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1976年オーストリアグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オーストリアの旗 1976年オーストリアグランプリ
レース詳細
エステルライヒリンク(1969–1976)
エステルライヒリンク(1969–1976)
日程 1976年シーズン第11戦
決勝開催日 8月15日
開催地 エステルライヒリンク
 オーストリア シュタイアーマルク州 シュピールベルク(英語版)
コース長 5.911 km (3.673 mi)
レース距離 54周 319.914 km (198.785 mi)
決勝日天候 曇のち晴(ウェット→ドライ)[1]
ポールポジション
ドライバー
タイム 1:35.02[W 1][2]
ファステストラップ
ドライバー イギリスの旗 ジェームス・ハント
タイム 1:35.91[W 2][3] (ラップレコード)
決勝順位
優勝
2位
3位

1976年オーストリアグランプリ(1976ねんオーストリアグランプリ、英: 1976 Austrian Grand Prix、正式名称: XIV Raiffeisen(英語版) Großer Preis von Österreich[W 4])は、1976年のF1世界選手権の第11戦として、1976年8月15日にエステルライヒリンクで開催された自動車レース[W 5]。9回目のオーストリアグランプリ[注 1]であり、エステルライヒリンクでの開催は7回目である。

概要

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54周のレースを制したのは、ペンスキー・フォードを駆るジョン・ワトソンだった。これはワトソンにとってF1初勝利であると同時に、ペンスキー・チームにとって唯一となるF1での勝利でもあった。この勝利は、前年のオーストリアGPでマーク・ダナヒューが亡くなってから1年後のことだった。ロジャー・ペンスキーは、USACチャンピオンシップ(現在のインディカー・シリーズの前身)に専念するため、シーズン終了をもってF1から撤退することになった。

ジャック・ラフィットはリジェ・マトラで2位に入り、グンナー・ニルソンはロータス・フォードで3位となった。ドライバーズチャンピオン争いを繰り広げるジェームス・ハントは、ポールポジションからスタートしたものの、マクラーレン・フォードで4位に終わった。

背景

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2週間前に行われたドイツGPで命にかかわる事故に遭った地元のヒーローであるニキ・ラウダが依然として入院中だったことと、フェラーリが第4戦スペインGPの勝者にジェームス・ハントが再認定されたことに抗議してレースへの出場を見送ったことから[W 6][4]、レースが中止になるのではないかという噂が流れた。結局、レースは開催されたものの、観客数は例年より少なかった[W 7]。

サーキットの改修
前年に起きたマーク・ダナヒューの事故死により、その原因となったターン1(フェスト・ヒューゲル)のコース幅をわずかに狭める改修を行った[W 8]。

エントリー

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本GPは25台が参加する[5]。

前記の通り、フェラーリは前戦ドイツGPでニキ・ラウダが重症を負ったことにより、参加を見合わせた[6]。フェラーリがF1世界選手権レースを欠場したのは2025年終了時点でこのレースが最後である[W 6][注 2]。

ラウダの事故にショックを受けたクリス・エイモンはF1を引退することを決めたため[W 9][注 3]、エンサインはヘルムート・マルコが推す母国出身のF2ドライバーのハンス・ビンダーを起用した[W 9][W 7][7]。RAMはレラ・ロンバルディが2台目のドライバーとして復帰した[W 7]。ガイ・エドワーズは前戦ドイツGPで1974年に負った手首の古傷を悪化させたため欠場した[W 9]。

母国出身のドライバーであるオット・ストゥッパッシャー(英語版)とカール・オピッツハウザー(英語版)はこのレースへの出場を申請したが、経験不足を理由に拒否された。彼らは「ÖASCレーシングチーム」の名義でエントリーしており、ストゥッパッシャーはティレル・007を、オピッツハウザーはマーチ・761をサーキットに持ち込んでいた。彼らは他のチームに支援を要請したが、どこからも応じてもらえず、結局出場することはなかった[W 10][W 7][注 4]。

エントリーリスト

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チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 1 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ 1 フェラーリ 312T2 フェラーリ 015 3.0L F12
2 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ 1
イギリスの旗 エルフ・チーム・ティレル 3 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター ティレル P34 フォード DFV 3.0L V8
4 フランスの旗 パトリック・デパイユ
イギリスの旗 ジョン・プレイヤー・チーム・ロータス 5 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ ロータス 77 フォード DFV 3.0L V8
6 スウェーデンの旗 グンナー・ニルソン
イギリスの旗 マルティーニ・レーシング 7 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム BT45 アルファロメオ 115-12 3.0L F12
8 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ
イギリスの旗 ベータ・チーム・マーチ 9 イタリアの旗 ヴィットリオ・ブランビラ マーチ 761 フォード DFV 3.0L V8
イギリスの旗 マーチ・エンジニアリング 10 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン
34 西ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック
イギリスの旗 マールボロ・チーム・マクラーレン 11 イギリスの旗 ジェームス・ハント マクラーレン M23 フォード DFV 3.0L V8
12 西ドイツの旗 ヨッヘン・マス
イギリスの旗 シャドウ・レーシング・ウィズ・タバティップ 16 イギリスの旗 トム・プライス シャドウ DN5B フォード DFV 3.0L V8
17 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ
イギリスの旗 チーム・サーティース 18 アメリカ合衆国の旗 ブレット・ランガー サーティース TS19 フォード DFV 3.0L V8
19 オーストラリアの旗 アラン・ジョーンズ
カナダの旗 ウォルター・ウルフ・レーシング 20 イタリアの旗 アルトゥーロ・メルツァリオ ウルフ・ウィリアムズ FW05 フォード DFV 3.0L V8
イギリスの旗 チーム・エンサイン 22 オーストリアの旗 ハンス・ビンダー エンサイン N176 フォード DFV 3.0L V8
イギリスの旗 ヘスケス・レーシング 24 オーストリアの旗 ハラルド・アートル ヘスケス 308D フォード DFV 3.0L V8
フランスの旗 リジェ・ジタン 26 フランスの旗 ジャック・ラフィット リジェ JS5 マトラ MS73 3.0L V12
アメリカ合衆国の旗 シティバンク・チーム・ペンスキー 28 イギリスの旗 ジョン・ワトソン ペンスキー PC4 フォード DFV 3.0L V8
ブラジルの旗 コパスカー・フィッティパルディ 30 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ コパスカー FD04 フォード DFV 3.0L V8
イギリスの旗 RAMレーシング 32 スイスの旗 ロリス・ケッセル ブラバム BT44B フォード DFV 3.0L V8
33 イタリアの旗 レラ・ロンバルディ
イギリスの旗 チーム・ノレブ・レーシング・ウィズ・BSファブリケーションズ 38 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ サーティース TS19 フォード DFV 3.0L V8
イタリアの旗 スクーデリア・ガルフ・ロンディーニ 39 イタリアの旗 アレッサンドロ・ペゼンティ=ロッシ(英語版) ティレル 007 フォード DFV 3.0L V8
オーストリアの旗 ÖASCレーシングチーム[W 10] 40 オーストリアの旗 カール・オピッツハウザー(英語版) 2 マーチ 761 フォード DFV 3.0L V8
41 オーストリアの旗 オット・ストゥッパッシャー(英語版) 2 ティレル 007
出典: [W 11][5]
追記
  • タイヤは全車グッドイヤー
  • ^1 - フェラーリはラウダの事故に伴い欠場[W 6][6]
  • ^2 - オピッツハウザーとストゥッパッシャーはエントリーを拒否された[W 10][W 7]

予選

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予選は初日2回、2日目1回のセッションで行われたが[5]、雨が降らなかったのは初日の1回目のみだったため、そのセッションのベストタイムによりスターティンググリッドが決定した[8]。

マクラーレンは新車M26を投入したが練習走行のみで切り上げ[9][5]、M23でジェームス・ハントがポールポジションを獲得した[5]。ハントから0.82秒差で2番手に付けたのはペンスキーのジョン・ワトソンで、3番手のロニー・ピーターソンから11番手のハンス=ヨアヒム・スタックまでの9台は1分36秒台の接戦だった[5]。

予選結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター 1回目 2回目 3回目 差 Grid
1 11 イギリスの旗 ジェームス・ハント マクラーレン-フォード 1:35.02 - 1:56.65 - 1
2 28 イギリスの旗 ジョン・ワトソン ペンスキー-フォード 1:35.84 2:10.30 2:00.62 +0.82 2
3 10 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン マーチ-フォード 1:36.34 2:01.75 1:54.50 +1.32 3
4 6 スウェーデンの旗 グンナー・ニルソン ロータス-フォード 1:36.46 - 2:00.43 +1.44 4
5 26 フランスの旗 ジャック・ラフィット リジェ-マトラ 1:36.52 - 2:00.19 +1.50 5
6 16 イギリスの旗 トム・プライス シャドウ-フォード 1:36.56 - 1:56.42 +1.54 6
7 9 イタリアの旗 ヴィットリオ・ブランビラ マーチ-フォード 1:36.59 1:56.60 1:56.35 +1.57 7
8 8 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ ブラバム-アルファロメオ 1:36.66 1:57.65 1:56.77 +1.64 8
9 5 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ ロータス-フォード 1:36.68 - 1:56.68 +1.66 9
10 3 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター ティレル-フォード 1:36.91 - 1:55.64 +1.89 10
11 34 西ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチ-フォード 1:36.95 - 2:13.77 +1.93 11
12 12 西ドイツの旗 ヨッヘン・マス マクラーレン-フォード 1:37.22 - 1:55.73 +2.20 12
13 4 フランスの旗 パトリック・デパイユ ティレル-フォード 1:37.24 1:56.24 1:54.74 +2.22 13
14 7 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム-アルファロメオ 1:37.24 - 2:12.08 +2.22 14
15 19 オーストラリアの旗 アラン・ジョーンズ サーティース-フォード 1:37.60 - - +2.58 15
16 18 アメリカ合衆国の旗 ブレット・ランガー サーティース-フォード 1:37.62 2:10.98 - +2.60 16
17 30 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ コパスカー-フォード 1:37.76 - 1:59.48 +2.74 17
18 17 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ シャドウ-フォード 1:37.88 - 2:04.27 +2.86 18
19 22 オーストリアの旗 ハンス・ビンダー エンサイン-フォード 1:38.36 - 1:56.15 +3.34 19
20 24 オーストリアの旗 ハラルド・アートル ヘスケス-フォード 1:39.09 - 2:07.02 +4.07 20
21 20 イタリアの旗 アルトゥーロ・メルツァリオ ウルフ・ウィリアムズ-フォード 1:39.33 2:21.11 2:04.89 +4.31 21
22 38 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ サーティース-フォード 1:39.84 - 2:00.66 +4.82 22
23 39 イタリアの旗 アレッサンドロ・ペゼンティ=ロッシ(英語版) ティレル-フォード 1:40.67 - 2:11.65 +5.65 23
24 33 イタリアの旗 レラ・ロンバルディ ブラバム-フォード 1:42.25 - 2:21.92 +7.23 24
25 32 スイスの旗 ロリス・ケッセル ブラバム-フォード - 2:09.72 1:56.01 +20.99 25
出典: [5][W 1][W 12]

決勝

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決勝当日の朝は晴れ渡ったが、レース開始予定の14時になると小雨が降り出すスッキリしない天候となったが、全車スリックタイヤのまま予定から30分遅れでレースはスタートした[10]。

スタートでインを取ったジョン・ワトソンがトップに立ち、ポールポジションだったジェームス・ハントはロニー・ピーターソンにも抜かれて3位に後退し、4周目にワトソンも抜いて首位に浮上した[10]。

10番手スタートのジョディー・シェクターは追い上げを見せ、7周目には一気に2位に浮上し、3周後にはピーターソンからトップを奪ったが、ワトソンとグンナー・ニルソンがすぐ後ろに迫る中、シェクターが後方の遅れたマシンに阻まれて順位が再び入れ替わった。これによりピーターソンが再び先頭に立ち、シェクターはワトソンの後ろの3位に後退した[W 7]。

視界も良好となり、路面も完全にドライコンディションになると[11]、ワトソンはピーターソンに接近し、12周目にトップに立った。3周後、シェクターはサスペンションの故障に見舞われ[W 7]、第1コーナーで激しくクラッシュした[11]。チームメイトのパトリック・デパイユもサスペンションを壊し、第1コーナーでリタイアしている[11]。

ワトソンとピーターソンは激しい首位争いを演じて3位以下を引き離したが[11]、19周目にピーターソンはニルソンに抜かれて3位に後退する[12]。ピーターソンはスピードが鈍り、ジャック・ラフィットとハントに迫られ[12]、ブレーキパッドの摩耗により2台の先行を許してしまった[13]。ハントはハラルド・アートルと接触してフロントウィングが曲がってしまった影響からラフィットとの表彰台争いから脱落し、ラフィットは45周目に油圧が低下していたニルソンを抜いて2位に浮上した[13]。次の周にはピーターソンがマリオ・アンドレッティに抜かれて順位は確定した[W 7]。

ワトソンは2位のラフィットに10秒以上の大差を付けてF1初勝利を果たし[13]、ペンスキーにとってもF1初勝利となった[W 7]。なお、アメリカ合衆国のライセンスを持つコンストラクターがF1世界選手権レースで優勝したのは2025年終了時点で最後である[W 13][W 14][注 5]。

また、2025年終了時点で女性ドライバーがF1世界選手権レースに出走し、完走した最後のレースでもある[W 15]。レラ・ロンバルディは、RAMのブラバム・BT44Bで予選24位となり、4周遅れで12位でフィニッシュした。

レース後、ワトソンはロジャー・ペンスキーに「レースで勝ったら髭を剃り落とす」と約束した通り、自慢の髭を剃り落とした[13][W 7][14]。

レース結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 Grid Pts.
1 28 イギリスの旗 ジョン・ワトソン ペンスキー-フォード 54 1:30:07.86 2 9
2 26 フランスの旗 ジャック・ラフィット リジェ-マトラ 54 +10.79 5 6
3 6 スウェーデンの旗 グンナー・ニルソン ロータス-フォード 54 +11.98 4 4
4 11 イギリスの旗 ジェームス・ハント マクラーレン-フォード 54 +12.44 1 3
5 5 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ ロータス-フォード 54 +21.49 9 2
6 10 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン マーチ-フォード 54 +34.34 3 1
7 12 西ドイツの旗 ヨッヘン・マス マクラーレン-フォード 54 +59.45 12
8 24 オーストリアの旗 ハラルド・アートル ヘスケス-フォード 53 +1 Lap 20
9 38 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ サーティース-フォード 52 +2 Laps 22
10† 18 アメリカ合衆国の旗 ブレット・ランガー サーティース-フォード 51 アクシデント 16
11 39 イタリアの旗 アレッサンドロ・ペゼンティ=ロッシ(英語版) ティレル-フォード 51 +3 Laps 23
12 33 イタリアの旗 レラ・ロンバルディ ブラバム-フォード 50 +4 Laps 24
Ret 22 オーストリアの旗 ハンス・ビンダー エンサイン-フォード 47 スロットル 19
NC 32 スイスの旗 ロリス・ケッセル ブラバム-フォード 44 規定周回数不足 25
Ret 9 イタリアの旗 ヴィットリオ・ブランビラ マーチ-フォード 43 アクシデント 7
Ret 30 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ コパスカー-フォード 43 アクシデント 17
Ret 8 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ ブラバム-アルファロメオ 40 アクシデント 18
Ret 17 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ シャドウ-フォード 40 燃料ポンプ 8
Ret 19 オーストラリアの旗 アラン・ジョーンズ サーティース-フォード 30 アクシデント 15
Ret 34 西ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチ-フォード 26 燃料システム 11
Ret 4 フランスの旗 パトリック・デパイユ ティレル-フォード 24 サスペンション 13
Ret 20 イタリアの旗 アルトゥーロ・メルツァリオ ウルフ・ウィリアムズ-フォード 17 アクシデント 21
Ret 16 イギリスの旗 トム・プライス シャドウ-フォード 14 ブレーキ 6
Ret 3 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター ティレル-フォード 14 サスペンション 10
Ret 7 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム-アルファロメオ 0 クラッチ 14
優勝スピード(勝者ワトソンの平均速度):212.451 km/h
ファステストラップ:ジェームス・ハント - 1'35.91[W 2]
出典: [W 16][W 3][W 12][1]
追記
  • † - リタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。
ラップリーダー
ドライバー 周回数 リードラップ
ジョン・ワトソン 45周 1-2, 12-54
ロニー・ピーターソン 8周 3-9, 11
ジョディー・シェクター 1周 10
出典: [W 17]
  • 太字は最多ラップリーダー

記録

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ドライバー

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コンストラクター

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第11戦終了時点のランキング

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本節のランキング及びポイントは、9月24日に行われたFIAの審議会で、第9戦イギリスGPの勝者ジェームス・ハントが失格[15][1][16][注 6]となった後のものを掲載するが、ハントが失格処分を受けていない時点のランキングも参考資料として掲載する。

  • 注: トップ5のみ表示。有効ポイントは前半8戦のうちベスト7戦と後半8戦のうちベスト7戦の合計。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
  • * - ハントの失格によってポイントが変動したドライバー及びコンストラクター。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ↑ 初回はF1の非選手権レースとして開催されたため、F1選手権レースとして開催されたのは8回目。スポーツカーレースとして開催された6回を除く。
  2. 1 2 その後、参加はしたものの出走しなかったレースが1982年に2戦あったが、始めからレースに参加しなかったのは本GPが最後である。
  3. ↑ ただし、第14戦カナダGPのみウルフ・ウィリアムズから1戦のみ参戦し、そのレースをもって正式にF1を引退した。
  4. ↑ なお、ストゥッパッシャーは次戦イタリアGPから北米2戦までの計3戦に参加している。
  5. 1 2 ペンスキー同様、アメリカ合衆国発祥のシャドウはこの年からライセンスをイギリスに変更し[W 5]、翌年のオーストリアGPで唯一の勝利を挙げている。
  6. ↑ 1周目の事故により赤旗が出され、レースはやり直しとなったが、ハント、クレイ・レガツォーニ、ジャック・ラフィットはスペアカーに乗り換えてスタートした。レース後、この3人の出走権についてフェラーリから抗議があり[17]、3人とも失格となった。これにより、ハントに次ぐ2位でフィニッシュしたニキ・ラウダが勝者となり、以下、ジョディー・シェクター(ティレル)、ジョン・ワトソン(ペンスキー)、トム・プライス(シャドウ)、アラン・ジョーンズ(サーティース)、エマーソン・フィッティパルディ(コパスカー)が繰り上がってポイントを獲得した。なお、レガツォーニとラフィットは再スタート後にリタイアしているため、この失格による順位及びポイントの変動はない。

出典

[編集]
書籍・雑誌
  1. 1 2 3 (F1全史1976–1980 1993, p. 116)
  2. ↑ (Lang 1983, p. 138)
  3. ↑ (Lang 1983, p. 141)
  4. ↑ (Nye 1989, p. 253)
  5. 1 2 3 4 5 6 7 (AUTOSPORT 204, p. 106)
  6. 1 2 (Henry 1989, p. 292)
  7. ↑ (AUTOSPORT 204, p. 107)
  8. ↑ (AUTOSPORT 204, p. 105)
  9. ↑ (Nye 1989, pp. 253–254)
  10. 1 2 (AUTOSPORT 204, p. 108)
  11. 1 2 3 4 (AUTOSPORT 204, p. 109)
  12. 1 2 (AUTOSPORT 204, p. 110)
  13. 1 2 3 4 (AUTOSPORT 204, p. 111)
  14. ↑ (F1全史1976–1980 1993, p. 23)
  15. ↑ (AUTOSPORT 207, pp. 73–74)
  16. ↑ (Nye 1989, p. 260)
  17. ↑ (AUTOSPORT 207, p. 73)
ウェブサイト
  1. 1 2 “Austria 1976 - Qualifications” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
  2. 1 2 “Austria 1976 - Best laps” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
  3. 1 2 “Austria 1976 - Result” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
  4. ↑ “1976 Austrian GP” (英語). www.chicanef1.com. 2013年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年4月27日閲覧。
  5. 1 2 “1976 Austrian Grand Prix Entry list”. Racingsportscars.com (1976年8月31日). 2026年4月27日閲覧。
  6. 1 2 3 4 “Top 12: Ferrari‑free Grands Prix” (英語). www.goodwood.com. 2026年4月27日閲覧。
  7. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 “Austrian GP, 1976” (英語). grandprix.com. 2026年4月27日閲覧。
  8. ↑ “Red Bull Ring” (英語). RacingCircuits.info. 2026年4月27日閲覧。
  9. 1 2 3 “Austria 1976”. STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
  10. 1 2 3 “Otto Stuppacher - Full Biography” (英語). F1 Rejects. 2007年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年4月27日閲覧。
  11. ↑ “Austria 1976 - Race entrants” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
  12. 1 2 “Austria 1976 - Starting grid” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
  13. 1 2 “Penske 'anxious' to see how Haas F1 fares” (英語). f1i.com (2016年3月14日). 2016年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年4月27日閲覧。
  14. 1 2 “Formula 1’s (almost) all-American teams” (英語). motorsport.com. 2026年4月27日閲覧。
  15. 1 2 “Meet the Trailblazing Female F1 Drivers: History, Grand Prix Starters & Test Drivers” (英語). Formula One History. 2026年4月27日閲覧。
  16. ↑ “1976 Austrian Grand Prix” (英語). formula1.com. 2014年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年4月27日閲覧。
  17. ↑ “Austria 1976 - Laps led” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
  18. ↑ “戦績:J.ワトソン”. F1 DataWeb. 2026年4月27日閲覧。
  19. ↑ “Brazil - Grands Prix started” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
  20. ↑ “Brazil - Wins” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
  21. ↑ “Brazil - Podiums” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
  22. ↑ “Brazil - Pole positions” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
  23. ↑ “Brazil - Fastests laps” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
  24. ↑ “Brazil” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
  25. ↑ “戦績:H.ビンダー”. F1 DataWeb. 2026年4月27日閲覧。
  26. ↑ “戦績:L.ロンバルディ”. F1 DataWeb. 2026年4月27日閲覧。
  27. 1 2 “戦績:ペンスキー”. F1 DataWeb. 2026年4月27日閲覧。
  28. ↑ “McLaren - Pole positions” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
  29. 1 2 “FIA Formula One World Championship 1976 Austrian Grand Prix Standings” (英語). 2026年4月27日閲覧。
  30. 1 2 “FIA Formula One World Championship 1976 German Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2026年4月27日閲覧。

参照文献

[編集]
  • 『F1全史』シリーズ(NCID BN12600893)
    • 林信次『F1全史 1976-1980 [空力を求めて / 王者ラウダの光と影]』ニューズ出版(現:三栄)、1993年。ASIN B07DPBCDV6。ISBN 4-938495-04-X。ASB:FZS19930701。 
  • 『オートスポーツ』(NCID AA11437582)
    • 『No.204 1976年10月15日号』三栄書房(現:三栄)、1976年、105-111頁。ASB:AST19761015。 
    • 『No.207 1976年12月1日号』三栄書房(現:三栄)、1976年、73-75頁。ASB:AST19761201。 
  • アラン・ヘンリー 著、早川麻百合、鳥江政弘 訳『チーム・フェラーリの全て』CBS・ソニー出版、1989年。ISBN 4-7897-0491-2。 
  • ダグ・ナイ 著、森岡成憲 訳『チーム・マクラーレンの全て』CBS・ソニー出版、1989年。ISBN 4-7897-0504-8。 
  • Lang, Mike (1983). Grand Prix! Vol 3. Haynes Publishing Group. ISBN 0-85429-380-9 

翻訳元

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外部リンク

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前戦
1976年ドイツグランプリ
FIA F1世界選手権
1976年シーズン
次戦
1976年オランダグランプリ
前回開催
1975年オーストリアグランプリ
オーストリアの旗 オーストリアグランプリ 次回開催
1977年オーストリアグランプリ
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