1987年フィジークーデター
| 1987年フィジークーデター | |||||||
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| 衝突した勢力 | |||||||
| フィジー軍 |
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| 指揮官 | |||||||
| シティベニ・ランブカ | |||||||
| 戦力 | |||||||
| 不明 | 不明 | ||||||
| 被害者数 | |||||||
| 不明 | 不明 | ||||||
1987年フィジークーデター(1987ねんフィジークーデター)は1987年のフィジーで二度にわたって発生した軍事クーデター。国民連合党とフィジー労働党に対して、フィジー軍のシティベニ・ランブカ中佐が起こしたことで勃発した[1]。一連のクーデターにより英連邦から脱退し共和制に移行、1970年に発布された憲法も停止された[1]。
背景
[編集]フィジーではイギリス統治時代にサトウキビ農園での労働のために、イギリスから連れてこられたインド系住民がおり[2]、1970年のフィジー独立時にはフィジー系の住民を上回っていた[1]。その中でインド系住民が支持する国民連合党とフィジー労働党が連立を組んで同盟党に対し選挙で勝利した結果、インド系の閣僚がフィジー系閣僚を上回っていた[1][2]。
クーデター
[編集]1987年5月14日にフィジー軍は無血クーデターを起こしフィジーを掌握した[3]、このクーデターには選挙結果に不満を持っていた先住民の活動家などが関与していた[4]。その後クーデターの指導者であるランブカは、軍事評議会を設立し、ラトゥ・ペナイア知事は憲法を見直す委員会も設立した[5]。
2度目のクーデター
[編集]ラトゥ・ペナイアの行動に対しクーデターの指導者であるランブカは、5月クーデターの目的に反するとしてラトゥ・ペナイアを解任し、戒厳令を発令にした[5]。1987年末までにランブカは暫定政権を発足し、カミセセ・マラを暫定首相に置き、ラトゥ・ペナイアを大統領に就任させた[5]。1990年には新たな憲法が公布され、この憲法ではフィジー系、首長が政治権力の独占権を持つなどしていた[5]。
脚注
[編集]- 1 2 3 4 Kono, コウノミホ Miho (2018年5月17日). “もう歴史は繰り返さない:フィジー、民主政治定着への道のり”. GNV. 2026年7月5日閲覧。
- 1 2 “Japanese News and Notices » Embassy of Japan in Fiji” (jp). www.fj.emb-japan.go.jp. 2026年7月5日閲覧。
- ↑ Other, A. N. (2024年5月1日). “Occasional Paper 185: Fiji Coup 1987 – RAN on the ground” (英語). Naval Historical Society of Australia. 2026年7月5日閲覧。
- ↑ “Fiji, 1987-2007: The Story of Four Coups - Worldpress.org”. www.worldpress.org. 2026年7月5日閲覧。
- 1 2 3 4 “Fiji, 1987-2007: The Story of Four Coups - Worldpress.org”. www.worldpress.org. 2026年7月5日閲覧。