キネマ旬報ベスト・テン
| キネマ旬報 | |
|---|---|
|
創刊号の表紙(1919年7月11日) | |
| ジャンル | 映画 |
| 刊行頻度 | 月刊 |
| 発売国 |
|
| 言語 | 日本語 |
| 出版社 | キネマ旬報社 |
| 刊行期間 | 1919年(大正8年)7月11日 - |
| ウェブサイト |
kinejun |
『キネマ旬報』(キネマじゅんぽう)は、キネマ旬報社が発行する日本最古の映画雑誌である。通称「キネ旬」。1919年(大正8年)7月11日創刊。創刊当初は毎月1日・11日・21日の発行。1950年10月の復刊時に月2回発行となり、毎月5日・20日刊行だったが、2023年(令和5年)7月20日から月刊誌になった。
世界一古い映画賞の一つであるキネマ旬報ベスト・テンを毎年選考・授与している。
歴史

1919年(大正8年)7月11日に東京高等工業学校(現・東京工業大学)の学生だった田中三郎ら4人が、アート紙4ページ、毎月1日、11日、21日発行の外国映画専門誌として発刊。1923年9月1日に発生した関東大震災により社屋が壊滅したが、兵庫県芦屋市や西宮市香櫨園などの阪神間に編集拠点を移して刊行を続けた。このため出版業を通じて阪神間モダニズムの一翼を担うことになる。
1940年12月をもって戦時統制により終刊[1]。翌1941年1月から継続誌『映画旬報』が発行されたが、1943年12月にこれも廃刊[2][3]。
戦後1946年3月に再建し、1950年4月にいったん休刊した[4]ものの、同年10月に復刊。以降毎月2回(5日・20日)発行の形態となった。
巻末の新作映画紹介は詳細なスタッフ、キャスト表に加え大部分はストーリーの結末まで記されており、刊行期間の長さと相まって巨大なデータベースとなっている。1990年代にSSコミュニケーションズとNECアベニューの提携で集中電子化が行われ、CD-ROM販売されたこともあるが、現在は一部がGooなどでネットワーク提供されている。
例年、2月5日発売の2月下旬号は、キネマ旬報ベスト・テン発表の特別号となっていた。また、同号には前年の映画業界の動向や今後の展望、興行成績の総括も含まれている。2015年からは2月下旬号にキネ旬ベスト・テン、3月5日発売の3月下旬号に映画業界の総決算の2分冊となった。
2018年3月、同年1月設立の(新)株式会社キネマ旬報社に事業移管が行われ、(旧)キネマ旬報社は株式会社ケージェイに社名変更。同年3月20日、ケージェイは約7億4000万円の負債をかかえ、会社清算を開始した[5]。
2023年5月19日、同年6月20日発売の7月上下旬合併特別号をもって隔週刊発行を終了し、同年7月20日発売の8月号から月刊誌に移行することを発表した[6]。
月刊化後の2024年からは、キネマ旬報ベスト・テンは通常号とは別の2月5日発売の増刊号において発表されるようになった[7]。映画業界総決算号は2025年については『映画業界総決算2025』として『映画年鑑2025』の別冊として同梱[8](単体でもオンラインショップ限定で販売[9])、2026年からはベスト・テン発表号と同様に3月5日発売の増刊号として発行されている[10]。
キネマ旬報ベスト・テン
キネマ旬報賞
1956年、1957年のみ実施。映画評論が対象[11]。
キネマ旬報読者賞
1973年度(発表は1974年)から、『キネマ旬報』の連載コラムの中から、読者の投票でもっとも人気が高かったものを「キネマ旬報読者賞」として表彰するようになった。歴代受賞作は以下のとおり。
- 1973年度(第1回) 和田誠「お楽しみはこれからだ」
- 1974年度(第2回) 竹中労「日本映画縦断」
- 1975年度(第3回) 落合恵子+矢崎泰久+山藤章二「シネマ・プラクティス」
- 1976年度(第4回) 落合恵子+矢崎泰久+山藤章二「シネマ・プラクティス」
- 1977年度(第5回) 小林信彦「小林信彦のコラム」
- 1978年度(第6回) 秋本鉄次+内海陽子+尾形敏朗+野村正昭+藤田真男によるインタビュー「ニッポン個性派時代」
- 1979年度(第7回) 和田誠「お楽しみはこれからだ」
- 1980年度(第8回) 小林信彦「小林信彦のコラム」
- 1981年度(第9回) 小林久三「雨の日の動物園」
- 1982年度(第10回) 淀川長治「淀川長治自伝」
- 1983年度(第11回) 小林久三「雨の日の動物園」
- 1984年度(第12回) 淀川長治「淀川長治自伝」
- 1985年度(第13回) 和田誠「お楽しみはこれからだ」
- 1986年度(第14回) 手塚治虫「観たり撮ったり写したり」
- 1987年度(第15回) 川本三郎「降っても、晴れても」
- 1988年度(第16回) 安西水丸「シネマ・ストリート」
- 1989年度(第17回) 連城三紀彦「試写室のメロディー」
- 1990年度(第18回) 田山力哉「シネマ・ア・ラ・モード」
- 1991年度(第19回) 尾形敏朗「巨人と少年」
- 1992年度(第20回) 竹中直人「少々おむづかりのご様子」
- 1993年度(第21回) 関根勤「関根勤のサブミッション映画館」
- 1994年度(第22回) 和田誠「お楽しみはこれからだ」
- 1995年度(第23回) 田山力哉「シネマ・ア・ラ・モード」
- 1996年度(第24回) 立川志らく「立川志らくのシネマ徒然草」
- 1997年度(第25回) 大高宏雄「映画戦線異状なし」
- 1998年度(第26回) 和田誠+三谷幸喜「これもまた別の話」
- 1999年度(第27回) 立川志らく「立川志らくのシネマ徒然草」
- 2000年度(第28回) 君塚良一「脚本(シナリオ)通りにはいかない!」
- 2001年度(第29回) 川本三郎「映画を見ればわかること」
- 2002年度(第30回) 川本三郎「映画を見ればわかること」
- 2003年度(第31回) 香川照之「日本の魅録」
- 2004年度(第32回) 川本三郎「映画を見ればわかること」
- 2005年度(第33回) 香川照之「日本の魅録」
- 2006年度(第34回) 香川照之「日本の魅録」
- 2007年度(第35回) 川本三郎「映画を見ればわかること」
- 2008年度(第36回) 片桐はいり「もぎりよ今夜も有難う」
- 2009年度(第37回) 香川照之「日本の魅録」
- 2010年度(第38回) 川本三郎「映画を見ればわかること」
- 2011年度(第39回) 立川志らく「立川志らくのシネマ徒然草」
- 2012年度(第40回) 大高宏雄「ファイト・シネクラブ」
- 2013年度(第41回) 荒俣宏「百年の闇 キネマの幻」
- 2014年度(第42回) 細野晴臣「映画を聴きましょう」
- 2015年度(第43回) 川本三郎「映画を見ればわかること」
- 2016年度(第44回) 川本三郎「映画を見ればわかること」
- 2017年度(第45回) 立川志らく「立川志らくのシネマ徒然草」
- 2018年度(第46回) 立川志らく「立川志らくのシネマ徒然草」
- 2019年度(第47回) 宇多丸/三沢和子「2018年の森田芳光」
- 2020年度(第48回) 川本三郎「映画を見ればわかること」
- 2021年度(第49回) 立川志らく「立川志らくのシネマ徒然草」
- 2022年度(第50回) 川本三郎「映画を見ればわかること」
- 2023年度(第51回) 川本三郎「映画を見ればわかること」
- 2024年度(第52回) 斎藤環「映画のまなざし転移」
- 2025年度(第53回) 秦早穂子「シネマ・エッセイ 記憶の影から」
主な編集長
脚注
- ↑ “キネマ旬報の歴史”. キネマ旬報社. 2019年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月13日閲覧。
- ↑ 加藤幹郎『映画館と観客の文化史』中央公論新社、2006年7月25日、210頁。ISBN 978-4-12-101854-0。
- ↑ ゆまに書房『日本映画』『映画旬報』全51巻
- ↑ 文生書院『キネマ旬報』再建号
- ↑ “(株)ケージェイ(旧:(株)キネマ旬報社)”. 東京商工リサーチ (2018年3月26日). 2018年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年3月2日閲覧。
- ↑ 「「キネマ旬報」隔週発行終了→月刊化へ 今年8月号から 誌名は変更せず「紙でお届けする価値を最大化」」『スポーツニッポン』2023年5月19日。2023年5月19日閲覧。
- ↑ “キネマ旬報 2024年2月増刊 キネマ旬報ベスト・テン発表号 No.1938”. KINEJUN ONLINE. 2025年1月13日閲覧。
- ↑ 映画年鑑2025(映画館名簿二〇二五年/映画業界総決算 2025 付 ) KINEJUN ONLINE、2026年3月17日閲覧
- ↑ 映画業界総決算 2025 KINEJUN ONLINE、2026年3月17日閲覧
- ↑ キネマ旬報 2026年3月号増刊 映画業界総決算 No.1982 KINEJUN ONLINE、2026年3月17日閲覧
- ↑ 『キネマ旬報の100年』(キネマ旬報社)P.359
- 1 2 『キネマ旬報の100年』p.358
- ↑ 『キネマ旬報の100年』pp.132-137
- 1 2 3 4 5 6 7 8 『キネマ旬報の100年』p.359
関連項目
- キネマ旬報映画データベース
- 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館(早稲田大学内) - 復刻版を含め全号を所蔵