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1999年の横浜ベイスターズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1999年の横浜ベイスターズ
成績
セントラル・リーグ3位
71勝64敗 勝率.526[1]
本拠地
都市 神奈川県横浜市中区
球場 横浜スタジアム
球団組織
オーナー 中部慶次郎
経営母体 マルハ
監督 権藤博
スローガン
LET'S PLAY AGAIN!
« 1998
2000 »

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1999年の横浜ベイスターズ(1999ねんのよこはまベイスターズ)では、1999年の横浜ベイスターズの動向をまとめる。

この年の横浜ベイスターズは、権藤博監督の2年目のシーズンである。

概要

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前年、権藤監督1年目で38年ぶりのセ・リーグ優勝と日本一を達成したチームは、球団史上初の連覇達成を期待されたが、開幕6連敗を喫する。マシンガン打線の好調を投手陣が無駄にするなど、投打のアンバランスが現れ開幕ダッシュには失敗。それでも5月以降は巻き返し、7月には広島や阪神を抜いて3位に浮上。しかし、打線は好調でも先発陣が打ちこまれる試合は相変わらず続き、11年ぶり優勝の中日に10ゲーム差を付けられて、3位でシーズンを終えた。

打撃陣は、円熟期のロバート・ローズはじめ、前年まで2年連続首位打者の鈴木尚典、大ベテラン駒田徳広、切り込み隊長の石井琢朗、2番の波留敏夫などが打ちまくって、リーグ打率は中日・巨人をしのぎ.294の1位で、本塁打も前年の100本から140本へと増えた。

一方、投手陣のチーム防御率は、前年の3.49から4.44へと大幅に低下した(この年の防御率1位は中日の3.39)[2]。先発の川村丈夫(17勝)と斎藤隆(14勝)が2人で31勝を挙げ、前年は故障でシーズンの大半を離脱していた福盛和男が三浦大輔と並んで9勝を挙げたが、前年に13勝(斎藤とともにチーム最多勝利)を挙げた野村弘樹は故障でわずか7試合登板・1勝に終わる。救援陣も、守護神の佐々木主浩は防御率1.93・19セーブを記録したが、シーズン途中で故障のため戦線離脱。中継ぎ陣は、プロ初勝利を含む6勝(2敗2セーブ・防御率2.16)を挙げた森中聖雄を除き、多くの投手が前年より成績を落とした[注 1]。斎藤隆・川村・三浦の先発3人の開幕から5月末までの勝敗は計7勝11敗、6月から連覇が絶望的になった9月26日までが31勝6敗の成績という成績であり、彼らの5月までの低迷がV逸の一因として挙げられている[3]。また前年に活躍した戸叶尚も前半戦で1イニング6四球のセ・リーグワースト記録を記録し、6月に出場選手登録を抹消されると、V逸が確定する前日の9月29日に対巨人24回戦(横浜スタジアム)で2勝目を挙げるまで一軍に復帰できなかった[4]。翌30日の対巨人25回戦(横浜スタジアム)で、当時3位のチームは2位の巨人相手に2対1で勝利したが、当時1になっていた中日の優勝マジックナンバーの対象チームは巨人だったため、この勝利により横浜は自軍のV逸を確定させる結果となった。権藤は同年の横浜について、先発投手から抑えまで投手陣に故障者が続出したことにより、前年は1点差で勝てていた試合を1点差で落とすようになったことがV逸の原因であると分析している。同日終了時点では66勝58敗、勝率.532という成績で、優勝した中日(79勝51敗、勝率.608)と10ゲーム差、2位巨人(73勝58敗、勝率.557)とは3.5ゲーム差で、中日には10勝15敗と大幅に負け越し、巨人にも12勝13敗、4位のヤクルト(60勝66敗、勝率.476)相手にも10勝13敗と負け越していた一方、5位の広島(53勝75敗、勝率.414)には16勝9敗、最下位の阪神(54勝77敗、勝率.412)には18勝8敗と大幅に勝ち越していた[5]。

シーズン終了後、ロッテを自由契約になった小宮山悟を獲得。一方で佐々木がフリーエージェント (FA) の権利行使を宣言してMLBのシアトル・マリナーズへ移籍し、チームは転換期を迎える。

横浜ベイスターズの当年及び近年のシーズン成績
年 最終成績 リ
丨
グ
試
合
勝 敗 分 勝
率
総
得
点
総
失
点
打
率
本
塁
打
盗
塁
犠
打
四
死
球
O
P
S
防
御
率
完
投
失
策
監
督
1999 リーグ3位3位13571640.526711639.2941407457488.7994.441577権藤博
1998 日本一優勝13679561.585642524.2771006368531.7513.49870権藤博
1997 リーグ2位2位13572630.533572548.27310587132596.7603.70778大矢明彦
1996 リーグ5位5位13055750.423571660.2708585133544.7354.672576大矢明彦
1995 リーグ4位4位13066640.508562588.26111460106544.7384.37964近藤昭仁
1994 リーグ6位6位13061690.469543535.2611073696525.7333.761370近藤昭仁
1993 リーグ5位5位13057730.438477544.2498769107507.6933.831566近藤昭仁
1992 リーグ5位5位13161691.469521553.2499787131468.6903.751580須藤豊
1991 リーグ5位5位13164661.492558535.26966130154487.7123.741861須藤豊
1990 リーグ3位3位13364663.492546563.2669086139493.7183.942658須藤豊
1989 リーグ6位6位13047803.370474594.26076106115382.6954.071990古葉竹識

チーム成績

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レギュラーシーズン

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オーダー変遷
開幕:4/25/16/17/28/19/1
1 遊石井琢朗 遊石井琢朗遊石井琢朗遊石井琢朗遊石井琢朗遊石井琢朗
2 中波留敏夫 中波留敏夫中波留敏夫中波留敏夫中波留敏夫中波留敏夫
3 左鈴木尚典 左鈴木尚典左鈴木尚典左鈴木尚典左鈴木尚典左鈴木尚典
4 二ローズ 二ローズ二ローズ二ローズ二ローズ二ローズ
5 一駒田徳広 一駒田徳広一駒田徳広一駒田徳広一駒田徳広一駒田徳広
6 右中根仁 右佐伯貴弘三ポゾ三ポゾ右中根仁[注 2]右佐伯貴弘[注 3]
7 三進藤達哉 三ポゾ右中根仁[注 4]右佐伯貴弘三進藤達哉三進藤達哉
8 捕谷繁元信 捕谷繁元信捕谷繁元信捕谷繁元信捕谷繁元信捕川﨑義文
9 投三浦大輔 投戸叶尚投福盛和男投斎藤隆投斎藤隆投福盛和男

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1999年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 中日-- 中日-- 中日-- 中日-- 中日-- 中日--
2位 巨人5.0 阪神2.5 巨人2.0 巨人5.0 巨人3.0 巨人6.0
3位 阪神 広島5.0 阪神4.5 横浜8.0 横浜8.5 横浜10.0
4位 広島6.5 ヤクルト 広島4.5 ヤクルト11.5 ヤクルト13.5 ヤクルト15.0
5位 ヤクルト 巨人7.0 横浜5.0 阪神12.5 阪神15.0 広島24.0
6位 横浜7.0 横浜7.5 ヤクルト8.0 広島14.0 広島20.0 阪神26.0
1999年セントラル・リーグ成績
順位球団勝敗分勝率差
優勝中日ドラゴンズ81540.600---
2位読売ジャイアンツ75600.5566.0
3位横浜ベイスターズ71640.52610.0
4位ヤクルトスワローズ66690.48915.0
5位広島東洋カープ57780.42224.0
6位阪神タイガース55800.40726.0

オールスターゲーム1999

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  • ファン投票
選出なし
  • 監督推薦
斎藤隆
川村丈夫
佐々木主浩
島田直也
谷繁元信
石井琢朗
ローズ
鈴木尚典

入団・退団 

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選手名 背番号 前所属 備考
投手
矢野英司 17

選手・スタッフ

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表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名タイトル成績回数
ローズ 首位打者.369初受賞
打点王153打点6年ぶり2度目
石井琢朗 盗塁王39個2年連続3度目
ベストナイン
選手名ポジション回数
ローズ二塁手3年連続5度目
石井琢朗遊撃手3年連続3度目
ゴールデングラブ賞
選手名ポジション回数
駒田徳広一塁手7年連続10度目
進藤達哉三塁手3年連続3度目

ドラフト

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網掛けの選手は逆指名による入団

順位選手名ポジション所属結果
1位 田中一徳外野手PL学園高入団
2位 木塚敦志投手明治大学入団
3位 村西哲幸投手比叡山高入団
4位 鈴木寛樹投手掛川西高入団
5位 南竜介投手報徳学園高入団
6位 七野智秀内野手PL学園高入団
7位 中野渡進投手三菱自動車川崎入団
8位 八馬幹典内野手三菱自動車京都入団

脚注

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注釈

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  1. ↑ 島田直也(前年60試合登板・5勝7敗1セーブ・防御率2.36)は39試合登板・0勝4敗4セーブ・防御率5.36、五十嵐英樹(前年40試合登板・5勝2敗1セーブ・防御率2.61)は24試合登板・0勝3敗2セーブ・防御率5.40、阿波野秀幸(前年50試合登板・4勝1敗・防御率4.67)は40試合登板・2勝8敗1セーブ・防御率6.32、横山道哉(前年53試合登板・4勝4敗・防御率3.09)は43試合登板・4勝3敗2セーブ・防御率4.93、関口伊織(前年42試合登板・4勝5敗・防御率4.10)は一軍登板なし。
  2. ↑ 偵察メンバーの福盛和男から交代。
  3. ↑ 偵察メンバーの斎藤隆から交代。
  4. ↑ 偵察メンバーの横山道哉から交代。

出典

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  1. ↑ “年度別成績 1999年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2016年9月22日閲覧。
  2. ↑ マシンガン打線はセ・リーグ記録のチーム打率.294も3位に沈む――プロ野球最強打線を振り返る
  3. ↑ 『神奈川新聞』1999年9月27日朝刊A版スポーツ17頁「1999Bフルマーク 「2けた」狙う三浦結果出ず」(神奈川新聞社 真野太樹)
  4. ↑ 『神奈川新聞』1999年9月30日朝刊スポーツB版13頁「1999 ☆Bフルマーク 苦しんだだけ 1勝の喜び大」(神奈川新聞社 鈴木昌紹)
  5. ↑ 『神奈川新聞』1999年10月1日朝刊B版スポーツ面16頁「1999 ☆Bフルマーク 最後まで全力 V逸つぐないに」(神奈川新聞社 鈴木昌紹)
  6. ↑ 『2000 ベースボール・レコード・ブック』ベースボール・マガジン社、1999年。ISBN 4-583-03622-1。
  7. ↑ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
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