.0 広島12.5 洋松16.0 洋松17.5 洋松23.5 洋松37.5
6位 広島9.0 国鉄21.5 国鉄24.5 国鉄30.5 国鉄31.5 国鉄42.0
1953年セントラル・リーグ成績
順位球団勝敗分勝率差
優勝読売ジャイアンツ87371.702---
2位大阪タイガース74560.56916.0
3位名古屋ドラゴンズ70573.55118.5
4位広島カープ53752.41436.0
5位大洋松竹ロビンス52771.40337.5
6位国鉄スワローズ45791.36342.0

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選手・スタッフ

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オールスターゲーム1953

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ファン投票 長谷川良平白石勝巳小鶴誠
監督推薦 選出なし

表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名タイトル成績回数
金山次郎 盗塁王58個2年連続3度目
ベストナイン
選出なし

脚注

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出典

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⌬ Phoenix Mesh CID: bafkreiawo5dkqfz4qlf… 🔄 P2P起動待機 PQS B78