1960年イギリス労働党党首選挙
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1960年イギリス労働党党首選挙(1960ねんイギリスろうどうとうとうしゅせんきょ、英語: 1960 Labour Party leadership election)は、1960年11月3日にイギリスで行われた労働党党首の選挙である[1]。
概要
[編集]1959年の総選挙で労働党は大敗し、党首のヒュー・ゲイツケルは党改革に乗り出した。最初に行ったのは「産業の公有化」を主張する党憲章第4条の改訂だったが、主要労働組合や党内左派から強い反発を招き、1960年3月に方針を撤回せざるをえなかった[2][3]。さらに政府が進めていた中距離弾道ミサイル「ブルーストリーク」の開発計画を中止し、アメリカのスカイボルトシステムの購入を決定したことで、核兵器は重要な政治問題となっていた。ゲイツケルは政府方針の支持を示したため、左派から強い反発を受けていた[4]。1960年にスカーブラで開催された党大会で、ゲイツケルが「我々の愛する党を守るために戦い続け、何度も戦い続ける」と宣言したにもかかわらず、左派が提出した一方的核軍縮を求める大会決議が可決されるなど、ゲイツゲル率いる右派と左派の党内対立は激しくなっていた[5]。
1960年7月、副党首のアナイリン・ベヴァンが亡くなり、党大会で副党首選挙を実施することを決定した。左派はゲイツケルが党の政策と乖離しており、党首交代を好機と捉え、これまで定時党大会での現職党首の再任は形式的なものであり、辞職を表明していない現職党首在任中に異例な党首選挙を行われることを目指した[6]。
左派グループのハロルド・ウィルソンは副党首選への立候補を検討していたが、反ゲイツケルの党本部職員で調査部長のピーター・ショアはウィルソンの擁立を狙い、ベヴァンの未亡人である庶民院議員のジェニー・リーが代表団を率いてウィルソンに党首選出馬を迫った[7]。また、アンソニー・グリーンウッドは党大会で決議した一方的核軍縮をゲイツゲルが尊重しなかったことに反発してが影の閣僚を辞任し、反ゲイツケルを鮮明に党首選の立候補を表明したが、「より幅広い」支持を持つ人物としてウィルソンの党首選立候補の支持を表明した。
ウィルソンはゲイツゲルと党首選で争っても勝機がないと考えていたが、左派の主導権を握ることと副党首選出の希望があり、また影の内閣人事におけるゲイツゲルへの反発もあり、党首選立候補を決意した[8][9]。ウィルソンは左派グループの中でも教条主義ではなく、立候補表明の席で党首選の争点を『「団結」対「内戦」』と述べた[10]。
選挙データ
[編集]現職の有無にかかわらず、議会の新会期ごとに党首選を実施。しかし現職が在職中は党首選は形式的であり、現職以外の立候補は行われずに事実上、現職の再任を妨げず承認する[注 1][11]。
党首
[編集]- 選挙前:ヒュー・ゲイツケル(第12代)
- 選挙後:ヒュー・ゲイツケル(第12代)
投票日
[編集]- 1960年11月3日[1]
選挙制度
[編集]- 有効投票の過半数を獲得した候補者が当選。不在の場合は、投票数が最も少ない候補者が除外され、さらに投票が行われる[11]。
投票方法
[編集]選挙権
[編集]被選挙権
[編集]- 議会労働党所属庶民院議員
- 立候補にあたっては、庶民院議員の推薦人並びに賛成者を各々1名必要[11]。
有権者数
[編集]- 257[注 2]
候補者
[編集]| 候補者 | 出生日 出生地 |
経歴 |
|---|---|---|
ヒュー・ゲイツケル |
1906年4月9日(54歳) ロンドン |
庶民院議員(5期/ゲイツケル派)(1945-)[注 3] 財務大臣(1950-1951) 経済大臣(1950) 燃料動力大臣(1947–1950) 陛下の野党党首/影の首相(1955-) 影の財務大臣(1951-1955) 労働党党首(1955-) |
ハロルド・ウィルソン |
1916年3月11日(39歳) ウェスト・ヨークシャー、ハダースフィールド |
庶民院議員(3期)(1945-)[注 4] 商務庁長官(1947-1951) 海外貿易大臣(1947) |
選挙結果
[編集]候補者別得票結果
[編集]| 候補者 | 得票数 | 得票率 | |||
|---|---|---|---|---|---|
| ヒュー・ゲイツケル | 166 | 67.21% | |||
| ハロルド・ウィルソン | 81 | 32.79% | |||
| 総計 | 247 | 100.0% | |||
| 投票総数(投票率) | 247 | 96.11% | |||
| 棄権者数(棄権率) | 10 | 3.89% | |||
| 有権者数 | 257 | 100.0% | |||
| 出典:Leaders of the Labour Party | |||||
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 1960年と1961年は党内の路線対立により、再任を望む現職に新人が挑んで選挙となっている。
- ↑ 1959年イギリス総選挙で当選した258議員から死去した1議員を差し引いた議員数。
- ↑ リーズ・サウス選挙区選出。
- ↑ 1950からヒュイトン選挙区、1945-1950はオームスカーク選挙区選出。
出典
[編集]- 1 2 “Leaders of the Labour Party”. Election.demon.co.uk. 2018年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月16日閲覧。
- ↑ Philip Williams, "Hugh Gaitskell: A Political Biography", Jonathan Cape, 1979, pp. 544–9.
- ↑ Williams, p. 570.
- ↑ Williams, p. 579-80 and 587-88.
- ↑ Williams, p. 610-13.
- ↑ Williams, p. 624.
- ↑ Andrew Roth, "Sir Harold Wilson: Yorkshire Walter Mitty", Macdonald & Janes, 1977, p. 249.
- ↑ Roth, p. 250.
- ↑ Williams, p. 624-25.
- ↑ Roth, p. 251.
- 1 2 3 4 5 宮畑建志「イギリス二大政党の党首選出手続―手続の民主化と党首の地位防衛」『レファレンス』2007年7月、136頁、2026年7月1日閲覧。
参考文献
[編集]- Butler, David; Butler, Gareth (2000), Twentieth-Century British Political Facts 1900–2000 (8th ed.), Macmillan Press
- Stenton, M.; Lees, S., eds. (1981), Who's Who of British Members of Parliament, Volume IV 1945–1979, Harvester Press