1976年フランスグランプリ
| レース詳細 | |||
|---|---|---|---|
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| 日程 | 1976年シーズン第8戦 | ||
| 決勝開催日 | 7月4日 | ||
| 開催地 |
ポール・リカール・サーキット | ||
| コース長 | 5.809 km (3.610 mi) | ||
| レース距離 | 54周 313.686 km (194.915 mi) | ||
| 決勝日天候 | 晴(ドライ)[1] | ||
| ポールポジション | |||
| ドライバー | |||
| タイム | 1:47.89[W 1][2] | ||
| ファステストラップ | |||
| ドライバー |
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| タイム | 1:51.0(4周目)[W 2][3] | ||
| 決勝順位 | |||
| 優勝 | |||
| 2位 | |||
| 3位 | |||
1976年フランスグランプリ(1976ねんフランスグランプリ、、英: 1976 French Grand Prix、正式名称: LXII Grand Prix de France[W 4])は、1976年のF1世界選手権の第8戦として、1976年7月4日にポール・リカール・サーキットで開催された自動車レース。第54回フランスグランプリであり、ポール・リカールで開催されたのは4回目である。レースは全長約5.8kmのサーキットを54周し、総距離は約313kmで行われた。
概要
[編集]このレースを制したのは、マクラーレン・M23を駆る、後にこの年のチャンピオンとなるジェームス・ハントだった。ハントは、パトリック・デパイユのティレル・P34に12秒の差を付けて優勝した。これはハントにとって今季2勝目、キャリア通算3度目のグランプリ優勝となったが、この時点では、第4戦スペインGPでの優勝取り消しに対する異議申し立てはまだ認められていなかった。さらに11秒遅れで3位に入ったのは、ペンスキー・PC4を駆るジョン・ワトソンだった。ワトソンとペンスキーにとって初の表彰台となったが、この結果は、残り3周でロニー・ピーターソンのマーチ・761がストップし、さらにワトソンがリアウィングの不備により失格となったものの、異議申し立てにより復位が認められた後にようやく確定したものであった。
エントリー
[編集]本GPは30台が参加する[4]。
エンサインは前戦スウェーデンGPのクラッシュで背中を負傷したクリス・エイモンに代わって、パトリック・ネーヴを起用した[W 5][W 6]。RAMはジャック・ネルマンに代わって、ダミアン・マギーを起用した[W 5]。ウルフ・ウィリアムズはスウェーデンGPと同じ週末に開催されたル・マン24時間レースに参戦したジャッキー・イクスが復帰し、2台体制に戻った[W 5]。ペントハウス・リズラのガイ・エドワーズ、BSファブリケーションズ(ノレブ)のアンリ・ペスカロロ、コパスカーのインゴ・ホフマンも復帰した[W 5]。一方、ボロは資金難のため欠場した[W 5][W 6]。
5人のドライバーが母国ブランプリを迎えるが[W 6][注 1]、ジャン=ピエール・ジャリエが資金難にあえぐシャドウから母国の新興チームであるリジェに移籍する話が持ち上がった[W 6][5]。実際にジャリエは2台目のリジェ・JS5をテスト走行していたが[5]、両チームの話し合いによりジャリエはシーズン終了までシャドウに留まることになった[5]。
エントリーリスト
[編集]- 追記
- タイヤは全車グッドイヤー
予選
[編集]ジェームス・ハントがポールポジションを獲得した[6][7][W 5]。フェラーリ勢はニキ・ラウダが2番手でハントとともにフロントローに並び、クレイ・レガツォーニは6輪ティレル・P34を駆るジョディー・シェクターに次ぐ4番手を確保した[6]。この年からアルファロメオエンジンに変更したが不振が続いたブラバムだったが、BT45のフロントサスペンションをモディファイしたことでハンドリングが改善され、カルロス・パーチェが5番手に入った[6]。
予選結果
[編集]| 順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | Grid |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 11 | マクラーレン-フォード | 1:47.89 | - | 1 | |
| 2 | 1 | フェラーリ | 1:48.17 | +0.28 | 2 | |
| 3 | 4 | ティレル-フォード | 1:48.59 | +0.70 | 3 | |
| 4 | 2 | フェラーリ | 1:48.69 | +0.80 | 4 | |
| 5 | 8 | ブラバム-アルファロメオ | 1:48.75 | +0.86 | 5 | |
| 6 | 10 | マーチ-フォード | 1:49.07 | +1.18 | 6 | |
| 7 | 5 | ロータス-フォード | 1:49.19 | +1.30 | 7 | |
| 8 | 28 | ペンスキー-フォード | 1:49.22 | +1.33 | 8 | |
| 9 | 3 | ティレル-フォード | 1:49.63 | +1.74 | 9 | |
| 10 | 7 | ブラバム-アルファロメオ | 1:49.79 | +1.90 | 10 | |
| 11 | 9 | マーチ-フォード | 1:49.79 | +1.90 | 11 | |
| 12 | 6 | ロータス-フォード | 1:49.83 | +1.94 | 12 | |
| 13 | 26 | リジェ-マトラ | 1:50.06 | +2.17 | 13 | |
| 14 | 12 | マクラーレン-フォード | 1:50.10 | +2.21 | 14 | |
| 15 | 17 | シャドウ-フォード | 1:50.12 | +2.23 | 15 | |
| 16 | 16 | シャドウ-フォード | 1:50.27 | +2.38 | 16 | |
| 17 | 34 | マーチ-フォード | 1:50.31 | +2.42 | 17 | |
| 18 | 19 | サーティース-フォード | 1:51.11 | +3.22 | 18 | |
| 19 | 20 | ウルフ・ウィリアムズ-フォード | 1:51.41 | +3.52 | 19 | |
| 20 | 35 | マーチ-フォード | 1:51.79 | +3.90 | 20 | |
| 21 | 30 | コパスカー-フォード | 1:52.11 | +4.22 | 21 | |
| 22 | 21 | ウルフ・ウィリアムズ-フォード | 1:52.29 | +4.40 | 22 | |
| 23 | 18 | サーティース-フォード | 1:52.41 | +4.52 | 23 | |
| 24 | 38 | サーティース-フォード | 1:52.60 | +4.71 | 24 | |
| 25 | 25 | ヘスケス-フォード | 1:52.63 | +4.74 | 25 | |
| 26 | 22 | エンサイン-フォード | 1:52.82 | +4.93 | 26 | |
| 上位26台が決勝進出 | ||||||
| 27 | 33 | ブラバム-フォード | 1:53.49 | +5.60 | DNQ | |
| 28 | 31 | コパスカー-フォード | 1:53.78 | +5.89 | DNQ | |
| 29 | 24 | ヘスケス-フォード | 1:53.79 | +5.90 | 27 1 | |
| 30 | 32 | ブラバム-フォード | 1:55.30 | +7.41 | DNQ | |
| 出典: [W 1][W 8][4] | ||||||
- 追記
決勝
[編集]レース当日は快晴の暑い中行われた[5]。
ニキ・ラウダが好スタートを決め、8周目までに2位のジェームス・ハントに8秒の差を付けて独走体制に入ったが、次の周にエンジンがブローして早々とリタイアし[5][8][7]、チームメイトのクレイ・レガツォーニもラウダと同様にエンジンがブローし、キャッチフェンスへスピンしてしまいレースを終えた[5][8][7]。
フェラーリ勢がリタイアした後、ハントは首位を独走してレースを制した[9]。その後方ではティレル勢が2-3位を走行したが、ジョディー・シェクターのエンジンがミスファイアを起こしてペースを落とし、チームメイトのパトリック・デパイユから引き離されていき[10]、ロニー・ピーターソンがシェクターを抜いて3位に浮上したが[W 5]、52周目に燃料システムのトラブルが発生したため表彰台を逃し[11]、代わってジョン・ワトソンが3位表彰台を獲得した[W 5]。以下、カルロス・パーチェが4位、マリオ・アンドレッティが5位に入賞し、シェクターは辛うじて入賞圏内の6位でフィニッシュした[W 5]。
なお、ワトソンはレース後の車検で失格処分を受けたが[11][12]、まもなく復位している[13](詳細は後述)。
レース結果
[編集]| 順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | Grid | Pts. |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 11 | マクラーレン-フォード | 54 | 1:40:58.60 | 1 | 9 | |
| 2 | 4 | ティレル-フォード | 54 | +12.70 | 3 | 6 | |
| 3 | 28 | ペンスキー-フォード | 54 | +23.55 | 8 | 4 | |
| 4 | 8 | ブラバム-アルファロメオ | 54 | +24.82 | 5 | 3 | |
| 5 | 5 | ロータス-フォード | 54 | +43.92 | 7 | 2 | |
| 6 | 3 | ティレル-フォード | 54 | +55.07 | 9 | 1 | |
| 7 | 34 | マーチ-フォード | 54 | +1:21.55 | 17 | ||
| 8 | 16 | シャドウ-フォード | 54 | +1:30.67 | 16 | ||
| 9 | 35 | マーチ-フォード | 54 | +1:53.57 | 20 | ||
| 10 | 20 | ウルフ・ウィリアムズ-フォード | 53 | +1 Lap | 19 | ||
| 11 | 7 | ブラバム-アルファロメオ | 53 | +1 Lap | 10 | ||
| 12 | 17 | シャドウ-フォード | 53 | +1 Lap | 15 | ||
| 13 | 21 | ウルフ・ウィリアムズ-フォード | 53 | +1 Lap | 22 | ||
| 14 | 26 | リジェ-マトラ | 53 | +1 Lap | 13 | ||
| 15 | 12 | マクラーレン-フォード | 53 | +1 Lap | 14 | ||
| 16 | 18 | サーティース-フォード | 53 | +1 Lap | 23 | ||
| 17 | 25 | ヘスケス-フォード | 53 | +1 Lap | 25 | ||
| 18 | 22 | エンサイン-フォード | 53 | +1 Lap | 26 | ||
| 19† | 10 | マーチ-フォード | 51 | 燃料システム | 6 | ||
| Ret | 19 | サーティース-フォード | 44 | サスペンション | 18 | ||
| Ret | 9 | マーチ-フォード | 28 | 油圧 | 11 | ||
| Ret | 30 | コパスカー-フォード | 21 | 油圧 | 21 | ||
| Ret | 38 | サーティース-フォード | 19 | サスペンション | 24 | ||
| Ret | 2 | フェラーリ | 17 | エンジン | 4 | ||
| Ret | 1 | フェラーリ | 8 | エンジン | 2 | ||
| Ret | 6 | ロータス-フォード | 8 | ギアボックス | 12 | ||
| Ret | 24 | ヘスケス-フォード | 4 | ディファレンシャル | 27 2 | ||
| DNQ | 33 | ブラバム-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 31 | コパスカー-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 32 | ブラバム-フォード | 予選不通過 | ||||
| 優勝スピード(勝者ハントの平均速度):186.423 km/h | |||||||
| ファステストラップ:ニキ・ラウダ - 1:51.0(4周目)[W 2] | |||||||
| 出典: [W 9][W 3][W 8][1] | |||||||
- 追記
- † - リタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。
- ^1 - ワトソンはレース後の車検でウィングのサイズが違反と判断され失格となったが、後に失格は取り消された[1]。
- ^2 - アートルは予選を通過できず決勝の出走資格はなかったが、最後尾グリッドからレースをスタートした[1]。
| ドライバー | 周回数 | リードラップ |
|---|---|---|
| ニキ・ラウダ | 8周 | 1-8 |
| ジェームス・ハント | 46周 | 9-54 |
| 出典: [W 10] | ||
- 太字は最多ラップリーダー
レース後
[編集]3位でフィニッシュしたジョン・ワトソンはレース終了後の車検で、彼のペンスキー・PC4のリアウィングが規定より約1.5cm高かったため、失格となった[W 11]。
しかし翌日、国際スポーツ委員会(CSI、後のFISA)は技術規定違反がマシンの性能に影響を与えていなかったという原則に基づき、1位でフィニッシュしたジェームス・ハントと12位のジャック・ラフィットをスペインGPの順位に復位させることを決定した[W 12][14][15]。これにより、ペンスキーはワトソンのマシンに対しても同様の措置が取られることを期待した[W 12]。
7月22日、フランス自動車クラブはワトソンを3位に復位した[W 13]。
記録
[編集]ドライバー
[編集]コンストラクター
[編集]エンジン
[編集]第8戦終了時点のランキング
[編集]本節のランキング及びポイントは、第4戦スペインGPにおけるジェームス・ハントとジャック・ラフィットの失格処分が本GP終了の翌日に取り消され[W 12][14][15]、本GPで3位に入賞したジョン・ワトソン(ペンスキー)がレース終了後に失格処分を受け[W 11][11][12]、7月22日に失格が取り消された[W 13]後のものを掲載するが、ハントとラフィットが復位し、ワトソンが失格となっていた時点[注 2]のものも参考資料として掲載する。
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- 注: トップ5のみ表示。有効ポイントは前半8戦のうちベスト7戦と後半8戦のうちベスト7戦の合計。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
- 注2: ハントとデパイユは同点だが、優勝回数(ハント2勝、デパイユ0勝)の差でハントが上位となる。
- 注3: マーチ、ペンスキー、ロータス、ブラバムは6点で並んでいるが、最上位ドライバーのフィニッシュ回数(マーチは3位1回・5位1回・7位2回・8位1回・10位1回、ペンスキーは3位・5位・7位・10位各1回、ロータスは3位・5位・10位各1回、ブラバムは4位2回・8位1回・9位2回・10位1回)の順でマーチが5位、ペンスキーが6位、ロータスが7位、ブラバムが8位となる。[注 3]
- * - ワトソンの失格と復位によってポイントが変動したドライバー及びコンストラクター。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ デパイユ、ラフィット、ジャリエ、ペスカロロ、ルクレールの5人。
- ↑ ワトソンの失格により、パーチェ(ブラバム)が3位、アンドレッティ(ロータス)が4位、シェクター(ティレル)が5位、スタック(マーチ)が6位にそれぞれ繰り上がっていた。なお、当時のコンストラクターズポイントは最上位のドライバーのみが対象であり、ティレルの最上位は2位のデパイユであるため、ワトソンの失格によるポイントの変動はない。
- ↑ ワトソンの復位前はブラバム(3位1回・4位1回・8位1回・9位2回・10位1回)、ロータス(3位・4位・10位各1回)、マーチ(3位・5位・6位・7位・8位・10位各1回)の順に7点で並んでいた。
出典
[編集]- 書籍・雑誌
- 1 2 3 4 5 (F1全史1976–1980 1993, p. 115)
- ↑ (Lang 1983, p. 128)
- ↑ (Lang 1983, p. 130)
- 1 2 3 (AUTOSPORT 200, p. 25)
- 1 2 3 4 5 6 (AUTOSPORT 200, p. 28)
- 1 2 3 (AUTOSPORT 200, p. 27)
- 1 2 3 (Nye 1989, p. 249)
- 1 2 (Henry 1989, p. 289)
- ↑ (Nye 1989, p. 250)
- ↑ (AUTOSPORT 200, p. 29)
- 1 2 3 (AUTOSPORT 200, p. 30)
- 1 2 (AUTOSPORT 201, p. 62)
- ↑ (F1全史1976–1980 1993, p. 23)
- 1 2 (Nye 1989, pp. 248, 250)
- 1 2 (AUTOSPORT 200, p. 37)
- ウェブサイト
- 1 2 “France 1976 - Qualifications” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
- 1 2 “France 1976 - Best laps” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
- 1 2 “France 1976 - Result” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
- ↑ “1976 French GP” (英語). www.chicanef1.com. 2013年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年4月27日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 “French GP, 1976” (英語). grandprix.com. 2026年4月27日閲覧。
- 1 2 3 4 “France 1976”. STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
- ↑ “France 1976 - Race entrants” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
- 1 2 3 “France 1976 - Starting grid” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
- ↑ “1976 French Grand Prix” (英語). formula1.com. 2014年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年4月27日閲覧。
- ↑ “France 1976 - Laps led” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
- 1 2 Oscar De Rosa (1976年7月5日). “Francia F-1: Victoria de Hunt (McLaren) sin problemas”. El Mundo Deportivo (スペイン語). p. 6. 2026年4月27日閲覧.
- 1 2 3 Xavier Ventura (1976年7月7日). “Hunt declarado vencedor del G.P. de España de F-1”. El Mundo Deportivo (スペイン語). p. 26. 2026年4月27日閲覧.
- 1 2 “Watson confirmado en el tercer puesto del G. P. de Francia”. El Mundo Deportivo (スペイン語). 1976年7月23日. p. 12. 2026年4月27日閲覧.
- ↑ “戦績:J.ワトソン”. F1 DataWeb. 2026年4月27日閲覧。
- ↑ “戦績:P.ネーヴ”. F1 DataWeb. 2026年4月27日閲覧。
- ↑ “Henri PESCAROLO - Grands Prix started” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
- ↑ “戦績:ペンスキー”. F1 DataWeb. 2026年4月27日閲覧。
- ↑ “McLaren - Podiums” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
- ↑ “Ferrari - Grands Prix started 1976” (英語). STATS F1. 2026年4月27日閲覧。
- 1 2 “FIA Formula One World Championship 1976 French Grand Prix Standings” (英語). 2026年4月27日閲覧。
- 1 2 “FIA Formula One World Championship 1976 Swedish Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2026年4月27日閲覧。
参照文献
[編集]- 『F1全史』シリーズ(NCID BN12600893)
- 林信次『F1全史 1976-1980 [空力を求めて / 王者ラウダの光と影]』ニューズ出版(現:三栄)、1993年。ASIN B07DPBCDV6。ISBN 4-938495-04-X。ASB:FZS19930701。
- 『オートスポーツ』(NCID AA11437582)
- 『No.200 1976年9月1日号』三栄書房(現:三栄)、1976年、24-29, 37頁。ASB:AST19760901。
- 『No.201 1976年9月15日号』三栄書房(現:三栄)、1976年、63-66頁。ASB:AST19760915。
- アラン・ヘンリー 著、早川麻百合、鳥江政弘 訳『チーム・フェラーリの全て』CBS・ソニー出版、1989年。ISBN 4-7897-0491-2。
- ダグ・ナイ 著、森岡成憲 訳『チーム・マクラーレンの全て』CBS・ソニー出版、1989年。ISBN 4-7897-0504-8。
- Lang, Mike (1983). Grand Prix! Vol 3. Haynes Publishing Group. ISBN 0-85429-380-9
翻訳元
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1976 French Grand Prix(2026年3月29日 20:55:00(UTC))
- Wikipediaイタリア語版 - it:Gran Premio di Francia 1976(2026年2月23日 19:58) - レース後の節について
外部リンク
[編集]- France 1976 - STATS F1(レースレポートのみフランス語。他は英語)
- French GP, 1976 - grandprix.com(英語)
- 1976年第8戦フランスグランプリの結果 - F1 DataWeb
| 前戦 1976年スウェーデングランプリ |
FIA F1世界選手権 1976年シーズン |
次戦 1976年イギリスグランプリ |
| 前回開催 1975年フランスグランプリ |
次回開催 1977年フランスグランプリ |