アフマド・ラーミー

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アフマド・ラーミー(1921年撮影)

アフマド・ラーミー(アラビア語: أحمد رامي, ラテン文字転写: Aḥmad Rāmī)は、エジプトの詩人[1][2]。20世紀エジプト・アラブ世界を代表する歌手であるモハンメド・アブデルワッハーブやウンム・クルスームへの歌詞提供で知られる[3]。

生涯

1892年にカイロのサイイダ・ザイナブ地区で生まれた[1]。出自はトルコ系である[3]。

師範学校で学び、1914年に卒業した[1][3]。その後、1922年に奨学金を得てパリに渡り、東洋諸言語(特にペルシャ語)、文献学、図書館学を研究し、最終的に1924年にソルボンヌ大学で学位を取得して、エジプトに帰国した[1][3]。詩人や作詞家としての活動に加え、エジプト国立図書館や、エジプトの国際連盟加盟に伴うジュネーブの国際連盟事務局などで、いくつかの職を歴任した[1]。

詩人としては1918年に第1詩集を、1925年に第2詩集及び第3詩集を出版した[3]。詩集(ディーワーン)は生涯で第4詩集まで出版、さらに、『ラーミーの歌』«أغاني رامي»、『詩人たちの恋』«غرام الشعراء» といった詩集も発表した[1]。

ラーミーの詩や歌にはペルシャ語文学から受けた影響が明らかであるとされる[2]。ラーミーにはペルシャ語文学の翻訳の仕事も多い[1]。代表作としては、ウマル・ハイヤームの四行詩(ルバーイヤート)のアラビア語翻訳(«ترجمة رباعيات الخيام»)が挙げられる[1][2]。

ラーミーが精力的に活動した時代はエジプトでの映画制作が隆盛を迎えた時代(1930年代~)にちょうど重なり、ラーミーはエジプト映画のクラシックとされる映画の約30本において、劇中歌の歌詞の提供に加え、作品のプロットやセリフを含む物語の構成に関わった[1]。特に重要とされる映画作品としては、モハンメド・アブデルワッハーブ主演の «الوردة البيضاء»(1932年)や «يحيا الحب»(1938年)が挙げられる[1]。さらに、レイラー・ムラード(英語版)、ファリード・アトラシュ(英語版)、ウンム・クルスームらが主演し、大きな成功を収めた数々の映画においても、彼は重要な役割を果たした[1]。

作曲家アサブギー(カサブジー)(英語版)やウンム・クルスームが亡くなり、さらに親しい友人の詩人サーリフ・ジャウダト(アラビア語版)まで亡くなると[a]、ラーミーは気落ちして新作を発表しなくなり、1981年6月5日に亡くなった[2][3]。

ラーミーは、ウンム・クルスームの全レパートリー283曲中、137曲の作詞を請け負い、彼女に詩を寄せたエジプト近代の詩人たちの中で、最多である[4]。ウンム・クルスームは、ラーミーがアブデルワッハーブに多くの詩を提供しているのを快く思わず、ラーミーの詩才を独占しようとしたとも言われる[1]。

註釈

  1. ↑ アサブギーは1966年、ウンム・クルスームは1975年、サーリフ・ジャウダトは1976年に亡くなる。

典拠

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 “أحمد رامي... حكاية شاعر اشتعل حبا فأضاءت "كوكب الشرق"”. اندبندنت عربية (2022年8月26日). 2026年10月16日閲覧。
  2. 1 2 3 4 Elsheikh, Medhat (2026年6月5日). “Ahmed Rami: Biography of the Poet of Youth and Arabic Song”. Voice of Emirates. 2026年10月16日閲覧。
  3. 1 2 3 4 5 6 “Ahmed Rami”. Rotana Media (2024年). 2026年10月16日閲覧。
  4. ↑ 水野, 信男 (2000-2001). “ウンム・クルスーム研究”. 民族學研究 65 (1): 42-61. doi:10.14890/minkennewseries.65.1_42. ISSN 2424-0508 2026年10月20日閲覧。.