2000年フィジークーデター
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| 衝突した勢力 | ||||||||||
| フィジー | フィジー軍 | 武装勢力 | ||||||||
| 指揮官 | ||||||||||
| カミセセ・マラ | フランク・バイニマラマ | ジョージ・スペイト | ||||||||
| 戦力 | ||||||||||
| 不明 | 不明 | 不明 | ||||||||
| 被害者数 | ||||||||||
| 警官1名 | 不明 | 不明 | ||||||||
2000年フィジークーデター(2000ねんフィジークーデター)は、2000年5月19日に発生した。フィジーの首相マヘンドラ・チョードリーに対して武装集団がおこしたクーデター一連のクーデターによりカミセセ・マラ大統領によって解任され、カミセセ・マラ大統領は、バイニマラマ司令官に大統領権限を委譲したがのちにジョセファ・イロイロが大統領に就任した[1]。
背景
[編集]このクーデターが起こる1年前に、マヘンドラ・チョードリーが初のインド系住民として初の首相になっていたが、インド系住民とフィジー系住民の間で対立が深まっていた、それによりフィジー系住民が現政権に対するデモを行っていた[1]。
クーデター
[編集]2000年5月19日に7名の覆面を被った武装集団が国会を襲撃しチョードリー首相や閣僚、議員を人質にして立てこもった[2][3]、その後武装集団の主導者であるジョージ・スペイトが、「フィジー系住民による暫定政権樹立」を宣言した[1]、それを受けカミセセ・マラ大統領は非常事態を宣言した[3]。クーデター後首都スバでは群衆が暴動をおこした店を焼き払い略奪を行った、また国会の外には5000人もの人が集まり攻撃を支持し歓声をあげた[3]。5月20日ジョージ・スペイトが暫定首相就任を宣言し、野党議員のラツー・チモシ・シラトルが暫定大統領に就任したと宣言した[1]。5月21日に、武装集団は政権の承認と、マラ大統領の辞任を求めた認められない場合は、人質を殺害するとした。5月27日には国会近くで銃撃戦が発生し政府軍兵士2名、通信社カメラマン1名が負傷した[4]。そしてマラ大統領が記者会見を行い、チョードリー首相、全閣僚の解任そして6か月の国会の停会、暫定政権の樹立の方針を発表した[4]。5月28日にはスペイトの支持者が国営テレビ局を襲撃した、一連の襲撃で武装していない警官1名が殺害された[5]。
軍事クーデター
[編集]5月29日にマラ大統領は辞任し[1]、軍は戒厳令を布告し全権を掌握した、そして30日にはバイニマラマは1997年憲法の破棄し暫定軍事政権首長兼司令官として、命令によって統治すると発表した[4]。5月31日バイニマラマは軍政は3年続くとした[1]。6月15日に軍は1997年憲法を復活させると発表した[1]。7月13日チョードリー首相含め全員が解放された、同日、首長大評議会はジョセファ・イロイロを新大統領に任命した[1]。7月1日新大統領は武装集団に対して免責を与えた、そのため武装勢力は国会を明け渡した、そして7月18日ジョセファ・イロイロ新大統領が正式に就任し、首相にはライセニア・ガラセが就任した[1]。その後クーデターの主導者であるジョージ・スペイトは軍によって逮捕された[6]。
脚注
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 “フィジー・クーデター:クロノロジー”. 一般社団法人太平洋協会. 2026年5月5日閲覧。
- ↑ “在フィジー日本国大使館” (2010年4月). 2026年5月5日閲覧。
- 1 2 3 Tran, Mark (2000年5月19日). “Fiji's PM seized in coup”. The Guardian (イギリス英語). ISSN 0261-3077. 2026年5月5日閲覧.
- 1 2 3 “JAIPAS”. www.jaipas.or.jp. 2026年5月5日閲覧。
- ↑ Landsberg, Mitchell (2000年5月29日). “Fijian Police Officer Killed During Melee” (英語). Los Angeles Times. 2026年5月5日閲覧。
- ↑ Staff (2000年7月26日). “Fiji: Speight reported arrested”. The Guardian (イギリス英語). ISSN 0261-3077. 2026年5月5日閲覧.