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1975年の読売ジャイアンツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1975年の読売ジャイアンツ
成績
セントラル・リーグ6位
47勝76敗7分 勝率.382
本拠地
都市 東京都文京区
球場 後楽園球場
球団組織
オーナー 正力亨
経営母体 読売新聞社
監督 長嶋茂雄
スローガン
クリーン・ベースボール
« 1974
1976 »

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1975年の読売ジャイアンツ(1975ねんのよみうりジャイアンツ)では、1975年における読売ジャイアンツの動向をまとめる。

この年の読売ジャイアンツは、長嶋茂雄監督の1年目のシーズンである。

概要

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読売ジャイアンツの当年及び近年のシーズン成績
年 最終成績 リ
丨
グ
試
合
勝 敗 分 勝
率
総
得
点
総
失
点
打
率
本
塁
打
盗
塁
犠
打
四
死
球
O
P
S
防
御
率
完
投
失
策
監
督
1975 リーグ6位6位13047767.382510..3.532992長嶋茂雄
1974 リーグ2位2位13071509.587589.2531596480573.754川上哲治
1973 日本一優勝13066604.524..川上哲治
1972 日本一優勝13074524.587492..3.445292川上哲治
1971 日本一優勝13070528.574538.25312314981551.729川上哲治
1970 日本一優勝13079474.627499365.2401317765445.6892.465292川上哲治
1969 日本一優勝13073516.589..川上哲治
1968 日本一優勝13477534.592496..3.353986川上哲治
1967 日本一優勝13484464.646595.26516212581543.766川上哲治
1966 日本一優勝13489414.685..川上哲治
1965 日本一優勝14091472.659404..2.543488川上哲治

「クリーン・ベースボール」を標榜し、ユニフォームやコーチ陣を一新して出陣した長嶋巨人だったが、開幕前のキャンプでは長嶋監督の記者会見中、主力選手が隣の部屋で麻雀を始め、また宮崎の新球場が雨で使えないなどの異常事態が起こり、一部の主力選手やコーチが不安を抱き始めた。戦力では、V9時代晩年から問題になっていたことだが、前年に引退した森昌彦、黒江透修そして長嶋ら衰えつつあった主力野手たちの穴を埋められる選手がなかなか出現せず(前年の長嶋の成績は打率2割4分4厘・15本塁打、黒江と森に至っては100試合未満しか出場していない)、さらに王貞治がオープン戦終盤に足を故障して出遅れた事も影響し、4月12日には早くも最下位に転落した。4月18日には現役大リーガーのデーブ・ジョンソンが入団すると、長嶋の後釜として三塁を守ったが本職が二塁手のジョンソンは慣れない三塁守備で調子を崩し、6月には8打席連続三振を喫するなど打撃不振に陥り、13本塁打を放つが打率は.197に終わった。スタメンに復帰した王も本調子にはほど遠く2年連続の三冠王から一転、打点王のみにとどまり、13年間守ってきた本塁打王の座を阪神の田淵幸一に明け渡してしまった。9月には、球団史上ワースト(2017年更新)の11連敗を喫するなど苦戦が続いた。さらに7月3日の中日戦では主力投手の関本四十四が中日の高木守道と乱闘騒ぎを起こし、一方で長嶋監督の投手起用を週刊誌で批判するというハプニングもあった。結局、4月以降は一度も最下位から浮上できず、10月10日には球団初となる最下位が決定、10月15日には本拠地の後楽園球場で広島に初優勝を決められるという屈辱を味わった。チームは、優勝の広島に11勝14敗1分と健闘するも、2位中日に7勝18敗1分、3位阪神に9勝16敗1分とそれぞれ負け越してしまい、ついには3強マッチレースのアシスト役となってしまった。頼みの綱でもある投手陣では、エースの堀内恒夫が唯一2桁となる10勝を挙げたものの18敗を喫し、勝ち越したのは8勝7敗の横山忠夫と1勝0敗のルーキー中山俊之のみだった[1]。なお、2024年終了時点においてもこの年が巨人史上唯一のレギュラーシーズン最下位となっている。このように屈辱にまみれたシーズンであったが、観客動員数は前年の259万人から283万人と24万人も増え球団新記録となった[2]。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 中柴田勲
2 三富田勝
3 左高田繁
4 右末次利光
5 一柳田俊郎
6 二上田武司
7 捕矢沢正
8 遊河埜和正
9 投堀内恒夫
1975年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 大洋--- ヤクルト--- 広島--- 中日--- 広島--- 広島---
2位 阪神0.5 広島0.5 ヤクルト0.5 阪神0.5 中日1.5 中日4.5
3位 ヤクルト2.5 阪神1.0 阪神1.0 広島0.5 阪神 阪神6.0
4位 広島3.0 中日1.5 中日1.5 ヤクルト1.5 ヤクルト5.0 ヤクルト16.0
5位 中日3.5 大洋2.5 大洋5.5 大洋7.0 大洋8.0 大洋21.5
6位 巨人5.5 巨人6.5 巨人9.5 巨人11.5 巨人14.0 巨人27.0
期間
成績
4勝10敗3分
勝率.286
10勝13敗
勝率.435
6勝10敗1分
勝率.375
7勝10敗
勝率.412
10勝12敗1分
勝率.455
10勝21敗2分
勝率.323
1975年セントラル・リーグ成績
順位球団勝敗分勝率差
優勝広島東洋カープ724711.605---
2位中日ドラゴンズ69538.5664.5
3位阪神タイガース68557.5536.0
4位ヤクルトスワローズ57649.47116.0
5位大洋ホエールズ516910.42521.5
6位読売ジャイアンツ47767.38227.0

投手成績

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  • 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
  • 太字はリーグ最高
選手登

板
先

発
完

投
完

封
無
四
球
勝

利
敗

戦
セ
丨
ブ
打

者
投
球
回
被
安
打
被
本
塁
打
与
四
球
与
死
球
奪
三
振
暴

投
ボ
丨
ク
失

点
自
責
点
防
御
率
W
H
I
P
 
/堀内恒夫382982110180893213.22122875611841100903.791.34
/横山忠夫2521721870568140.112216383736059533.411.14
/小川邦和5393108104543129.212113387624065543.741.23
/高橋一三3918210660519115.21249545883050463.571.54
/新浦寿夫37142102110450108.0939461820147403.331.29
/小林繁2812311560456106.110383214420050393.311.27
/高橋良昌53100013236095.2729122400030272.530.88
/玉井信博13832034023858.0469233240022203.101.19
/倉田誠35000034223957.0505244371022172.681.30
/関本四十四141100004022047.2597193180027213.941.64
/島野修13710003016736.152911190026256.251.73
/中山俊之800001005412.111170400664.501.46
/谷山高明70000000357.013120700333.862.14
/塩月勝義20000000173.05030200339.002.67

主な打撃成績

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  • 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
  • 太字はリーグ最高
選手試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
 
/王貞治1285233937711214033225961006123271629.285.456.5731.029
/柴田勲1265174507311813410169452410025916483.262.355.376.731
/土井正三11144240637107927141274424011012512.264.285.347.632
/高田繁123386332497816361183193833607416.235.323.355.678
/末次利光113357317398041131254624333242377.252.325.394.719
/淡口憲治1143563143592151121454213413037516.293.368.462.829
/ジョンソン913242892957701310338100321011716.197.277.356.634
/矢沢正100302276277011171043411311517366.254.309.377.686
/河埜和正9028025123571126901731312154537.227.297.359.656
/富田勝10322419615374114613104332210403.189.271.235.505
/上田武司72205176153351040921421805303.188.281.227.509
/柳田俊郎901781561641415621803031900172.263.343.397.740
/吉田孝司791741609426135920102111002412.263.310.369.679
/萩原康弘716860014200164001070080.233.313.267.580
/山本和雄55393815000500000100140.132.154.132.285
/槌田誠4230291100012000010091.034.067.034.101
/大竹憲治24242336101103000010080.261.292.435.726
/杉山茂1310100200020000000020.200.200.200.400
/山下司610100100010000000041.100.100.100.200
/庄司智久545513100010440000010.200.200.200.400

オールスターゲーム1975

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コーチ 長嶋茂雄
ファン投票 堀内恒夫 王貞治 高田繁 末次利光
監督推薦 選出なし

できごと

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  • 3月23日 - 前監督の川上哲治の引退試合「巨人×阪神」が後楽園球場で行われる(ちなみにこの日は川上55歳の誕生日)。まず川上は監督時代の背番号「77」のユニフォームでコーチャースボックスに立ち、その後現役時代の背番号「16」に着替え(デザインは長嶋の監督就任に合わせて変更されたものを着用)、阪神の江夏豊との勝負となった。だがこの試合で王貞治が足の肉離れを起こすハプニングがおこる。
  • 4月18日 - デービー・ジョンソンの巨人入団が決定。
  • 9月14日 - 広島のリッチー・シェーンがユダヤ教信者懺悔の日という宗教的理由でこの日の対巨人戦(広島)を欠場[3]。
  • 10月10日 - 5位の大洋が勝ったため、巨人の球団創設以来初となる最下位が決定。
  • 10月15日 - 広島が後楽園で巨人に4対0で勝利し、球団創設以来26年目で初のセ・リーグ優勝。
  • 10月27日 - 野球評論家の杉下茂が投手コーチに就任。
  • 11月25日 - 日本ハムの張本勲と巨人の高橋一三と富田勝の1対2による交換トレードが成立。
  • 11月26日 - 太平洋の加藤初、伊原春樹と巨人の関本四十四、玉井信博の2対2による交換トレードが成立し両球団から発表された。
  • 12月25日 - 前監督で球団専務の川上哲治が退団することが発表された。

選手・スタッフ

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[4]

表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名タイトル成績回数
王貞治 打点王96打点5年連続10度目
最多出塁数236個9年連続9度目
ベストナイン
選手名ポジション回数
王貞治一塁手14年連続14度目
ダイヤモンドグラブ賞
選手名ポジション回数
堀内恒夫投手4年連続4度目
王貞治一塁手4年連続4度目
高田繁外野手4年連続4度目

ドラフト

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順位選手名ポジション所属結果
1位篠塚利夫内野手銚子商業高入団
2位岡田忠雄捕手中京高入団
3位中畑清内野手駒澤大学入団
4位猪口明宏外野手天理高入団
5位山本功児内野手本田技研鈴鹿入団
6位柿木孝哉内野手宮崎商業高拒否・明治大学進学

出典

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  1. ↑ “1975年「サイカイ」その2”. 堀内恒夫オフィシャルブログ「今日もどこかであくたろう」 (2017年6月21日). 2020年5月8日閲覧。
  2. ↑ セントラル・リーグ 年度別入場者数(1950~2022) 日本野球機構
  3. ↑ 【9月14日】1975年(昭50) 本日安息日 優勝目前でも試合に出なかったシェーン スポーツニッポン 2012年9月14日
  4. ↑ “読売巨人軍公式HP 背番号変遷”. 読売ジャイアンツ. 2015年10月5日閲覧。
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