1975年イタリアグランプリ
| レース詳細 | |||
|---|---|---|---|
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| 日程 | 1975年シーズン第13戦 | ||
| 決勝開催日 | 9月7日 | ||
| 開催地 |
モンツァ・サーキット | ||
| コース長 | 5.780 km (3.592 mi) | ||
| レース距離 | 52周 300.560 km (186.759 mi) | ||
| 決勝日天候 | 曇(ドライ)[1] | ||
| ポールポジション | |||
| ドライバー | |||
| タイム | 1:32.24[W 1][2] | ||
| ファステストラップ | |||
| ドライバー |
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| タイム | 1:33.1(47周目)[W 2][3] | ||
| 決勝順位 | |||
| 優勝 |
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| 2位 | |||
| 3位 | |||
1975年イタリアグランプリ(1975ねんイタリアグランプリ、英: 1975 Italian Grand Prix、正式名称: XLVI Gran Premio d'Italia)は、1975年のF1世界選手権の第13戦として、1975年9月7日にモンツァ・サーキットで開催された自動車レース(イタリアグランプリ)。
第45回のイタリアグランプリであり、モンツァで開催されたのは41回目であった。レースは全長約5kmのサーキットを52周し、総走行距離約300kmで行われた。
概要
[編集]レースはフェラーリ・312Tを駆るスイス人ドライバーのクレイ・レガツォーニが制し、スクーデリア・フェラーリにとって輝かしい一日となった。レガツォーニにとって3勝目、フェラーリにとってはシーズン5勝目となる勝利だった。レガツォーニは、マクラーレン・M23を駆るブラジル人ドライバーの前年度王者エマーソン・フィッティパルディを16秒差で抑えて優勝した。フィッティパルディの後ろには、2台目のフェラーリを駆るオーストリア人ドライバーのニキ・ラウダが続いた。ラウダはこのレースで十分なポイントを獲得し、自身3度のドライバーズタイトルのうち最初のタイトルを確定させた。
背景
[編集]レース前
[編集]21年ぶりのスイスGP開催
[編集]前戦オーストリアGPの翌週8月24日に、1954年以来となるスイスグランプリがフランスのディジョン・プレノワ・サーキットで非選手権レースとして開催され[注 3]、フェラーリのクレイ・レガツォーニが(異国の地ではあったが)母国GP優勝を果たした[4][5]。日本のマキが初めて決勝に進出した[6][7]。結果的に非選手権レースを含めてこれが唯一の決勝進出で[W 8]、トニー・トリマーが13位完走を果たしている[8]。
エントリー
[編集]ペンスキーはマーク・ダナヒューの事故死により欠場した[W 4]。コパスカーはウィルソン・フィッティパルディが前戦オーストリアGPでのクラッシュによる負傷から回復中だったため、アルトゥーロ・メルツァリオが代走を務める[2]。ウィリアムズは2台目のドライバーとして母国出身のレンツォ・ゾルジを起用した[W 4]。ロータスは2台目のドライバーとしてジム・クロフォードを起用した[W 6]。ヘスケスは前記のスイスGPから投入された新車308C[6]をジェームス・ハントがドライブする[W 6][W 9]。サーティースは資金難により、本年の残り2戦を欠場する[W 6]。
エントリーリスト
[編集]- 追記
予選
[編集]予選は金曜日、土曜日の各2回、計4回のセッションで行われた[10]。
ニキ・ラウダが今シーズン8度目のポールポジションを獲得し、チームメイトのクレイ・レガツォーニがラウダに続き、フェラーリがホームGPでフロントローを独占し[11]、ティフォシたちは歡喜した。2列目はエマーソン・フィッティパルディとジョディー・シェクターが並ぶ[W 4]。トニー・ブライズは3列目を確保し、チームオーナーのグラハム・ヒルを喜ばせた。僅かながらタイトル獲得の可能性を残しているカルロス・ロイテマンは7番手からスタートする[11]。マキのトニー・トリマーは予選を通過できなかった[12]。
予選結果
[編集]| 順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | Grid |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 12 | フェラーリ | 1:32.24 | - | 1 | |
| 2 | 11 | フェラーリ | 1:32.75 | +0.51 | 2 | |
| 3 | 1 | マクラーレン-フォード | 1:33.08 | +0.84 | 3 | |
| 4 | 3 | ティレル-フォード | 1:33.27 | +1.03 | 4 | |
| 5 | 2 | マクラーレン-フォード | 1:33.29 | +1.05 | 5 | |
| 6 | 23 | ヒル-フォード | 1:33.34 | +1.10 | 6 | |
| 7 | 7 | ブラバム-フォード | 1:33.44 | +1.20 | 7 | |
| 8 | 24 | ヘスケス-フォード | 1:33.73 | +1.49 | 8 | |
| 9 | 9 | マーチ-フォード | 1:33.90 | +1.66 | 9 | |
| 10 | 8 | ブラバム-フォード | 1:34.17 | +1.93 | 10 | |
| 11 | 5 | ロータス-フォード | 1:34.22 | +1.98 | 11 | |
| 12 | 4 | ティレル-フォード | 1:34.36 | +2.12 | 12 | |
| 13 | 17 | シャドウ-マトラ | 1:34.61 | +2.37 | 13 | |
| 14 | 16 | シャドウ-フォード | 1:34.71 | +2.47 | 14 | |
| 15 | 27 | パーネリ-フォード | 1:34.72 | +2.48 | 15 | |
| 16 | 10 | マーチ-フォード | 1:35.29 | +3.05 | 16 | |
| 17 | 34 | ヘスケス-フォード | 1:35.43 | +3.19 | 17 | |
| 18 | 21 | ウィリアムズ-フォード | 1:35.48 | +3.24 | 18 | |
| 19 | 32 | エンサイン-フォード | 1:35.56 | +3.32 | 19 | |
| 20 | 14 | BRM | 1:35.61 | +3.37 | 20 | |
| 21 | 25 | ヘスケス-フォード | 1:36.11 | +3.87 | 21 | |
| 22 | 20 | ウィリアムズ-フォード | 1:36.19 | +3.95 | 22 | |
| 23 | 22 | ヒル-フォード | 1:36.44 | +4.20 | 23 | |
| 24 | 29 | マーチ-フォード | 1:37.06 | +4.82 | 24 | |
| 25 | 6 | ロータス-フォード | 1:37.14 | +4.90 | 25 | |
| 26 | 30 | コパスカー-フォード | 1:37.33 | +5.09 | 26 | |
| 上位26台が決勝進出 | ||||||
| 27 | 31 | エンサイン-フォード | 1:37.64 | +5.40 | DNQ | |
| 28 | 35 | マキ-フォード | 1:39.44 | +7.20 | DNQ | |
| 出典: [W 1][W 11] | ||||||
決勝
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イタリアのティフォシ達は、ホームGPで11年ぶりの戴冠を期待して集まった。イタリア国内のみならず、ニキ・ラウダを応援するために国境を越えて駆けつけたオーストリア人も押し寄せ、16万人強の観客が集まった[12]。
昼過ぎに激しい雨が降ったが、これは通り雨ですぐに止み、レースは予定通り15時にスタートした[13]。クレイ・レガツォーニがニキ・ラウダとジョディー・シェクターを抑えてトップを走った。
ヴィットリオ・ブランビラのクラッチは1周目で焼損し、ボブ・エバンスはエンジンプラグの故障でストップした。第1シケインで大事故が発生し[W 4]、シェクターはエスケープロードに逃げ込むことを余儀なくされた。その周囲では、ヨッヘン・マスが縁石に接触し、サスペンションを損傷していた。ロニー・ピーターソンは他のマシンと接触し、スロットルが開いたままの状態になってしまった。マリオ・アンドレッティとロルフ・シュトメレンは事故によるダメージでリタイアし、トニー・ブライズはシケインでスピンした。ハラルド・アートルはハンス=ヨアヒム・スタックのマシンの上を飛び越え、アップライトを損傷した。
6周を走った後、カルロス・パーチェがスロットルリンケージの破損でリタイアし、間もなくスタックとレラ・ロンバルディもリタイアした。フェラーリは1-2位を走行し、レガッツォーニがラウダを圧倒的にリードしていた。14周目にはエマーソン・フィッティパルディがカルロス・ロイテマンを抜いて3位に浮上した。これによりロイテマンのタイトル争いは事実上終了し、最終的に4位でフィニッシュした。フェラーリ勢が圧倒的なリードを築く中、フィッティパルディは追撃を諦めず、10秒以上の差を縮めていき、残り6周となったところでラウダを抜き去ることに成功した。ラウダはタイトル獲得を優先し、無理な走りはしなかった[5]。
パトリック・デパイユはジェームス・ハントを抜いて5位に浮上したが、すぐにスピンしてエスケープロードへ逃げ込んだ。ハント、トム・プライス、ロイテマンの三者は激しいバトルを繰り広げており、27周目にハントがスピンした際にプライスが抜いていったが、ハントは10周後にプライスを抜き返し、ポジションを取り戻した。アートルは1周遅れながら、見事な走りでプライスの追い抜きを許さなかった。
レガツォーニが優勝し、フィッティパルディが2位、ラウダが3位となり、ラウダは自身初のドライバーズタイトルを獲得するのに十分な結果となった[5]。ラウダの16.5点のリードは、最終戦アメリカGPにおいてフィッティパルディが逆転するには大きすぎた。フェラーリのドライバーがタイトルを獲得したのは1964年のジョン・サーティース以来11年ぶりである[14][5]。また、フェラーリは1964年以来となるコンストラクターズタイトルを、熱狂の坩堝と化した大観衆の前で勝ち取った[15]。
レース結果
[編集]| 順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | Grid | Pts. |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 11 | フェラーリ | 52 | 1:22:42.6 | 2 | 9 | |
| 2 | 1 | マクラーレン-フォード | 52 | +16.6 | 3 | 6 | |
| 3 | 12 | フェラーリ | 52 | +23.2 | 1 | 4 | |
| 4 | 7 | ブラバム-フォード | 52 | +55.1 | 7 | 3 | |
| 5 | 24 | ヘスケス-フォード | 52 | +57.1 | 8 | 2 | |
| 6 | 16 | シャドウ-フォード | 52 | +1:15.9 | 14 | 1 | |
| 7 | 4 | ティレル-フォード | 51 | +1 Lap | 12 | ||
| 8 | 3 | ティレル-フォード | 51 | +1 Lap | 4 | ||
| 9 | 34 | ヘスケス-フォード | 51 | +1 Lap | 17 | ||
| 10 | 25 | ヘスケス-フォード | 50 | +2 Laps | 21 | ||
| 11 | 30 | コパスカー-フォード | 48 | +4 Laps | 26 | ||
| 12 | 32 | エンサイン-フォード | 48 | +4 Laps | 19 | ||
| 13 | 6 | ロータス-フォード | 46 | +6 Laps | 25 | ||
| 14 | 20 | ウィリアムズ-フォード | 46 | +6 Laps | 22 | ||
| Ret | 17 | シャドウ-マトラ | 32 | 燃料ポンプ | 13 | ||
| Ret | 29 | マーチ-フォード | 21 | アクシデント | 24 | ||
| Ret | 10 | マーチ-フォード | 15 | アクシデント | 16 | ||
| Ret | 21 | ウィリアムズ-フォード | 7 | ギアボックス | 18 | ||
| Ret | 8 | ブラバム-フォード | 6 | スロットル | 10 | ||
| Ret | 22 | ヒル-フォード | 3 | アクシデント | 23 | ||
| Ret | 2 | マクラーレン-フォード | 2 | アクシデント | 5 | ||
| Ret | 5 | ロータス-フォード | 1 | エンジン | 11 | ||
| Ret | 23 | ヒル-フォード | 1 | アクシデント | 6 | ||
| Ret | 27 | パーネリ-フォード | 1 | アクシデント | 15 | ||
| Ret | 9 | マーチ-フォード | 1 | クラッチ | 9 | ||
| Ret | 14 | BRM | 0 | 電気系統 | 20 | ||
| DNQ | 31 | エンサイン-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 35 | マキ-フォード | 予選不通過 | ||||
| 優勝スピード(勝者レガツォーニの平均速度):218.034 km/h | |||||||
| ファステストラップ:クレイ・レガツォーニ - 1:33.1(47周目)[W 2] | |||||||
| 出典: [W 12][W 3][W 11][1] | |||||||
| ドライバー | 周回数 | リードラップ |
|---|---|---|
| クレイ・レガツォーニ | 52周 | 1-52(全周回) |
| 出典: [W 13] | ||
- 太字は最多ラップリーダー
主な記録
[編集]ドライバー
[編集]コンストラクター
[編集]第13戦終了時点のランキング
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- 注: トップ5のみ表示。有効ポイントは前半7戦のうちベスト6戦と後半7戦のうちベスト6戦の合計。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
- 太字は1975年のチャンピオンを示す。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 当時のドライバーズポイントは上位6台に9-6-4-3-2-1の各点が与えられていた。
- ↑ 当時のコンストラクターズポイントの配分はドライバーポイントと同じだが、最上位のドライバーのみが対象であった。
- ↑ 1955年のル・マン24時間レースで起きた惨事により、スイス国内におけるレースの開催は2017年まで禁止されていた[W 7]。
出典
[編集]- 書籍・雑誌
- 1 2 (F1全史1971–1975 1993, p. 133)
- 1 2 (Lang 1983, p. 96)
- ↑ (Lang 1983, p. 98)
- ↑ (AUTOSPORT 179, p. 16)
- 1 2 3 4 (Henry 1989, p. 284)
- 1 2 (AUTOSPORT 179, p. 15)
- ↑ (F1全史1971–1975 1993, p. 102)
- ↑ (AUTOSPORT 179, p. 14)
- ↑ (AUTOSPORT 180, p. 35)
- ↑ (AUTOSPORT 180, pp. 34, 35)
- 1 2 (AUTOSPORT 180, p. 34)
- 1 2 (AUTOSPORT 180, p. 37)
- ↑ (AUTOSPORT 180, p. 38)
- ↑ (AUTOSPORT 180, p. 39)
- ↑ (F1全史1971–1975 1993, pp. 95–96)
- ウェブサイト
- 1 2 “Italy 1975 - Qualifications” (英語). STATS F1. 2026年3月1日閲覧。
- 1 2 “Italy 1975 - Best laps” (英語). STATS F1. 2026年3月1日閲覧。
- 1 2 3 “Italy 1975 - Result” (英語). STATS F1. 2026年3月1日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “Italian GP, 1975” (英語). grandprix.com. 2026年3月1日閲覧。
- 1 2 3 4 “FIA Formula One World Championship 1975 Austrian Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2026年3月1日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 “Italy 1975”. STATS F1. 2026年3月1日閲覧。
- ↑ “スイス、約60年ぶりモータースポーツ開催解禁。チューリッヒFEが決定”. motorsport.com 日本語版 (2017年9月22日). 2026年3月1日閲覧。
- ↑ “We love F1!! マキ F101C 1975”. Lawrence (2017年10月9日). 2026年3月1日閲覧。
- 1 2 3 “Race Results” (英語). Hesketh Racing. 2026年3月1日閲覧。
- ↑ “Italy 1975 - Race entrants” (英語). STATS F1. 2026年3月1日閲覧。
- 1 2 “Italy 1975 - Starting grid” (英語). STATS F1. 2026年3月1日閲覧。
- ↑ “1975 Italian Grand Prix” (英語). formula1.com. 2014年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年3月1日閲覧。
- ↑ “Italy 1975 - Laps led” (英語). STATS F1. 2026年3月1日閲覧。
- 1 2 “Ferrari” (英語). STATS F1. 2026年3月1日閲覧。
- ↑ “Austria” (英語). STATS F1. 2026年3月1日閲覧。
- ↑ “戦績:R.ゾルツィ”. F1 DataWeb. 2026年3月1日閲覧。
- ↑ “戦績:J.クロフォード”. F1 DataWeb. 2026年3月1日閲覧。
- ↑ “Switzerland - Wins” (英語). STATS F1. 2026年3月1日閲覧。
- ↑ “Austria - Podiums” (英語). STATS F1. 2026年3月1日閲覧。
- 1 2 “FIA Formula One World Championship 1975 Italian Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2026年3月1日閲覧。
参照文献
[編集]- 『F1全史』シリーズ(NCID BN12600893)
- 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版(現:三栄)、1993年。ASIN B07DP9R68Q。ISBN 4-938495-05-8。ASB:FZS19931201。
- 『オートスポーツ』(NCID AA11437582)
- 『No.179 1975年11月1日号』三栄書房(現:三栄)、1975年、13-16頁。ASB:AST19751101。
- 『No.180 1975年11月15日号』三栄書房(現:三栄)、1975年、34-39頁。ASB:AST19751115。
- アラン・ヘンリー 著、早川麻百合、鳥江政弘 訳『チーム・フェラーリの全て』CBS・ソニー出版、1989年。ISBN 4-7897-0491-2。
- Lang, Mike (1983). Grand Prix! Vol 3. Haynes Publishing Group. ISBN 0-85429-380-9
翻訳元
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1975 Italian Grand Prix(2026年1月14日 23:10:07(UTC))
外部リンク
[編集]- Italy 1975 - STATS F1(レースレポートのみフランス語。他は英語)
- Italian GP, 1975 - grandprix.com(英語)
- 1975年第13戦イタリアグランプリの結果 - F1 DataWeb
| 前戦 1975年オーストリアグランプリ |
FIA F1世界選手権 1975年シーズン |
次戦 1975年アメリカグランプリ |
| 前回開催 1974年イタリアグランプリ |
次回開催 1976年イタリアグランプリ |