1953年イギリス労働党副党首選挙
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1953年イギリス労働党副党首選挙(1953ねんイギリスろうどうとうふくとうしゅせんきょ、英語: 1953 Labour Party deputy leadership election)は、1953年10月29日に行われたイギリスの労働党副党首の選挙である[1]。
概要
[編集]昨年の副党首選に続いて、党内右派に位置する現職の副党首ハーバート・モリソンに対して、左派のアナイリン・ベヴァンが対抗馬として立候補した。
選挙データ
[編集]現職の有無にかかわらず、議会の新会期ごとに党首選を実施。しかし現職が在職中は党首・副党首選は形式的であり、現職以外の立候補は行われずに事実上、現職の再任を妨げず承認する[注 1][2]。
党首・副党首
[編集]- 党首:クレメント・アトリー(第11代)
- 副党首
- 選挙前:ハーバート・モリソン(第5代)
- 選挙後:ハーバート・モリソン(第5代)
投票日
[編集]- 1953年10月29日
選挙制度
[編集]- 有効投票の過半数を獲得した候補者が当選。不在の場合は、投票数が最も少ない候補者が除外され、さらに投票が行われる[2]。
投票方法
[編集]選挙権
[編集]被選挙権
[編集]- 議会労働党所属庶民院議員
- 立候補にあたっては、庶民院議員の推薦人並びに賛成者を各々1名必要[2]。
有権者数
[編集]- 294[注 2]
候補者
[編集]| 候補者 | 出生日 | 経歴 |
|---|---|---|
ハーバート・モリソン |
1888年1月3日(65歳) ロンドン |
庶民院議員(6期) (1923-1924,1929-1931,1935-)[注 3] 外務大臣(1951) 枢密院議長/庶民院院内総務(1945-1951) 内務大臣/内務安全保障大臣(1940-1945) 供給大臣(1940) 運輸大臣(1929–1931) 陛下の野党副党首(1951-) 労働党副党首(1945-) |
アナイリン・ベヴァン |
1897年11月15日(55歳) モンマスシャー、リーズ市トレデガー |
庶民院議員(6期/ベヴァン派)(1929-)[注 4] 労働・公共サービス大臣(1951) 保健大臣(1945–1951) |
選挙結果
[編集]候補者別得票結果
[編集]| 候補者 | 得票数 | 得票率 | |||
|---|---|---|---|---|---|
| ハーバート・モリソン | 181 | 70.43% | |||
| アナイリン・ベヴァン | 76 | 29.57% | |||
| 総計 | 257 | 100.0% | |||
| 投票総数(投票率) | 257 | 87.41% | |||
| 棄権者数(棄権率) | 37 | 12.59% | |||
| 有権者数 | 294 | 100.0% | |||
| 出典:Labour Party deputy leaders | |||||
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ ただし、党内対立が激化した1952年、1953年の副党首選は除く。
- ↑ 1951年イギリス総選挙で当選した295議員と、補欠選挙で当選した9議員から、辞職・死去した10議員を差し引いた議員数。
- ↑ 1950からルイシャム・サウス選挙区、1945-50までルイシャム・イースト選挙区、1923-1924, 1929-1931, 1935-45までハックニー・サウス選挙区選出。
- ↑ エブ・ヴェイル選挙区選出。
出典
[編集]- ↑ Archived 19 August 2016 at the Wayback Machine.
- 1 2 3 4 5 宮畑建志「イギリス二大政党の党首選出手続―手続の民主化と党首の地位防衛」『レファレンス』2007年7月、136頁、2026年7月1日閲覧。