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2003年のオリックス・ブルーウェーブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2003年のオリックス・ブルーウェーブ
成績
パシフィック・リーグ6位
48勝88敗4分 勝率.353
本拠地
都市 兵庫県神戸市須磨区
球場 Yahoo! BBスタジアム
球団組織
オーナー 宮内義彦
経営母体 オリックス
球団社長 岡添裕(9月3日辞任)
小泉隆司(9月3日就任)
監督 石毛宏典(4月23日まで)
レオン・リー(4月24日から)
選手会長 三輪隆
キャッチフレーズ
FEEL THE BALLPARK REVOLUTION 〜熱くなろう神戸〜
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2003年のオリックス・ブルーウェーブでは、2003年のオリックス・ブルーウェーブの動向についてまとめる。

この年のオリックス・ブルーウェーブは、石毛宏典監督の2年目のシーズンである。キャッチフレーズは「FEEL THE BALLPARK REVOLUTION 〜熱くなろう神戸〜」。

概要

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前年39年ぶりの最下位になった要因である打撃陣のテコ入れとして、ロッテオリオンズなど3球団で活躍したレオン・リーを打撃コーチに招聘。また、かつての守護神平井正史をトレードで中日ドラゴンズへ放出し山﨑武司を獲得。新外国人もホセ・オーティズやルーズベルト・ブラウンが加入し、大リーグから吉井理人が6年ぶりに日本球界に復帰し、さらには大リーグ帰りのマック鈴木をドラフト2位で獲得するなどの戦力強化を行なったことから、チームは4年ぶりのAクラス入りも期待された。しかし故障者が多く戦力は明らかに整っておらず、開幕から投打も嚙み合わず最下位を独走。わずか開幕1か月(20試合目)で石毛が解任され、レオン打撃コーチが監督に就任する事態となった。石毛解任時、一軍ヘッド兼バッテリーコーチの中尾孝義も一緒に辞任する予定だったが、レオンが中尾の残留を望んだ。しかし結局シーズン途中の6月8日に解任され[1]、二軍監督の中沢伸二が一軍ヘッドコーチに昇格、球団OBの加藤英司が二軍監督に就任するなどドタバタ劇が続いた。

監督交代もチームのカンフル剤にはならず、開幕以降最下位を抜け出せなかった。最終的に48勝88敗4分で2年連続の最下位となり、レオン監督は1年で解任された。チーム防御率5.95、失点927、被安打1534、被打率.306はNPB史上ワースト記録である[2]。対戦成績でも2年連続全球団に負け越す結果となり、大阪近鉄バファローズと日本ハムファイターズには13勝15敗と健闘したが西武ライオンズとロッテには6勝21敗1分と大きく負け越した。また優勝した福岡ダイエーホークスとは11勝17敗ながら、8月1日の対戦(ヤフーBB)でパ・リーグ記録となる29失点(1得点)を喫するなど、20失点以上を喫した試合がその試合を含め4試合もあり[3]、年間28試合で計242失点とカモにされる形となった。

チームの打撃成績は174本塁打でリーグ3位と好調で、課題であった貧打は解消されたが、チーム得点は652で、リーグ最下位のロッテより1点多いだけだった。レオン監督は打撃偏重のスタメンを組むことが多く、守備軽視の影響からチーム合計132失策とエラーが急増し、それに伴い5月頃から二桁失点の試合も急増、ただでさえ駒不足だった投手陣が崩壊した。

エースとして期待されたユウキや抑え候補だった大久保勝信、山口和男ら主力投手陣が故障で全く投げられなかったのが大きな誤算で、さらに左のエース格である金田政彦や具臺晟の度重なる離脱や、復活を目指す川越英隆の不調も手痛かった。また打線強化の為に外国人野手3人制を採ったため、前年奮闘したエド・ヤーナル投手を解雇した事も影響した。シーズン途中に投手陣の崩壊を見かねて、スコット・シェルドン内野手を二軍に降格させてジェイソン・フィリップス投手を緊急補強するも、一時しのぎにしかならなかった。新戦力の山崎と両外国人野手はまずまずの打撃成績を残したが、オーティズが24失策、外野手のブラウンが12失策など、守備崩壊の一因となり、吉井やマックの大リーグ組は投げるたびにKOされるなど期待に応えられなかった。

個人成績では谷佳知が打率2位となる.350をマークし、プロ11年目の塩谷和彦も規定打席に到達し3割を打った。三輪隆も8本塁打と打撃では気を吐いたが守備面では苦労した。投手陣ではリリーフに回った小倉恒やルーキー加藤大輔が疲労で成績を落としたものの健闘し、2年目本柳和也も終盤ローテーション入りして希望を見せた。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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オーダー変遷
開幕:3/285/26/17/48/19/1
1 中谷佳知 遊進藤達哉三大島公一三大島公一三大島公一一塩谷和彦
2 二平野恵一 二オーティズ遊後藤光尊遊平野恵一遊平野恵一三大島公一
3 左ブラウン 中谷佳知中谷佳知中谷佳知中谷佳知中谷佳知
4 三シェルドン 左ブラウン左ブラウン左ブラウン左ブラウン左ブラウン
5 一オーティズ 三シェルドン一塩谷和彦指山﨑武司指山﨑武司二オーティズ
6 右塩谷和彦 右葛城育郎二オーティズ一塩谷和彦二オーティズ指山﨑武司
7 指山﨑武司 指山﨑武司指山﨑武司右竜太郎一進藤達哉右葛城育郎
8 遊進藤達哉 一塩谷和彦右竜太郎二オーティズ捕前田大輔捕日高剛
9 捕三輪隆 捕日高剛捕日高剛捕三輪隆右葛城育郎遊平野恵一
投吉井理人投徳元敏投土井雅弘投マック鈴木投マック鈴木投具臺晟

[4]

2003年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 ダイエー-- ダイエー-- ダイエー-- ダイエー-- ダイエー-- ダイエー--
2位 近鉄2.0 近鉄1.0 近鉄 近鉄5.0 西武5.0 西武5.5
3位 西武2.5 西武5.0 西武1.5 西武5.5 近鉄6.5 近鉄8.5
4位 日本ハム3.0 日本ハム8.0 日本ハム9.5 日本ハム10.5 日本ハム14.0 ロッテ14.0
5位 ロッテ ロッテ8.5 ロッテ9.5 ロッテ15.0 ロッテ20.5 日本ハム19.5
6位 オリックス4.5 オリックス13.5 オリックス18.5 オリックス21.0 オリックス32.0 オリックス33.5
期間
成績
10勝14敗1分
勝率.417
5勝16敗1分
勝率.238
6勝15敗
勝率.286
10勝9敗1分
勝率.526
4勝19敗1分
勝率.174
13勝15敗
勝率.464
2003年パシフィック・リーグ成績
順位球団勝敗分勝率差
優勝福岡ダイエーホークス82553.599---
2位西武ライオンズ77612.5585.5
3位大阪近鉄バファローズ74642.5368.5
4位千葉ロッテマリーンズ68693.49614.0
5位日本ハムファイターズ62744.45619.5
6位オリックス・ブルーウェーブ48884.35333.5

オールスターゲーム2003

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  • 選出選手
ポジション名前選出回数
捕手三輪隆初
内野手塩谷和彦初
外野手谷佳知3
  • 太字はファン投票による選出。

できごと

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選手・スタッフ

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表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名タイトル成績回数
谷佳知 最多安打189本初受賞
ベストナイン
選手名ポジション回数
谷佳知外野手3年連続4度目
ゴールデングラブ賞
選手名ポジション回数
谷佳知外野手3年連続3度目

ドラフト

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順位選手名ポジション所属結果
自由獲得枠 歌藤達夫投手ヤマハ入団
1巡目 (選択権なし)
2巡目 柴田誠也投手北海道尚志学園高入団
3巡目 (選択権なし)
4巡目 嶋村一輝内野手九州国際大学入団
5巡目 野村宏之投手近畿大学入団
6巡目 松村豊司投手立命館大学入団
7巡目 小島昌也外野手自由ケ丘高入団
8巡目 由田慎太郎外野手早稲田大学入団

出典

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  1. 1 2 スポーツニッポン2023年9月28日、11版、中尾孝義の我が道㉗、湘南、オリックスから阪神へ
  2. ↑ “投壊オリックスにファン悲鳴! 暗黒時代の「悪夢の2003年」の再来か?”. 週刊野球太郎. 2022年12月15日閲覧。
  3. ↑ その他に6月17日(11-21)・7月27日(7-26)・9月14日(11-20)。
  4. ↑ 『2004 ベースボール・レコード・ブック』ベースボール・マガジン社、2003年。ISBN 4-583-03778-3。
  5. ↑ “プロ野球 9点差以上逆転劇は史上9度目/一覧”. 日刊スポーツ. 2017年5月7日閲覧。
  6. ↑ “オリックス・バファローズ Legend Of Bs2013 Miracle!夢が叶ったあの時”. オリックス・バファローズ. 2015年10月12日閲覧。
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