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2010年ミャンマー総選挙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2010年ミャンマー総選挙
ミャンマー
1990 ←
2010年11月7日
→ 2015


最低過半数:113議席


330議席改選(全440議席) 人民代表院

168議席改選(全224議席) 民族代表院

  第1党 第2党 第3党
  SNDPNUP
党首 テイン・セインSai Ai PaoTun Yi
政党 連邦団結発展党シャン諸民族民主連盟国民統一党
党首選挙区 Zabuthiri (Pyithu)不出馬不出馬
獲得議席 259 R / 129 N18 R / 3 N12 R / 5 N

  第4党 第5党
  RNDP NDF
党首 Aye Maung Khin Maung Swe
政党 ラカイン民族発展党国民民主勢力
党首選挙区 不出馬 不出馬
獲得議席 9 R / 7 N 8 R / 4 N

選挙前首相

テイン・セイン
連邦団結発展党

大統領-候補者[1]

テイン・セイン
連邦団結発展党

2010年ミャンマー総選挙(2010ねんミャンマーそうせんきょ)は、2010年11月7日に行われたミャンマー連邦の総選挙である。2008年に制定されたミャンマー連邦共和国憲法に基づいて複数政党制により行われた。

概要

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2008年に制定された新憲法にもとづき、1990年総選挙以来、ミャンマーで30年ぶりに実施された総選挙だった。ただ、人民代表院、民族代表院、地方域/州議会の4分の1の議席は、国軍総司令官が任命した軍人が就任し(109条、110条)、国防大臣、治安・内務大臣、国境大臣は国軍総司令官が任命(232条(2))するなど国政に対する国軍の関与が大幅に認められていた。国家平和発展評議会(SPDC)議長タンシュエも、SPCD統治下最後の国軍記念日の演説で、「かつて独立のために政治家が、軍の指揮官となった。われわれは必要があれば、いつでも国政に参加し奉仕する」と述べていた[2]。

ミャンマー民主化指導者であるアウンサンスーチーの党である国民民主連盟(NLD)は選挙をボイコットすることを決定し、2010年5月に解党処分となった。アウンサンスーチー個人の投票権については、当初軍政側は認めなかったが、後に認めた[3]。しかし、本人は投票のボイコットを表明し、投票しなかった[4]。

2010年10月18日には、ミャンマーの選挙管理委員会は、総選挙の際、外国の選挙監視団や記者を受け入れない方針を示し、選挙の正当性についての国際社会の疑問が強まった[5]。

基礎データ

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2010年総選挙(概要)[6]
項目 内容
投票日 2010年11月7日
選挙の対象 連邦議会(人民代表院・民族代表院)および14地方域・州議会
選挙制度(民選枠) 小選挙区制
選挙区(定数) 1,171選挙区
実施選挙区 1,154選挙区
登録申請政党数 47政党
参加政党数 37政党
有権者数(概数) 2,900万人
立候補者数 3,069名(無所属:82名)
平均競争率 2.7倍
投票率 人民代表院:77.3%
民族代表院:76.8%
地方域・州議会:76.6%

選挙制度

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ミャンマーの選挙制度[7]

人民代表院、民族代表院、地方域/州議会のレベルで、それぞれ軍人議員枠を除いた330議席、168議席、665議席で争われた[8]。

人民代表院の330ある郡区に対応する選挙区で1議席を争い、民族代表院は14ある各地方域/州に12議席が割り当てられ、人民代表院とは異なる選挙区で争われた[8]。

地方域/州議会(一院制)選挙では、各郡区に2議席割り当てられ、さらに当該地方域・州内に国家の全人口の0.1%(約5万人)以上の人口を擁する民族で、当該地方域・州の主要民族ではなく、その地方域・州内に自治管区・自治区を有していない民族に対して1議席割り当てられた(161条)[8]。

参加政党

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37政党が選挙に参加した。2010年8月30日までに立候補の届出をすることになっていたが、これには民主化勢力から「準備期間が短すぎる」といった批判の声が挙がっていた。選挙戦は、ミャンマー軍(国軍)が後ろ盾となっている体制政党の連邦団結発展党(USDP)に、NLDの分派である国民民主勢力(NDF)、ビルマ社会主義計画党(BSPP)の後継政党である国民統一党(NUP)の三つ巴で、これに小規模な民主化政党及び少数民族政党が絡む構図だった[9]。

主な参加政党の主張は以下の通り。

  • USDP - 他の追随を許さない立候補者数と、軍政時代に貯め込んだ豊富な資金力を生かし、マイクロクレジットや、携帯電話、家財道具などのプレゼントを行うことで党員獲得、支持者の拡大を行っており、選挙前から議会の多数派を占めることが有力視されていた[10]。その主張は、複数政党による民主主義の確立、市場経済システムの確立、労働者の社会的地位向上、信教の自由の確約などだった[11]。ただ、国軍色が強く、国民的人気はいまいちで、USDPの選挙ポスターでは「国民が第一」と謳われていたところ、街行く市民たちの反応は、怒りや落胆、嘲笑などといった否定的なものが多かったのだという[12]。
  • NDF - 少数民族問題を重視。ただし、その民主化を謳っていたNLDから分派して、選挙に参加したということで、国民にはあまり訴求しなかった[13]。
  • NUP - USDP以外ではNUPのみがほぼ全選挙区に候補者を擁立した。

選挙に参加した37政党の内、1990年総選挙時からの継続政党は4党、新規政党は33政党となった。なお選挙管理委員会に設立を申請し政党設立及び登録が認められた政党は42政党であるが、総選挙参加要件である最低3選挙区以上への候補者擁立ができず、連邦カレン連盟など5つの政党が失格となった。

選挙結果

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軍事政権が組織したUSDPは選挙管理委員会から選挙結果が発表されていない11月9日の段階で、独自集計の結果として「議席の8割を獲得した」と勝利宣言した。NDFなど民主化勢力の獲得議席は少数にとどまり、選挙は不正であると訴えていく姿勢を示した[14][15]。その一方で、シャン民族民主党やラカイン民族発展党などはUSDPによる不正を認めつつも「時間とお金を無駄にしないため不服申し立てはしない」と表明した[16]。最終的な各党当選者数は以下の表の通りである。

軍政与党であるUSDPは連邦議会と地域・州議会のいずれでも8割近い議席を獲得して圧勝した。NLDから離脱した人々によって結成されたNDFは敗北、旧政権政党BSPPの後継政党であるNUPも大敗を喫した。一方、少数民族政党はそれぞれの地域において善戦健闘し、シャン民族民主党がUSDPに次いで第2党に、ラカイン民族発展党は第4党になった。

党派別議席数[17]
党派 連邦議会 地域・州議会
党名 略称(英語) 人民
代表院
民族
代表院
連邦議会
議席
構成比
(%)
議席数 構成比
(%)
連邦団結発展党 USDP 259 129 388 78.7 495 74.9
シャン民族民主党(英語版) SNDP 18 3 21 4.3 36 5.4
国民統一党 NUP 12 5 17 3.4 46 7.0
ラカイン民族発展党(英語版) RNDP 9 7 16 3.2 19 2.9
国民民主勢力 NDF 8 4 12 2.4 4 0.6
全モン地域民主党 AMRDP 3 4 7 1.4 9 1.4
チン進歩党(英語版) CPP 2 4 6 1.2 6 0.9
パロン・サウァー民主党(英語版) PSDP 2 3 5 1.0 4 0.4
パオ民族機構(英語版) PNO 3 1 4 0.8 6 0.9
チン民族党(英語版) CNP 2 2 4 0.8 5 0.8
ワ民主党(英語版) WDP 2 1 3 0.6 3 0.5
カレン人民党(英語版) KPP 1 1 2 0.4 4 0.6
タアン(パラウン)民族党 T(P)NP 1 1 2 0.4 4 0.6
統一民主党(カチン州)(英語版) UDP(Kachin) 1 1 2 0.4 2 0.3
イン民族発展党(英語版) INDP 1 0 1 0.2 3 0.5
カレン州民主発展党(英語版) KSDDP 0 1 1 0.2 1 0.2
民主党(ミャンマー)(英語版) DP(Myanmar) 0 0 0 0.0 3 0.5
カヤン民族党(英語版) KNP 0 0 0 0.0 2 0.3
国民発展民主党 NDPD 0 0 0 0.0 2 0.3
88世代学生青年党 88Generation 0 0 0 0.0 1 0.2
少数民族発展党(英語版) ENDP 0 0 0 0.0 1 0.2
ラフ民族発展党(英語版) LDNP 0 0 0 0.0 1 0.2
無所属 1 1 2 0.4 4 0.6
合計 325 168 493 100.0 661 100.0

議員のプロフィール

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※2012年4月の補欠選挙後

民選議員

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(1)男女比

両院の民選議員(軍人議員を除く)全494人のうち、女性議員は人民代表院で24人、民族代表院で5人。全女性議員29人のうち10人は国民民主連盟(NLD)の議員[18][19]。

(2)平均年齢

人民代表院の平均年齢は56.7歳、民族代表院の平均年齢は57.8歳[18]。

(3)宗教

人民代表院は仏教徒298人(91.4%)、キリスト教徒26人(8.0%)、イスラム教徒2人(0.6%)、民族代表院は仏教徒142人(84.5%)、キリスト教徒25人(14.9%)、イスラム教徒1人(0.6%)。キリスト教徒の議員の半数以上はチン州とカチン州から選出されており、イスラム教徒の議員は全員連邦団結発展党(USDP)所属[18]。

(4)民族

人民代表院はビルマ族が68.6%、民族代表院はビルマ族が55.4%[18]。

(5)学歴

人民代表院は206人(63.2%)、民族代表院は110人(65.5%)が大卒で、1988年までミャンマーには大学が20校しかなかったことを考えれば、一握りのエリートだと言える[18]。

(6)前職

人民代表院はビジネス関係者123人(37.7%)、公務員95人(29.1%)、退役軍人38人(11.7%)。民族代表院はビジネス関係者59人(35.1%)、公務員59人(35.1%)、退役軍人15人(8.9%)。退役軍人の数はさほど多くない[18]。

軍人議員

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人民代表院は陸軍94人、海軍8人、空軍9人、民族代表院は陸軍54人、海軍1人、空軍1人と圧倒的に陸軍優位だった。階級は大佐~少佐の佐官級が大半を占め、訓練部門、技術部門、兵站・補給部門など国軍でも非主流派が多かった。平均年齢は人民代表院が41.8歳、民族代表院が43.0歳と民選議員より圧倒的に若く、民族的には人民代表院は110人中101人がビルマ族、民族代表院は56人中52人がビルマ族と、圧倒的にビルマ族優位だった。また学歴的には、国軍士官学校出身者は、人民代表院では約30%、民族代表院では約20%で、残りは一般大学出身者だった[18]。

諸外国の反応

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選挙前

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総選挙について、フィリピンは「茶番劇」、アメリカは「見かけ倒し」と批判していた[20][21]。

選挙後

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  • 国際連合や先進国は、反軍事勢力がほとんど排除された選挙であると批判。
  • 東南アジア連合(ASEAN) は、「国の安定と発展に向けて、国民和解と民主化プロセスの加速化を継続するよう促す」とする声明を発表。
  • 中国は、平和的な選挙だったとした。

国名・国旗変更の予定

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新国旗

2008年に創られた新憲法下で行われる2010年の総選挙後に、新政府樹立の一環としてミャンマーの国名(ミャンマー連邦からミャンマー連邦共和国へ)と国旗の変更が行われる予定であった[22]。しかし、軍事政権は総選挙を前に国旗と国名の変更を行った。

脚注

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  1. ↑ Burma ex-Prime Minister Thein Sein named new president, BBC, 4 February 2011.
  2. ↑ “ミャンマーで65回目の国軍記念日式典 議長、軍の影響力保持を強調”. 産経新聞. 2010年3月27日. 2010年10月5日閲覧.
  3. ↑ “スー・チーさん投票可能に ミャンマー、有権者名簿に追加”. 産経新聞. 2010年9月24日. 2010年10月5日閲覧.
  4. ↑ “スー・チーさんが投票ボイコット表明 来月のミャンマー総選挙”. 産経新聞. 2010年10月12日. 2010年10月13日閲覧.
  5. ↑ “国際選挙監視団を拒否 ミャンマー選管が方針”. 東京新聞. 2010年10月19日. 2010年10月19日閲覧.
  6. ↑ 工藤, 年博「20年ぶりの総選挙,7年半ぶりのスーチー解放 : 2010年のミャンマー」『アジア動向年報 2011年版』2011年、[397]–420。
  7. ↑ “ミャンマー総選挙とその後(工藤 年博)”. アジア経済研究所. 2025年12月17日閲覧。
  8. 1 2 3 アジ研 2016, p. 79.
  9. ↑ “「立候補手続き期間短い」 ミャンマー総選挙で野党反発”. 産経新聞. 2010年8月14日. 2010年10月5日閲覧.
  10. ↑ USDPによるこうした選挙戦の一端については“地域研究センター工藤年博「ミャンマー総選挙とその後(2)」、「USDPに有利な選挙戦」”を参照。
  11. ↑ “軍政翼賛政党が政策発表 ミャンマー総選挙前に”. 産経新聞. 2010年10月9日. 2010年10月9日閲覧.
  12. ↑ “USDP Election Slogan 'People First' Sparks Anger”. イラワジ. 2010年10月20日. 2010年10月21日閲覧.
  13. ↑ “ミャンマー:スーチーさん排除で国民の熱気うせ 総選挙”. 毎日新聞. 2010年10月13日. 2010年10月24日閲覧. {{cite news}}: |work=、|newspaper=引数が重複しています。 (説明)
  14. ↑ “ミャンマー軍政与党が勝利宣言”. 産経新聞. 2010年11月9日. 2010年11月13日閲覧. {{cite news}}: |work=、|newspaper=引数が重複しています。 (説明)
  15. ↑ “ミャンマー総選挙で軍政「議席の8割獲得」、避難民は1.8万人に”. ロイター. ロイター. 2010年11月10日. 2010年11月13日閲覧.
  16. ↑ Irrawaddy 2010年11月20日
  17. ↑ 工藤, 年博「テインセイン新政権の船出,改革路線への転換 : 2011年のミャンマー」『アジア動向年報 2012年版』2012年、[415]–438。
  18. 1 2 3 4 5 6 7 工藤 2015, pp. 34–39.
  19. ↑ “Pushing the Limits on Burmese Women in Politics” (英語). The Irrawaddy. 2025年12月7日閲覧。
  20. ↑ “"Philippines hits out at Myanmar junta over Suu Kyi"”. MSNフィリピンニュース. 2010年3月11日. 2010年10月7日閲覧. {{cite news}}: 不明な引数|1=が空白で指定されています。 (説明)
  21. ↑ “US condemns Myanmar poll 'mockery'”. アルジャジーラ. 2010年3月11日. 2010年10月7日閲覧.
  22. ↑ [0=1 ミャンマー連邦共和国憲法]

関連項目

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外部リンク

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