2015年ミャンマー総選挙
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2015年ミャンマー総選挙(2015ねんミャンマーそうせんきょ、ビルマ語: အထွေထွေ ရွေးကောက်ပွဲ၊ ၂၀၁၅)は、2015年11月8日に行われたミャンマー連邦共和国の立法府である連邦議会の総選挙である。野党の国民民主連盟(NLD)が圧勝し、連邦議会の上下両院定数の86%(上院135、下院235)を獲得した。大統領選挙で国民民主同盟から正副大統領を選出し、軍政の流れを組む連邦団結発展党(USDP)から政権交代を実現した。国民民主連盟の党首であるアウンサンスーチーは憲法の規定により大統領に就任できなかったため、新設された国家顧問に就任。事実上の行政府の長として政権を掌握した。
概要
[編集]2011年の成立したテインセイン政権はさまざまな分野で改革を実施し、国内外の人々を驚かせていた。2011年11月4日にはNLDなどの政党の参加を可能にするために政党登録法改正法が可決された。改正法は、(1)党員は囚人であってはならない、(2)「政党は選挙で少なくとも3議席を争わなければならない」という要件を選挙後に結成された政党には適用しない、(3)「憲法を保全し、擁護しなければならない」という文言を「憲法を尊重し、遵守しなければならない」に変更、という3つの変更点があった。これらの改正により、NLDは2012年の補欠選挙に参加し、44議席中43議席を獲得して大勝、議会に進出した[1]。
総選挙前年の2014年にはNLD圧勝を阻むべく、USDP主導で比例代表制を導入しようとする動きがあり、NLDその他野党が反発。民族代表院では比例代表制を導入する決議が一旦なされたが、同年11月、人民代表院議長のシュエマンが人民代表院での採決を拒否したことにより、この計画は頓挫した[2]。
選挙前からUSDPの劣勢が伝えられていたが、テインセイン大統領が不出馬の意向を表明し、USDPの実力者アウンタウンが死去したことにより、さらに痛手を被った。候補者選考はUSDP党首代行[注釈 1]のシュエマン主導で行われたが、候補者発表をした翌日の2015年8月13日、シュエマンは突然解任され[注釈 2]、テーウー副党首が党首代行となった。一方、NLDもコーコージーら88年世代でNLDからの出馬を希望した20人を公認せず、批判を浴びた[3]。
選挙期間は2015年9月7日から、投票日2日前の11月6日まで60日間で、各候補者に認められた選挙資金は1000万チャット(約100万円)と、ミャンマーの物価を考慮してもかなり少額だった。USDPはその資金力と人的動員力を生かし、僧侶、村長、公務員などの既存の有力者ネットワークを生かして、米や水などの生活必需品の無償提供、電気や道路などの将来のインフラ整備の約束などの物量作戦を展開し、選挙には不出馬だったテインセイン大統領も前面に立って選挙応援した。一方、NLDはアウンサンスーチーとアウンサン将軍の人気を最大限利用し、各候補者よりもNLDという政党への投票を呼びかけた。都市部での勝利はほぼ確実視されていたので、特に農村部での運動に力を入れた[4]。
2010年総選挙と違って、外国からの選挙監視団を受け入れ、有権者リストに不備があったものの、選挙は概ね自由・公正に行われたという評価を得た[5]。なお、内戦の影響でシャン州7郡の選挙区とその他全国約450ヶ所の村で選挙が中止された[6]。
選挙結果を反故にした1990年選挙の再来が危惧されたが、同年12月15日のスーチーとの会談後、タンシュエが「彼女が将来の国のリーダーになることは間違いない」 と述べたことにより、スムーズな政権委譲が確約された[6]。
基礎データ
[編集]| 項目 | 2015年 | 2010年 | |
|---|---|---|---|
| 予定選挙区(議席) | 人民代表院 | 330 | 330 |
| 民族代表院 | 168 | 168 | |
| 実施選挙区(議席) | 人民代表院 | 323 | 325 |
| 民族代表院 | 168 | 168 | |
| 有権者数(人) | 人民代表院 | 34,295,334 | 29,021,608 |
| 民族代表院 | 34,295,334 | 29,021,608 | |
| 投票者数(人) | 人民代表院 | 23,911,784 | 22,421,123 |
| 民族代表院 | 23,946,709 | 22,283,465 | |
| 投票率(%)[注釈 3] | 人民代表院 | 69.72 | 77.26 |
| 民族代表院 | 69.82 | 76.78 | |
| 有効投票数(票) | 人民代表院 | 22,416,310 | 20,865,161 |
| 民族代表院 | 22,714,637 | 20,851,078 | |
| 有効投票率(%) | 人民代表院 | 93.75 | 93.06 |
| 民族代表院 | 94.85 | 93.57 | |
| 参加政党数(党) | 91 | 37 | |
| 立候補者数(人) | 人民代表院 | 1,734 | 989 |
| 民族代表院 | 886 | 479 | |
| 平均競争率(倍) | 人民代表院 | 5.37 | 3.04 |
| 民族代表院 | 5.27 | 2.85 |
選挙制度
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人民代表院、民族代表院、地方域/州議会のレベルで、それぞれ軍人議員枠を除いた330議席、168議席、665議席で争われた[9]。
人民代表院の330ある郡区に対応する選挙区で1議席を争い、民族代表院は14ある各地方域/州に12議席が割り当てられ、人民代表院とは異なる選挙区で争われた[9]。
地方域/州議会(一院制)選挙では、各郡区に2議席割り当てられ、さらに当該地方域・州内に国家の全人口の0.1%(約5万人)以上の人口を擁する民族で、当該地方域・州の主要民族ではなく、その地方域・州内に自治管区・自治区を有していない民族に対して1議席割り当てられた(161条)[9]。
参加政党
[編集]情勢
[編集]テインセインの改革の成果もあって、2010年総選挙に比べて参加政党数も立候補者数も大幅に増加した。ただ、全国の選挙区に候補者を立てられたのは、USDPとNLDだけで、事実上この2党の一騎打ちだった。一方、少数民族州では少数民族を代表する政党が乱立気味だった[10]。
各党の主張
[編集]- USDP - ミャンマーの政治移行を(1)民主化への準備期(SLORC/SPDC時代)、(2)改革期(テインセイン政権)、(3)民主主義の発展と定着の時代に分類し、経済改革、貧困削減などテインセイン政権時代の実績を強調。しかし、(3)を実現するためには、真の永久平和と中所得国レベルの水準への到達が不可欠とし、それまでは2008年憲法を遵守し、ミャンマー軍(国軍)の政治関与を肯定した[11]。
- NLD - 選挙のキャッチフレーズは「変革の時」で、ミャンマー語と英語で20ページの公約[12]を発表した。その中で、4つの大きな目標、すなわち(1)民族間関係と国内和平、(2)諸民族と人々が安寧で平和にともに手をとりあって生きていくことを保証できる憲法,、(3)人々を公正かつ正当にまもる行政制度、(4)自由で平和的な発展と、これらについての具体的行動が掲げられていた[13]。
候補者のプロフィール
[編集]| 区分 | NLD | USDP | ||
|---|---|---|---|---|
| 人民代表院 | 民族代表院 | 人民代表院 | 民族代表院 | |
| 候補者数(人) | 316 | 163 | 316 | 164 |
| 平均年齢(歳) | 53.19 | 52.72 | 57.44 | 57.57 |
| 女性率(%) | 14.6 | 14.7 | 6.0 | 6.0 |
| ビルマ族率(%) | 68.0 | 57.1 | 70.3 | 57.3 |
| 仏教徒率(%) | 88.3 | 85.3 | 92.7 | 87.0 |
| 大卒率(%) | 80.7 | 79.1 | 80.7 | 84.1 |
| 閣僚・連邦議員数(人) | 12 | 1 | 100 | 39 |
| 直近に退役した軍人(人) | 3 | 0 | 20 | 7 |
(1)男女比
女性の割合は、人民代表院は13.1%(1734人中227人)と、民族代表院は13.7%(886人中121人)。第1期連邦議員の女性議員の割合5.9%(494人中29人)より大幅に上昇している。しかし、NLD候補者の女性の割合が15%弱であるのに対し、USDPは約6%にとどまっている[14]。
(2)平均年齢
候補者の平均年齢は、人民代表院が53.4歳、民族代表院が53.5歳。USDPとNLDを比較すると、NLDのほうが4歳ほど若い[14]。
(3)宗教
仏教徒が全体の85.0%、キリスト教徒は、人民代表院は12.2%(212人)、民族代表院は18.2%(161人)、全体で14.2%(373人)。2012年に仏教徒・イスラム教徒間のコミュニティ紛争があり、ミャンマー愛国協会(マバタ)主導の反ムスリム運動が盛んだった影響か、イスラム教徒は極端に少なく、人民代表院12人(ヤンゴン地方域10人、マンダレー地方域1人、ラカイン州1人)、民族代表院1人(ヤンゴン地方域)しかいなかった。この点はUSDPもNLDもさほど変わりない[15]。
(4)民族
ビルマ族が多い7地方域ではビルマ族が70%以上を占め、少数民族州ではそれぞれの民族が多数派である。一方、少数民族州はラカイン州とチン州でラカイン族とチン族がそれぞれ80%以上である以外は、少数民族の割合はさほど高くなく、カチン州とカレンニー州では30%前後にとどまっている。USDPとNLDのビルマ族率がほぼ同じである[14]。
選挙結果
[編集]結果
[編集]
そして、2015年11月18日に実施された総選挙の結果、NLDは、連邦議会で約80%の議席、地方選挙で4分の3の議席を獲得して圧勝し、対照的にUSDPはともに議席を大きく減らして惨敗した。NLDの勝因は圧倒的なスーチー人気。逆にUSDPはテインセイン政権下5年間の実績を訴えたものの、軍事政権の悪印象を引きずっていたこと、党組織の脆弱さ、死票の多い小選挙区制の特性が敗因となったとされる。実際、NLDは約6割の得票率で約8割の議席を獲得したのに対し、USDPは約3割の得票率で1割以下の議席しか獲得できず、仮に比例代表制が採用されていれば、USDPは約3割の議席を獲得することができ、連邦議会の4分の1を占める軍人議席と合わせれば、政権を維持できる可能性があった[16]。
また、前回躍進したアラカン民族党(ANP)[注釈 5]、シャン諸民族民主連盟(SNLD)[注釈 6]といった少数民族政党は今回も議席を伸ばしたが、前回両院で17議席獲得した国民統一党(NUP)は民族代表院で1議席を確保したのみ、前回12議席獲得した国民民主勢力(NDF)は議席を獲得できなかった[16]。
分析
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NLDは、ビルマ族が多い7地方域の全291議席中[注釈 7]280議席(96.2%)を獲得、少数民族が多い7州でも全200議席中110議席(55.0%)と過半数の議席を獲得した。州におけるNLDの勝利の要因は、各州で少数民族出身の候補者を立てたことが挙げられる[17]。
USDPは7地方域全291議席中11議席(3.8%)しか獲得できなかったが、マンダレー地方域(ネピドー連邦領を含む)では全48議席中7議席(人民代表院5議席)獲得し、強さを見せた。この地域はイスラム教徒が多く、マバタの活動が盛んで、マバタがUSDPの応援に回ったことがその理由とされる。また、USDPは、7州で全200議席中30議席(15.0%)を獲得し、地方域に比べれば健闘した。特にシャン州では全60議席中18議席(30.0%)を獲得し、NLDとSNLDの15議席(25.0%)を上回った。USDPがNLDを超える議席を獲得したのはシャン州のみだった[17]。
ANPが議席を獲得したのはラカイン州のみで、州の全29議席中22議席(75.9%)を獲得し、NLDの5議席(17.2%)、USDPの2議席(6.9%)を大きく上回った。ラカイン州ではロヒンギャに同情的なスーチーに対する反感が強かったこと、2010年には選挙権が認められたロヒンギャに、今回は認められなかったことが要因とされる[17]。
SNLDが議席を獲得したのはシャン州のみで、州の全60議席中15議席(25.0%)を獲得した。これはUSDP(18議席)には及ばなかったものの、NLD(15議席)とは同数だった。対照的に2010年総選挙において、人民代表院で18議席、民族代表院で3議席、計21議席獲得したシャン民族民主党(SNDP)は、今回は1議席も獲得できなかった。SNLDとSNDPで票が割れた可能性がある[17]。
他の州では少数民族政党が乱立したため、彼らの獲得議席は僅少にとどまった[17]。
| 政党 | 議席 | +/– | 議席率(軍人枠除く) | 投票数 | 得票率 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 国民民主連盟(NLD) | 255 | 78.9% | 12,794,561 | 57.1% | ||
| 連邦団結発展党(USDP) | 30 | 9.3% | 6,341,920 | 28.2% | ||
| アラカン民族党 | 12 | 3.7% | 490,664 | 2.2% | ||
| シャン諸民族民主連盟(SNLD) | 12 | 3.7% | 352,914 | 1.6% | ||
| タアン(パラウン)民族党(TNP) | 3 | 0.9% | 97,394 | 0.4% | ||
| パオ民族機構(PNO) | 3 | 0.9% | ||||
| ゾミ民主連盟(ZCD) | 2 | 0.6% | 27,142 | 0.1% | ||
| リス民族発展党(LNDP) | 2 | 0.6% | 24,096 | 0.1% | ||
| ワ民主党(WDP) | 1 | 0.2% | 8,216 | 0.0% | ||
| カチン州民主党(KSDP) | 1 | 0.3% | 27,877 | 0.1% | ||
| コーカン民主統一党(KDUP) | 1 | 0.3% | 13,990 | 0.1% | ||
| 国民統一党(NUP) | 0 | 0.0% | 419,442 | 1.9% | ||
| モン民族党(MNP) | 0 | 0.0% | 94,621 | 0.42% | ||
| 無所属 | 1 | 0.3% | 1,005,617 | 4.5% | ||
| 軍指名枠 | 110 | 25.4% | ||||
| 総計 | 433 | ±0 | 100.0% | 22,423,629 | 100.0% | |
| 出典:Myanmar Times[18], UEC[19] | ||||||
| 政党 | 議席数 | 増減 | 議席率(軍人枠除く) | |
|---|---|---|---|---|
| 国民民主連盟(NLD) | 135 | 80.4% | ||
| 連邦団結発展党(USDP) | 11 | 6.5% | ||
| アラカン民族党(ANP) | 10 | 6.0% | ||
| シャン諸民族民主連盟(SNLD) | 3 | 1.8% | ||
| タアン(パラウン)民族党(TNP) | 2 | 1.2% | ||
| ゾミ民主連盟(ZCD) | 2 | 1.2% | ||
| モン民族党(MNP) | 1 | 0.6% | ||
| 国民統一党(NUP) | 1 | 0.6% | ||
| パオ民族機構(PNO) | 1 | 0.6% | ||
| 無所属 | 2 | 1.2% | ||
| 全モン地域民主党(AMRDP) | 0 | 0.00% | ||
| シャン民族民主党(SNDP) | 0 | 0.00% | ||
| 無所属 | 2 | 1.2% | ||
| 軍指名枠 | 56 | 25.00% | ||
| 総計 | 224 | ± 0 | 100.0% | |
| 出典:Myanmar Times[18], UEC[19] | ||||
地方域・州議会
[編集]| 政党 | 立候補者数 | 獲得議席数 | 獲得議席割合 (%) | 得票率 (%) |
|---|---|---|---|---|
| NLD | 644 | 496 | 75.27 | 55.81 |
| USDP | 642 | 76 | 11.53 | 28.10 |
| 少数民族54政党 | 863 | 84 | 12.75 | 10.13 |
| その他32政党 | 1,093 | 1 | 0.15 | 4.97 |
| 無所属 | 177 | 2 | 0.30 | 0.99 |
| 全体 | 3,419 | 659 | 100.00 | 100.00 |
地方選挙の結果は、右表のとおり、連邦選挙と同様、USDPとNLDに一騎打ちで、NLDが80%近い議席を獲得した。また、地域別に見ても、NLDが地方域で強く、州ではさほどでもなかったのも同様だった。特にラカイン州とシャン州ではNLDが過半数を大きく下回り、ラカイン州ではANPが過半数近くの議席を獲得し、シャン州では民族政党が乱立したのが特徴的だった[20]。

脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ テインセインがUSDP党首だったが、大統領に就任して党活動ができなくなったので、実質、シュエマンが党首だった。
- ↑ ただし、党員、議員、下院議長の地位は維持。
- ↑ 投票率は前回よりも低下した。これは有権者が増加したのにもかかわらず、出身地で投票しなければならないところ、交通事情等の理由により、出身地に帰れなかった都市在住者が相当数いたからだとされる。
- ↑ 地方議会の定員は2010年のもの。変動の可能性あり。
- ↑ ANPは2013年にラカイン民族発展党(RNDP)とラカイン民主連盟(ALD)が合併して誕生した政党。RNDPは2010年総選挙で、人民代表院で9議席、民族代表院で7議席、計16議席を獲得した。一方、ALDは2010年総選挙をボイコットしたが、1990年総選挙ではラカイン州の27議席中11議席を獲得した。
- ↑ 1988年設立。1990年総選挙で全485議席中23議席(4.7%)を獲得し、NLDに次いで第2党となった。2010年総選挙はボイコット。
- ↑ 人民代表院・民族代表院を合わせた議席。
出典
[編集]- ↑ Myint, Soe (2025年12月8日). “Sham Election By The Myanmar Military Junta – Analysis” (英語). Eurasia Review. 2025年12月15日閲覧。
- ↑ “Lower House Chairman Rejects PR System Proposal” (英語). The Irrawaddy. 2025年12月13日閲覧。
- ↑ アジ研 1996, pp. 23–26.
- ↑ アジ研 1996, pp. 26–27.
- ↑ アジ研 1996, p. 49.
- 1 2 長田, 紀之 (2016). “2015年のミャンマー 新体制下初の総選挙で野党の国民民主連盟圧勝”. アジア動向年報 2016: 443–466. doi:10.24765/asiadoukou.2016.0_443.
- ↑ アジ研 2016, p. 47.
- ↑ “ミャンマー総選挙とその後(工藤 年博)”. アジア経済研究所. 2025年12月17日閲覧。
- 1 2 3 アジ研 2016, p. 79.
- ↑ アジ研 2016, pp. 10–16.
- ↑ アジ研 2016, pp. 16–19.
- ↑ 長田, 紀之「加速する経済,難題に直面する政治改革 : 2014年のミャンマー」『アジア動向年報 2015年版』2015年、[487]–510。
- ↑ アジ研 2016, pp. 16–18.
- 1 2 3 アジ研 2016, pp. 20, 26.
- ↑ アジ研 2016, pp. 22–23.
- 1 2 アジ研 2016, pp. 50–51.
- 1 2 3 4 5 アジ研 2016, pp. 51–57.
- 1 2 “The Myanmar Times Election Live”. ミャンマータイムズ. 2015年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月10日閲覧。
- 1 2 “Announcement 93/2015”. 連邦選挙管理委員会. 2015年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月20日閲覧。
- 1 2 アジ研 2016, pp. 84–91.
参考文献
[編集]- 『ミャンマー新政権の発足 - 2015年総選挙の過程と結果』アジア経済研究所、2016年。

