3.5%ルール
3.5%ルール(3.5パーセントルール、英語;3.5% rule)とは、ある国の人口の3.5%が非暴力的な抗議やその他の抵抗活動を行えば、その国の政府は崩壊する可能性が高いとする政治学上の仮説である[1]。「3.5%の法則」とも訳される[2][3][4]。この法則は、エリカ・チェノウェスによって2013年に発表された。その起源は、政治学者マーク・リックバック(Mark Lichbach)が1995年に著書『The Rebel's Dilemma: Economics, Cognition, and Society(反乱者のジレンマ:経済・認知・社会)』の中で発表した研究結果にある[5][6]。
内容
[編集]エリカ・チェノウェスとマリア・ステファンは、1900年から2006年までに体制転換(regime change)を目指して行われた主要な暴力的運動および非暴力運動を対象に、市民的抵抗運動(civil resistance)の成功率を調査した[5][7][8]。運動が「成功」と判定されるためには、参加者数が最も多かった時点から1年以内に目的を達成していること、また(非暴力運動については)厳格な非暴力性の基準を満たしていることが条件とされた[7]。チェノウェスとステファンは、323件の暴力的/非暴力的キャンペーンの成功率を比較した結果、暴力的反乱の成功率は26%にとどまる一方、非暴力キャンペーンの成功率は53%であることを示した[7][9]。
チェノウェスとステファンは、非暴力的運動が暴力的運動に比べて平均して4倍もの参加者を集めていたこと、すなわち、調査対象となった最大規模の運動25件のうち、20件が非暴力的運動であったことを明らかにした[7]。二人はまた、暴力的運動に比べて、非暴力的運動の方が、より民主的な体制の形成につながる傾向があることも示した[10][11]。
チェノウェスは、運動が成功するために必要な参加率を指し示す言葉として、「3.5%ルール」を造語した。このルールは、マーク・アーヴィング・リックバック(Mark Irving Lichbach)が1995年の著書『The Rebel's Dilemma: Economics, Cognition, and Society(反乱者のジレンマ:経済・認知・社会)』で示した知見をもとに提唱されたものである[6][12] 。リックバックは、人口の5%が参加すれば政府を打倒できる一方で、フリーライダー問題のため、いかなる反政府運動も参加率が5%を超えることは期待できないと論じた[6]。
2013年、チェノウェスは、Nonviolent and Violent Campaigns and Outcomes(NAVCO)1.1データセットを用いて、このリックバックの仮説を改めて検証した[6]。その結果、データセットに含まれる運動のうち、人口の少なくとも3.5%が積極的に参加した運動は、ほぼすべて成功していたことが明らかになった[5][13][14][6]。また、この3.5%という参加率に達した運動は、すべて非暴力運動であった[15]。
チェノウェスは、非暴力運動は暴力的な運動に比べてより多くの人々の参加を集める傾向があると指摘している。その理由の一つとして、非暴力運動への参加に際しては身体能力や武器がほとんど必要とされないため、結果として政治的成功を収める可能性が高まることを挙げている[7]。
またチェノウェスは、3.5%ルールは厳密な法則ではなく、あくまで「経験則(rule of thumb)」として理解すべきであると注意を促している。というのも、この理論は規範的理論ではなく結果論であり、運動の勢い(momentum)、組織化、戦略的リーダーシップなどの重要な要因を考慮していないためである[6]。
なお、チェノウェスはその後、非暴力抵抗と武装抵抗のいずれについても、2010年以降はその有効性が低下していると指摘した。チェノウェスはその原因として、権威主義体制側が歴史から教訓を得て互いに連携し、軍や警察に対して内部からの離反を防ぐための訓練を行うようになったことを挙げている[16]。
チェノウェスが3.5%ルールに当てはまる成功例として挙げている運動には、杉の革命、歌う革命、2012年から2013年にかけてのエジプトでの抗議運動(en:2012–2013 Egyptian protests)の一部、アルバニアにおける共産主義体制の崩壊、2019年から2022年にかけてのスーダンでの抗議運動(en:2019–2022 Sudanese protests)、ビロード革命、バラ革命などがある[6]。
抗議運動において
[編集]気候変動抗議運動団体であるエクスティンクション・レベリオンは、ホームページにおいて3.5%ルールを引用し、目標達成には人口の3.5%の参加が必要であるとしている[17] [18]。第26回気候変動枠組条約締約国会議の開催期間中、同会議開催地であるグラスゴーでは、10万人の活動家がデモ行進を行い、各国政府に地球温暖化対策の強化を求めた[17]。参加者の多くは、エクスティンクション・レベリオンの旗を掲げていた[17]。オタゴ大学博士課程に在籍するカイル・R・マシュー(Kyle R Matthews)は、3.5%ルールに関するチェノウェスらの研究のデータは専制体制や占領軍に対する運動を対象としたものであり、エクスティンクション・リベリオンが活動の場とするような自由民主主義の文脈を対象としたものではないと指摘している[18]。
2025年には、米国の移民政策をめぐる運動などをはじめ、ドナルド・トランプに対する抗議運動において、3.5%ルールが脚光を浴びるようになった[19]。50501運動(「50州それぞれで50の抗議活動を起こし、1つのムーブメントにすること」を目指す運動[20])のメンバーは2025年4月5日に「ハンズ・オフ(Hands Off、「手を引け」の意)」抗議デモを組織し、次のような声明を発表した。「4月5日は我々にとって4回目の全国的な行動日であり、これが最後になることはない。我々は平和的な『民衆の運動』を築き上げ、3.5%の参加率を達成することに尽力する。歴史が示す通り、人口のわずか3.5%が持続的かつ平和的な抵抗に関与すれば、社会の抜本的な変革は必然的に起こるのである」[21][22]。
2025年6月開催の「王はいらない」抗議活動の参加者数をデータジャーナリストらがクラウドソーシングの手法で集計したところ、総参加者数は400万〜600万人、つまり米国人口の約1.2〜1.8%と推定された[23]。同年10月開催の「王はいらない」抗議活動では、参加者数は700万人近くに達し、これは米国人口の約2%に相当した[24][25]。
評価
[編集]ロン・パヌッコ(Ron Pagnucco)は、3.5ルールの根拠となった研究を好意的に評価した上で、こうした大規模な抗議運動は、単に支配者に対する支持を低下させるだけではなく、「権威主義体制内部における、強硬派に対するエリート改革派の立場を強める可能性もある」(such large protests also may strengthen the hand of elite reformers in relation to hardliners in an authoritarian regimes)と指摘している[26]。
カイル・R・マシューズ(Kyle R. Matthews)は、「チェノウェスとステファンのデータは、主に専制政府の打倒といった国家規模の体制変革に関するものであり、自由民主主義国家における変革には当てはまらない」として、気候変動抗議運動であるエクスティンクション・レベリオンがその研究を誤用していると論じている[18]。
世界銀行の元職員であるリチャード・セイフマン(Richard Seifman)は、ブルネイやバーレーンでの非暴力抗議活動は人口の3.5%を超える人々を動員したものの、体制変革の実現には至らなかったと指摘している[19]。ただしチェノウェスは、ブルネイやバーレーンは強力な同盟国(ブルネイは英国、バーレーンはサウジアラビア)に統治権力を支えられた小規模な君主国であったと指摘し、また、参加規模は運動の成功と関連しているものの、3.5%という支持の閾値に達することなく目標を達成した非暴力運動も存在すると述べている[6]。セイフマンはさらに、運動の成功には連合の形成やソーシャルメディアの活用が不可欠である一方、誤情報は運動にとってマイナスに働く可能性が高いとも指摘している[19]。
エリック・シューマン(Eric Shuman)らは、暴力的な運動も有効であり得ること、そして多くの非暴力運動にも暴力的な活動が含まれていることを論じている[27]。
アレクセイ・アニシン(Alexei Anisin)はNAVCOデータセットを批判し、同データセットが失敗に終わった非暴力蜂起や成功した暴力革命を除外していると指摘した。彼は、NAVCOの研究には分類上の誤りがあり、一部の革命の成功において極めて重要であった「棒や石の使用、車両の放火」といった非武装の暴力的な抵抗活動を無視していると指摘している[28]。チェノウェスとクリストファー・ワイリー・シェイ(Christopher Wiley Shay)は、データセットの拡充やその他の誤りを修正するために、NAVCO 1.0シリーズの更新を重ねている(直近ではバージョン1.3)[29]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ エリカ・チェノウェス『市民的抵抗 非暴力が社会を変える』白水社、2023年。
- ↑ 山口晃平 (2023年10月26日). “1.5℃の約束を実現へ 3.5%の法則”. テレ朝NEWS. 2026年6月25日閲覧.
- ↑ “市民抵抗運動によって権力の掌握を阻止する方法(中篇):3.5%の法則”. Wired Japan. 2021年9月24日. 2026年6月25日閲覧.
- ↑ “3.5%の法則とは?”. 一般社団法人 日本WPA (2022年11月15日). 2026年6月25日閲覧。
- 1 2 3 Chenoweth, Erica (2021). Civil Resistance: What Everyone Needs to Know. Oxford University Press. pp. 114–9. ISBN 9780190244392
- 1 2 3 4 5 6 7 8 Chenoweth, Erica (April 2020). “Questions, Answers, and Some Cautionary Updates Regarding the 3.5% Rule”. Carr Center for Human Rights Policy (Harvard University) (2020–005) 2025年6月18日閲覧。.
- 1 2 3 4 5 David Robson (May 14, 2019). “The '3.5% rule': How a small minority can change the world”. BBC. 2019年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2019年11月13日閲覧.
- ↑ Chenoweth, Erica; Stephan, Maria (2011). Why Civil Resistance Works: The Strategic Logic of Nonviolent Conflict. Columbia University Press. ISBN 9780231156820
- ↑ “Success of Nonviolent Revolution”. Academic Minute. Inside Higher Ed. 2016年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月10日閲覧。
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- ↑ Lichbach, Mark Irving (1995). The Rebel's Dilemma. University of Michigan Press. ISBN 9780472105328
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- ↑ Chenoweth, Erica; Shay, Christopher Wiley (2020) (text/tab-separated-values,application/pdf), List of Campaigns in NAVCO 1.3, Erica Chenoweth, Harvard Dataverse, doi:10.7910/DVN/ON9XND 2025年12月24日閲覧。