1976年イギリス労働党党首選挙
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1976年イギリス労働党党首選挙(1976ねんイギリスろうどうとうとうしゅせんきょ、英語: 1976 Labour Party leadership election)は、1976年3月25日から4月5日までイギリスで行われた労働党党首の選挙である。
概要
[編集]1976年3月、党首ハロルド・ウィルソン(首相)の辞任表明に伴い実施された[注 2]。労働党は与党であったため、事実上次期首相を決める選挙であった。
選挙データ
[編集]現職の有無にかかわらず、議会の新会期ごとに党首選を実施。しかし現職が在職中は党首選は形式的であり、現職以外の立候補は行われずに事実上、現職の再任を妨げず承認する[注 3][1]。
党首
[編集]- 選挙前:ハロルド・ウィルソン(第13代)
- 選挙後:ジェームズ・キャラハン(第14代)
投票日
[編集]選挙制度
[編集]- 有効投票の過半数を獲得した候補者が当選。不在の場合は、投票数が最も少ない候補者が除外され、さらに投票が行われる[1]。
投票方法
[編集]選挙権
[編集]被選挙権
[編集]- 議会労働党所属庶民院議員
- 立候補にあたっては、庶民院議員の推薦人並びに賛成者を各々1名必要[1]。
有権者数
[編集]- 317[注 4]
候補者
[編集]ウィルソンが辞任を決定したとの報を受け、後任の最有力候補として外務大臣のジェームズ・キャラハンの名が挙がった。政治ジャーナリストのジェフリー・パークハウスは、「よほどの波乱がない限り、ジェームズ・キャラハンが次期首相になるだろう」と投稿し、財務大臣のデニス・ヒーリーは予算案の策定に追われていた上、最近の演説で「トリビューン・グループ」を批判したことで労働党左派の反感を買っていたからである。[2]。
| 候補者 | 出生日 出生地 |
経歴 |
|---|---|---|
トニー・ベン |
1925年4月3日(51歳) ロンドン |
庶民院議員(10期)(1950-1960, 1963-)[注 5] エネルギー大臣(1975-) 産業大臣(1974-1975) 技術大臣(1966-1970) 郵政大臣(1964-1966) 労働党全国執行委員会議長(1971-1972) |
アンソニー・クロスランド |
1918年8月29日(57歳) サセックス州 セント・レナーズ・オン・シー |
庶民院議員(8期)(1950-)[注 6] 環境大臣(1974-) 住宅・地域計画大臣(1969-1970) 商務庁長官(1967-1969) 教育科学大臣(1965-1967) 経済担当大臣(1964-1965) |
ジェームズ・キャラハン |
1912年3月27日(64歳) ハンプシャー州ポーツマス |
庶民院議員(10期)(1945-)[注 7] 外務大臣(1974-) 内務大臣(1967-1970) 財務大臣(1964-1967) |
マイケル・フット |
1913年7月23日(62歳) デヴォン州プリマス |
庶民院議員(9期)(1945-)[注 8] 雇用大臣(1974-) |
デニス・ヒーリー |
1917年8月30日(58歳) ロンドン、ランベス |
庶民院議員(8期)(1952-)[注 9] 財務大臣(1974-) 国防大臣(1964-1970) |
ロイ・ジェンキンス |
1920年11月11日(55歳) モンマスシャー州 アバーシチャン |
庶民院議員(10期)(1948-)[注 10] 内務大臣(1965-1967, 1974-) 財務大臣(1967-1970) 航空大臣(1964-1965) 労働党副党首(1970-1972) |
選挙結果
[編集]第1回投票の結果、過半数を獲得した候補者はおらず、5日後の3月30日に第2回投票が実施されることが決まった。最小得票だったクロスランドは除外され、3位のジェンキンスと4位のベンは選挙からの撤退を表明した。左派のベンは最多得票を得たフットへの支持を表明した[3]。に投票するよう勧めました。5位に留まったヒーリーは、第2回投票で2位のキャラハンを抜いて右派の代表としてフットとの決選投票を狙ったが、第2回投票で38票とわずか8票増で第3位となり、決選投票から除外された。結果右派を取りまとめたキャラハンが過半数を獲得し、党首に選任された[3]。
候補者別得票結果
[編集]| 候補者 | 第1回投票 | 第2回投票 | 第3回投票 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 得票数 | 得票率 | 得票数 | 得票率 | 得票数 | 得票率 | ||
| マイケル・フット | 90 | 28.67% | 133 | 42.63% | 137 | 43.77% | |
| ジェームズ・キャラハン | 84 | 26.75% | 141 | 45.19% | 176 | 56.23% | |
| ロイ・ジェンキンス | 56 | 17.83% | |||||
| トニー・ベン | 37 | 11.78% | |||||
| デニス・ヒーリー | 30 | 9.55% | 38 | 12.18% | |||
| アンソニー・クロスランド | 17 | 5.41% | |||||
| 総計 | 314 | 100.0% | 312 | 100.0% | 313 | 100.0% | |
| 投票総数(投票率) | 314 | 99.05% | 312 | 98.42% | 313 | 98.74% | |
| 棄権者数(棄権率) | 3 | 0.95% | 5 | 1.58% | 4 | 1.26% | |
| 有権者数 | 317 | 100.0% | 317 | 100.0% | 317 | 100.0% | |
| 出典:Leaders of the Labour Party | |||||||
選挙後
[編集]党首に就任したキャラハンは直ちに首相に任命された。政府の樹立に際して党内の派閥争いに警告し、議会労働党内に「派閥は存在しない」と宣言しました[4][5]。キャラハンは財務大臣に党首選に立候補したヒーリーを再任し、ウィルソン前内閣の経済政策を継続するとともに、就任後のテレビ演説で英国に「ソフトオプションはない」と警告し、失業率に効果的に対処するにはインフレ対策が最優先事項として表明した[6][7]。
党首交代による政権移譲は混乱なく、党首選で敗北した各候補はキャラハン支持を表明し党内結束に成功したが[8]、新内閣発足翌日の4月6日、ブライアン・オマリーが死去し労働党は庶民院の過半数を失い、政権運営は一気に流動化した[9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 1963年党首選挙における第2回投票との比較。
- ↑ 心身の体調不良を理由の辞任表明だったが、死去後アルツハイマー病に罹患していたことが公表された。
- ↑ 1960年と1961年は党内の路線対立により、再任を望む現職に新人が挑んで選挙となっている。
- ↑ 1974年10月イギリス総選挙で当選した319議員と、補欠選挙で当選した1議員から、辞職・死去した2議員と、離党した1議員を差し引いた議員数。
- ↑ ブリストル・サウスイースト選挙区選出。
- ↑ 1959からグレート・グリムズビー選挙区、1950-1955まではサウス・グロスターシャー選挙区選出。
- ↑ 1950からカーディフ・サウス・イースト選挙区、1945-1950まではカーディフ・サウス選挙区選出。
- ↑ 1955からエブ・ヴェイル選挙区、1945-1955まではプリマス・デヴォンポート選挙区選出。
- ↑ 1955からリーズ・イースト選挙区、1952-1955まではリーズ・サウスイースト選挙区選出。
- ↑ 1950からバーミンガム・ステッチフォード選挙区、1948-1950まではサザーク・セントラル選挙区選出。
出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 宮畑建志「イギリス二大政党の党首選出手続―手続の民主化と党首の地位防衛」『レファレンス』2007年7月、136頁、2026年7月1日閲覧。
- ↑ Parkhouse, Geoffrey (17 March 1976). “Callaghan odds-on. Key to No 10 in his grasp -thanks to Wilson timing”. The Glasgow Herald. p. 1. 2020年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2020年6月10日閲覧.
- 1 2 Parkhouse, Geoffrey (26 March 1976). “Jenkins and Benn opt out of fight”. The Glasgow Herald. p. 1. 2021年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2020年5月18日閲覧.
- ↑ “Mr Callaghan defeated Mr Foot by 176 votes to 137 in the final ballot”. The Times. 6 April 1976. p. 1.
- ↑ “Factions warned against imposing their views”. The Times. 6 April 1976. p. 2.
- ↑ “No need for early election, Mr Callaghan tells party”. The Times. 6 April 1976. p. 1.
- ↑ “‘Britain is not owed a living’”. The Times. 6 April 1976. p. 1.
- ↑ “Party members must work together, Mr Foot says”. The Times. 6 April 1976. p. 2.
- ↑ “Minister’s death ends Labour majority”. The Times. 7 April 1976. p. 2.
参考文献
[編集]- Tony Benn, The Benn Diaries (Arrow, 1995).