コンテンツにスキップ

1965年人種関係法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1965年人種関係法
英: Race Relations Act 1965
議会制定法
正式名称An Act to prohibit discrimination on racial grounds in places of public resort; to prevent the enforcement or imposition on racial grounds of restrictions on the transfer of tenancies; to penalise incitement to racial hatred; and to amend section 5 of the Public Order Act 1936.
法律番号1965 c. 73
日付
裁可1965年11月8日
発効1965年12月8日
廃止1976年11月22日
他の法律
改正1968年人種関係法
後継1976年人種関係法(英語版)
現況: 廃止
法律制定文
Text of the 1965年人種関係法 as in force today (including any amendments) within the United Kingdom, from legislation.gov.uk

1965年人種関係法(1965ねんじんしゅかんけいほう、Race Relations Act 1965)は1965年に制定された人種差別を禁じるイギリスの法律。イギリス史において人種差別を対象とした最初の法律であり、公共の場での「肌の色、人種、民族または国籍を理由とする差別」を禁じた[1]。

また、1966年に人種関係委員会(英語版)(Race Relations Board)が設立されるきっかけとなった。この委員会は国務大臣(英語版)が任命した委員長と2人の委員から構成される[2]。この委員会の目的は同法に基づく請願の精査であった[1]。

なお、独自議会(旧議会)があった北アイルランドには適用されなかった。また、商店や個人下宿屋も適用除外となっていた。

背景

[編集]

第二次世界大戦後、イギリス本国には主として植民地や旧植民地から多くの経済移民が流入していた。特にカリブ海地域からの移民はウィンドラッシュ世代として知られる。移民の数はこの法案が成立するまでに約100万人に達していた[3]。 ロンドン博物館(英語版)は「多くの人々にとって人種的偏見は日常の一部であった」と解説している[4]。 それまで人種差別防止を目的とした法案は左派の国会議員フェナー・ブロックウェイ(英語版)が、1956年から1964年にかけて8回提出していたが成立には至っていなかった[5]。この間、ロンドンのノッティングヒル暴動(英語版)(1958年)[4]、ブリストルのバス・ボイコット事件(1963年)などの事件が起きていた[6]。

法律の内容と例外事項

[編集]

この法律はフランク・ソスキス(英語版)内務大臣が主導し、超党派で立法された[7]。

同法は1965年11月8日に女王裁可を受け、12月8日に施行された[3]。肌の色、人種、民族または国籍を理由としてサービス提供の拒否、サービス提供の不当な遅延、過剰な料金請求を民事上の不法行為とした。また、人種的憎悪煽動罪(英語版)という新たな犯罪を設けた。

この法律は公共の場所での差別のみを禁じ、商店や個人下宿屋は明確に除外されていた。人種関係委員会の権限は弱く、調停と差別行為の停止という保証に限定されていた[8]。すなわち「弱い法律」であり、イギリスにおける人種差別を完全に終わらせるには至らなかった[9]。また、独自議会(旧議会)があった北アイルランドには適用されなかった[10]。

適用例

[編集]

この法律に基づく最初の有罪判決は1967年10月にミドルセックス地区裁判所にて、国民社会主義党(英語版)の17歳の党員に適用されたものである。また、イギリス国民社会主義運動のリーダーであったコリン・ジョーダン(英語版)も同法に基づき起訴され、1967年に18ヶ月の禁固刑を受けた[11]。

この法律は有色人種に対する差別のみに適用されたわけではなかった。 ブラック・パワーの指導者マイケル・アブドゥル・マリク(マイケルX(英語版))と国際黒人協会(英語版)(Universal Coloured People's Association、UCPA)のメンバー4人を含む黒人移民は、白人に対する人種的憎悪を煽ったとし起訴されている[12]。

改正

[編集]

この法律は、1968年に雇用と住宅を対象範囲に含めるように改正・強化された(1968年人種関係法)。 その後、人種平等委員会が設立された1976年人種関係法(英語版)によって廃止された[1]。

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. 1 2 3 “On this day: 8 December 1965: New UK race law 'not tough enough'”. BBC News. 8 December 1965. 2010年1月10日閲覧.
  2. ↑ “Race Relations Act 1965”. legislation.gov.uk. The National Archives. 2019年6月29日閲覧。
  3. 1 2 “Race Relations Act 1965”. UK Parliament. 2020年9月18日閲覧。
  4. 1 2 “Race Relations Acts 1965-1976”. The Museum of London. 2012年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月10日閲覧。
  5. ↑ “The Communist Party's campaign for the Race Relations Act 1965” (英語). Hatful of History. Evan Smith. (2015年12月7日). 2019年6月30日閲覧。
  6. ↑ Editorial (10 November 2005). “In Praise Of...The Race Relations Acts”. The Guardian. London. 2010年1月10日閲覧.
  7. ↑ Donnelly, Mark (2005). Sixties Britain: culture, society and politics. Routledge. p. 115
  8. ↑ “The Origins of the Race Relations Act”. University of Warwick. 2020年6月12日閲覧。
  9. ↑ “Discrimination and race relations policy”. The National Archives. 2010年1月10日閲覧。
  10. ↑ See 8(3) of the Act
  11. ↑ “Colin Jordan sent to prison for 18 months on Race Act charges”. Glasgow Herald. January 26, 1967. p. 7. 2016年6月23日閲覧.
  12. ↑ Twomey, Anne (17 April 1994). “Laws Against Incitement to Racial Hatred in the United Kingdom”. Australian Journal of Human Rights 1: 235–248. doi:10.1080/1323238X.1994.11910913. (1994) 1(1) Australian Journal of Human Rights 235.

参考文献

[編集]
⌬ Phoenix Mesh CID: bafkreieep36i7kg23tb… ⏳ 自動起動中… 📡 0ピア ⚡ 0シーダー PQS A92