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1965年イギリス保守党党首選挙

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1965年イギリス保守党党首選挙
1965 Conservative Party leadership election

1965年7月27日 (1965-07-27)
→ 1975年



投票率 98.03%
 
候補者 エドワード・ヒースレジナルド・モードリングイーノック・パウエル
得票数 15013315
得票率 50.34%44.63%5.03%

選挙前党首

アレック・ダグラス=ヒューム

選出党首

エドワード・ヒース

1965年イギリス保守党党首選挙(1965ねんイギリスほしゅとうとうしゅせんきょ、英語: 1965 Conservative Party leadership election)は、1965年7月27日にイギリスで行われた保守党党首の選挙です[1]。

概要

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1964年の総選挙で保守党は敗北し野党に転じていた1965年、アレック・ダグラス=ヒュームは党首就任の経緯[注 1]が不透明であるとの批判を受け、保守党議員による投票で党首を選出する手続きを導入した[1]。 ヒュームは、同年7月23日に第14委員会室で開かれた1922年委員会の全体会議において党首辞意を表明し、党首選挙の実施した[2]。

選挙データ

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この手続きは1922年委員会との協議を経て合意に至り、ヒュームは1965年2月25日にこれを発表した。投票の実施および「それに関連する一切の事項」については、1922年委員会(ウィリアム・アンストルーザー=グレイ委員長)が責任を負うこととされた[1]。

党首

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日程

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  • 1965年
    • 2月25日:党首選挙手続きが公表。
    • 7月23日:1922年委員会の会合で、アレック・ダグラス=ヒュームが党首辞意を表明。
    • 7月27日:党首選挙が実施され、エドワード・ヒースが党首に選出。

選挙制度

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有効投票の過半数を獲得し、かつ次点の候補者と15pp以上の得票差を得た候補者が当選。不在の場合は第2回投票が行われ、有効投票の過半数を獲得した候補者が当選。ただし、第2回投票への立候補は、第1回投票に出馬した候補者という規定はなかった。第2回投票で不在の場合は、上位3名による決選投票が行われる[1]。
第3回投票(決選投票)は得票率50%以上の候補者が当選。当選者が不在の場合、最も少ない得票数の候補者を除外し、その候補者の第二投票数を再分配して決定。

投票方法

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  1. 第1回・第2回投票:単記投票、1票制
  2. 第3回投票:優先順位付投票制、1票制[3]

選挙権

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保守党所属庶民院議員[3]

被選挙権

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保守党所属庶民院議員
立候補にあたっては、庶民院議員の推薦人並びに賛成者を各々1名必要[3]。

有権者数

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304[注 2]

候補者

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影の財務大臣であるエドワード・ヒースと、影の外務大臣であるレジナルド・モードリングが立候補すると広く見られていた。イートン・カレッジ出身議員で構成される「マジック・サークル」のメンバーたちは、保守党の顔としてより若く現代的な人物が必要だという点でおおむね合意した[2]。

候補者の中で最も経験豊富で知名度も高かったモードリングが、最有力候補と見なされていた。一方のヒースについては、モードリングと互角の勝負をするか、あるいはモードリングが勝利に必要な「15ppのリード」を確保するのを阻止する程度と見られていた[4]。また、パウエルの出馬はヒースの支持を奪うことになるとも考えられていた。モードリングの支持基盤が地理的に広範囲に及んでいたのに対し、ヒースの支持者は主にイングランド北部や(バーミンガムやウルヴァーハンプトンといった)工業都市に集中していた。しかし、ヒースの側近であるピーター・ウォーカーが主導する、より効果的な選挙運動を展開し、投票前夜には、ヒース陣営は自陣が優位に立っていると確信していた[5]。対照的に、モードリングの選挙運動は精彩を欠くものであった。例えば、ウィリアム・ホワイトローが自分に投票すると見込んでいたが、実際にはホワイトローはヒースに投票した[6]。

その他、候補者となり得ると見られていた人物には、前教育科学大臣のクィンティン・ホッグ、ピーター・ソーニークロフト、そして影の運輸大臣イーノック・パウエルとみられ、パウエルは出馬表明したが、その出馬に対し本来は単純な構図であったはずの選挙戦を複雑にするものだとして、批判の声も上がった[7]。

立候補届出者

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候補者 出生日
出生地
経歴

エドワード・ヒース
1916年7月9日(49歳)
イングランドの旗 イングランド
ケント、サネットブロードステアーズ
庶民院議員(5期)(1950-)[注 3]
商務庁長官(1963-1964)
産業・貿易・地域開発大臣(1963-1964)
王璽尚書(1960-1963)
労働大臣(1959-1960)
影の財務大臣(1965-)

レジナルド・モードリング
1917年3月7日(48歳)
イングランドの旗 イングランド
ミドルセックス、ノース・フィンチリー
庶民院議員(5期)(1950-)[注 4]
財務大臣(1962-1964)
植民地大臣(1961-1962)
商務庁長官(1959-1961)
会計総監(1957-1959)
供給大臣(1955-1957)
財務経済政務次官(1952-1955)
影の外務大臣(1964-1965)

イーノック・パウエル
1912年6月16日(53歳)
イングランドの旗 イングランド
ウォリックシャー、バーミンガム
庶民院議員(5期)(1950-)[注 5]
保険大臣(1960-1963)

影の運輸大臣(1964-)

立候補を予想された議員

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モードリングを支持[8]。
党の「近代化」を掲げるも、自らの出馬を否定しヒースを支持[9]。

選挙結果

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ヒースは有効投票の過半数を確保していたが、次点のモードリングとの差は5.71ppで選挙規則の15pp差に満たすことできなかったが、モードリング、パウエルが敗北を認め第2回投票を辞退したため、ヒースが党首に選出された。

パウエルの得票はわずか15票で勝利には及ばなかったが「名を残した」、つまり将来の党首候補としての存在を公に示したと語った[12]が、パウエルが議会内(党所属議員団)で十分な支持を得ていないことが明らかになり、ヒースはパウエルの強気な姿勢を牽制できると考えた[13]。1968年、パウエルが人権関係法案に反対を表明した「血の川」演説を行うと、ヒースはパウエルを保守党のフロントベンチャー(党幹部・影の閣僚)から解任した。

候補者別得票結果

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e • d 
1965年イギリス保守党党首選挙
(1965年7月27日 (1965-07-27)施行)
候補者 得票数得票率 得票差
エドワード・ヒース 15050.34% ±00.00pp
レジナルド・モードリング 13344.63% Δ05.71pp
イーノック・パウエル 155.03% Δ45.31pp
総計 298100.0%
投票総数(投票率) 29898.03%
棄権者数(棄権率) 61.97%
有権者数 304100.0%

脚注

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注釈

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  1. ↑ ハロルド・マクミランの指名により貴族院議員だったヒュームが党首に就任した。
  2. ↑ 1964年総選挙で当選した304議員と、補欠選挙で当選した7議員から、死去・辞職した7議員を差し引いた数。
  3. ↑ ベクスリー選挙区選出。
  4. ↑ バーネット選挙区選出。
  5. ↑ ウルヴァーハンプトン・サウス・ウエスト選挙区選出。
  6. ↑ 選挙区、1938-1950まではオックスフォード選挙区選出。
  7. ↑ ウィラル選挙区選出。
  8. ↑ エンフィールド・ウエスト選挙区選出。
  9. ↑ 1950からストリートハム選挙区、1935-1945まではノーウッド選挙区選出。
  10. ↑ ベッドフォード選挙区選出。
  11. ↑ 1950からモンマス選挙区、1938-1945までスタッフォード選挙区選出。

出典

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  1. 1 2 3 4 “Leadership elections: Conservative Party”. House of Commoms Library. 2026年8月2日閲覧。
  2. 1 2 “Sir A. Home resigns as party leader”. The Times (英語). No. 56381. London. 23 July 1965. col A, p. 12.
  3. 1 2 3 4 宮畑建志「イギリス二大政党の党首選出手続―手続の民主化と党首の地位防衛」『レファレンス』2007年7月、136頁、2026年7月1日閲覧。
  4. ↑ “Mr. Powell makes it a 3-cornered fight”. The Times (英語). No. 56383. London. 26 July 1965. col A, p. 10.
  5. ↑ “Both camps prepared for inconclusive ballot”. The Times (英語). No. 56384. London. 27 July 1965. col F, p. 10.
  6. ↑ Shepherd 1994, p. 403.
  7. ↑ “More contenders for Tory leadership?”. The Times (英語). No. 56382. London. 24 July 1965. col A, p. 6.
  8. ↑ “Uk Conservatives Face Leadership Battle Today”. The Morning Record. London. Associated Press. 26 July 1965. p. 1. 2025年4月25日閲覧.
  9. ↑ Shepherd 1994, p. 400.
  10. ↑ “Campaign Seeks Tory Deadlock”. The Leader-Post. London. Reuters. 24 July 1965. p. 1. 2025年4月25日閲覧.
  11. ↑ “Mr. Maudling favored on poll's eve”. The Age. London. 27 July 1965. p. 4. 2025年4月25日閲覧.
  12. ↑ Shepherd 1994, p. 401.
  13. ↑ Shepherd 1994, p. 404.

外部リンク

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