アンディ・バスゲイト
| アンディ・バスゲイト | |
|---|---|
|
ニューヨーク・レンジャース時代 (1957年) | |
| 本名 | アンドリュー・ジェームス・バスゲイト |
| 原語名 | Andrew James Bathgate |
| 生誕 |
マニトバ州ウィニペグ |
| 死没 |
2016年2月26日(83歳没) |
| 身長 | 6 ft 0 in (1.83 m) |
| 体重 | 183 lb (83 kg; 13 st 1 lb) |
| ポジション | 右ウィング |
| ショット | 右打ち |
| 所属したチーム |
NHL ニューヨーク・レンジャース トロント・メープルリーフス デトロイト・レッドウィングス ピッツバーグ・ペンギンズ NL HC Ambrì-Piotta WHA バンクーバー・ブレイザーズ |
| プロ選手期間 | 1952年 – 1975年 |
| 1978年殿堂入り | |

アンディ・バスゲイト(英語: Andy Bathgate, 1932年8月28日 - 2016年2月26日)は、カナダ連邦マニトバ州ウィニペグ生まれのプロアイスホッケー選手である。ポジションは右ウィング。
NHLのニューヨーク・レンジャースの選手として初めてスポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を飾った人気の高い花形選手として活躍したほか、NHL と WHL (Western Hockey League) の双方で最優秀選手賞を獲得したことでも知られる。
経歴
アンディ・バスゲートは9歳で組織的なホッケーを開始し、17歳の時、NHLのニューヨーク・レンジャース傘下のジュニアチームであるOHA(オンタリオホッケー協会)のグエルフ・ビルトモアーズに移籍した。バスゲートはキャプテンとなり、1951年にはプレー中に左膝に重度の損傷を受けるチェックを受け、膝蓋骨の下には鋼板が固定されていたが、OHAの129試合で83ゴール、216ポイントを挙げ、チームを1952年のメモリアル・カップ優勝に導いた。
プロ選手生活は、1952-1953シーズンの AHLクリーブランド・バロンズ(NHL サンノゼ・シャークスの関連チーム)から始まった。
1954年11月15日にはレンジャースに昇格し、ニューヨークっ子の人気者となるとともに、当時のNHL でもトップクラスの選手となった。1955年にチームのオルタネイト・キャプテンに任命され、1958-1959シーズンにはレンジャースの選手として初めて40ゴールを記録し、NHL最優秀選手に与えられるハート記念賞を受賞している。
1961-1962シーズンには、ボビー・ハルと並んでリーグ最多となる84ポイントを挙げたが、より多くの50ゴールを挙げたハルがアート・ロス記念賞を獲得した。バスゲイトは1か月前にNHLに連絡し、自分が受けるに値しないと思ったアシストの一つを取り消すよう要請していた。
レンジャースのプレーオフ進出をほぼ確実にした、1962年3月14日のデトロイト・レッドウィングス戦でのペナルティーショットによるゴールや、1962-1963シーズンに、当時のNHL記録となる10試合連続ゴールを達成するなど印象的な活躍を残したが、レンジャーズ在籍中は、チームの凡庸な成績と、自身の膝の痛みによって欲求不満が溜まっていたといわれる。
1964年2月22日には、トロント・メープルリーフスにトレードとなり、バスゲイトはレンジャースの719試合で729ポイント (272ゴール、457アシスト) を記録し、フランチャイズ史上最多得点者としてチームを去った。
メープルリーフスでは、レッド・ケリーやフランク・マホブリッチとラインを組んでプレーし、レッドウィングスとの1964年スタンレーカップ決勝第6戦の終盤、ブルーラインからのスラップショットで同点に追いつき試合を延長戦に持ち込むと、第7戦の序盤に、ブレイクアウェイ(ゴーリーとの1対1)でテリー・ソーチャックから優勝を決定づけるゴールを決めるなど、勝負所で大きな活躍を残した。
次いで 1965年5月20日にはデトロイト・レッドウィングスに移籍し、ここでチームの1965-1966シーズンスタンレー・カップ決勝進出(優勝はモントリオール・カナディアンズ)に貢献し、シカゴ・ブラックホークスとの準決勝において、バスゲイトはプレーオフのシリーズ記録となる5つのパワープレーゴールを挙げ、全体ではチームメイトのノーム・ウルマンと並んでポストシーズン最多となる6ゴールすべてをパワープレーで挙げ、これも記録を更新した。
1967年6月6日のエクスパンション・ドラフトで、新設されたピッツバーグ・ペンギンズに移籍し、開幕から7試合で6ゴールを記録し、最終的に20ゴール、39アシストを記録して、拡張チームの全選手の中で最多ポイントを挙げる活躍を見せた。
1968-1969及び1969-1970シーズンにはWHLのカナックスにレンタルされ、チームを2度のリーグ優勝に導いた。特に1969-1970シーズンでは、108ポイントを上げて、WHL の最優秀選手賞であるジョージ・リーダー賞 (George Leader Cup) に輝く。
1970-1971シーズンにはペンギンズに復帰し、NHLでの選手生活を終える。
NHL引退後は、WHAのバンクーバー・ブレーザース (Vancouver Blazers) でコーチを務めた他、選手としても11試合に出場し、現役引退後はゴルフ施設を長年運営した。
なお、兄のフランク・バスゲイトも1952-1953シーズンにニューヨーク・レンジャースに在籍した。
2016年2月26日、オンタリオ州ブランプトンにて83歳で死去。翌年に100人の偉大なNHL選手の1人に選出された。
プレーと人物
バスゲイトはニューヨーク・レンジャーズの選手として強いイメージを持っていたが、それ以上に、彼が何よりも重んじていたのはプロとしての誠実さである。「どこでプレーしようと、全力を尽くさなければならない。観客はお金を払って見に来てくれるし、試合では基本的に20分間リンクに立つことになる。もしその20分間、全力を出し切れないのなら、そこにいるべきではない。」と語り、常に全力でプレーし、レンジャースでの11シーズンで欠場したのは、わずか5試合であった。
とりわけフィジカルな選手ではなかったが、パックを持っている時は誰よりも強く、滑らかなスケート、巧みなパックハンドリング、そして重い強烈なシュートの持ち主であった。偶然ではあるが、NHLにおいてゴーリーのフェイスマスク登場に関与したことでも知られている。これは対モントリオール・カナディアンズ戦において、バスゲイトの放ったショットが、ゴーリーのジャック・プラントの顔面に当たり、針で縫う傷を負ったことから始まる。プラントはプレーに復帰すると、フェイスマスクを被って登場したのである。これがNHLにおけるフェイスマスク着用の魁となったとされる。
詳細情報
通算成績
| レギュラーシーズン | プレイオフ | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | チーム | リーグ | GP | G | A | Pts | PIM | GP | G | A | Pts | PIM | ||
| 1951–1952 | ゲルフ・ビルトモアズ | OHA | 34 | 27 | 50 | 70 | 0 | |||||||
| 1952–1953 | バンクーバー・カナックス | WHL | 37 | 13 | 13 | 26 | 29 | 9 | 11 | 4 | 15 | 2 | ||
| 1952–1953 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 18 | 0 | 1 | 1 | 6 | - | - | - | - | - | ||
| 1953–1954 | バンクーバー・カナックス | WHL | 17 | 12 | 10 | 22 | 6 | - | - | - | - | - | ||
| 1953–1954 | クリーブランド・バロンズ | AHL | 36 | 13 | 19 | 32 | 44 | 9 | 3 | 5 | 8 | 8 | ||
| 1953–1954 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 20 | 2 | 2 | 4 | 18 | - | - | - | - | - | ||
| 1954–1955 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 70 | 20 | 20 | 40 | 37 | - | - | - | - | - | ||
| 1955–1956 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 70 | 19 | 47 | 66 | 59 | 5 | 1 | 2 | 3 | 2 | ||
| 1956–1957 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 70 | 27 | 50 | 77 | 60 | 5 | 2 | 0 | 2 | 7 | ||
| 1957–1958 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 65 | 30 | 48 | 78 | 42 | 6 | 5 | 3 | 8 | 6 | ||
| 1958–1959 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 70 | 40 | 48 | 88 | 48 | - | - | - | - | - | ||
| 1959–1960 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 70 | 26 | 48 | 74 | 28 | - | - | - | - | - | ||
| 1960–1961 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 70 | 29 | 48 | 77 | 22 | - | - | - | - | - | ||
| 1961–1962 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 70 | 28 | 56 | 84 | 44 | 6 | 1 | 2 | 3 | 4 | ||
| 1962–1963 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 70 | 35 | 46 | 81 | 54 | - | - | - | - | - | ||
| 1963–1964 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 56 | 16 | 43 | 59 | 26 | - | - | - | - | - | ||
| 1963-1964 | トロント・メープルリーフス | NHL | 15 | 3 | 15 | 18 | 8 | 14 | 5 | 4 | 9 | 25 | ||
| 1964–1965 | トロント・メープルリーフス | NHL | 55 | 16 | 29 | 45 | 34 | 6 | 1 | 0 | 1 | 6 | ||
| 1965–1966 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 70 | 15 | 32 | 47 | 25 | 12 | 6 | 3 | 9 | 6 | ||
| 1966–1967 | ピッツバーグ・ホーネッツ | AHL | 6 | 4 | 6 | 10 | 7 | - | - | - | - | - | ||
| 1966–1967 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 60 | 8 | 23 | 31 | 24 | - | - | - | - | - | ||
| 1967–1968 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 74 | 20 | 39 | 59 | 55 | - | - | - | - | - | ||
| 1968–1969 | バンクーバー・カナックス | WHL | 71 | 37 | 36 | 73 | 44 | 8 | 3 | 5 | 8 | 5 | ||
| 1969–1970 | バンクーバー・カナックス | WHL | 72 | 40 | 68 | 108 | 66 | 11 | 3 | 9 | 12 | 22 | ||
| 1970–1971 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 76 | 15 | 29 | 44 | 34 | - | - | - | - | - | ||
| 1974–1975 | バンクーバー・カナックス | WHA | 11 | 1 | 6 | 7 | 2 | - | - | - | - | - | ||
| WHA 合計 | 11 | 1 | 6 | 7 | 2 | |||||||||
| NHL 合計 | 1069 | 349 | 624 | 973 | 624 | 54 | 21 | 14 | 35 | 56 | ||||
表彰
- NHLオールスターチーム
- 1stチーム:2回(1959年、1962年)
- 2ndチーム:2回(1958年、1963年)
- ハート記念賞:1959年
- スタンレーカップ優勝:1964年
- ホッケーの殿堂:1978年
- マニトバスポーツ殿堂:1993年
- 最高のNHLプレーヤー100人選出:2017年
記録
- オールスター出場 8年連続(1957年、1958年、1959年、1960年、1961年、1962年、1963年、1964年)
背番号
- 9(2009年2月22日 ニューヨーク・レンジャースの永久欠番、トロント・メープルリーフス、ピッツバーグ・ペンギンズ)
- 21(デトロイト・レッドウィングス)
外部リンク
- Andy Bathgate - Legends of Hockey
- Andy Bathgate - The Internet Hockey Database
- Stu Hackel (2017年1月2日). “Andy Bathgate: 100 Greatest NHL Players” (英語). NHL公式サイト. NHL.com. 2026年10月13日閲覧。
- Joe Pelletier. “Andy Bathgate” (英語). GreatestHockeyLegends.com. 2026年10月13日閲覧。