1976年オランダグランプリ
| レース詳細 | |||
|---|---|---|---|
|
ザントフォールト・サーキット(1973-1978) | |||
| 日程 | 1976年シーズン第12戦 | ||
| 決勝開催日 | 8月29日 | ||
| 開催地 |
ザントフォールト・サーキット | ||
| コース長 | 4.226 km (2.626 mi) | ||
| レース距離 | 75周 316.950 km (196.944 mi) | ||
| 決勝日天候 | 晴(ドライ)[1] | ||
| ポールポジション | |||
| ドライバー | |||
| タイム | 1:21.31[W 1][2] | ||
| ファステストラップ | |||
| ドライバー |
| ||
| タイム | 1:22.59(49周目)[W 2][3] | ||
| 決勝順位 | |||
| 優勝 | |||
| 2位 | |||
| 3位 | |||
1976年オランダグランプリ(1976ねんオランダグランプリ、英: 1976 Dutch Grand Prix、正式名称: XXIII Grote Prijs van Nederland[W 4])は、1976年のF1世界選手権の第12戦として、1976年8月29日にザントフォールト・サーキットで開催された自動車レース。オランダグランプリがF1世界選手権のレースとして開催されるのは21回目であり[W 5]、ヨーロッパグランプリの冠がかけられたレースでもある[W 4][注 1]。
概要
[編集]レースはこの日29歳の誕生日を迎えたマクラーレン・M23を駆るジェームス・ハントがフェラーリ・312T2を駆るクレイ・レガツォーニを0.9秒差で抑え、前年に引き続きオランダGPで勝利を挙げた。ロータス・77を駆るマリオ・アンドレッティが3位となった。
この週末は、ツーリングカーのサポートレース中にトラックマーシャルのロン・レンデリンク(Ron Lenderink)が29歳の若さで亡くなったことで、暗い影を落とされた[W 6]。
エントリー
[編集]前戦オーストリアGP終了から2週間でニキ・ラウダは危篤状態を脱し、故郷のザルツブルクに戻ると、次戦イタリアGPでの復帰に向けて準備を始めた。ラウダの驚異的な回復により[W 7]、オーストリアGPの欠場を決めたエンツォ・フェラーリも態度を軟化し、クレイ・レガツォーニのみ参加することを決めた[4]。その頃、アルファロメオエンジンを搭載したブラバム・BT45で泣かず飛ばずだったカルロス・ロイテマンが本GPをもってブラバムとの契約を破棄し、翌1977年からフェラーリとの契約を交わし、次戦イタリアGPにスポット参戦することが決まった[5]。
マクラーレンは新車M26を用意していたが、ジェームス・ハントはM23での参戦を継続することを決め、新車M26の開発はヨッヘン・マスに任された[W 7][6]。シャドウもトム・プライスのために新車DN8を用意した[W 7]。
活動資金が尽きたブレット・ランガーはサーティースを離脱し[W 8]、コニー・アンデルソンを代役として起用した一方[W 7]、ウルフ・ウィリアムズと喧嘩別れしてチームを離脱したジャッキー・イクスはエンサインと契約を結んだ[7]。ガイ・エドワーズは第10戦ドイツGPで古傷の手首を悪化させて欠場したため、ヘスケス(ペントハウス・リズラ・レーシング)はロルフ・シュトメレンが代役を務めた。母国チームのボロが復帰し、ラリー・パーキンスが大幅に改造された001を駆る。母国ドライバーのボイ・ハイエはF&Sプロパティーズからペンスキーの旧車PC3をドライブする[W 8]。RAMはスポンサーのティソとの間でさらなる法的トラブルに見舞われ、その結果、ロリス・ケッセルとレラ・ロンバルディは出場できなかった[W 7]。
エントリーリスト
[編集]- 追記
予選
[編集]
ロニー・ピーターソンが1974年アルゼンチンGP以来2年ぶりのポールポジションを獲得した[W 7][W 10]。マクラーレン勢は熟成されたM23を走行したジェームス・ハントはピーターソンに次ぐ2番手だったが、新車M26を走行したヨッヘン・マスはアンダーステアにより中段に甘んじ、右側ハーフシャフトの破損により軽くクラッシュしてしまった[6]。
予選結果
[編集]| 順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 1回目 | 2回目 | 3回目 | 差 | Grid |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 10 | マーチ-フォード | 1:23.04 | 1:22.32 | 1:21.31 | - | 1 | |
| 2 | 11 | マクラーレン-フォード | 1:22.18 | 1:21.57 | 1:21.39 | +0.08 | 2 | |
| 3 | 16 | シャドウ-フォード | 1:24.14 | 1:23.82 | 1:21.55 | +0.24 | 3 | |
| 4 | 28 | ペンスキー-フォード | 1:21.94 | 1:21.75 | 1:21.62 | +0.31 | 4 | |
| 5 | 2 | フェラーリ | 1:23.59 | 1:23.66 | 1:21.85 | +0.54 | 5 | |
| 6 | 5 | ロータス-フォード | 1:23.18 | 1:22.57 | 1:21.88 | +0.57 | 6 | |
| 7 | 9 | マーチ-フォード | 1:24.07 | 1:21.89 | 1:21.88 | +0.57 | 7 | |
| 8 | 3 | ティレル-フォード | 1:23.06 | 1:22.51 | 1:21.91 | +0.60 | 8 | |
| 9 | 8 | ブラバム-アルファロメオ | 1:23.82 | 1:22.93 | 1:22.03 | +0.72 | 9 | |
| 10 | 26 | リジェ-マトラ | 1:22.06 | 1:22.80 | 1:22.57 | +0.75 | 10 | |
| 11 | 22 | エンサイン-フォード | 1:30.74 | 1:23.99 | 1:22.13 | +0.82 | 11 | |
| 12 | 7 | ブラバム-アルファロメオ | 1:22.45 | 1:22.16 | 1;22.85 | +0.85 | 12 | |
| 13 | 6 | ロータス-フォード | 1:24.84 | 1:24.27 | 1:22.16 | +0.85 | 13 | |
| 14 | 4 | ティレル-フォード | 1:23.64 | 1:22.99 | 1:22.27 | +0.96 | 14 | |
| 15 | 12 | マクラーレン-フォード | 1:23.69 | 1:23.72 | 1:22.48 | +1.17 | 15 | |
| 16 | 19 | サーティース-フォード | 1:23.97 | 1:23.01 | 1:22.51 | +1.20 | 16 | |
| 17 | 30 | コパスカー-フォード | 1:24.15 | 1:23.13 | 1:22.55 | +1.24 | 17 | |
| 18 | 34 | マーチ-フォード | 1:23.40 | 1:23.06 | 1:22.59 | +1.28 | 18 | |
| 19 | 27 | ボロ-フォード | 1:23.56 | 1:23.12 | 1:23.10 | +1.79 | 19 | |
| 20 | 17 | シャドウ-フォード | 1:25.24 | 1:24.13 | 1:23.18 | +1.87 | 20 | |
| 21 | 39 | ペンスキー-フォード | 1:24.94 | 1:24.00 | 1:23.26 | +1.95 | 21 | |
| 22 | 38 | サーティース-フォード | 1:25.70 | 1:24.50 | 1:23.55 | +2.24 | 22 | |
| 23 | 20 | ウルフ・ウィリアムズ-フォード | 1:27.78 | 1:24.63 | 1:24.09 | +2.78 | 23 | |
| 24 | 24 | ヘスケス-フォード | 1:26.57 | 1:26.07 | 1:24.37 | +3.06 | 24 | |
| 25 | 25 | ヘスケス-フォード | 1:27.58 | 1:26.03 | 1:24.71 | +3.40 | 25 | |
| 26 | 18 | サーティース-フォード | 1:25.62 | 1:31.58 | 1:24.74 | +3.43 | 26 | |
| 上位26台が決勝進出 | ||||||||
| 27 | 40 | ティレル-フォード | 1:32.63 | 1:27.40 | 1:26.01 | +4.70 | DNQ | |
| 出典: [8][W 1][W 11] | ||||||||
決勝
[編集]
ポールポジションからスタートしたロニー・ピーターソンを抜き去ったジェームス・ハントとジョン・ワトソンは、30周に渡ってバトルを繰り広げたが、47周目にワトソンのトランスミッションにトラブルが発生して勝負は決した。その後はクレイ・レガツォーニが猛然と追い上げを見せ[9]、ハントの背後まで迫ったが、最終ラップで周回遅れの処理に手間取り、ハントは29歳の誕生日を前年に引き続きオランダGP2連勝で飾った[10]。
レース結果
[編集]| 順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | Grid | Pts. |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 11 | マクラーレン-フォード | 75 | 1:44:52.09 | 2 | 9 | |
| 2 | 2 | フェラーリ | 75 | +0.92 | 5 | 6 | |
| 3 | 5 | ロータス-フォード | 75 | +2.09 | 6 | 4 | |
| 4 | 16 | シャドウ-フォード | 75 | +6.94 | 3 | 3 | |
| 5 | 3 | ティレル-フォード | 75 | +22.46 | 8 | 2 | |
| 6 | 9 | マーチ-フォード | 75 | +45.03 | 7 | 1 | |
| 7 | 4 | ティレル-フォード | 75 | +56.28 | 14 | ||
| 8 | 19 | サーティース-フォード | 74 | +1 Lap | 16 | ||
| 9 | 12 | マクラーレン-フォード | 74 | +1 Lap | 15 | ||
| 10 | 17 | シャドウ-フォード | 74 | +1 Lap | 20 | ||
| 11 | 38 | サーティース-フォード | 74 | +1 Lap | 22 | ||
| 12 | 25 | ヘスケス-フォード | 72 | +3 Laps | 25 | ||
| Ret | 22 | エンサイン-フォード | 66 | 電気系統 | 11 | ||
| Ret | 39 | ペンスキー-フォード | 63 | ハーフシャフト | 21 | ||
| Ret | 8 | ブラバム-アルファロメオ | 53 | オイル漏れ | 9 | ||
| Ret | 26 | リジェ-マトラ | 53 | オイル漏れ | 10 | ||
| Ret | 10 | マーチ-フォード | 52 | 油圧 | 1 | ||
| Ret | 24 | ヘスケス-フォード | 49 | スピンオフ | 24 | ||
| Ret | 28 | ペンスキー-フォード | 47 | ギアボックス | 4 | ||
| Ret | 27 | ボロ-フォード | 44 | アクシデント | 19 | ||
| Ret | 30 | コパスカー-フォード | 40 | 電気系統 | 17 | ||
| Ret | 7 | ブラバム-アルファロメオ | 11 | クラッチ | 12 | ||
| Ret | 6 | ロータス-フォード | 10 | アクシデント | 13 | ||
| Ret | 34 | マーチ-フォード | 9 | エンジン | 18 | ||
| Ret | 18 | サーティース-フォード | 9 | エンジン | 26 | ||
| Ret | 20 | ウルフ・ウィリアムズ-フォード | 5 | アクシデント | 23 | ||
| DNQ | 40 | ティレル-フォード | 予選不通過 | ||||
| 優勝スピード(勝者ハントの平均速度):181.342 km/h | |||||||
| ファステストラップ:クレイ・レガツォーニ - 1:22.59(49周目)[W 2] | |||||||
| 出典: [W 12][W 3][W 11][1] | |||||||
| ドライバー | 周回数 | リードラップ |
|---|---|---|
| ロニー・ピーターソン | 11周 | 1-11 |
| ジェームス・ハント | 64周 | 12-75 |
| 出典: [W 13] | ||
- 太字は最多ラップリーダー
記録
[編集]ドライバー
[編集]- 本GPは、スウェーデン人ドライバーのコニー・アンデルソンとオランダ人ドライバーのボイ・ハイエのF1デビュー戦となった(アンデルソンは唯一の出走)[W 14][W 15]。
- アメリカ人ドライバーが100回目(のべ103人目)の表彰台を獲得した[W 16][注 2]。
- ジャン=ピエール・ジャリエが50戦目の出走を果たした[W 17]。
コンストラクター
[編集]第12戦終了時点のランキング
[編集]本節のランキング及びポイントは、9月24日に行われたFIAの審議会で、第9戦イギリスGPの勝者ジェームス・ハントが失格[11][1][12][注 4]となった後のものを掲載するが、ハントが失格処分を受けていない時点のランキングも参考資料として掲載する。
|
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 注: トップ5のみ表示。有効ポイントは前半8戦のうちベスト7戦と後半8戦のうちベスト7戦の合計。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
- 注2: リジェとロータスは同点だが、最上位フィニッシュ順位がリジェは2位、ロータスは3位であるため、リジェが上位となる。
- * - ハントの失格によってポイントが変動したドライバー及びコンストラクター。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 1923年から1977年まで断続的にヨーロッパ各国の持ち回りで、その年の最も権威のあるレースに対して「ヨーロッパGP」の冠がかけられていた。主に1国1GPの制約を回避する目的で単独イベントとして開催されるのは1983年以降である。
- ↑ 1950年から1960年までF1世界選手権の1戦に組み込まれていたインディ500を含む。また、同レースで分乗して表彰台を獲得したケースが3回ある。
- ↑ ウィリアムズはこの年、ウォルター・ウルフがチームの半数以上の株式を取得したことに伴い、「ウルフ・ウィリアムズ」として参戦した[W 19]。
- ↑ 1周目の事故により赤旗が出され、レースはやり直しとなったが、ハント、クレイ・レガツォーニ、ジャック・ラフィットはスペアカーに乗り換えてスタートした。レース後、この3人の出走権についてフェラーリから抗議があり[13]、3人とも失格となった。これにより、ハントに次ぐ2位でフィニッシュしたニキ・ラウダが勝者となり、以下、ジョディー・シェクター(ティレル)、ジョン・ワトソン(ペンスキー)、トム・プライス(シャドウ)、アラン・ジョーンズ(サーティース)、エマーソン・フィッティパルディ(コパスカー)が繰り上がってポイントを獲得した。なお、レガツォーニとラフィットは再スタート後にリタイアしているため、この失格による順位及びポイントの変動はない。
出典
[編集]- 書籍・雑誌
- 1 2 3 (F1全史1976–1980 1993, p. 116)
- ↑ (Lang 1983, p. 142)
- ↑ (Lang 1983, p. 144)
- 1 2 (Henry 1989, p. 292)
- ↑ (Henry 1989, p. 293)
- 1 2 (Nye 1989, p. 254)
- ↑ (AUTOSPORT 204, p. 100)
- 1 2 (AUTOSPORT 204, p. 99)
- ↑ (Nye 1989, pp. 254–255)
- ↑ (AUTOSPORT 204, p. 97)
- ↑ (AUTOSPORT 207, pp. 73–74)
- ↑ (Nye 1989, p. 260)
- ↑ (AUTOSPORT 207, p. 73)
- ウェブサイト
- 1 2 “Netherlands 1976 - Qualifications” (英語). STATS F1. 2026年7月18日閲覧。
- 1 2 “Netherlands 1976 - Best laps” (英語). STATS F1. 2026年7月18日閲覧。
- 1 2 “Netherlands 1976 - Result” (英語). STATS F1. 2026年7月18日閲覧。
- 1 2 “1976 Dutch GP” (英語). ChicaneF1.com. 2011年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年7月18日閲覧。
- ↑ “Grands Prix Netherlands” (英語). STATS F1. 2026年7月18日閲覧。
- ↑ “Ron Lenderink” (英語). Motorsport Memorial. 2026年7月18日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 “Dutch GP, 1976” (英語). grandprix.com. 2023年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年7月18日閲覧。
- 1 2 “Netherlands 1976”. STATS F1. 2026年7月18日閲覧。
- ↑ “Netherlands 1976 - Race entrants” (英語). STATS F1. 2026年7月18日閲覧。
- ↑ “Ronnie PETERSON - Pole positions” (英語). STATS F1. 2026年7月18日閲覧。
- 1 2 “Netherlands 1976 - Starting grid” (英語). STATS F1. 2026年7月18日閲覧。
- ↑ “1976 Dutch Grand Prix” (英語). formula1.com. 2014年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年7月18日閲覧。
- ↑ “Netherlands 1976 - Laps led” (英語). STATS F1. 2026年7月18日閲覧。
- ↑ “戦績:C.アンダーソン”. F1 DataWeb. 2026年7月18日閲覧。
- ↑ “戦績:B.ハイエ”. F1 DataWeb. 2026年7月18日閲覧。
- ↑ “USA - Podiums” (英語). STATS F1. 2026年7月18日閲覧。
- ↑ “Jean-Pierre JARIER - Grands Prix started” (英語). STATS F1. 2026年7月18日閲覧。
- ↑ “Williams - Grands Prix started 1976” (英語). STATS F1. 2026年7月18日閲覧。
- ↑ “[We love F1!!]ウィリアムズ FW04 1975”. Lawrence (2017年10月5日). 2026年7月18日閲覧。
- ↑ “March - Pole positions” (英語). STATS F1. 2026年7月18日閲覧。
- 1 2 “FIA Formula One World Championship 1976 Dutch Grand Prix Standings” (英語). 2026年7月18日閲覧。
- 1 2 “FIA Formula One World Championship 1976 Austrian Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2026年7月18日閲覧。
参照文献
[編集]- 『F1全史』シリーズ(NCID BN12600893)
- 林信次『F1全史 1976-1980 [空力を求めて / 王者ラウダの光と影]』ニューズ出版(現:三栄)、1993年。ASIN B07DPBCDV6。ISBN 4-938495-04-X。ASB:FZS19930701。
- 『オートスポーツ』(NCID AA11437582)
- 『No.204 1976年10月15日号』三栄書房(現:三栄)、1976年、97-102頁。ASB:AST19761015。
- 『No.207 1976年12月1日号』三栄書房(現:三栄)、1976年、73-75頁。ASB:AST19761201。
- アラン・ヘンリー 著、早川麻百合、鳥江政弘 訳『チーム・フェラーリの全て』CBS・ソニー出版、1989年。ISBN 4-7897-0491-2。
- ダグ・ナイ 著、森岡成憲 訳『チーム・マクラーレンの全て』CBS・ソニー出版、1989年。ISBN 4-7897-0504-8。
- Lang, Mike (1983). Grand Prix! Vol 3. Haynes Publishing Group. ISBN 0-85429-380-9
翻訳元
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1976 Dutch Grand Prix(2026年3月29日 20:54:57(UTC))
外部リンク
[編集]- Netherlands 1976 - STATS F1(レースレポートのみフランス語。他は英語)
- 1976年第12戦オランダグランプリの結果 - F1 DataWeb
| 前戦 1976年オーストリアグランプリ |
FIA F1世界選手権 1976年シーズン |
次戦 1976年イタリアグランプリ |
| 前回開催 1975年オランダグランプリ |
次回開催 1977年オランダグランプリ | |
| 前回開催 1975年オーストリアグランプリ |
(冠大会時代) |
次回開催 1977年イギリスグランプリ |