1999年の夏休み
| 1999年の夏休み | |
|---|---|
| 監督 | 金子修介 |
| 脚本 | 岸田理生 |
| 製作 | 岡田裕、岸栄司 |
| ナレーター | 前田昌明 |
| 出演者 | |
| 音楽 | 柳田ヒロ |
| 撮影 | 高間賢治 |
| 編集 | 冨田功 |
| 製作会社 |
|
| 配給 |
|
| 公開 |
|
| 上映時間 | 90分 |
| 製作国 |
|
| 言語 | 日本語 |
『1999年の夏休み』(せんきゅうひゃくきゅうじゅうきゅうねんのなつやすみ)は、1988年(昭和63年)3月26日公開の日本の映画[1][2][3]。製作はニュー・センチュリー・プロデューサーズとソニービデオソフトウェアインターナショナル、配給は松竹とニュー・センチュリー・プロデューサーズ[2][3]。監督は金子修介[3][4]。上映時間は90分[2][3]。
萩尾望都の漫画『トーマの心臓』を翻案した青春映画[4]。深津絵里の映画デビュー作として知られる[5]。出演する4人の少年役を女性が演じ、声優が声をあてるという演出がとられた[6]。
映画
[編集]あらすじ
[編集]1999年の日本、山深い地に建つ全寮制の男子校が夏休みに入り、教師や職員も去った寮に、帰省しない3人の少年だけが残された。この学院では最近、悠という少年が行方不明になっていた。隣接する湖に落ちたと推測されたが、遺体は上がっていなかった。
中学3年生の和彦は心を閉ざし、人を愛さない少年だった。だが、美しく、皆から好かれていた。同級生の直人も和彦を密かに愛していたが、和彦は気づかない。2年生の則夫はミソッカスで、優しい直人を愛し、直人に愛される和彦を嫌っていた。そんな学院に、悠に瓜二つな転入生の薫が現れる。
悠など知らないと不快がる薫は、弱々しかった悠とは逆で物怖じしない少年だった。薫に「悠を殺したのか」と問われ、和彦は薫と殴り合いになる。実は、悠は和彦に遺書を残して湖に投身していた。おどおどした性格の悠を嫌った和彦が、わざと苛めて遠ざけた末の事件だった。
和彦は生意気な薫に好意を持って行く。直人は和彦が離れて行くことを案じる。ある夜、母親が死んだと電話連絡を受けて、薫が一人で帰郷した。和彦は心配して後を追い、学院まで付き添って戻る。則夫は夜に電話など掛かって来なかったと訝る。直人は、やはり薫は悠だと思い至る。母親の死が悠の経歴であることを直人は知っていたのだ。悠は、死ぬことで和彦の心に消えない印象を残し、違う個性に生まれ変わって、和彦の愛を手に入れたのだ。
和彦は薫に好きだと告白する。薫は、自分が悠であり、和彦を罰するために現れたと語った。和彦は、許される方法は一緒に死ぬことだと知り、薫と共に湖に飛び込む。直人と則夫に救助されて和彦は生還したが、薫の姿は消えていた。
そんな学院に、悠や薫にそっくりな、もう一人の転入生が到着した。
キャスト
[編集]| 役名 | 役者 | 声優 | 各人物が翻案元『トーマの心臓』のどの人物に対応するか |
|---|---|---|---|
| 植村悠 | 宮島依里[注釈 1] | 宮島依里 | トーマ・ヴェルナー |
| 藤原薫 | 宮島依里 | 高山みなみ | エーリク・フリューリンク |
| 島田和彦 | 大寶智子 | 佐々木望 | ユリスモール・バイハン |
| 直人 | 中野みゆき | 村田博美 | オスカー・ライザー |
| 則夫 | 水原里絵 (現・深津絵里) | 水原里絵 | アンテ・ローエなど |
スタッフ
[編集]製作
[編集]最初はATGでの製作が進められ[8]、『キネマ旬報』1986年4月上旬号で、佐々木史朗ATG社長が「金子修介の『トーマの心臓』も行き詰っている。もう一つ面白くならないんだ。最終的には違う作品になるかもしれないけど、金子で一本やります。彼は助監督時代にいい脚本を何本か書いている、それと『家族ゲーム』の予告編がとても冴えてたんだ。面白い男だと思って一度一緒に仕事をしたかった」などと述べている[8]。
出演者は4人だけで、(公開当時の)近未来[注釈 2]を舞台に[4]少女が少年を演じるという大胆な演出がなされている。
スタッフロールには萩尾の名も『トーマの心臓』の作品名もクレジットされていないが、金子は翻案という形で萩尾に製作許可を取っている。
製作当初、金子が押井守に「これだけナーバスな映画を撮ってしまってこの後どういうものを撮ろうと思ってるの」「究極の一本を撮って終わりというんじゃないんだからな」と言われたことが映画パンフレットに記されている。
ノベライズ
[編集]再上映
[編集]2014年(平成26年)には、金子修介監督の『少女は異世界で戦った』公開を記念して、9月12日に『1999年の夏休み』の35ミリフィルムでの上映会が開催された[10][11]。
2018年(平成30年)には、公開30周年を記念してデジタルリマスター版が7月28日から上映された[12]。新宿での上映では連日長蛇の列をなしたという[13]。
舞台
[編集]2020年(令和2年)9月には、演出・構成を野口和美、ステージングをスズキ拓朗が手がけた舞台「1999年の夏休み 2020ver.」が上演された[14][15]。「2020ver.」には朝田淳弥、テジュ、砂原健佑、千葉冴太、中嶋海央、清水ゆり、蜂谷眞未、石井愃一が出演した[15]。また11月には別演出による「1999年の夏休み episode0」の上演が決定した[16]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ オープニングのタイトル表示直前とエンディングでスタッフロールに名前が載らない少年役(同じシーン・格好で登場)でも出演しているため、実質3役をこなした。
- ↑ 作品中には冒頭に登場する校舎の外壁や冒頭およびエンディングに登場する鉄道駅の柵や列車の車両後部に原子力のマークがついた看板やヘッドマークが付けられているほか、劇中では和彦が薫に対し「発電所の事故の後遺症でね、(和彦の親が)2人とも死んでしまった」と話すなど、その設定を匂わせる描写、小道具もみられる。なお、「夏休み」期間ではなかったが、実際に1999年9月30日に茨城県東海村で2人が死亡した、当時としては国内史上最悪の原子力災害である「JCO臨界事故」が起きている(参考までに劇中に登場する駅から臨界事故が起きたJCOまで、直線距離で約36キロメートルほどしか離れてない)。[独自研究?]
- ↑ ただし、エンディングを主として大幅に映画と違いがある。
出典
[編集]- ↑ “1999年の夏休み”. 松竹. 2024年6月8日閲覧。
- 1 2 3 “1999年の夏休み”. 日活. 2024年6月9日閲覧。
- 1 2 3 4
- 日本特撮・幻想映画全集 1997, p. 327, 「その他の特撮・幻想映画」
- 日本特撮・幻想映画全集 2005, p. 335, 「その他の特撮・幻想映画」
- 1 2 3 特撮全史 1980-90年代 2020, p. 159, 「SF傾向劇場映画」
- ↑ “深津絵里の映画デビュー作「1999年の夏休み」リマスター版公開”. 映画ナタリー. 2018年6月20日. 2024年6月8日閲覧.
- ↑ 高柳優 (2018年9月20日). “なぜ映画『1999年の夏休み』に恋する人が多いのか? 裏話と30年ぶりの秘話。”. livedoor News. 2024年6月8日閲覧.
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 “1999年の夏休み:作品情報”. 映画.com. 2024年6月8日閲覧。
- 1 2 野村正昭、塩田時敏「キネ旬クローズアップ CLOSE UP 君はATGを見たか 佐々木史朗インタビュー」『キネマ旬報』1986年4月上旬号、キネマ旬報社、104頁。
- ↑ “1999年の夏休み”. 角川ルビー文庫. 2024年6月8日閲覧。
- ↑ “「1999年の夏休み」上映会&トーク 金子修介監督が萩尾望都「トーマの心臓」を翻案の傑作”. アニメ!アニメ!. 2014年8月28日. 2024年6月8日閲覧.
- ↑ “金子修介監督新作公開を記念し「1999年の夏休み」を35ミリで上映!”. 映画.com. 2014年9月11日. 2024年6月8日閲覧.
- ↑ “深津絵里が美少年に!『1999年の夏休み』デジタルリマスター版公開”. シネマトゥデイ. 2018年7月26日. 2018年7月29日閲覧.
- ↑ 高柳優 (2018年9月12日). “30年ぶり上映「1999年の夏休み」に連日長蛇の列、なぜ注目浴びた?”. exciteニュース. 2024年6月8日閲覧.
- ↑ ステージナタリー編集部 (2020年7月30日). “野口和美×岸田理生「1999年の夏休み 2020ver.」に朝田淳弥ら”. ステージナタリー. 2024年7月23日閲覧。
- 1 2 “朝田淳弥、テジュが出演『1999年の夏休み 2020ver』の配信公演が決定”. SPICE (2020年11月20日). 2024年7月23日閲覧。
- ↑ “安川純平、テジュ、古谷大和が出演 舞台『1999年の夏休みepisode0』の再演が決定”. SPICE (2020年10月12日). 2024年7月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 『日本特撮・幻想映画全集』勁文社、1997年6月5日。ISBN 4-7669-2706-0。
- 『日本特撮・幻想映画全集』朝日ソノラマ、2005年12月30日。ISBN 4-257-03720-2。
- 講談社 編『特撮全史 1980-90年代 ヒーロー大全』講談社〈キャラクター大全〉、2020年1月7日。ISBN 978-4-06-512925-8。