さくら貝の歌

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「さくら貝の歌」
楽曲
発祥1939年
出版1949年7月
ジャンル歌謡曲
作詞土屋花情
作曲八洲秀章
言語日本語
ISWCT-101.266.485-4

さくら貝の歌(さくらがいのうた)は、土屋花情が作詞し、八洲秀章が作曲した日本の歌曲。1939年(昭和14年)に作曲され、1949年(昭和24年)7月にNHKの「ラジオ歌謡」で放送された[1][2]。

戦後の愛唱歌の一つとして広まり[2][3]、2006年に選定された「日本の歌百選」にも含まれる[4]。

歴史

成立

作曲者の八洲秀章は、本名を鈴木義光といい、北海道出身の作曲家である[1][5]。八洲が1983年の『歌をたずねて』の取材で語ったところによれば、1939年秋、鎌倉の海岸でサクラガイを見た際、前年に18歳で病死した郷里の初恋の女性を思い出し、次の短歌を詠んだ[1]。

わが恋の ごとく悲しや さくら貝 片ひらのみの さみしくありて

この八洲の短歌をもとに、友人の土屋花情が新たにうるわしき さくら貝ひとつで始まる詩を書き、八洲が曲を付けた[1][6]。土屋は当時、逗子町役場に勤めていた[6][7]。

当時は七五調の詩を4小節単位で区切って作曲する傾向があったのに対し、「さくら貝の歌」では3小節ごとの区切りが用いられ、前奏に朗読が取り入れられた。八洲はこの構成について、自身の「心のリズム」に従ったものだと説明している[1]。

八洲は、女性とは恋文を交わしたことも手を握ったこともない間柄であった[1]。八洲の筆名は、この女性の本名と法名から「八」「秀」の一字ずつ取ったものとされる[1][8]。

発表と普及

1949年7月、NHKの「朝のラジオ歌謡」で発表された。八洲によれば、山田耕筰が編曲を担当し、作曲から約10年を経て公表された[1]。山田はこの曲を気に入り、自ら編曲するとともに、妻の辻輝子にレコード録音をさせたと伝えられる[6]。『図説昭和の歴史』第9巻でも、1949年に辻が歌唱した楽曲として取り上げられている[9]。

放送後は広く親しまれた。『日本放送史』は、「さくら貝の歌」が「のど自慢」の参加者によって数多く歌われ、ヒット曲になったと記している[2]。『日本流行歌史』も、1949年の印象深い楽曲の一つとして取り上げている[10]。乾孝・渋谷修編著『にっぽんの歌』では、「白い花の咲く頃」とともにラジオ歌謡から広く愛唱された歌として評価されている[3]。

評価

『にっぽんの歌』は歌詞の簡潔さと叙情的な旋律を評価している[3]。

高橋磌一は『流行歌でつづる日本現代史』で、戦後のNHK「ラジオ歌謡」が送り出した清純なホームソングの一つとして本曲を挙げている[11]。

歌碑

逗子市

神奈川県逗子市の逗子海岸に近い高養寺(浪子不動)前の浪子不動園地には、「さくら貝の歌」の歌碑がある[6][12]。碑は御影石製で、土屋花情の歌詞が刻まれている[12]。森谷定吉『逗子雑記』によれば、除幕式は1991年(平成3年)11月13日に行われた[13]。

鎌倉市

鎌倉市の由比ヶ浜海岸には、滑川交差点近くの海岸への下り口に「さくら貝の歌」の歌碑が建てられている[14][15]。2012年(平成24年)12月16日に除幕式が開かれたことは、鎌倉市が公表した市長の公務記録でも確認できる[16]。

歌碑の建立運動は、海岸にサクラガイが多く見られたかつての環境を取り戻そうとする活動の象徴として1989年に始まったが、一時中断し、2010年に再開した。建立費は寄付によって集められ、完成後の2013年1月には残金約72万円が維持管理費として鎌倉市に寄付された[15]。碑は御影石製で、八洲秀章の楽譜を拡大した意匠とサクラガイの装飾が施されている[17]。

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 毎日新聞学芸部『歌をたずねて:愛唱歌のふるさと』 26巻、音楽之友社〈音楽選書〉、1983年10月、147–149頁。
  2. 1 2 3 日本放送協会放送史編修室 編『日本放送史』 上、日本放送出版協会、1965年、758頁。doi:10.11501/8798392。
  3. 1 2 3 乾孝・渋谷修 編『にっぽんの歌』淡路書房新社、1960年、172頁。doi:10.11501/2492675。
  4. ↑ “さくら貝の歌”. コトバンク(デジタル大辞泉プラス). 2026年10月18日閲覧。
  5. ↑ 『音楽年鑑』 昭和40年版、1964年、145頁。
  6. 1 2 3 4 小泉晋『続 ぶらり旅:童謡唱歌の歌碑を訪ねて』小泉晋、1996年10月、58–59頁。doi:10.11501/13310858。
  7. ↑ NHK情報ネットワーク 編『NHKふるさとデータブック』 3(東日本編・関東)、日本放送出版協会、1992年4月。doi:10.11501/13317693。ISBN 4-14-009180-0。
  8. ↑ 矢沢寛「知床岬・はまなすの咲く頃」『あすの農村』第145号、日本共産党中央委員会、1986年12月、15頁。
  9. ↑ 昭和の歴史刊行会 編『図説昭和の歴史』 9巻、集英社、1980年6月、88頁。
  10. ↑ 古茂田信男ほか『日本流行歌史』社会思想社、1970年。doi:10.11501/12438458。
  11. ↑ 高橋磌一『流行歌でつづる日本現代史』音楽評論社。
  12. 1 2 “さくら貝の歌の碑”. 逗子旅. 逗子市観光協会. 2026年10月18日閲覧。
  13. ↑ 森谷定吉『逗子雑記』1992年。
  14. ↑ “広報かまくら平成26年度9月15日号4面”. 鎌倉市. 鎌倉市. 2026年10月18日閲覧。
  15. 1 2 「「さくら貝の歌」歌碑 海浜保全のシンボルに 寄付金残金を市に寄付」『タウンニュース 鎌倉版』2013年2月1日。2026年10月18日閲覧。
  16. ↑ “市長の動向(12月)”. 鎌倉市. 鎌倉市. 2026年10月18日閲覧。
  17. ↑ “歌碑「さくら貝の歌」除幕式行われる”. 早稲田大学鎌倉稲門会 (2012年12月22日). 2026年10月18日閲覧。

参考文献

  • 毎日新聞学芸部『歌をたずねて:愛唱歌のふるさと』音楽之友社、1983年。
  • 日本放送協会放送史編修室編『日本放送史』上、日本放送出版協会、1965年。
  • 乾孝・渋谷修編著『にっぽんの歌』淡路書房新社、1960年。
  • 古茂田信男ほか『日本流行歌史』社会思想社、1970年。
  • 小泉晋『続 ぶらり旅:童謡唱歌の歌碑を訪ねて』小泉晋、1996年。

関連項目