1955年イギリス労働党党首選挙
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1955年イギリス労働党党首選挙(1955ねんイギリスろうどうとうとうしゅせんきょ、英語: 1955 Labour Party leadership election)は、1955年12月14日にイギリスで行われた労働党党首の選挙である[1]。
概要
[編集]党首クレメント・アトリーは1951年の総選挙で保守党に敗北、首相辞任後も党内右派のゲーツケライト派と左派ベヴァン派の対立が進む中、党結束を維持するために党首辞任を遅らせていた。また、副党首のハーバート・モリソンに主導権を渡すことも望んでなく[2]、政権下野後に発足した影の内閣で若手・中堅議員を登用するも、続く1955年総選挙も敗北して政権奪回に失敗。党首辞任を申し出るも次期党首が決定するまで留任するよう慰留された。総選挙から半年後の同年11月にアトリーは党首辞任と下院議員引退を表明、翌12月に党首を辞任し臨時党首に就任した副党首のモリソンの下で党首選挙が実施されることとなった[3]。
選挙データ
[編集]- 有効投票の過半数を獲得した候補者が当選。不在の場合は、投票数が最も少ない候補者が除外され、さらに投票が行われる[4]。
党首
[編集]- 選挙前:ハーバート・モリソン(代行)第11代党首クレメント・アトリーの辞任に伴い、副党首のモリソンが党首代行に就任。
- 選挙後:ヒュー・ゲイツケル(第12代)
投票日
[編集]- 1955年12月14日[1]
選挙制度
[編集]- 有効投票の過半数を獲得した候補者が当選。不在の場合は、投票数が最も少ない候補者が除外され、さらに投票が行われる[4]。
投票方法
[編集]選挙権
[編集]被選挙権
[編集]- 議会労働党所属庶民院議員
- 立候補にあたっては、庶民院議員の推薦人並びに賛成者を各々1名必要[4]。
有権者数
[編集]- 277[注 1]
候補者
[編集]党首候補として「国民保健サービス(NHS)」の父である左派のアナイリン・ベヴァン、党内右派出身で中道派の若手候補ヒュー・ゲイツケル、そして元財務大臣兼副首相のハーバート・モリソンである。モリソンは、自身の高齢や党内での不人気ゆえに立候補すれば惨敗すると警告されていたにもかかわらず、議会内の年功序列の観点からゲイツケルやベヴァンに勝利できると考えていた。ゲイツケルは当初モリソンを支持していたが、ベヴァンの勝利を阻止するために自ら出馬することを決断した。ゲイツゲルの立候補表明によりベヴァンは当選が厳しいと判断し、双方が出馬を取りやめモリソンに一本化することを提案したが、合意に至らず選挙戦を続行した[2]。
| 候補者 | 出生日 出生地 |
経歴 |
|---|---|---|
アナイリン・ベヴァン |
1897年11月15日(58歳) モンマスシャー、リーズ市トレデガー |
庶民院議員(7期/ベヴァン派)(1929-)[注 2] 労働・公共サービス大臣(1951) 保険大臣(1945–1951) 影の雇用大臣(1955–) |
ヒュー・ゲイツケル |
1906年4月9日(49歳) ロンドン |
庶民院議員(4期/ゲイツケル派)(1945-)[注 3] 財務大臣(1950-1951) 経済大臣(1950) 燃料動力大臣(1947–1950) 影の財務大臣(1951-1955) |
ハーバート・モリソン |
1888年1月3日(67歳) ロンドン |
庶民院議員(8期) (1923-1924,1929-1931,1935-)[注 4] 外務大臣(1951) 枢密院議長(1945–1951) 庶民院院内総務(1945–1951) 内務大臣(1940–1945) 内務安全大臣(1940–1945) 供給大臣(1940) 運輸大臣(1929–1931) 陛下の野党党首/影の首相(1955) 陛下の野党副党首/影の副首相(1951-1955) 労働党副党首(1945-1955) |
立候補を辞退した議員
[編集]| 候補者 | 出生日 出生地 |
経歴 |
|---|---|---|
ジム・グリフィス |
1890年9月19日(65歳) ベトウズ、カーマーゼンシャー |
庶民院議員(5期)(1936-)[注 5] 植民地担当大臣(1950-1951) 社会保険・国民保険大臣(1945-1950) |
選挙結果
[編集]ゲイツケルが約58%の得票率で当選した。要因として労働党の主要支持組織である労働組合「ビッグ・スリー」の推薦が議員心理に影響し、運輸一般労働組合(TGWU、アーサー・ディーキン事務局長)、全国鉱山労働者組合(NUM、ウィル・ローザー会長)」、そして一般・自治体労働者組合(GMB、トム・ウィリアムソン書記長)がゲイツケル支持を表明し、当選の流れが固まった[3]。
候補者別得票結果
[編集]| 候補者 | 得票数 | 得票率 | |||
|---|---|---|---|---|---|
| ヒュー・ゲイツケル | 157 | 58.80% | |||
| アナイリン・ベヴァン | 70 | 26.22% | |||
| ハーバート・モリソン | 40 | 14.98% | |||
| 総計 | 267 | 100.0% | |||
| 投票総数(投票率) | 267 | 96.39% | |||
| 棄権者数(棄権率) | 10 | 3.61% | |||
| 有権者数 | 277 | 100.0% | |||
| 出典:Leaders of the Labour Party | |||||
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 1955年イギリス総選挙で当選した277議員、補欠選挙で当選した2議員から死去した2議員を差し引いた議員数。
- ↑ エブ・ヴェイル選挙区選出。
- ↑ リーズ・サウス選挙区選出。
- ↑ 1950からルイシャム・サウス、1945-1950はルイシャム・イースト、1923-1945はハックニー・サウス選挙区選出。
- ↑ ラネリ選挙区選出。
出典
[編集]- 1 2 “Leaders of the Labour Party”. Election.demon.co.uk. 2018年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月16日閲覧。
- 1 2 Campbell, John (2010). Pistols at Dawn: Two Hundred Years of Political Rivalry from Pitt and Fox to Blair and Brown. London: Vintage. pp. 216–228. ISBN 978-1-84595-091-0. OCLC 489636152
- 1 2 Thorpe, Andrew (1997) (英語). A History of the British Labour Party. London: Macmillan Education UK. pp. 141–142. doi:10.1007/978-1-349-25305-0. ISBN 978-0-333-56081-5
- 1 2 3 4 5 “Party Leadership Election Results in the UK” (英語). University of Essex. 2017年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年7月8日閲覧。