1999年福岡水害・博多駅地下浸水事故
1999年福岡水害・博多駅地下浸水事故(1999ねんふくおかすいがい・はかたえきちかしんすいじこ)は、1999年(平成11年)6月29日に福岡県福岡市で発生した豪雨水害、および同市博多区の博多駅周辺で発生した地下空間への浸水事故である。活発化した梅雨前線によって福岡市では午前8時から9時までの1時間に77.0 mmの雨量を観測し、御笠川の溢水と市街地の内水氾濫により、博多駅周辺の道路、地下街、地下鉄駅、ホテル、オフィスビル地下階などが相次いで浸水した[1][2]。
博多駅筑紫口近くの東福第二ビル地下1階では、飲食店で開店準備をしていた女性従業員が逃げ遅れて死亡した[1]。この水害は、雨が小降りになり道路の水がいったん引き始めた後、御笠川からの氾濫水によって再び水位が上昇した点に特徴があり、地下空間にいた人々や施設管理者に河川溢水の情報が届かなかったことが大きな問題とされた[3]。事故後、地下空間洪水対策研究会は緊急的な浸水対策を取りまとめ、地下空間管理者への洪水情報伝達、避難体制の確立、浸水防止施設の整備などが課題として示された[4]。
背景
[編集]1999年6月23日から7月3日にかけて、梅雨前線と低気圧の影響で西日本から北日本にかけて断続的な大雨となった。気象庁はこの事例を「梅雨前線、低気圧 平成11年(1999年)6月23日~7月3日」として記録しており、福岡市で地下街への浸水害が、広島県で土砂災害が発生したとしている[5]。
福岡市では、28日夕方から降雨が続き、29日朝に雨が集中した。福岡市大濠の観測では、28日16時から30日7時までの連続雨量は166.5 mm、最大日雨量は160.0 mm、最大時間雨量は29日8時から9時までの77.0 mmであった[1]。国土交通省資料では、福岡管区気象台で午前7時43分からの1時間に79.5 mmを観測し、同気象台における6月の1時間雨量として当時の観測史上最大であったとされる[6]。
福岡市内では御笠川が3か所で溢水し、博多駅周辺では最大約1 mの浸水となった。市内では死者1人、床上浸水708棟、床下浸水703棟、半壊家屋2棟の被害が報告され、地下鉄・JRの運休、道路の通行不能、地下街やホテルの営業不能なども発生した[1]。
浸水の経過
[編集]雨水による最初の冠水
[編集]博多駅周辺では、まず排水能力を超えた雨水による内水氾濫が発生した。福岡市は1時間52 mmの雨に対応できる雨水排水施設を整備していたが、29日朝の雨量はこれを大きく超え、道路に行き場を失った雨水があふれた[6]。
東福第二ビル周辺でも、午前9時頃には道路が水に覆われていた。ビルには高さ約40 cmの止水板が設置され、水位はその直下に達した。道路を走る車が起こす波が止水板を越えることもあったが、この時点では車両はまだ通行していた[1]。
しかし午前9時を過ぎると雨は弱まり、9時から10時までの降雨量は15 mmに下がった。午前10時頃には道路上の水も引き始め、現場では豪雨の最悪期は過ぎたと受け止められた。東福第二ビルでは数年前にも大雨による浸水があり、その際は止水板や土のうで対応した後に水が引いたため、今回も同様に収まると考えられていた[1]。
御笠川からの第二波
[編集]道路の水が引き始めた一方で、博多駅東側を流れる御笠川では上・中流域に降った雨が流下し、水位が急上昇していた。国土交通省資料によれば、午前10時過ぎから11時までの間に、比恵大橋付近から東光橋付近までの約1 kmで川の水が相次いであふれ、駅に向かって低くなる地形に沿って博多駅周辺へ流れ込んだ[6]。
添付資料の聞き取りでは、9時過ぎに道路へたまっていた水は比較的透明だった一方、10時半頃から地下へ入った水は濁り、ゴミや空き瓶を伴っていたとされる[1]。土木学会の洪水氾濫解析でも、博多駅周辺の浸水深は8時から9時にかけて増加し、さらに10時30分頃から急増しており、前者は豪雨、後者は氾濫流によるものとされている[7]。
東福第二ビルの死亡事故
[編集]東福第二ビルは、博多区博多駅東2丁目のオフィス街にあったビルで、博多駅筑紫口から近く、御笠川からは数百メートル離れていた。周辺は博多駅方面へ低くなる地形で、過去にも大雨後の排水不良による浸水を経験していたが、近年に御笠川の氾濫による被害は経験していなかったとされる[1]。地下1階には駐車場、喫茶店、串揚げ店があり、死亡した女性従業員は事故当時、串揚げ店で開店に備えた仕込み作業をしていた[1]。
同ビルには高さ約40 cmの止水板が設置されていた。午前9時頃には道路が冠水し、水位は止水板の直下に迫っていたが、道路上の車両はまだ通行でき、車が起こす波が止水板を越える程度であった。午前10時頃には道路の水がいったん引き始めたため、管理人やテナント側には、このまま水が収まるとの受け止めがあった[1]。
しかし午前10時以降、御笠川の溢水に伴う氾濫水が博多駅方面へ流れ込み、ビル周辺の水位は再び上昇した。午前10時15分頃には水が止水板を越え始め、さらに道路面と同じ高さに設けられていた駐車場の換気窓から、濁水が地下駐車場へ勢いよく流入した[1][6]。国土交通省資料は、このビルの壁面には道路と同じ高さの通気口が5か所あり、そこから濁水が地下駐車場へ流れ落ちたとしている[6]。
浸水を見た管理人は、店の車を地下駐車場から移動するよう女性従業員に伝えたが、鍵がなく車は動かせなかった。この時点で従業員に慌てた様子はなく、管理人も強い危機感を持っていなかったとされる[1]。午前10時20分頃には、隣接する喫茶店の経営者が地下へ通じる外階段に土のうを積み、女性従業員に声をかけたが、従業員は通常どおり仕込みを続けていた[1]。
午前10時30分頃、管理人が地下へ降りた時点で、駐車場にはくるぶしほどの水がたまっていた。その後、水位は急速に上昇し、午前10時40分頃にビルは停電した[1]。喫茶店経営者は内階段を通って地上へ脱出したが、串揚げ店の女性従業員の姿は見当たらなくなっていた[1]。
資料が引用する報道によれば、女性従業員はこの頃、串揚げ店の店主へ電話をかけ、店内に水が入り脱出できないかもしれないとして救助を求めた。その後、電話の向こうで悲鳴が聞こえ、通話は途絶えたとされる[1]。資料は、管理人の証言や駅周辺の浸水時刻から、死亡時刻は午前10時40分頃と推定している[1]。
管理人は直後に119番通報を試みたが、電話はつながらなかった。資料では、停電によってビル内の構内交換機が機能しなくなった可能性が示されている。その後、別の従業員が携帯電話で店主に連絡し、店主から119番通報が行われた。福岡市消防局が救助要請を受けたのは午前11時15分で、消防隊は11時24分に現場へ到着した[1]。
消防隊の到着時、地下空間は濁水で満たされ、内部構造も複雑であった。潜水装備を備えた部隊の到着にも時間を要し、女性従業員が収容されたのは12時34分であった[1]。国土交通省資料は、地下の水位が最終的に床から約3 mに達して地下空間がほぼ満水状態となったこと、外開きだった店舗扉が水圧で開かず、従業員が店内に閉じ込められたとみられることを記している[6]。
事故後の聞き取りで、管理人は、御笠川があふれているという情報が入っていれば館内放送ですぐ避難させていたと述べている[1]。資料は、東福第二ビルでは過去の雨水浸水の経験から今回も水が引くと考えられ、御笠川の溢水情報が届かなかったため、周囲の水が通常の冠水ではなく河川氾濫水であるとの認識を持てなかったことが避難の遅れにつながったとしている[1]。
周辺地下空間の状況
[編集]博多都ホテル
[編集]博多都ホテルでは午前10時半頃、地下駐車場の出入口から濁った水が流入し、地下1階の駐車場を経て、従業員ロッカー室や倉庫、パン焼き工場などがある地下2階へ水がたまり始めていた[1]。
当時勤務していた従業員は、非常階段を通って地下のロッカー室へ向かった。階段には土のうの隙間から水が流れ、地下に着いた時点で水位はすね付近まであった。ロッカー室の扉は水圧または漂流物の影響で開かず、扉を開けようとしている数分の間に水位は膝下近くまで上昇した[1]。
引き返そうとしたところ、来る時には降りていなかった防火シャッターが閉じていた。地下には複数人が残されており、内外から人が力を合わせたことで防火扉が開き、全員が地上へ脱出した。その直後、非常階段を上がる途中で停電したとされる[1]。資料は、この事例について、地下階の浸水では水圧や浮遊物によって扉が開かなくなる危険があることを示すものとしている[1]。
博多ターミナルビル
[編集]博多駅のターミナルビルでは、午前8時15分頃に一度水が入り、土のうで抑えられた。しかし10時過ぎには地上部で水位がもも付近まで上がり、10時半頃から地下への浸水が始まった。11時半には九州電力からの送電が止まり、停電により全店が閉店した[1]。
地下1階の喫茶店では、9時過ぎから天井の水漏れが見られたが、営業は続いていた。10時頃には通路を走って地上へ向かう客が現れ、11時頃には客がいなくなり、通路は騒然となった。店員は、御笠川の氾濫だけでなく、地上が広く冠水していることも知らなかったとされる[1]。
同じ頃、地上階の店主らは地下へ通じるエスカレーター周辺を段ボールなどで囲い、水の流入を防ごうとしたが、効果はなかった。この場でも御笠川が氾濫しているという認識はなかった[1]。
福岡市営地下鉄博多駅
[編集]福岡市営地下鉄博多駅では、午前10時42分から筑紫口側で浸水が始まった。水は隣接する建物の入口を経由して駅構内へ入り、職員らは土のうで対応した。11時過ぎには筑紫口側の出入口6か所に人員を配置して出入りを止め、博多口側の出入口に利用を制限した[1]。
地下鉄は当初運行を続けたが、軌道上の水深が約20 cmになったため、12時5分に空港駅から中洲川端駅の間で運転を停止した。駅では4台の排水ポンプによる排水が行われ、15時46分に運転が再開された[1]。
当時、地上道路の水位は腰付近まで達し、流速も川に近かったとされる。それでも駅長は、浸水時には御笠川が溢水したという認識を持っておらず、雨がやんだため水位は下がると考えていた。川の氾濫を知ったのは昼過ぎだった[1]。
溢水情報の伝達
[編集]福岡市消防局では、29日6時50分の大雨洪水警報を受けて災害警戒本部を設置した。8時前から市内の道路・住宅浸水に関する119番通報が入り、消防団が安全確認や土のう積みに追われたが、当初は降雨による一時的な冠水と捉えられていた[1]。
午前9時45分には、御笠川付近の小学校長から博多消防署に、川があふれそうだという連絡が入った。博多署は消防団堅粕分団に出動を要請し、消防団は10時に出動、10時10分に応援要請を行った。しかし消防局に伝わったのは応援要請であり、溢水そのものの情報ではなかったとされる[1]。
福岡県側では、板付橋の水位が9時に1.3 mまで上昇したことを把握し、9時30分に大野城市役所、9時40分に福岡市博多区役所へ電話で連絡した。通常はFAX送信後に電話確認を行う手順だったが、当日は電話・FAXがつながりにくく、電話のみで行われた。この情報は福岡市消防局には伝わらなかった[1]。
板付橋では9時50分に警戒水位へ達し、10時には危険水位1.8 mを超えて2 mに達した。10時10分には板付橋付近で御笠川が溢水したとの情報が那珂土木事務所に入り、10時20分には県本庁にも届いた。しかし、すでに出動要請を行っていたことを理由に、博多区役所へ改めて溢水情報は連絡されなかった[1]。
博多駅に近い比恵橋では、福岡土木事務所の職員が9時に事務所を出発したが、市内各所の災害対応や交通渋滞により、到着は10時20分となった。到着時には水位が橋の高さまで上昇し、上流の両岸から周辺地域への溢水が始まっていた。この情報は福岡市河川管理課へ連絡されたが、消防局には届かなかった[1]。
東京大学CIDIRの報告書は、御笠川の溢水情報が博多駅周辺に伝えられなかったことを主な問題として整理し、地下街などの地下空間を、都市中心部にありながら災害に対して脆弱な「情報過疎地域」と位置づけた[3]。
影響と対策
[編集]この水害を受け、地下空間洪水対策研究会は福岡市で現地調査を行い、地下空間における緊急的な浸水対策を取りまとめた。1999年8月30日、国土庁、運輸省、消防庁、建設省は、地下空間では豪雨や洪水が短時間で流入した場合、停電や天井付近までの冠水など地上とは異なる被害が発生する恐れがあるとして、対策の実施を通知した[4]。
同通知は、地下空間での豪雨・洪水に対する危険性の事前周知、洪水時の地下空間管理者への情報伝達、避難体制の確立、地下施設への流入防止などを緊急的な対策として挙げた[4]。国土交通省資料も、出入口の止水板や防水扉だけでは限界があり、洪水時には避難が重要で、そのためには地下空間の危険性を平時から周知し、洪水時に情報が迅速に伝わる必要があるとしている[6]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 “第1章 1999年福岡水害と災害情報の伝達”. 2026年9月9日閲覧。
- ↑ “1999年6月福岡市の都市型水害”. 日本自然災害学会. 2026年9月9日閲覧。
- 1 2 “報告書 都市水害における住民心理と情報伝達”. 東京大学大学院情報学環総合防災情報研究センター (2001年10月1日). 2026年9月9日閲覧。
- 1 2 3 “地下空間における緊急的な浸水対策の実施について”. 内閣府防災情報のページ (1999年8月30日). 2026年9月9日閲覧。
- ↑ “梅雨前線、低気圧 平成11年(1999年)6月23日~7月3日”. 気象庁. 2026年9月9日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 “[検証]1999年の災害 6月末梅雨前線豪雨 REPORT1 福岡県福岡市”. 国土交通省. 2026年9月9日閲覧。
- ↑ “1999年6月福岡水害における博多駅周辺の洪水氾濫解析”. CiNii Research. 2026年9月9日閲覧。