1956年イギリス労働党副党首選挙
表示
| ||||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||||
1956年イギリス労働党副党首選挙(1956ねんイギリスろうどうとうふくとうしゅせんきょ、英語: 1956 Labour Party deputy leadership election)は、1956年2月2日に行われたイギリスの労働党副党首の選挙である[1]。
概要
[編集]前年の党首選で副党首で党首代行のハーバート・モリソンは、右派のヒュー・ゲイツケルと左派のアナイリン・ベヴァンの後塵の3位と敗北。モリソンは副党首選への不出馬を表明し、選挙が実施されることとなった。
選挙データ
[編集]現職の有無にかかわらず、議会の新会期ごとに党首選を実施。しかし現職が在職中は党首・副党首選は形式的であり、現職以外の立候補は行われずに事実上、現職の再任を妨げず承認する[注 1][2]。
党首・副党首
[編集]- 党首:ヒュー・ゲイツケル(第12代)
- 副党首
- 選挙前:ハーバート・モリソン(第5代)
- 選挙後:ジム・グリフィス(第6代)
投票日
[編集]- 1956年2月2日
選挙制度
[編集]- 有効投票の過半数を獲得した候補者が当選。不在の場合は、投票数が最も少ない候補者が除外され、さらに投票が行われる[2]。
投票方法
[編集]選挙権
[編集]被選挙権
[編集]- 議会労働党所属庶民院議員
- 立候補にあたっては、庶民院議員の推薦人並びに賛成者を各々1名必要[2]。
有権者数
[編集]- 277[注 2]
候補者
[編集]| 候補者 | 出生日 | 経歴 |
|---|---|---|
アナイリン・ベヴァン |
1897年11月15日(58歳) モンマスシャー、リーズ市トレデガー |
庶民院議員(7期/ベヴァン派)(1929-)[注 3] 労働・公共サービス大臣(1951) 保健大臣(1945–1951) 影の労働・公共サービス大臣(1955-) |
ジム・グリフィス |
1890年9月19日(65歳) カーマーゼンシャー、ベトウズ |
庶民院議員(5期)(1936-)[注 4] 植民地大臣(1950-1951) 枢密院議長(1945-1950) |
選挙結果
[編集]候補者別得票結果
[編集]| 候補者 | 得票数 | 得票率 | |||
|---|---|---|---|---|---|
| ジム・グリフィス | 141 | 55.95% | |||
| アナイリン・ベヴァン | 111 | 44.05% | |||
| 総計 | 252 | 100.0% | |||
| 投票総数(投票率) | 252 | 90.97% | |||
| 棄権者数(棄権率) | 25 | 9.03% | |||
| 有権者数 | 277 | 100.0% | |||
| 出典:Labour Party deputy leaders | |||||
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ ただし、党内対立が激化した1952年、1953年の副党首選は除く。
- ↑ 1955年イギリス総選挙で当選した277議員と、補欠選挙で当選した2議員から、辞職・死去した2議員を差し引いた議員数。
- ↑ エブ・ヴェイル選挙区選出。
- ↑ ラネリ選挙区選出。
出典
[編集]- ↑ Archived 19 August 2016 at the Wayback Machine.
- 1 2 3 4 5 宮畑建志「イギリス二大政党の党首選出手続―手続の民主化と党首の地位防衛」『レファレンス』2007年7月、136頁、2026年7月1日閲覧。