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1985年夏季ユニバーシアード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユニバーシアード神戸大会
XIII Summer Universiade
開催国・都市 日本の旗 日本・神戸
参加国・地域数 106ヶ国
参加人数 4,796人
競技種目数 10競技120種目
開会式 1985年(昭和60年)8月24日
閉会式 1985年(昭和60年)9月4日
開会宣言 皇太子明仁親王
主競技場 神戸総合運動公園陸上競技場
オリンピックの旗 Portal:オリンピック
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神戸総合運動公園ユニバー記念競技場

1985年夏季ユニバーシアード(XIII Summer Universiade)は1985年(昭和60年)8月24日から9月4日の12日間にわたり、日本の神戸市で開催された第13回夏季ユニバーシアード大会である[1]。オリンピックを含めた国際スポーツ大会としては、1964年東京オリンピックを上回る日本史上最大規模であった(当時)[2]。

概要

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オリンピックを含めた国際スポーツ大会としては、1964年東京オリンピックを上回る日本史上最大規模(当時)の国際スポーツ大会として[2]、1985年(昭和60年)に神戸市で開催された[2]。

名誉総裁は皇太子明仁親王(現:上皇陛下)[2]。大会事務総長は古橋廣之進[2]。

参加国数106ヵ国は1964年(昭和39年)東京オリンピックをも上回り、日本で開かれた国際スポーツ大会では当時日本最大の規模を記録した[2]。参加人数は4,796人、総観客数は55万5,280人[2]。日本国内ではNHKとサンテレビジョン(サンテレビから各局にネット)により連日生中継が行われ[3][4]、サンテレビの中継は独立U局11局にネットした[4]。日本のマスコミ・メディアは期間中積極的に報道した。

10競技120種目で熱戦が行われ[2]、日本からは選手団長帖佐寛章率いる史上最大の291人の選手が参加[2]。また当時としては珍しく42,040人の市民がボランティアとして参加し[2]、日本におけるスポーツ国際大会運営のモデルケースとなった[2]。

1981年(昭和56年)の神戸ポートアイランド博覧会とともに[2]、「株式会社神戸市」に代表される宮崎市政が高い評価を受ける一因ともなっている。

神戸市ではこのユニバーシアード神戸大会開催に間に合わせるべく[2]、約750億円の総工費で神戸市高速鉄道(神戸市営地下鉄)を学園都市 - 新神戸間に延伸建設し[2]、「Universiade」の意味もかけて「みどりのUライン」と命名[2]。選手村と競技場間での特別選手輸送や観客輸送に活躍した[2]。

またこれに関連して「ユニバーシアードフェスティバル」「コウベグリーンエキスポ'85」「六甲北グリーンフェア住宅展」などの博覧会・イベントが神戸市内で開催された。

東西両陣営の参加による意義

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1964年東京オリンピックを上回る「日本史上最大規模の国際スポーツ大会」として開幕したユニバーシアード神戸大会を特に意義あるものにしたのは[2]、東西両陣営の参加だった[2]。オリンピックでは足なみがそろわず、前年のロサンゼルスオリンピックでも同様だっただけに、神戸大会が実現させた「スポーツに国境はない」という政治不介入の理想は高く評価された[2]。

アメリカ・ソビエト連邦とも史上最大の選手団を派遣したことは、神戸大会が持つ意味を端的に表していた[2]。また1988年(昭和63年)のソウルオリンピックに向けて歩み寄りの動きも表面化[2]。神戸大会は両陣営を結びつける絶好の機会となった[2]。このような背景を踏まえて、ソビエトは来日前から「神戸大会はソウル五輪へのワン・ステップ」との位置付けを公にしていた[2]。

政治の壁を乗り越えた象徴は、韓国と北朝鮮の同時参加であった[2]。両国とも大規模な選手団を送ったが、韓国は1988年(昭和63年)ソウルオリンピックの開催を控えているため、大変な意気込みであったと言われる[2]。北朝鮮も過去に役員参加の実績があるにもかかわらず、リ・チャンソン団長は「初参加」を強調した[2]。

神戸大会は東西両陣営がスポーツの場でより交流を活発化するために、その舞台づくりを演じたことにも大きな意義があった[2]。

開会式には皇太子昭仁親王・同妃美智子夫妻が出席した。106カ国、4,400人の選手・役員が参加し、10競技120種目で熱戦が行われた。地元日本からは選手団長帖佐寛章率いる大会史上最大の291人の選手が参加。また、神戸市及び近郊より、当時としては珍しく42,000人の市民がボランティアとして参加し、日本におけるスポーツ国際大会運営のモデルケースとなった。

日本国内のテレビ中継はNHKとサンテレビジョンが行った[3][4]。サンテレビの中継は独立U局11局にネットした[4]。また他の日本のマスコミも積極的に報道した。

招致と選定の経緯

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1981年(昭和56年)1月頃より神戸市はユニバーシアード招致計画を日本ユニバーシアード委員会、日本オリンピック委員会と日本体育協会に打診し、神戸ポートアイランド博覧会終了後の同年10月に立候補を表明[2]。11月のFISU総会でリオデジャネイロ、インディアナポリス、ザグレブを抑え開催が決定した[2]。ポートアイランドなどの都市開発、開発のため当時地方自治体としては珍しく欧州で発行していたマルク債、スイスフラン債などの神戸市債の実績及び知名度が貢献したとされる[2]。

1985年(昭和60年)ユニバーシアード神戸大会が決まると、当時日本サッカー協会理事及び日本オリンピック委員会常任理事でもあった岡野俊一郎が「日本サッカーにとって大学サッカーは重要」との考えから来日していた当時世界のスポーツ界に強い影響力を持っていた岡野の友人のホルスト・ダスラー(アディダス創始者アドルフ・ダスラーの息子)にユニバーシアード神戸大会からサッカーを正式競技にするため助力を頼んだ[2]。ホルスト・ダスラーはニューヨークにいたこれまた岡野の友人でもある国際大学スポーツ連盟(FISU)会長のプリモ・ネビオロを岡野に取り次いだ。岡野の依頼を承諾したネビオロFISU会長は、FISU実行委員会から最初反対を受けたが、ネビオロFISU会長が強引に規約を改正して、ユニバーシアード神戸大会から正式競技にした[5]。以後、サッカーはユニバーシアードの正式競技となっていた。

競技と会場

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ハイライト

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陸上競技では走高跳でソ連のイゴール・パクリンが世界新記録(2m41)を樹立。男女混合で実施されたマラソンでは女子で深尾真美が地元優勝を果たした(このとき、日本の男子選手の中には深尾よりもゴールに遅れた選手がおり、別の意味で話題になった)。

各国・地域のメダル獲得数

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順 国・地域 金 銀 銅 計
1ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦42222084
2アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国23222469
3 キューバ88521
4中華人民共和国の旗 中国77620
5ルーマニアの旗 ルーマニア社会主義共和国67619
6日本の旗 日本63716
7イタリアの旗 イタリア46515
8ブルガリアの旗 ブルガリア46414
9オランダの旗 オランダ3148
10朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮3137
10ポーランドの旗 ポーランド3137
12西ドイツの旗 西ドイツ24814
13オーストラリアの旗 オーストラリア2327
14大韓民国の旗 韓国2158
15ナイジェリアの旗 ナイジェリア2125
16ハンガリーの旗 ハンガリー1449
17イギリスの旗 イギリス1236
18ブラジルの旗 ブラジル1225
19メキシコの旗 メキシコ1102
20チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア1012
20ジャマイカの旗 ジャマイカ1012
22カナダの旗 カナダ06612
23フランスの旗 フランス0538
24ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア0123
25ニュージーランドの旗 ニュージーランド0101
25ポルトガルの旗 ポルトガル0101
25ウルグアイの旗 ウルグアイ0101
28コートジボワールの旗 コートジボワール0011
28モロッコの旗 モロッコ0011
Total123117128368

大会マスコット

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ユニバーシアード1985神戸大会のマスコットは、手塚治虫によるもので、タンチョウヅルの「ユニタン」。

イメージソング

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「ビューティフル ライバル」(歌:早見優 / 作詞:三浦徳子 / 作曲:林哲司 / 編曲:茂木由多加)

脚注

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  1. ↑ “ユニバーシアードに 発展途上国選手を招待”. ライオン誌 日本語版 ウェブマガジン. LION Magazine in japan (2020年12月). 2020年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年8月24日閲覧。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 『1985ユニバーシアード神戸大会公式報告書』1985年ユニバーシアード神戸大会組織委員会、1986年2月。
  3. 1 2 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'86』日本放送出版協会、1986年、224頁。
  4. 1 2 3 4 サンテレビジョン社史編纂委員会 編修『株式会社サンテレビジョン45年史』サンテレビジョン、2014年、31頁。
  5. ↑ 山本昌邦著『日本サッカー遺産-ワールドカップ出場舞台裏の歴史と戦略』P144~P145

関連項目

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