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1975年ドイツグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西ドイツの旗 1975年ドイツグランプリ
レース詳細
日程 1975年シーズン第11戦
決勝開催日 8月3日
開催地 ニュルブルクリンク
西ドイツの旗 西ドイツ ラインラント=プファルツ州アールヴァイラー郡 ニュルブルク
コース長 22.835 km (14.189 mi)
レース距離 14周 319.690 km (198.646 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)[1]
ポールポジション
ドライバー
タイム 6:58.6[W 1][2]
ファステストラップ
ドライバー スイスの旗 クレイ・レガツォーニ
タイム 7:06.4(7周目)[W 2][3]
決勝順位
優勝
2位
3位

1975年ドイツグランプリ(1975ねんドイツグランプリ、英: 1975 German Grand Prix、正式名称: XXXVII Großer Preis von Deutschland)は、1975年のF1世界選手権の第11戦として、1975年8月3日にニュルブルクリンクで開催された自動車レース(ドイツグランプリ)。

第37回のドイツグランプリであり、ニュルブルクリンクでの開催は34回目であった。レースは全長約22.8kmのコースを14周走行し、総走行距離約319kmで行われた。

概要

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レースはブラバム・BT44Bを駆るアルゼンチン人ドライバーのカルロス・ロイテマンがシーズン初勝利を挙げた。ロイテマンはウィリアムズ・FW04を駆るフランス人ドライバーのジャック・ラフィットを1分37秒差で抑えた。ラフィットにとってはF1キャリアで初のポイント獲得であり、フランク・ウィリアムズ率いるフランク・ウィリアムズ・レーシングカーズにとっての最高成績でもあった。同チームとしては3度目の表彰台獲得となったが、自社開発マシンで初めてかつ唯一の表彰台であり[注 1]、それ以前は1969年のモナコGPとアメリカGPでピアス・カレッジがブラバム・BT26Aを駆り2位を獲得していた。フェラーリ・312Tを駆るポイントリーダーのニキ・ラウダが46秒差で3位に続いた。

マクラーレン・M23を駆るエマーソン・フィッティパルディがサスペンションを損傷してリタイアしたため、ラウダはポイントリードを17点に広げ、ロイテマンが2位に浮上した。

エントリー

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本GPは26台が参戦した[4]。

前戦イギリスGPの雨により多数のマシンがクラッシュしたことにより、各チームは本GPまでの2週間、マシンの修復作業に追われることになった[W 4]。資金難に陥っているサーティースはマシンの修復が間に合わず欠場し[W 5][4]、ジョン・ワトソンをロータスに貸し出した[W 5]。ウィリアムズはジャック・ラフィットのパートナーとしてイアン・アシュレイを起用した[W 4]。ヴァルシュタイナー(英語版)から資金援助を受けたハラルド・アートルは、ハリー・スティラー(英語版)が使用していた旧型のヘスケス・308で参加する[W 4][W 6]。エンサインはジィズ・ヴァン・レネップのみ参加し、N175をドライブする[W 5]。マキは鮒子田寛を引き続き起用する予定だったが、主催者からニュルブルクリンクを走っていないドライバーは出場できないと通達されたため[5]、トニー・トリマーを起用した[W 4][6]。BRMは新型エンジンを開発するため欠場した[4]。

エントリーリスト

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チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン
イギリスの旗 マールボロ・チーム・テキサコ 1 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン M23 フォード DFV 3.0L V8
2 西ドイツの旗 ヨッヘン・マス
イギリスの旗 エルフ・チーム・ティレル 3 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター ティレル 007 フォード DFV 3.0L V8
4 フランスの旗 パトリック・デパイユ
イギリスの旗 ジョン・プレイヤー・チーム・ロータス 5 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン ロータス 72E フォード DFV 3.0L V8
6 イギリスの旗 ジョン・ワトソン 72F
イギリスの旗 マルティーニ・レーシング 7 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム BT44B フォード DFV 3.0L V8
8 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ
イギリスの旗 ベータ・チーム・マーチ 9 イタリアの旗 ヴィットリオ・ブランビラ マーチ 751 フォード DFV 3.0L V8
イギリスの旗 ラヴァッツァ・マーチ 10 西ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック
29 イタリアの旗 レラ・ロンバルディ
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 11 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 312T フェラーリ 015 3.0L F12
12 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ
イギリスの旗 スタンレー・BRM 14 イギリスの旗 ボブ・エバンス 1 BRM P201 BRM P200 3.0L V12
アメリカ合衆国の旗 UOP・シャドウ・レーシングチーム 16 イギリスの旗 トム・プライス シャドウ DN5 フォード DFV 3.0L V8
17 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ
イギリスの旗 チーム・エンサイン 19 オランダの旗 ジィズ・ヴァン・レネップ エンサイン N175 フォード DFV 3.0L V8
イギリスの旗 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ 20 イギリスの旗 イアン・アシュレイ ウィリアムズ FW03[7] フォード DFV 3.0L V8
21 フランスの旗 ジャック・ラフィット FW04
イギリスの旗 エンバシー・レーシング・ウィズ・グラハム・ヒル 22 オーストラリアの旗 アラン・ジョーンズ ヒル GH1 フォード DFV 3.0L V8
23 イギリスの旗 トニー・ブライズ
イギリスの旗 ヘスケス・レーシング 24 イギリスの旗 ジェームス・ハント ヘスケス 308B[W 6] フォード DFV 3.0L V8
イギリスの旗 ヴァルシュタイナー・ブリュワリー 25 オーストリアの旗 ハラルド・アートル ヘスケス 308[W 6] フォード DFV 3.0L V8
アメリカ合衆国の旗 ヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシング 27 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ パーネリ VPJ4 フォード DFV 3.0L V8
アメリカ合衆国の旗 ペンスキー・カーズ 28 アメリカ合衆国の旗 マーク・ダナヒュー マーチ 751 フォード DFV 3.0L V8
ブラジルの旗 コパスカー・フィッティパルディ 30 ブラジルの旗 ウィルソン・フィッティパルディ コパスカー FD03 フォード DFV 3.0L V8
日本の旗 マキ・エンジニアリング 35 イギリスの旗 トニー・トリマー マキ F101C フォード DFV 3.0L V8
出典: [W 7]
追記
  • タイヤは全車グッドイヤー
  • ^1 - マシンが準備できず欠場[W 3]

予選

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予選は金曜日、土曜日の各2回、計4回のセッションで行われた[7]。

ニキ・ラウダが記録したポールポジションのタイム(6分58秒6)[2][4]は、このコースレイアウトにおける最速の公式計測タイムであったが、決勝レース中に記録されたものではないためコースレコードとは認められなかった。予選で初めて7分の壁を破ったラウダの平均速度は196.383 mph (316.048 km/h)であった[4]。この平均速度は、ノルトシュライフェ(北コース)で開催されたレースにおける最速ラップ平均速度として現在も記録されている。

ラウダに続きフロントローに並ぶのはブラバムのカルロス・パーチェで、以下ティレルのジョディー・シェクターとパトリック・デパイユ、2台目のフェラーリのクレイ・レガツォーニ、マクラーレンのヨッヘン・マス、マーチのハンス=ヨアヒム・スタック、もう1台のマクラーレンのエマーソン・フィッティパルディ、ヘスケスのジェームス・ハント、そして2台目のブラバムのカルロス・ロイテマンが続いた。

マキのトニー・トリマーはトラブルの連続により7分43秒1がやっとで、予選を通過できなかった[6]。

イアン・アシュレイは土曜日の最終セッションにプフランツガルテンでクラッシュし、足首に重傷を負った ため、決勝に出走できなくなった[W 4][6]。ドライバーの要求により、追加のガードレールやその他の安全対策がコースに施された。

コース上のあらゆる箇所に尖った破石が散乱し、2日間に22回のパンクがあった[6]。

予選結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター タイム 差 Grid
1 12 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ フェラーリ 6:58.6 - 1
2 8 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ ブラバム-フォード 7:00.0 +1.4 2
3 3 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター ティレル-フォード 7:01.3 +2.7 3
4 4 フランスの旗 パトリック・デパイユ ティレル-フォード 7:01.4 +2.8 4
5 11 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 7:01.6 +3.0 5
6 2 西ドイツの旗 ヨッヘン・マス マクラーレン-フォード 7:01.8 +3.2 6
7 10 西ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチ-フォード 7:02.1 +3.5 7
8 1 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン-フォード 7:02.7 +4.1 8
9 24 イギリスの旗 ジェームス・ハント ヘスケス-フォード 7:02.7 +4.1 9
10 7 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム-フォード 7:04.0 +5.4 10
11 9 イタリアの旗 ヴィットリオ・ブランビラ マーチ-フォード 7:06.0 +7.4 11
12 17 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ シャドウ-フォード 7:07.1 +8.5 12
13 27 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ パーネリ-フォード 7:08.2 +9.6 13
14 6 イギリスの旗 ジョン・ワトソン ロータス-フォード 7:09.4 +10.8 14
15 21 フランスの旗 ジャック・ラフィット ウィリアムズ-フォード 7:10.0 +11.4 15
16 16 イギリスの旗 トム・プライス シャドウ-フォード 7:10.1 +11.5 16
17 23 イギリスの旗 トニー・ブライズ ヒル-フォード 7:10.9 +12.3 17
18 5 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン ロータス-フォード 7:11.6 +13.0 18
19 28 アメリカ合衆国の旗 マーク・ダナヒュー マーチ-フォード 7:11.8 +13.2 19
20 20 イギリスの旗 イアン・アシュレイ ウィリアムズ-フォード 7:15.9 +17.3 20 1
21 22 オーストラリアの旗 アラン・ジョーンズ ヒル-フォード 7:18.6 +20.0 21
22 30 ブラジルの旗 ウィルソン・フィッティパルディ コパスカー-フォード 7:19.1 +20.5 22
23 25 オーストリアの旗 ハラルド・アートル ヘスケス-フォード 7:19.5 +20.9 23
24 19 オランダの旗 ジィズ・ヴァン・レネップ エンサイン-フォード 7:20.4 +21.8 24
25 14 イタリアの旗 レラ・ロンバルディ マーチ-フォード 7:36.4 +37.8 25
上位25台が決勝進出
26 35 イギリスの旗 トニー・トリマー マキ-フォード 7:43.1 +44.5 DNQ
出典: [W 1][W 8]
追記
  • ^1 - アシュレイは予選中の事故により負傷したため、決勝の出走を見合わせた[6]

決勝

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決勝日は朝から快晴で、30万人の観衆が押し寄せた。予選同様、コース上の破石によりリタイアが相次ぐことになった[6]。

レースがスタートされ、ポールポジションからスタートするニキ・ラウダが先頭に立ち、カルロス・パーチェ、パトリック・デパイユ、ヨッヘン・マス、クレイ・レガツォーニ、そして10番手から好スタートを決めたカルロス・ロイテマンが続いた。デパイユは左コーナーのノルトクルヴェでパーチェを抜き去った。1周目を終えた時点ではラウダ、デパイユ、パーチェ、ロイテマン、レガツォーニの順となり、ジョディー・シェクターはスタートで大きく出遅れて20位まで順位を下げ、順位挽回に奔走した[6]。

マクラーレンにとっては不運な一日となった。6位につけていたエマーソン・フィッティパルディはタイヤがパンクしてピットインしたが[8]、サスペンションを損傷したため4周目でリタイアした。マスもわずか6kmでタイヤがパンクし、横向きにバリアへ突っ込んで激しくクラッシュしたが、本人に怪我はなかった[6]。ペンスキーのマーク・ダナヒューもマスがクラッシュした所でタイヤがパンクし、ピットまでたどり着いてタイヤを交換したものの、再びタイヤがパンクしてリタイアを余儀なくされた[6]。マーチのハンス=ヨアヒム・スタックは4周目にエンジントラブルでリタイアした。

レガツォーニは3周目にロイテマンを抜き、4周目開始時点の順位はラウダ、デパイユ、パーチェ、レガツォーニ、ロイテマン、ジェームス・ハントとなった。ラウダとデパイユは激しいバトルを繰り広げ、他のトップグループを徐々に引き離し始めた。このバトルは7周目まで続いたが、デパイユのタイヤもパンクし、リアサスペンションの修理のためにピットインした。再びコースに戻ったものの、1周遅れとなってしまった。当時のニュルブルクリンクでは、これは7分以上のタイムロスを意味した。パーチェもパンクでコースアウトしサスペンションを損傷、6周目にカルーセル付近でリタイアした。6位まで挽回していたシェクターも8周目にカルーセル付近でクラッシュした[8]。

デパイユとパーチェの不運によりレガツォーニが2位に浮上し、フェラーリの1-2体制となったが、間もなくレガツォーニのエンジンがブローした。ロイテマンが2位、ハントが3位、シャドウのトム・プライスが4位、ウィリアムズのジャック・ラフィットが5位となった(それぞれ16番手と15番手からのスタート)。しかし、10周目にラウダも右フロントタイヤのパンクに見舞われ、ロイテマンとハントがアイスカーブでラウダを抜き去ると、後にハントもラウダを追い抜いた。ラウダがピットインした頃にはフロントスポイラーも損傷し、ハンドリングが悪化していた。フェラーリのピットクルーは損傷したタイヤを交換した[注 2]。3分間のピット作業が終わり[8]、ラウダはピットから猛然と飛び出したが、ロイテマンとハントの姿は見えなくなり、プライスとラフィットにも抜かれていた。

ラウダは先行する4台を追い、ハントが11周目にホイールハブの故障でリタイアしたことで4位に、さらにプライスがコクピットへの燃料漏れでスローダウンしたことで3位まで挽回した。ラウダより約2分先行していたロイテマンは首位を守り、今シーズン初勝利を挙げるとともに、1957年のファン・マヌエル・ファンジオ以来となるアルゼンチン人ドライバーによるドイツGP勝利となった[W 9][注 3]。ラウダより1分先行していたラフィットは2位でフィニッシュした。これは苦戦中のウィリアムズが1969年にピアス・カレッジが記録した最高位タイとなった[注 4]。一方、デパイユは序盤にラウダと首位争いを繰り広げたが、1周遅れの9位に沈んでいた。しかし追い上げを開始し、ラウダを追い抜いて周回遅れの解消を試みたが失敗に終わり、最終的にハンドリング不良の3位ラウダに僅差で続く形でフィニッシュした。プライスは4位でフィニッシュした。続く5位にはエンバシー・ヒルのアラン・ジョーンズが入り、6位でポイント圏内の最後尾を締めくくったのは、エンサインのジィズ・ヴァン・レネップだった。

出走した24台のうち、チェッカーフラッグを受けたのはわずか9台(完走扱いを含めると10台)にとどまり、タイヤのパンクによるリタイアは5台を数えたことで、タイヤサプライヤーのグッドイヤーがレース後に「パンクトラブルが多かったのは、タイヤそのものに原因があるのではなく、コース上の危険な尖った小石を放置しておいた主催者に責任がある」と緊急声明を発表したほどだった[8]。

ロイテマンはこの勝利により、E.フィッティパルディを1点上回りドライバーズランキング2位に浮上したが、同ランキング首位のラウダとは17点の差をつけられていた。カナダGPの中止が決まり[9][10][注 5]、今シーズンも残り3戦となったことにより、ラウダの初タイトル獲得はほぼ確実視される状況となった。

レース結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 Grid Pts.
1 7 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム-フォード 14 1:41:14.1 10 9
2 21 フランスの旗 ジャック・ラフィット ウィリアムズ-フォード 14 +1:37.7 15 6
3 12 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ フェラーリ 14 +2:23.3 1 4
4 16 イギリスの旗 トム・プライス シャドウ-フォード 14 +3:31.4 16 3
5 22 オーストラリアの旗 アラン・ジョーンズ ヒル-フォード 14 +3:50.3 21 2
6 19 オランダの旗 ジィズ・ヴァン・レネップ エンサイン-フォード 14 +5:05.5 24 1
7 29 イタリアの旗 レラ・ロンバルディ マーチ-フォード 14 +7:30.4 25
8 25 オーストリアの旗 ハラルド・アートル ヘスケス-フォード 14 +7:40.9 23
9 4 フランスの旗 パトリック・デパイユ ティレル-フォード 13 +1 Lap 4
10 27 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ パーネリ-フォード 12 燃料切れ 13
Ret 24 イギリスの旗 ジェームス・ハント ヘスケス-フォード 10 ホイール 9
Ret 11 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 9 エンジン 5
Ret 23 イギリスの旗 トニー・ブライズ ヒル-フォード 9 アクシデント 17
Ret 3 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター ティレル-フォード 7 アクシデント 3
Ret 17 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ シャドウ-フォード 7 タイヤ 12
Ret 8 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ ブラバム-フォード 5 サスペンション 2
Ret 30 ブラジルの旗 ウィルソン・フィッティパルディ コパスカー-フォード 4 エンジン 22
Ret 10 西ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチ-フォード 3 エンジン 7
Ret 1 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン-フォード 3 サスペンション 8
Ret 9 イタリアの旗 ヴィットリオ・ブランビラ マーチ-フォード 3 サスペンション 11
Ret 6 イギリスの旗 ジョン・ワトソン ロータス-フォード 2 サスペンション 14
Ret 5 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン ロータス-フォード 1 クラッチ 18
Ret 28 アメリカ合衆国の旗 マーク・ダナヒュー マーチ-フォード 1 タイヤ 19
Ret 2 西ドイツの旗 ヨッヘン・マス マクラーレン-フォード 0 アクシデント 6
DNS 20 イギリスの旗 イアン・アシュレイ ウィリアムズ-フォード 予選でアクシデント 20
DNQ 35 イギリスの旗 トニー・トリマー マキ-フォード 予選不通過
優勝スピード(勝者ロイテマンの平均速度):189.474 km/h
ファステストラップ:クレイ・レガツォーニ - 7:06.4(7周目)[W 2]
出典: [W 10][W 3][W 8]
ラップリーダー
ドライバー 周回数 リードラップ
ニキ・ラウダ 9周 1-9
カルロス・ロイテマン 5周 10-14
出典: [W 11]
  • 太字は最多ラップリーダー

主な記録

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ドライバー

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コンストラクター

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第11戦終了時点のランキング

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  • 注: トップ5のみ表示。有効ポイントは前半7戦のうちベスト6戦と後半7戦のうちベスト6戦の合計。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。

脚注

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注釈

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  1. ↑ 当時のウィリアムズと、1977年以降活動している現在のウィリアムズ(ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング)とは記録は別扱い。
  2. ↑ 当時のピットストップは現在のものと比べて非常に遅く、レースは通常1セットのタイヤで行われていた。
  3. ↑ そして現在においても最後の勝者である。
  4. ↑ 当時はブラバム・BT26Aを走らせるカスタマーチームであり、コンストラクターとしては初である。
  5. ↑ 主催者の財政難により、F1CA(後のFOCA)との交渉が決裂したため。
  6. ↑ チームとしては1969年にブラバムで2回表彰台を獲得して以来のことになる。当時のフランク・ウィリアムズ・レーシングカーズと1977年に設立された現在のウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリングを別々の記録とした場合、コンストラクターとしては唯一の表彰台となる[W 20]。

出典

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書籍・雑誌
  1. ↑ (F1全史1971–1975 1993, p. 132)
  2. 1 2 (Lang 1983, p. 91)
  3. ↑ (Lang 1983, p. 93)
  4. 1 2 3 4 5 (AUTOSPORT 177, p. 13)
  5. ↑ (AUTOSPORT 176, p. 91)
  6. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 (AUTOSPORT 177, p. 14)
  7. 1 2 (AUTOSPORT 177, p. 12)
  8. 1 2 3 4 (AUTOSPORT 177, p. 15)
  9. ↑ (AUTOSPORT 177, p. 42)
  10. ↑ (F1全史1971–1975 1993, p. 95)
ウェブサイト
  1. 1 2 “Germany 1975 - Qualifications” (英語). STATS F1. 2026年2月23日閲覧。
  2. 1 2 “Germany 1975 - Best laps” (英語). STATS F1. 2026年2月23日閲覧。
  3. 1 2 3 “Germany 1975 - Result” (英語). STATS F1. 2026年2月23日閲覧。
  4. 1 2 3 4 5 “German GP, 1975” (英語). grandprix.com. 2026年2月23日閲覧。
  5. 1 2 3 4 5 6 “Germany 1975”. STATS F1. 2026年2月23日閲覧。
  6. 1 2 3 “Race Results” (英語). Hesketh Racing. 2026年2月23日閲覧。
  7. ↑ “Germany 1975 - Race entrants” (英語). STATS F1. 2026年2月23日閲覧。
  8. 1 2 “Germany 1975 - Starting grid” (英語). STATS F1. 2026年2月23日閲覧。
  9. ↑ “Argentina - Wins” (英語). STATS F1. 2026年2月23日閲覧。
  10. ↑ “1975 German Grand Prix” (英語). formula1.com. 2014年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年2月23日閲覧。
  11. ↑ “Germany 1975 - Laps led” (英語). STATS F1. 2026年2月23日閲覧。
  12. ↑ “France - Podiums” (英語). STATS F1. 2026年2月23日閲覧。
  13. ↑ “Austria - Pole positions” (英語). STATS F1. 2026年2月23日閲覧。
  14. ↑ “戦績:A.ジョーンズ”. F1 DataWeb. 2026年2月23日閲覧。
  15. ↑ “戦績:H.アーテル”. F1 DataWeb. 2026年2月23日閲覧。
  16. ↑ “戦績:T.トリマー”. F1 DataWeb. 2026年2月23日閲覧。
  17. ↑ “戦績:G.ファン・レネップ”. F1 DataWeb. 2026年2月23日閲覧。
  18. ↑ “戦績:M.ダナヒュー”. F1 DataWeb. 2026年2月23日閲覧。
  19. ↑ “戦績:ウィリアムズ”. F1 DataWeb. 2026年2月23日閲覧。
  20. ↑ “Frank Williams Racing Cars Statistics and Results” (英語). Motorsport Stats. 2026年2月23日閲覧。
  21. 1 2 “FIA Formula One World Championship 1975 German Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2026年2月23日閲覧。
  22. 1 2 “FIA Formula One World Championship 1975 British Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2026年2月23日閲覧。

参照文献

[編集]
  • 『F1全史』シリーズ(NCID BN12600893)
    • 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版(現:三栄)、1993年。ASIN B07DP9R68Q。ISBN 4-938495-05-8。ASB:FZS19931201。 
  • 『オートスポーツ』(NCID AA11437582)
    • 『No.176 1975年9月15日号』三栄書房(現:三栄)、1975年、89-91頁。ASB:AST19750915。 
    • 『No.177 1975年10月1日号』三栄書房(現:三栄)、1975年、10-15, 42頁。ASB:AST19751001。 
  • Lang, Mike (1983). Grand Prix! Vol 3. Haynes Publishing Group. ISBN 0-85429-380-9 

翻訳元

[編集]

外部リンク

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前戦
1975年イギリスグランプリ
FIA F1世界選手権
1975年シーズン
次戦
1975年オーストリアグランプリ
前回開催
1974年ドイツグランプリ
西ドイツの旗 ドイツグランプリ 次回開催
1976年ドイツグランプリ
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