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1953年イギリス労働党副党首選挙

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1953年イギリス労働党副党首選挙
1953 Labour Party deputy leadership election

1952年 ←
1953年10月29日 (1953-10-29)
→ 1956年



投票率 87.41%(減少06.15pp)
 
候補者 ハーバート・モリソンアナイリン・ベヴァン
得票数 18176
得票率 70.43%29.57%

選挙前副党首

ハーバート・モリソン

選出副党首

ハーバート・モリソン

1953年イギリス労働党副党首選挙(1953ねんイギリスろうどうとうふくとうしゅせんきょ、英語: 1953 Labour Party deputy leadership election)は、1953年10月29日に行われたイギリスの労働党副党首の選挙である[1]。

概要

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昨年の副党首選に続いて、党内右派に位置する現職の副党首ハーバート・モリソンに対して、左派のアナイリン・ベヴァンが対抗馬として立候補した。

選挙データ

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現職の有無にかかわらず、議会の新会期ごとに党首選を実施。しかし現職が在職中は党首・副党首選は形式的であり、現職以外の立候補は行われずに事実上、現職の再任を妨げず承認する[注 1][2]。

党首・副党首

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投票日

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  • 1953年10月29日

選挙制度

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有効投票の過半数を獲得した候補者が当選。不在の場合は、投票数が最も少ない候補者が除外され、さらに投票が行われる[2]。

投票方法

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秘密投票、単記投票、1票制[2]

選挙権

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議会労働党(PLP)所属庶民院議員[2]

被選挙権

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議会労働党所属庶民院議員
立候補にあたっては、庶民院議員の推薦人並びに賛成者を各々1名必要[2]。

有権者数

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294[注 2]

候補者

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候補者 出生日 経歴

ハーバート・モリソン
1888年1月3日(65歳)
イングランドの旗 イングランド
ロンドン
庶民院議員(6期)
(1923-1924,1929-1931,1935-)[注 3]
外務大臣(1951)
枢密院議長/庶民院院内総務(1945-1951)
内務大臣/内務安全保障大臣(1940-1945)
供給大臣(1940) 運輸大臣(1929–1931)
陛下の野党副党首(1951-)
労働党副党首(1945-)

アナイリン・ベヴァン
1897年11月15日(55歳)
ウェールズの旗 ウェールズ
モンマスシャー、リーズ市トレデガー
庶民院議員(6期/ベヴァン派)(1929-)[注 4]
労働・公共サービス大臣(1951)
保健大臣(1945–1951)

選挙結果

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候補者別得票結果

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e • d  1953年イギリス労働党副党首選挙 (1953年10月29日 (1953-10-29)施行)
候補者 得票数得票率
ハーバート・モリソン 18170.43%
アナイリン・ベヴァン 7629.57%
総計 257100.0%
投票総数(投票率) 25787.41%
棄権者数(棄権率) 3712.59%
有権者数 294100.0%
出典:Labour Party deputy leaders(英語)

脚注

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注釈

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  1. ↑ ただし、党内対立が激化した1952年、1953年の副党首選は除く。
  2. ↑ 1951年イギリス総選挙で当選した295議員と、補欠選挙で当選した9議員から、辞職・死去した10議員を差し引いた議員数。
  3. ↑ 1950からルイシャム・サウス選挙区、1945-50までルイシャム・イースト選挙区、1923-1924, 1929-1931, 1935-45までハックニー・サウス選挙区選出。
  4. ↑ エブ・ヴェイル選挙区選出。

出典

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  1. ↑ Archived 19 August 2016 at the Wayback Machine.
  2. 1 2 3 4 5 宮畑建志「イギリス二大政党の党首選出手続―手続の民主化と党首の地位防衛」『レファレンス』2007年7月、136頁、2026年7月1日閲覧。

外部リンク

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