1966年自由民主党総裁選挙
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1966年自由民主党総裁選挙(1966ねんじゆうみんしゅとうそうさいせんきょ)は、1966年(昭和41年)12月1日に行われた日本の自由民主党の党首である総裁の選挙である。
概要
[編集]現職の佐藤栄作総裁の任期満了に伴い行われた選挙である。
佐藤総裁は、党内に目立つ同世代のライバルが不在の状態であったため、再選は固いと見られていたが、同年8月から続発した党内の不祥事(黒い霧事件)が世論の反発を受けていたのに対し、党内反主流派は粛党運動をおこして執行部に揺さぶりをかける。選挙戦では、独立系候補として常連であった藤山愛一郎が反・佐藤の有力馬として立ったほか、宏池会(旧池田勇人派)が、当初は佐藤支持の予定であったのを、領袖の前尾繁三郎を、後継候補の大平正芳らが勝手運動的に担いで票を投じた。
投票結果は、佐藤が自派(周山会)の他に清和政策研究会(福田赳夫派)、番町政策研究所(三木武夫派)、交友クラブ(川島正次郎派)の主流四派の他に一陽会(村上勇派)、水曜会(石井光次郎派)の多数の支持を固めて当選したが、当初の票読みによる目標票数の315票を大幅に下回った。藤山は、自派(愛正会)の他に政策科学研究所(中曾根康弘派)の支持を受けた。
選挙後、内閣改造を行って第3次改造内閣が発足したが野党の反発は続き、解散総選挙を断行(第31回衆議院議員総選挙)、自民党が第一党を維持することによって、黒い霧事件はようやくひと段落することとなった。
選挙データ
[編集]総裁
[編集]- 選挙前:佐藤栄作(第5代)
- 選挙後:佐藤栄作(第5代)
投票日
[編集]- 1966年(昭和41年)12月1日
- 第18回臨時党大会(日比谷公会堂)で実施。
選挙制度
[編集]- 決選投票制
- 総裁公選規程に基づく公選
選挙活動
[編集]候補者
[編集]立候補制ではなかったものの、選挙活動した国会議員。
| 佐藤栄作 | 藤山愛一郎 | 野田卯一 |
| 衆議院議員 (7期・山口2区) 内閣総理大臣(1963-現職) 党総裁(1964-現職) |
衆議院議員 (3期・神奈川1区) 外務大臣(1957-1960) 党総務会長(1963-現職) |
衆議院議員 (5期・岐阜1区) 元建設大臣(1951-1952) |
| 周山会 (佐藤派) |
愛正会 (藤山派) |
無派閥[注 3] |
| 山口県 | 東京府 | 岐阜県 |
選挙結果
[編集]佐藤が6割以上の得票で圧勝したが、反佐藤で立候補した藤山が中曽根派や松村派の支援を得て89票、同じく反佐藤の野田が9票を得た。前尾派は自主投票であったが反佐藤の大平正芳が派内をまとめ、領袖の前尾に47票が入った[2]。
第1回総裁選から1972年(昭和47年)の第12回総裁選までは立候補制ではなかったため、自民党所属の国会議員への票はすべて有効票として扱われた。
候補者別得票数
[編集]| 候補者 | 得票数 | 得票率 | |
|---|---|---|---|
| 佐藤栄作 | 289 | 64.22% | |
| 藤山愛一郎 | 89 | 19.78% | |
| 前尾繁三郎 | 47 | 10.44% | |
| 灘尾弘吉 | 11 | 2.44% | |
| 野田卯一 | 9 | 2.00% | |
| 小坂善太郎 | 2 | 0.44% | |
| 岸信介 | 1 | 0.22% | |
| 松村謙三 | 1 | 0.22% | |
| 村上勇 | 1 | 0.22% | |
| 総計 | 450 | 100.0% | |
| 有効投票数(有効率) | 450 | % | |
| 無効票・白票数(無効率) | % | ||
| 投票者数(投票率) | % | ||
| 棄権者数(棄権率) | % | ||
| 有権者数 | 100.0% | ||
| 出典:朝日新聞 | |||
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ 上神貴佳「党首選出過程の民主化 : 自民党と民主党の比較検討」『年報政治学』第59巻第1号、日本政治学会、2008年、1_220-1_240、doi:10.7218/nenpouseijigaku.59.1_220、ISSN 0549-4192、2022年9月16日閲覧。
- ↑ 政客列伝 日本経済新聞
参考文献
[編集]- 『昭和の宰相 佐藤栄作と高度成長』戸川猪佐武P182