1992年イギリス労働党党首選挙
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1992年イギリス労働党党首選挙(1992ねんイギリスろうどうとうとうしゅせんきょ、英語: 1992 Labour Party leadership election)は、1992年7月18日にイギリスで行われた労働党党首の選挙である[1]。
概要
[編集]1992年の総選挙における労働党の敗北により、党首ニール・キノックの党首辞任の表明をうけて実施された。
党首選には、2人の候補者が立候補したが、かねてからジョン・スミスの圧倒的勝利が予想されていた。
選挙データ
[編集]野党時は毎年開かれる定時党大会において党首選挙を実施する。しかし現職が在職中は党首選は形式的であり、現職以外の立候補は行われずに事実上、現職の再任を妨げず承認する。与党で現職党首が首相である場合、毎年の定時党大会において代議員の過半数の党首選実施の決議が可決されたときに実施する[1]。
党首
[編集]投票日
[編集]- 1992年7月18日[1]
選挙制度
[編集]- 選挙人団によるポイント制
- 労働党関係労働組合・社会主義団体(労組ブロック)、選挙区労働党(選挙区ブロック)、議会労働党所属庶民院議員・欧州議会労働党所属欧州議会議員(議員ブロック)の各得票数をポイント換算(総計100ポイント)して配分する[1][2]。
- 労組ブロック - 40%。関係労組ごとに投票。党員1,000人で1票。
- 選挙区ブロック - 30%。選挙区労働党ごとに投票。党員1,000人で1票。
- 議員ブロック - 30%。議員1人1票。
投票方法
[編集]選挙権
[編集]被選挙権
[編集]- 労働党所属庶民院議員
- 立候補にあたっては、党所属庶民院議員20%の推薦が必要[1]。
候補者
[編集]| 候補者 | 出生日 出生地 |
経歴 |
|---|---|---|
ジョン・スミス |
1938年9月13日(53歳) アーガイル郡ダルマリー |
庶民院議員(7期)(1970-)[注 1] 貿易大臣(1978-1979) 枢密院事務局担当大臣(1976-1978) エネルギー大臣(1975-1976) 影の財務大臣(1987-) 影の貿易・産業大臣(1984-1987, 1979-1982) 影の雇用大臣(1983-1984) 影のエネルギー大臣(1982-1983) |
ブライアン・グールド |
1939年2月11日(53歳) タラナキ地方ハウェラ |
庶民院議員(4期)(1974-1979, 1983-)[注 2] 影の環境大臣(1989-1992) 貿易産業大臣(1987-1989) 影の財務政務次官(1986-1987) |
選挙結果
[編集]候補者別得票結果
[編集]| 候補者 | 総計pp | 労組ブロック投票 | 選挙区ブロック投票 | 議員ブロック投票 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 獲得pp | 得票数 | 得票率 | 獲得pp | 得票数 | 得票率 | 獲得pp | 得票数 | 得票率 | |||
| ジョン・スミス | 91.05pp | 38.51pp | 4,822 | 96.27% | 29.41pp | 597 | 98.03% | 23.13pp | 229 | 77.10% | |
| ブライアン・グールド | 8.95pp | 1.49pp | 187 | 3.73% | 0.59pp | 12 | 1.97% | 6.87pp | 68 | 22.90% | |
| 総計 | 100.0pp | 40.00pp | 5,009 | 100.0% | 30.00pp | 609 | 100.0% | 30.00pp | 297 | 100.0% | |
圧倒的得票により、ジョン・スミスが党首に選ばれた。彼はこの後2年間党首を務めるが、1994年に急死してしまう。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 1983からモンクランズ・イースト選挙区、1970-1983まではノース・ラナークシャー選挙区選出。
- ↑ 1983からダゲナム選挙区、1974-1979まではサウサンプトン・テスト選挙区選出。