1975年モナコグランプリ
座標: 北緯43度44分4.74秒 東経7度25分16.8秒 / 北緯43.7346500度 東経7.421333度
| レース詳細 | |||
|---|---|---|---|
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| |||
| 日程 | 1975年シーズン第5戦 | ||
| 決勝開催日 | 5月11日 | ||
| 開催地 |
モンテカルロ市街地コース | ||
| コース長 | 3.278 km (2.037 mi) | ||
| レース距離 |
75周 245.850 km (152.764 mi) (当初の予定は78周[1] 255.684 km (158.875 mi)) | ||
| 決勝日天候 | 雨のち曇(ウェット→ドライ)[1] | ||
| ポールポジション | |||
| ドライバー | |||
| タイム | 1:26.40[W 1] | ||
| ファステストラップ | |||
| ドライバー |
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| タイム | 1:28.67(68周目)[W 2] | ||
| 決勝順位 | |||
| 優勝 | |||
| 2位 | |||
| 3位 | |||
1975年モナコグランプリ(1975ねんモナコグランプリ、英: 1975 Monaco Grand Prix、正式名称: XXXIII Gran Prix de Monaco)は、1975年のF1世界選手権の第5戦として、1975年5月11日にモンテカルロ市街地コースで開催された自動車レース(モナコグランプリ)。1929年に初開催されて以来、33回目のモナコグランプリである。
全長3.278kmの市街地コースを78周走行する予定だったが、雨により2時間ルールが適用されて75周(245.850km)に短縮された[1]。
概要
[編集]本GPはオーストリア人ドライバーのニキ・ラウダが優勝し、新車フェラーリ・312Tに初勝利をもたらした。この勝利により、フェラーリはモナコGPで20年ぶりの優勝を飾った。ラウダは首位の座をピットストップ中に失ったのみで、エマーソン・フィッティパルディのマクラーレン・M23に2秒の差を付けてレースを制した。カルロス・パーチェ(ブラバム・BT44B)は3位でフィニッシュした。また、1962年と1968年のドライバーズチャンピオンであるグラハム・ヒルの179戦目にして最後のグランプリとなった。ヒルは予選を通過できず、176戦出走(優勝14回)という記録を残し引退した[2]。
背景
[編集]前戦スペインGPの惨事を受け、グランプリレースの将来が危ぶまれた。レース主催者は迅速な対応が求められ、国際スポーツ委員会(CSI)[注 1]やグランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)の意見を取り入れ[3]、ガードレールとキャッチフェンスの増設、縁石の配置変更、シケインの変更などが行われた。さらなる対策として、幅の狭いコースに25台のマシンを走らせるのは危険と判断され[3]、決勝の出走台数を18台に制限し、第1コーナーでの事故再発を防ぐためスターティンググリッドをスタッガード方式に変更した[W 4]。
エントリー
[編集]エンバシー・ヒルはロルフ・シュトメレンが前戦スペインGPの事故により重症を負ったため、グラハム・ヒル1台のみ参加し[4]、フランソワ・ミゴールは欠場した[W 5]。ウィリアムズはジャック・ラフィットが復帰して[4]新車FW04が与えられ、アルトゥーロ・メルツァリオは旧型のFWに戻された[W 5]。ヘスケスはジェームス・ハントとアラン・ジョーンズ(ハリー・スティラー・レーシング)に加え、トルステン・パームがポーラー・キャラバンから参加し3台体制とした[4][W 5]。
エントリーリスト
[編集]- 追記
予選
[編集]土曜日はF3の2つのヒートと決勝が行われるため、木曜日(2回)と金曜日(1回)に2時間のセッションを3回行った[5]。
前記した決勝出走台数が18台に制限される件については、グラハム・ヒルが予選を通過するチャンスに影響を与えた。モナコで5回優勝しているヒルは様々な問題を抱え、0.37秒差で予選落ちとなった。ジョン・ワトソンとクレイ・レガツォーニが接触し[6]、サーティースチームはマシンに貼られたヨーロッパ支持の政治的なステッカーを剥がすよう命じられた。
予選を通過できなかったヒルはこのレースをもって17シーズン、176戦出走(優勝14回)という成績を残して引退を決め[2]、エンバシー・ヒルのチーム運営に専念すると7月に発表した[7]。
フェラーリを駆るニキ・ラウダがポールポジションを獲得し、わずか12ヶ月前には「経験不足」と判断され出場資格を得られなかったトム・プライス(シャドウ)[W 9]とフロントローを分け合った。2列目は同じくシャドウのジャン=ピエール・ジャリエとロータスのロニー・ピーターソンが占めた。
予選結果
[編集]| 順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | Grid |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 12 | フェラーリ | 1:26.40 | - | 1 | |
| 2 | 16 | シャドウ-フォード | 1:27.09 | +0.69 | 2 | |
| 3 | 17 | シャドウ-フォード | 1:27.25 | +0.85 | 3 | |
| 4 | 5 | ロータス-フォード | 1:27.40 | +1.00 | 4 | |
| 5 | 9 | マーチ-フォード | 1:27.50 | +1.10 | 5 | |
| 6 | 11 | フェラーリ | 1:27.55 | +1.15 | 6 | |
| 7 | 3 | ティレル-フォード | 1:27.58 | +1.18 | 7 | |
| 8 | 8 | ブラバム-フォード | 1:27.67 | +1.27 | 8 | |
| 9 | 1 | マクラーレン-フォード | 1:27.77 | +1.37 | 9 | |
| 10 | 7 | ブラバム-フォード | 1:27.93 | +1.53 | 10 | |
| 11 | 24 | ヘスケス-フォード | 1:27.94 | +1.54 | 11 | |
| 12 | 4 | ティレル-フォード | 1:27.95 | +1.55 | 12 | |
| 13 | 27 | パーネリ-フォード | 1:28.11 | +1.71 | 13 | |
| 14 | 6 | ロータス-フォード | 1:28.28 | +1.88 | 14 | |
| 15 | 2 | マクラーレン-フォード | 1:28.49 | +2.09 | 15 | |
| 16 | 28 | ペンスキー-フォード | 1:28,81 | +2.41 | 16 | |
| 17 | 18 | サーティース-フォード | 1:28.90 | +2.50 | 17 | |
| 18 | 26 | ヘスケス-フォード | 1:29.12 | +2.72 | 18 | |
| 上位18台が決勝進出 | ||||||
| 19 | 21 | ウィリアムズ-フォード | 1:29.28 | +2.88 | DNQ | |
| 20 | 20 | ウィリアムズ-フォード | 1:29.32 | +2.92 | DNQ | |
| 21 | 23 | ヒル-フォード | 1:29.49 | +3.09 | DNQ | |
| 22 | 14 | BRM | 1:30.33 | +3.93 | DNQ | |
| 23 | 31 | エンサイン-フォード | 1:31.60 | +5.20 | DNQ | |
| 24 | 25 | ヘスケス-フォード | 1:31.95 | +5.55 | DNQ | |
| 25 | 10 | マーチ-フォード | 1:32.20 | +5.80 | DNQ | |
| 26 | 30 | コパスカー-フォード | 1:33.02 | +6.62 | DNQ | |
| 出典: [W 1][W 10][8] | ||||||
決勝
[編集]
決勝当日は朝から雨が降り続いたため、全車ウェットタイヤでスタートした[9]。ニキ・ラウダが好スタートを決めたが、トム・プライスは出遅れてジャン=ピエール・ジャリエとロニー・ピーターソンに抜かれた。ジャリエは間もなくラウダを追い抜こうと無謀なオーバーテイクを試み、ミラボーでバリアに衝突してしまう。この衝突でマシンが損傷しハンドリングが悪化したため、タバココーナーで再び壁に接触しリタイアした。ピーターソンが2位に浮上し、ヴィットリオ・ブランビラが3位につけたが、プライスがブランビラのホイールに接触した。クレイ・レガツォーニはタイヤとノーズコーン交換のためピットインし、ジェームス・ハントは路面が乾くのを見越してスリックタイヤに交換するためピットインした。しかし、チームのピット作業が遅れたため、彼は大幅なタイムロスを喫した。
雨が止んで路面が乾き始めると、各車17周目から28周目にかけてスリックタイヤに交換する[10]。ピーターソンの優勝の可能性は、ピットストップ時にホイールナットがマシンの下に脱落したことにより消滅した。プライスは破損したノーズコーン交換のためピットインし、その時点でラウダはエマーソン・フィッティパルディとカルロス・パーチェに15秒差をつけてリードした。レース中には多くの事故が発生した。ヨッヘン・マスとハントがミラボーで接触し、パトリック・デパイユも巻き込まれた。レガツォーニはシケインに接触してダメージを負った。ジョン・ワトソンはスピンしてエンジンをストールさせた。プライスはバリアに衝突してリタイアを余儀なくされた。マリオ・アンドレッティはエンジン横のオイルポンプが破損したことにより[10]、マシンを炎上させながらピットに入った。マーク・ダナヒューはバリアに接触し、アラン・ジョーンズはホイールを破損した。
レース終盤にラウダの油圧が低下し、E.フィッティパルディが猛烈な追い上げを見せた[10]ことで75周目に2.75秒差まで迫ったが、2時間の制限時間に達したためレースは終了となり、ラウダの優勝が決まった。フェラーリは20年ぶりのモナコGP制覇を果たし、スペインGPの悲劇は影を潜め、チャンピオン争いが再燃した。2位に入賞したE.フィッティパルディは、シーズン序盤のポイントリーダーだったパーチェに対する僅差のリードをさらに広げる結果となった。
レース結果
[編集]| 順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | Grid | Pts. |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 12 | フェラーリ | 75 | 2:01:21.31 | 1 | 9 | |
| 2 | 1 | マクラーレン-フォード | 75 | +2.78 | 9 | 6 | |
| 3 | 8 | ブラバム-フォード | 75 | +17.81 | 8 | 4 | |
| 4 | 5 | ロータス-フォード | 75 | +38.45 | 4 | 3 | |
| 5 | 4 | ティレル-フォード | 75 | +40.86 | 12 | 2 | |
| 6 | 2 | マクラーレン-フォード | 75 | +42.07 | 15 | 1 | |
| 7 | 3 | ティレル-フォード | 74 | +1 Lap | 7 | ||
| 8 | 6 | ロータス-フォード | 74 | +1 Lap | 14 | ||
| 9 | 7 | ブラバム-フォード | 73 | +2 Laps | 10 | ||
| Ret | 28 | ペンスキー-フォード | 66 | アクシデント | 16 | ||
| Ret | 24 | ヘスケス-フォード | 63 | アクシデント | 11 | ||
| Ret | 26 | ヘスケス-フォード | 61 | ホイール | 18 | ||
| Ret | 9 | マーチ-フォード | 48 | アクシデント | 5 | ||
| Ret | 16 | シャドウ-フォード | 39 | アクシデント | 2 | ||
| Ret | 11 | フェラーリ | 36 | アクシデント | 17 | ||
| Ret | 18 | サーティース-フォード | 36 | スピンオフ | 6 | ||
| Ret | 27 | パーネリ-フォード | 9 | オイル漏れ | 13 | ||
| Ret | 17 | シャドウ-フォード | 0 | アクシデント | 3 | ||
| DNQ | 21 | ウィリアムズ-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 20 | ウィリアムズ-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 23 | ヒル-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 14 | BRM | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 31 | エンサイン-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 25 | ヘスケス-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 10 | マーチ-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 30 | コパスカー-フォード | 予選不通過 | ||||
| 優勝スピード(勝者ラウダの平均速度):121.552 km/h | |||||||
| ファステストラップ:パトリック・デパイユ - 1:28.67(68周目)[W 2] | |||||||
| 出典: [W 11][W 3][W 10] | |||||||
- 追記
- 当初の予定は78周だったが、75周終了時点で2時間ルールが適用されてレースは終了した[1]。
| ドライバー | 周回数 | リードラップ |
|---|---|---|
| ニキ・ラウダ | 74周 | 1-24, 26-75 |
| ロニー・ピーターソン | 1周 | 25 |
| 出典: [W 12] | ||
- 太字は最多ラップリーダー
主な記録
[編集]ドライバー
[編集]第5戦終了時点のランキング
[編集]
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| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 注: トップ5のみ表示。有効ポイントは前半7戦のうちベスト6戦と後半7戦のうちベスト6戦の合計。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 後の国際自動車スポーツ連盟(FISA)。1993年に廃止され、世界モータースポーツ評議会が後継機関となった。
出典
[編集]- 書籍
- 1 2 3 4 (林信次 1993, p. 131)
- 1 2 (林信次 1993, p. 101)
- 1 2 (AUTOSPORT 172, p. 25)
- 1 2 3 4 (AUTOSPORT 172, p. 26)
- ↑ (AUTOSPORT 172, pp. 27–28)
- ↑ (AUTOSPORT 172, p. 28)
- ↑ (林信次 1993, p. 108)
- ↑ (AUTOSPORT 172, p. 27)
- ↑ (AUTOSPORT 172, p. 29)
- 1 2 3 (AUTOSPORT 172, p. 30)
- ウェブサイト
- 1 2 “Monaco 1975 - Qualifications” (英語). STATS F1. 2026年2月6日閲覧。
- 1 2 “Monaco 1975 - Best laps” (英語). STATS F1. 2026年2月6日閲覧。
- 1 2 3 “Monaco 1975 - Result” (英語). STATS F1. 2026年2月6日閲覧。
- 1 2 “Monaco GP, 1975” (英語). grandprix.com. 2026年2月6日閲覧。
- 1 2 3 4 “Monaco 1975”. STATS F1. 2026年2月6日閲覧。
- ↑ “1975 Monaco GP Entry List” (英語). ChicaneF1.com. 2026年2月6日閲覧。
- 1 2 3 “Race Results” (英語). Hesketh Racing. 2026年2月6日閲覧。
- ↑ “Monaco 1975 - Race entrants” (英語). STATS F1. 2026年2月6日閲覧。
- ↑ “Token Profile” (英語). F1Rejects.com (2003年9月15日). 2007年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年2月6日閲覧。
- 1 2 “Monaco 1975 - Starting grid” (英語). STATS F1. 2026年2月6日閲覧。
- ↑ “1975 Monaco Grand Prix” (英語). formula1.com. 2015年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年2月6日閲覧。
- ↑ “Monaco 1975 - Laps led” (英語). STATS F1. 2026年2月6日閲覧。
- ↑ “戦績:T.パルム”. F1 DataWeb. 2026年2月6日閲覧。
- ↑ “戦績:G.ヒル”. F1 DataWeb. 2026年2月6日閲覧。
- 1 2 “FIA Formula One World Championship 1975 Monaco Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2026年2月6日閲覧。
参照文献
[編集]翻訳元
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1975 Monaco Grand Prix(2026年1月10日 22:11:12(UTC))
書籍・雑誌
[編集]- 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版(現:三栄)、1993年。ISBN 4-938495-05-8。ASB:FZS19931201。
- Jeff Hutchinson / Jane Mase「第33回モナコ・グランプリ」『AUTO SPORT No.172 1975年7月15日号』、三栄書房(現:三栄)、1975年、25-30頁、ASB:AST19750715。
- Lang, Mike (1983). Grand Prix! Vol 3. Haynes Publishing Group. pp. 76–77. ISBN 0-85429-380-9
外部リンク
[編集]- Monaco 1975 - STATS F1(レースレポートのみフランス語。他は英語)
- Monaco GP, 1975 - grandprix.com(英語)
- 1975年第5戦モナコグランプリの結果 - F1 DataWeb
| 前戦 1975年スペイングランプリ |
FIA F1世界選手権 1975年シーズン |
次戦 1975年ベルギーグランプリ |
| 前回開催 1974年モナコグランプリ |
次回開催 1976年モナコグランプリ |