アクチェ

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オルハンのアクチェ

アクチェまたはアクチャ(英語表記:akçe または akça、英字化:akche, akcheh, aqcha、オスマン語:آقچه、)は、オスマン帝国の主要な貨幣単位であった銀貨である。

ヨーロッパではアスペル(asper)の名でも知られていた。ベイリク、黒羊朝、白羊朝、クリミア・ハン国などでも流通した。

語源

トルコ語で「白」を意味する ak に縮小辞の -ça が付いたもので、文字通りには「銀」または「銀銭」を意味する。元来は特定の銀貨を指す名称であったが、時代とともに意味が変化し、広く「お金(貨幣)」そのものを指す一般名詞(類義語)となった[1]。

貨幣価値と規格

アクチェの重量は歴史を通じて変動したが、初期の硬貨の重量は 1.15グラムから1.18グラム の間であったと推定されている[2]。

他のオスマン帝国の貨幣単位とは、以下の固定為替レートで連動していた:

  • 3アクチェ = 1パラ(para)
  • 120アクチェ = 1クルシュ(kuruş)

1687年の貨幣改革以降は、アクチェに代わってクルシュが主要な勘定単位となった。さらに1843年には、銀貨であるクルシュに加えて金貨の「リラ(lira)」が導入され、金銀複本位制へと移行した。

歴史

オスマン帝国の領土拡大にともない、鋳造ネットワークも拡大した。1441年、金・銀の鉱山が豊富であったセルビア専制公国の要塞都市ノヴォ・ブルド(英語版)がオスマン帝国軍に初めて占領されると、同地の鋳造所でアクチェの製造が開始された。

帝国の全盛期におけるアクチェの購買力を示す例として、大規模建築の造営費がしばしば挙げられる。一例として、1550年代にイスタンブールに建設されたスレイマニエ・モスクの建設費用は、5900万アクチェに達したとされる。この金額は、当時の金貨で約70万ドゥカートに相当した。

貨幣改鋳と為替レート

数世紀にわたり、オスマン帝国の財務当局は貴金属(銀)の含有量を減らす貨幣改鋳(デベースメント)を繰り返し、通貨価値を低下させた。

以下の表は、アクチェに含まれる銀の重量(グラム)と、その相対的な価値指標の低下を示している[3]。

年代 銀含有量 (g) 指標(インデックス)
1450–1460年 0.85 100
1490–1500年 0.68 80
1600年 0.29 34
1700年 0.13 15
1800年 0.048 6

通貨価値の段階的な下落は、当時の国際通貨であったヴェネツィアのドゥカート金貨に対する為替レートの変動にも反映されている[4]。

年代 1ドゥカートあたりのアクチェ額
1431年 35
1475年 45
1491年 52
1547年 60
1585年 110
1645年 160
1659年 220
1660年 300
1721年 375
1728年 400
1737年 440

関連項目

脚注

  1. ↑ “Akçe”. 2026年10月2日閲覧。
  2. ↑ Ermiş, Fatih (2013). A History of Ottoman Economic Thought. p. 23
  3. ↑ Malanima, Paolo (2009). Pre-Modern European Economy: One Thousand Years (10th-19th Centuries). BRILL. p. 198. ISBN 9789004178229 2014年6月19日閲覧。
  4. ↑ Template:TDV İslâm Ansiklopedisi