1964年ブラジル軍事クーデター
1964年ブラジル軍事クーデター(1967ねんブラジルぐんじクーデター、葡語:Golpe de Estado no Brasil em 1964 )は、1964年3月31日から4月1日にかけてブラジルにて起きた軍事クーデター。ジョアン・グラール率いる第4ブラジル共和国(英語版) が崩壊しブラジル軍事独裁政権(英語版) が樹立した。
背景
[編集]1946年から始まった第四共和国時代は 外国投資、アメリカとの連携、経済や労働関係への国家介入に対する姿勢をめぐって、国家主義者と自由保守主義者の対立によって特徴づけられた。 1954年のゲトゥリオ・ヴァルガスの自殺、1955年のロット元帥の反クーデター、1961年のヤニオ・クアドロスの辞任という3つの局面で、自由保守派の軍人や政治家の一部がクーデターを企て、内戦寸前の深刻な危機を引き起こしたが、社会や軍内で十分な支持を得られなかった。クーデターの際の陣営もこの頃から決まっている[1]。
軍事作戦
[編集]1964年3月31日未明、ミナスジェライス州の第4軍管区司令官であったオリンピオ・モウラン・フィーリョ将軍が、計画を前倒しして独自に反乱を起こした。彼の部隊は、当時グラール大統領が滞在していた政治・文化の中心地リオデジャネイロに向けて進軍を開始しこれがクーデターの事実上の号砲となった。
軍中枢の同調と制圧
[編集]モウラン将軍の電撃的な進軍を受け、当初は慎重だった陸軍参謀総長のウンベルト・カステロ・ブランコ将軍ら軍の主要幹部も即座にクーデター支持に変更した。グラール大統領に忠実な「合法的体制派」の軍人たちもいたが、軍の圧倒的多数が反乱軍に加わったため、抵抗らしい抵抗はできずに数時間で主要都市が制圧された。
米国の裏工作:ブラザー・サム作戦
[編集]冷戦下でブラジルの「共産主義化」を恐れていたアメリカのジョン・F・ケネディ政権およびリンドン・B・ジョンソン政権は、裏で軍部を強力に支援していた。アメリカは、もしブラジル国内で内戦や大規模な抵抗が起きた場合に備え、空母USSフォレスタルを含む艦隊や弾薬、燃料、航空隊をブラジル沿岸へ急派する「ブラザー・サム作戦」を発動した。しかし、クーデターが予想以上に迅速かつ無血で成功したため、作戦は現地に到着する前にキャンセルをした。
脚注
[編集]- ↑ “フェレイラ、ホルヘ。デルガド、ルシリア・デ・アルメイダ・ネベス(組織)(2019a)。オー ブラジル共和国 Vol. 3: 民主主義のテンポを体験する。リオデジャネイロ: ブラジレイラ文明。” (スペイン語). El País Chile (2019年). 2024年9月1日閲覧。