1988年イギリス労働党党首選挙
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1988年イギリス労働党党首選挙(1988ねんイギリスろうどうとうとうしゅせんきょ、英語: 1988 Labour Party leadership election)は、1988年10月2日にイギリスで行われた労働党党首の選挙である[1]。
概要
[編集]1983年、ニール・キノックはマイケル・フットの辞任を受けて労働党党首に就任した。党は左傾化しており、キノックは党の中道化に取り組んだ。1987年の総選挙では、キノックは労働党の選挙運動の中心に据えられ、選挙戦は次期首相を選出する「大統領選」に過ぎないという主張も出た。マーガレット・サッチャー率いる保守党は世論調査で労働党に7ポイント優勢で、議席を減らしたものの選挙に勝利しました[2]。
1988年初頭には、トニー・ベンがキノックに党首選挙へ再挑戦を検討しているという噂が広まった。63歳のベンは1983年の総選挙で落選したが、チェスターフィールド補欠選挙で勝利しわずか1年で議会に復帰した。1960年代から1970年代にかけて、ハロルド・ウィルソン政権とジェームズ・キャラハン政権で閣僚を務めましたが1981年以降の労働党が下野し、中道グループの分裂によって社会民主党が結成された状況で、ベンは党の副党首選挙に出馬するもデニス・ヒーリーを敗北した。
キノックはベンの挑戦に関する噂に対し、支持者を「自らの座に就く革命家」と呼び、潜在的な挑戦を「ばかげた陽動作戦」と呼びました[3]。
選挙データ
[編集]野党時は毎年開かれる定時党大会において党首選挙を実施する。しかし現職が在職中は党首選は形式的であり、現職以外の立候補は行われずに事実上、現職の再任を妨げず承認する。与党で現職党首が首相である場合、毎年の定時党大会において代議員の過半数の党首選実施の決議が可決されたときに実施する[1]。
党首
[編集]- 選挙前:ニール・キノック(第16代)
- 選挙後:ニール・キノック(第16代)
投票日
[編集]- 1988年10月2日[1]
選挙制度
[編集]- 選挙人団によるポイント制
- 労組ブロック - 40%。関係労組ごとに投票。党員1,000人で1票。
- 選挙区ブロック - 30%。選挙区労働党ごとに投票。党員1,000人で1票。
- 議員ブロック - 30%。議員1人1票。
投票方法
[編集]選挙権
[編集]被選挙権
[編集]- 議会労働党所属庶民院議員
- 立候補にあたっては、党所属庶民院議員20%の推薦が必要[1]。
候補者
[編集]| 候補者 | 出生日 出生地 |
経歴 |
|---|---|---|
ニール・キノック |
1942年3月28日(46歳) グウェント、トレデガー |
庶民院議員(6期)(1970-)[注 1] 陛下の野党党首/影の内閣首相(1983-) 影の教育科学大臣(1979-1983) 労働党党首(1983-) |
トニー・ベン |
1925年4月3日(63歳) ロンドン |
庶民院議員(13期) (1950-1960, 1963-1983, 1984-)[注 2] エネルギー大臣(1975-1979) 産業大臣(1974-1975) 技術大臣(1966-1970) 郵政長官(1964-1966) 労働党全国執行委員会議長(1971-1972) |
選挙結果
[編集]ブラックプールで開催された労働党年次大会で行われ、ニール・キノックが再選を果たした[5]。
候補者別得票結果
[編集]| 候補者 | 総計 | 労組ブロック投票 | 選挙区ブロック投票 | 議員ブロック投票 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 獲得pp | 得票数 | 得票率 | 獲得pp | 得票数 | 得票率 | 獲得pp | 得票数 | 得票率 | |||
| ニール・キノック | 88.63pp | 39.66pp | 5,605 | 99.15% | 24.13pp | 489 | 80.43% | 24.84pp | 183 | 82.81% | |
| トニー・ベン | 11.37pp | 0.34pp | 48 | 0.75% | 5.87pp | 119 | 19.57& | 5.16pp | 38 | 17.19% | |
| 総計 | 100.0pp | 40.00pp | 5,653 | 100.0% | 30.00pp | 608 | 100.0% | 30.00pp | 221 | 100.0% | |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 1983からイスルウィン選挙区、1970-1983まではベッドウェルティ選挙区選出。
- ↑ 1984からチェスターフィールド(選挙区)選挙区、1950-1960, 1963-1983まではブリストル・サウスイースト選挙区選出。
出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 宮畑建志「イギリス二大政党の党首選出手続―手続の民主化と党首の地位防衛」『レファレンス』2007年7月、136頁、2026年7月1日閲覧。
- ↑ “11 June 1987”. BBC News. 2011年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2015年4月5日閲覧.
- ↑ Oakley, Robin (1 February 1988). “Emperor Kinnock”. The Times. No. 62992. p. 10. The Times Digital Archiveより2015年4月5日閲覧.
- ↑ Leeds de Melo, J (2003), Primary elections and party conferences — Democracy in political parties: UK, France, Germany and Italy, Routledge, 202 p.
- ↑ Webster, Philip (3 October 1988). “Kinnock stunned by size of his election victory”. The Times. No. 63202. p. 4. The Times Digital Archiveより2015年4月5日閲覧.