カール・ギレンボリ

ウィキペディアから、無料の百科事典
カール・ギレンボリ
ローレンツ・パシュによる肖像画
個人情報
生誕 (1679-03-07) 1679年3月7日
スウェーデンの旗 スウェーデン、ストックホルム
死没1746年12月9日(1746-12-09)(67歳没)
スウェーデンの旗 スウェーデン、ウプサラ

カール・ギレンボリ伯爵(スウェーデン語: Carl Gyllenborg FRS、1679年3月7日 - 1746年12月9日)は、スウェーデンの政治家、作家。

生涯

ヤーコプ・ギレンボリ(スウェーデン語版)伯爵の息子としてストックホルムで生まれた。

政治

大北方戦争のポーランド戦線で従軍した後、駐ロンドン公使になり、ジャコバイトのサラ・ライト(英語版)と結婚した。1715年には全権公使に任命されたが、1717年にステュアート家の復位陰謀に加担したとして5か月間投獄された[1]。1723年にスウェーデンの国務大臣に任命され、1738年にはKanslipresidentに任命された(実質的には首相と外相の職務をこなした)。

彼は在職している間にハッタナ党(英語版)を結党した。しかしハット党は対露戦争をおこして大敗、ヴィボルグを失った[1]。

学問

1711年、王立協会フェローに選出された[2]。

ルンド大学学長(1728年)、ウプサラ大学学長(1739年)を歴任、著述家と美術のパトロンになり、詩をいくつか書いたとともにスウェーデン初の喜劇Den svenska Sprätthöken(1740年)を書いた。ほかにも『スウェーデンからの軍勢の支援を受け、国王陛下の領土で反乱を起こす計画に関する[...]手紙』(Letters . . . Relating to a Design to Raise a Rebellion on His Majesty's Dominions, to be Supported by a Force from Sweden)が1717年にフランス語と英語で出版された[1]。

脚注

  1. 1 2 3 Gilman, D. C.; Peck, H. T.; Colby, F. M., eds. (1905). "Gyllenborg, Karl" . New International Encyclopedia (英語) (1st ed.). New York: Dodd, Mead.
  2. ↑ “Fellow details”. Royal Society. 22 January 2017閲覧。