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1979年富津市長選挙

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1979年富津市長選挙(1979ねんふっつしちょうせんきょ)とは1979年(昭和54年)に千葉県富津市にて行われた市長選挙のことである。この選挙では当選の条件となる法定得票数に達する者はいなかったことから、公職選挙法の規定により、地方自治体の首長選挙としては日本初となる再選挙が行われた[1][2][3][4]。

概要

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1979年4月22日に行われた市長選挙は現職の白井長治を始めとする5人が立候補した[5]。

※当日有権者数:39,882人 最終投票率:89.32%

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
(当選者なし)----票-%-
わたなべ清55無所属新8,274票23.22%
いしわた四兵い53無所属新7,861票22.06%
白井長治77無所属現7,109票19.95%
石井隆57無所属新7,096票19.91%
いわさき一男67無所属新5,053票14.18%

この結果、当選の条件となる法定得票数に達する者はいなかった。このため、公職選挙法に基づき、地方自治体の首長選挙としては初めてとなる再選挙が1979年6月17日に行われることになった[1][2][3][4][5]。

再選挙

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※当日有権者数:39,899人 最終投票率:85.97%(前回比:-3.35pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
白井長治77無所属現12,248票35.70%
石井隆57無所属新10,965票31.96%
わたなべ清55無所属新10,737票31.29%

この結果、白井が再選を果たした[5]。また、白井は最初の選挙の時点では3番目の得票だったため、再選挙において当選する「逆転勝利」にもなった[3][4]。なお、地方自治体の首長における再選挙は2022年時点で本件を含め7例存在するが、最初の選挙で2位以下だった候補者が再選挙にて当選した事例は本選挙が唯一である[6]。

背景

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選挙戦が混迷した原因について千葉日報は、1期目の白井がリーダーシップを含め圧倒的な強みを見せきれなかったことにあると分析している[2]。また、東京新聞(中日新聞東京本社)によると、白井が選挙前に一度発表していた引退表明を撤回したため、8年前に合併していた旧2町(大佐和町・天羽町)からの反発があったことも一因としている。再選挙では候補者調整の際に地元出身の衆議院議員で「ハマコー」の愛称で知られていた浜田幸一も介入したため、前述の経緯による地域対抗戦に加えて、浜田派と反浜田派による代理戦争という側面にもなり、かえって混乱を招く事態になった[5][6]。

脚注

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  1. 1 2 日外アソシエーツ『千葉県人物・人材情報リスト2021』第一巻、126頁
  2. 1 2 3 “白井氏が執念の再選”. 千葉日報. 1979年6月18日. p. 1.
  3. 1 2 3 “市川市長選、再選挙に 法定得票数に達せず 38年ぶり県内2例目”. 千葉日報 (2017年11月28日). 2022年10月4日閲覧。
  4. 1 2 3 日本放送協会 (2018年5月10日). “再選挙ってなに?”. NHK選挙WEB. 2018年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月4日閲覧。
  5. 1 2 3 4 谷岡聖史 (2022年10月18日). “「再選挙」過去6回はいずれも波乱含み 6票差の決着、3位から逆転…品川区長選はどうなる?”. 東京新聞. p. 1. 2022年12月5日閲覧。
  6. 1 2 谷岡聖史 (2022年10月18日). “品川区長選挙の「再選挙」どうなる? 過去6回のケースの共通点から考えると”. 東京新聞. 2026年1月31日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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