1986年の全日本F2選手権
| 1986年の全日本F2選手権 | |||
| 前年: | 1985 | 翌年: | 1987 |

1986年の全日本F2選手権は、1986年(昭和61年)3月8日 - 9日に鈴鹿サーキットで開幕し、同年10月31日 - 11月2日に鈴鹿サーキットで閉幕した全8戦によるシリーズである。
シーズン概要
[編集]ホンダエンジンのユーザーは前年と同じく4台で、'84年・'85年と全日本F2連覇を果たした中嶋悟は、本年からイギリス・ロンドン郊外に生活拠点を移し、欧州での経験値を高めるためとスーパーライセンスの獲得を確実なものとするために国際F3000選手権への本格参戦を開始[2]。全日本F2の開催週にその都度来日して参戦する体制となった[3]。ノバ・エンジニアリングは、F1シートを獲得できなかった'84ヨーロッパF2チャンピオンのマイク・サックウェルを起用、スポンサーにはマールボロ(フィリップモリス社)が付き赤白のマールボロカラーのマシンを走らせる[注釈 1]。ホンダエンジン搭載2年目の星野一義は新スポンサーとしてBY ZERO(大沢商会/当時西武セゾングループ)を獲得し、前年までの赤基調(LARKカラー)から青にカラーリングを一新。そして4台目のホンダエンジンはJPSカラーとなったヨコハマタイヤ装着の高橋国光車(JPS-NOVA)に搭載された。高橋国光がホンダエンジン車でレースを走るのは、オートバイレース参戦時代の1963年以来23年ぶりとなる[4]。
ホンダに対抗するエンジンメーカーは、前年からジェフ・リース、松本恵二を開発ドライバーとして実戦開発が行われていた5バルブエンジン、ヤマハ・OX66の市販[注釈 2]が開始され、ホンダに対して競争力の落ちていたBMWエンジンユーザーのほとんどがBMWに変えてOX66エンジンを使用し始めた。このエンジンの製作・最終調整にはケン・マツウラレーシングサービスがサプライヤーとなり大きな役割を果たした[5]。なお、松本は本年より日本たばこ産業(JT)の『キャビン』ブランドのイメージキャラクターに起用され、マシンがキャビンのパッケージカラーである赤いカラーリングとなった。このJTによるビッグプロジェクト「CABIN RACING」の発足に付き、松本はチームオーナー兼ドライバーとなった[6]。テレビCMにも出演し、同年のベストドレッサー賞を受賞などモータースポーツのメジャー化にも尽力する[7][8]。
開幕戦の鈴鹿2&4では、OX66エンジンで松本恵二がホンダユーザーの中嶋悟を抑えきり優勝しヤマハ・エンジンのF2初優勝をマークする[9]。第2戦富士は同じくOX66を積むジェフ・リースが中嶋を破り優勝[10]、第3戦西日本では優勝松本、2位エイエ・エリジュ、3位リースとヤマハ・OX66は開幕からの3連勝を1-2-3フィニッシュで飾るという理想的な展開でシーズン序盤をリードした[11]。
ホンダはパフォーマンス向上を狙い、エンジンを電子制御化[12]してこれに対抗すると、中嶋・星野・サックウェルにより以後5連勝を記録するなど形勢を逆転。ホンダユーザーの中嶋が全日本F2を3連覇、星野が鈴鹿F2のタイトルを獲得した。
シーズン中盤の8月初旬には、中嶋がロータス・ホンダのドライバーとして翌年のF1グランプリにフル参戦することが正式発表され[13]、本年が日本のレースを走る最終シーズンとなった[14]。
参戦車両の技術面では、ノバのサックウェル車は、前年型であるマーチ・85Jの空力を修正したものを主力マシンとして使用した。空力修正は主にマシン後部に重点が置かれ、リヤカウルの側面を絞ってディフューザー上面の空気の流れを改善。またリヤサスペンションのロワアームに、ウイング状のカバーを装備しダウンフォースを獲得している[15]。サックウェルはこの改良型85Jに乗って第6戦富士で中嶋、星野、松本を破り優勝した。
レイトンハウスは4月のテスト走行中に発生した萩原光の事故死[16][17]の後活動を中断していたが、第5戦鈴鹿からイヴァン・カペリをドライバーとして活動を再開[18][注釈 3]。カペリは日本で参戦した3レース中、2度表彰台に立つなど好結果を残した[19]。
エントリーリスト
[編集]| No. | ドライバー | シャシー/メンテナンス | エンジン/メンテナンス | タイヤ | エントラント |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | マーチ・86J / ヒーローズR | ホンダ・RA266E / 無限 | B | EPSON HEROES with NAKAJIMA | |
| 2 | マーチ・86J / セルモ | ホンダ・RA266E / 無限 | B | BY-ZERO ホシノレーシング | |
| 3 | マーチ・86J / 童夢 | ヤマハ・OX66 / 松浦 | D | DUNLOP FORMULA M2 ヤマハ (スピードボックス・モータースポーツ) | |
| 5 | マーチ・85J / スピードスター → マーチ・86J / スピードスター |
ヤマハ・OX66 / 尾川 | D | 佐川急便スピードスターレーシング | |
| 6 | マーチ・86J / スピードスター | ヤマハ・OX66 / 尾川 | D | スピードスターレーシング | |
| 7 | マーチ・86J / アストニッシュ | ヤマハ・OX66 / 松浦 | B | 由良拓也レーシングチーム | |
| 8 | マーチ・86J / セルモ | ヤマハ・OX66 / 東名 | B | CABIN RACING | |
| 9 | マーチ・86J / NOVA → マーチ・85J / NOVA |
ホンダ・RA266E / 無限 | B | Marlboro NOVA | |
| 10 | マーチ・842 / マスカーズR → マーチ・85J / マスカーズR |
BMW・M12/7 → ヤマハ・OX66 / ラ・ルオータ |
Y | たけしプロジェクト | |
| 11 | マーチ・85J / | ヤマハ・OX66 / 松浦 | B | 由良拓也レーシングチーム | |
| 12 | マウラー・MM81 / チームEquip | BMW・M12/7 / 戸田 | D | E-WING ワークSPL | |
| 16 | → → |
マーチ・86J / セルモ | ヤマハ・OX66 / 東名 | B | レイトンハウス |
| 18 | マーチ・86J / | ヤマハ・OX66 / 尾川 | B | CABIN RACING | |
| 24 | マーチ・86J / 東名 | ヤマハ・OX66 / 東名 | Y | アドバンスポーツ東名 | |
| 25 | マーチ・86J / アーバン | ホンダ・RA266E / 無限 | Y | チームJ.P.Sアドバン | |
| 26 | マーチ・86J / 重山レーシング | ヤマハ・OX66 / 土屋 | Y | アドバンスポーツ重山レーシング | |
| 33 | マーチ・85J / NOVA | ヤマハ・OX66 / 東名 | D | トライデント・清水レーシング | |
スケジュール及び勝者
[編集]| Rd. | 開催日 | 開催地 | イベント | 優勝者 | ポールポジション | ファステストL | 典拠 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 3月8-9日 | 鈴鹿 | 全日本BIG2&4レース | 松本恵二 | G.リース | [20] | |
| 2 | 4月19-20日 | 富士 | CARA 日本インターナショナルフォーミュラ選手権 | ジェフ・リース | 中嶋悟 | [21] | |
| 3 | 5月10-11日 | 西日本 | 全日本F2オールスターレース | 松本恵二 | 松本恵二 | G.リース | [22] |
| 4 | 5月24-25日 | 鈴鹿 | John Player Special トロフィー | 中嶋悟 | 中嶋悟 | 星野一義 | [23] |
| 5 | 7月5-6日 | 鈴鹿 | 鈴鹿ゴールデントロフィー | 星野一義 | 中嶋悟 | [24] | |
| 6 | 8月9-10日 | 富士 | RRC富士F2チャンピオンズ | マイク・サックウェル | 中嶋悟 | [25] | |
| 7 | 9月27-28日 | 鈴鹿 | 鈴鹿グレート20 2&4レース | 星野一義 | 中嶋悟 | [26] | |
| 8 | 10月31日-11月2日 | 鈴鹿 | JAF鈴鹿グランプリ自動車レース | 星野一義 | G.リース | [27] |
シリーズポイントランキング
[編集]- ポイントシステム
| 順位 | 1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 | 8位 | 9位 | 10位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ポイント | 20 | 15 | 12 | 10 | 8 | 6 | 4 | 3 | 2 | 1 |
※ベスト6戦による有効ポイント制
|
|
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ フィリップモリス社から依頼を受けたイアン・フィリップスがサックウェルのマネージメント兼フィリップモリスPR担当として帯同しており、本年の全日本F2の現場でフィリップスがレイトンハウスの赤城明代表と知人となったことが翌年レイトンハウス・マーチの誕生とF1参戦開始のきっかけとなった。出典:「特集MARCH」『グランプリ・エクスプレス1987年日本GP号』山海堂、1987年11月15日、26-27頁。
- ↑ 実際にはリース供給がほとんどを占めた。 出典:「松浦賢のOX66エンジン・トーク あの空白の3ヵ月をよく乗り越えた」『オートスポーツ vol.445』三栄書房、1986年5月1日、29頁。
- ↑ カペリがタイトル争いをしていた国際F3000選手権第10戦と開催日程が重なったため第7戦鈴鹿グレート20は欠場、代役としてその1戦のみ関谷正徳が参戦。関谷はレース歴14年目にしてF2デビューレースとなった。出典「SNAPVOICE 関谷正徳」『Racing On No.008』1986年12月1日、27頁。
出典
[編集]- ↑ 「シーズンの見どころTOP8 最強ホンダパワーを載む」『オートテクニック 5月号』山海堂、1987年5月1日、20-21頁。
- ↑ 「インタビュー中嶋悟「道」」『Racing On No.002』武集書房、1986年6月1日、38-47頁。
- ↑ 「誰の為でもなく 吉井妙子著」『GPX 1991日本GP直前情報号』山海堂、1991年10月23日、9頁。
- ↑ 「全日本BIG2&4レース」『オートスポーツ vol.445』三栄書房、1986年5月1日、22-23頁。
- ↑ 「松浦賢のOX66エンジン・トーク あの空白の3ヵ月をよく乗り越えた」『オートスポーツ vol.445』三栄書房、1986年5月1日、29-31頁。
- ↑ 「スポンサーのモータースポーツ観 民営”公社”とモータースポーツ界の初取引 日本たばこ産業株式会社キャビン」『オートスポーツ vol.445』三栄書房、1986年5月1日、98-99頁。
- ↑ 「社会認知への転換期のレース界 超大手スポンサーの参入・レース関係者は認識を変えるべし」『オートスポーツ vol.445』三栄書房、1986年5月1日、57頁。
- ↑ バブル期「CABIN RACING」からレースクイーン文化は始まった!? 国内モータースポーツ界を変革した懐かしのチームのマシンを紹介 AUTO MESSE WEB(2024年2月21日)
- ↑ 「1986全日本F-2選手権第1戦BIG2&4 開幕男・松本恵二 ヤマハF-2初優勝」『オートスポーツ vol.445』三栄書房、1986年5月1日、22-25頁。
- ↑ 「CARAインターナショナルカップ 全日本F2選手権第2戦 雨中の逆転劇リース+ヤマハ+BSの勝利」『Racing On No.002』武集書房、1986年6月1日、106頁。
- ↑ 「全日本F2選手権第3戦 F2オールスターレース 松本が緊迫戦を制す・ヤマハ1-2-3で3連勝」『Racing On No.003』武集書房、1986年7月1日、105頁。
- ↑ 「HIGH ANGLE 10 マーチ86J/ホンダ」『Racing On No.010』武集書房、1987年。
- ↑ 「特集・F1がまるごとわかる本 中嶋悟野望告白」『GORO 1987 No.17』小学館、1987年8月27日、30-33頁。
- ↑ 「走る人生 1986、夢への前夜祭 一志治夫」『GPX 1991ベルギー号』山海堂、1991年9月14日、12-13頁。
- ↑ 『オートスポーツ No.444』三栄書房、1986年、26頁。
- ↑ 「萩原光、菅生に死す」『Racing On No.002』武集書房、1986年6月1日、35頁。
- ↑ 「若手レーサー萩原光炎上死 レース用ベンツのテスト中に激突」『スポーツ報知』1986年4月8日、5面。
- ↑ 「ナカさんのF1人間研究所 イアン・フィリップス」『グランプリ・エクスプレス 1991年イタリアGP号』山海堂、1991年9月28日、14-15頁。
- ↑ 「特集/MARCH」『グランプリ・エクスプレス 1987年日本GP号』山海堂、1987年11月15日、26-27頁。
- ↑ 全日本BIG2&4レース F2チャンピオン 日本自動車連盟 (1986年月日)
- ↑ CARA International Cup フォーミュラ選手権 日本自動車連盟 (1986年4月20日)
- ↑ 全日本F2オールスター JAF・F2選手権 日本自動車連盟 (1986年5月11日)
- ↑ ジョン・プレーヤー・スペシャル トロフィーレース 日本自動車連盟 (1986年5月25日)
- ↑ 鈴鹿ゴールデントロフィー自動車レース 日本自動車連盟 (1986年7月6日)
- ↑ RRC富士F2チャンピオンズレース JAF-F2選手権 日本自動車連盟 (1986年8月10日)
- ↑ 鈴鹿グレート20 2&4レース F2チャンピオン 日本自動車連盟 (1986年9月28日)
- ↑ JAF鈴鹿グランプリ自動車レース F2チャンピオン 日本自動車連盟 (1986年11月2日)