クラスター対策

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クラスター対策(クラスターたいさく、英: cluster-based approach)とは、2020年の新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) 流行に際して日本の政府や各地の保健所等の組織がとった対策のうち、「クラスター」の発見や予防に的を絞ったものをいう。「クラスター」自体が多義的に使われてきた疫学用語であった[1] うえに、COVID-19対応にあたって日本政府や専門家が統一的定義をあたえることなく「クラスター対策」ということばをさまざまな意味で使ったため、その指し示す対象は広範囲にわたる。そのなかには、(1) 感染者と接触した相手を調査して未発見の感染者を探し出すコンタクト・トレーシングの手法、(2) コンタクト・トレーシングのうちで感染源の調査に特に力を入れるタイプのもの、(3) 病院や福祉施設における感染管理、(4) 大規模感染の予防に特化した行動変容の呼び掛け、といった用法が識別できる。

「クラスター対策」は、日本のCOVID-19対応の特徴をなすものとして肯定的に論じられることが多い[2](pp88-91)[3](pp144-145)。新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(以下「専門家会議」という)は、「クラスター」への対策を「日本型の感染症対策」あるいは「日本モデル」の重要な柱とみなしていた[4][5]。

コンタクト・トレーシング

日本政府が2020年2月25日に制定した「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」は、「感染の流行を早期に終息させるためには、クラスター(集団)が次のクラスター(集団)を生み出すことを防止することが極めて重要であり、徹底した対策を講じていくべきである」とする[6]。この当時、政府は「感染のつながり」という意味で「クラスター」を使っていた[7][8] ので、「クラスター(集団)が次のクラスター(集団)を生み出す」とは、感染のネットワークがつながって拡大することを指す[9](pp90-92)。これを防止するための具体的な方法が、保健所職員が感染者の行動や接触相手について聞き取って、感染している可能性の高い濃厚接触者を特定していくコンタクト・トレーシングであった。国立感染症研究所が作成していたCOVID-19コンタクト・トレーシングの標準的マニュアルである「新型コロナウイルス感染症患者に対する積極的疫学調査実施要領」の2020年4月20日版[10] は、この意味での「クラスター対策」について、ある地域での感染ネットワークを、その発端から末端まですべて捕捉・管理することを指すものとしている[9](pp83)。

もっとも、「積極的疫学調査実施要領」に書かれている実際の指示では、調査対象感染者からの2次感染が疑われるような接触をした者だけが「濃厚接触者」になりうる[10]。そして濃厚接触者以外は新たな調査対象にはならない[11]。一方で、感染者が誰から(あるいはどこで)感染したかについては、感染者から情報を聞き取って感染源の推定はおこなうものの、推定された感染源にアクセスして調査するようなことはないという内容である[12]。このため、日本の保健所がおこなったコンタクト・トレーシングは、2次感染を探して濃厚接触によるつながりを把握する方法(前向き調査)によっていたと考えられている[13]。

このような方法によるコンタクト・トレーシングは世界中でおこなわれている古典的な感染症対策であり、日本独自のものではない[14](pp78,85)。国際的にみれば、調査対象が限定的(発病日以前の接触[注釈 1] やマスクを着けての接触が対象にならないなど)であるため、感染者を見つける性能という点で日本のコンタクト・トレーシングは劣後すると評される[16]。また、麻疹や新型インフルエンザや結核に対して日本でおこなわれてきたコンタクト・トレーシングの方法とくらべても、COVID-19の「クラスター対策」の調査対象は狭く絞りこまれていた[9](pp87-88)。

一方で、保健所職員が調査対象に接触するにあたっては、対象者への丁寧な説明や細かい気配りまでがマニュアル化されている[17]。そうした対人関係への配慮ときめ細かい情報提供が日本のコンタクト・トレーシングの特色だと論じられることもある[18]。

感染源調査

コンタクト・トレーシングの手法の全部ではなく、そのなかで感染源をさかのぼって探す調査を中心としてスーパー・スプレッディング(ひとりから多数への感染)による大規模感染を特定する特殊なやりかただけを指して、「クラスター対策」と呼ぶ場合がある。

専門家会議が2020年5月29日に出した一般向け文書「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」は、「クラスター対策」とはつぎのような手順をとる特殊なコンタクト・トレーシングのことだとする。[19](pp36-38)

  1. 複数の感染者からの聞き取りなどによって、共通する感染源だった可能性のある場所あるいはイベントなどをリストアップし、調査をおこなって、感染の場を特定する
  2. その場にその時間にいた者を、感染した可能性のある者として調査する
  3. そのなかから感染を確認できた者があれば、その者の濃厚接触者を調査する(以下この項を繰り返す)

最初のふたつが「後ろ向き」あるいは「さかのぼり」と形容される調査法であり、すでに判明した感染者からの2次感染を探すのではなく、その人がいつ・どこで感染したかという感染源を探す。 ただし、その対象となるのは、接触した人ではなく、訪れた場である。また、感染者が感染した可能性のある場すべてを調べるわけではなく、他の感染者と共通の場で感染した疑いのある場合だけが調査対象となる[20]。新型コロナウイルス感染症対策担当大臣であった西村康稔は、各感染者について個別に調べた過去の行動履歴を付き合わせて共通の場を探す相互データ参照 (cross-referencing) を保健所がおこなってクラスター対策を実施していたと説明している[21]。

そして、大規模な感染が起きた場が特定できた場合には、そこで見つかった感染者からの2次、3次……の感染を順次探していく。 このように、当時専門家が解説していたクラスター対策は、後ろ向き調査と前向き調査を組み合わせた双方向 (bidirectional)[20] のコンタクト・トレーシングによって大規模感染とそこから広がった感染の連鎖を捕捉していくものであった。

しかし、国立感染症研究所が整備していたコンタクト・トレーシングのための標準的マニュアルは、前述のように、感染源を調査することを求めていない[10]。 専門家会議も、コンタクト・トレーシングを感染源の調査中心に再編すべしといった提言を出さなかった[22](pp346-350)。 保健所によるコンタクト・トレーシングでは、感染源の調査によって大規模感染の起きた場を発見した例は少数しかない[23][24]。

以上の事実から、感染源の調査によって大規模感染の起きた場を発見するというのは机上の理論であり、現実の日本のCOVID-19対策では採用されていなかったものとみられる[13]。にもかかわらず、日本政府と専門家は、そのような「クラスター対策」を実際に保健所がおこなってCOVID-19流行を抑止する成果をあげたと主張した[25]。そうした主張が根拠となって、日本の「クラスター対策」を称賛する言論が展開されている[20][26][27]。

施設内感染管理

2020年3月以降、病院や福祉施設などにおいて、たくさんのCOVID-19患者が発見される事例が相次いだ。こうした事例も「クラスター」と呼ばれる[28]。そしてこのような施設内で広がっていく感染に対応するための感染管理のことを指して「クラスター対策」といっている場合がある[29]。感染者がたくさん見つかる前の段階で、同一施設内で感染者がふたり見つかった時点からとられる対策を「クラスター対策」と呼ぶこともある[30][31]。

病院内での感染は、感染症疫学において特に注意すべき課題とされる。院内感染管理は病院経営上の重要事項であり、その任にあたるインフェクションコントロールドクターを配する病院も多い。[32]

また、日本の感染症対応では、病院に加えて老人福祉施設での感染管理が重要とされ、インフルエンザ等の流行に際して面会制限などの措置がとられてきた。COVID-19に対しても、2020年の早い時期から各施設に対して警戒を促す連絡を厚生労働省が出していた。流行が拡大すると、多くの施設が厳重な感染予防策をとった。こうした措置は、被害を抑えるうえで大きな役割を果たしたと評価されている。[33][34](pp322-324)

行動変容

日本政府が感染のつながりを「クラスター」と呼んでいたのとは異なり、専門家会議メンバーはひとりの感染者から多数の2次感染が生じる現象(スーパー・スプレッディング)による大規模感染を「クラスター」と呼んでいた[35]。専門家会議は当時、そのような現象を防げばCOVID-19の流行を防ぐことができるのではないか、という仮説を立てていた[9](p48)。この仮説が正しければ、すべての感染を防ぐ必要はなく、スーパー・スプレッディングだけを防げばそれで足りる。大衆に対して行動の変容を呼び掛ける場合も、感染のリスク全般に対処する社会距離拡大戦略のような対人接触機会の全面的削減は不要であり、クラスターのリスクを下げるだけでいい。

その仮説に基づいて専門家会議が立案したのが、換気が悪くて多くの人が密集しているところで声を出すという3条件の同時に重なる場(後に「3つの密」と呼ばれるようになる)を避けよ、というメッセージであった[36]。これらの3条件はそれぞれが感染リスクを高めるものなので、完全に感染を防ぐことを目標にするなら、ひとつでも条件を満たす場は避けるのが望ましい。 しかしクラスターを避ける目的なら、そこまで劇的に生活を変える必要はなく、3条件がすべてそろった場だけを避ける限定的な行動変容でじゅうぶんである[37]。このように、通常の感染をすべて避けるための強力な対策ではなく、クラスターというめずらしい現象の防止に限定した控え目な対策をとることを指して「クラスター対策」と呼ぶ場合がある[38](p2)。

このような意味での「クラスター対策」が説得力を持って通用した期間は長くない。もともと専門家会議は、3条件が同時に重なる場を避けるようにというメッセージを出しはしたものの、その効能については「十分な科学的根拠はありません」として懐疑的であった[36]。専門家会議が2020年4月1日に公表した「状況分析・提言」においては、3条件がそろう場だけでなく、「人混み」や「近距離での会話」も避けるように求めている[5]。日本政府の「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」の改正案を審議した4月7日の基本的対処方針等諮問委員会においては、3つの条件のうちひとつでも存在する場を避けるように踏み込んだ行動変容を求める意見が優勢になり、改正案の文面が書き直された[39]。7月以降には感染者数が4人以下の小さな集団も「クラスター」と呼ぶようになり、感染防止とクラスター防止を区別する意義が薄れていく[1]。2020年末には飲食の場面を中心とした小規模な感染に警戒対象が絞られた[40]。このような過程を経て、スーパー・スプレッディングだけを防げばいいという発想は姿を消していった[9](p135)。

クラスター対策班

2020年2月25日、厚生労働省は「クラスター対策班」を設置した[41]。同省は1月28日に「新型コロナウイルスに関連した感染症対策に関する厚生労働省対策推進本部」を発足させ[注釈 2]、その下にCOVID-19対応のためのさまざまな「班」「チーム」などを配してきた。クラスター対策班もそうした組織のひとつであった。

クラスター対策班は、COVID-19に関するデータの分析および介入手段の検討・評価をおこない、専門家会議などに資料を提供する[34](p119)。クラスター対策班メンバーのうち、押谷仁と鈴木基は専門家会議メンバーでもある。そのほか、複数の大学や研究機関から数十人の専門家がクラスター対策班に参加していた[44]。国立感染症研究所の実地疫学専門家養成コース (FETP: Field Epidemiology Training Program) からも専門家が参加しており、各地におけるコンタクト・トレーシングや感染管理を支援する役割を負っていた[45]。

名称は「クラスター対策班」となっていたが、データ分析に基づいてCOVID-19感染状況とそれに対するさまざまな対策の検討・評価をおこなう組織であり、クラスター対策に特化していたわけではない[46]。設立計画はCOVID-19に関するデータ分析機能をすべて集約する組織を想定しており、実際につくられた組織の業務内容もそのようになっている[47](p43-48)。本来、この新組織は「緊急オペレーションセンター」(emergency operating center) として構想されていた[注釈 3]。 しかし、感染症対策の機能を政府内で長年担ってきた国立感染症研究所からの反対意見のため、その機能を直接的に示す組織名をつけるわけにはいかなかった。そこで、「誰も傷つかない名称」として「クラスター対策班」に落ち着いた――というのが、クラスター対策班で活躍した西浦博の述懐である[49](pp50-52)。

「クラスター対策班」という組織名は、政治的な妥協のため便宜的に選ばれたものである。この便宜的な名称が災いして、クラスター対策をおこなうために設置された組織だったと解釈されることがあった[50]。2020年中盤には、クラスター対策班は厚生労働省内の他のCOVID-19対策チームとともに再編され、「疫学・データ班」となった[注釈 4]。

なお、これとは別に、地方公共団体においても、COVID-19対応のために「クラスター対策班」あるいは類似の名称の組織を設置していた例がある[55][56]。

一般化

クラスターに直接関連しないものもふくめ、COVID-19についてのさまざまな対策の総称として「クラスター対策」が使われることがある。鳥取県が2020年8月に定めた「新型コロナウイルス感染拡大防止のためのクラスター対策等に関する条例」は、第3条で「クラスターの発生の予防をはじめとする新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止対策」を「クラスター対策」と称している(「クラスター」については、不特定又は多数の者が立ち入る施設等で生じた5名以上のCOVID-19患者の集団、とする定義が第2条にある)[57]。この条例では、COVID-19の拡大防止対策はなんでも「クラスター対策」である。

COVID-19以外の問題についてCOVID-19対策と同様の用語を使う、という方向でも一般化が起きている。たとえば日本疫学会が編集して2023年に出版した『疫学の事典』は、双方向的なコンタクト・トレーシングを網羅的におこなって感染ネットワーク全体を捕捉・制御するという意味で「クラスター対策」に言及している[58]。この「クラスター対策」についての説明は、COVID-19中心ではあるものの、ほかの感染症にも適用可能な記述になっている。

注釈

  1. ↑ 2020年4月20日の「積極的疫学調査実施要領」改訂で、発症の2日前の接触まで範囲が拡大された[15]。
  2. ↑ 厚生労働省「新型コロナウイルスに関連した感染症対策に関する厚生労働省対策推進本部会議 (第1回) 議事次第」参照[42]。その後、「厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部」に改称している[43]。
  3. ↑ 構想の手本となったのは、アメリカ疾病予防管理センター (CDC) が2009年新型インフルエンザの世界的流行に際して疫学専門家を集めて立ち上げた Emergency Operations Center (EOC)[48] だという[49](p43)。
  4. ↑ 2020年6月21日に、厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部の組織改編にともなって、それまで別に活動していたサーベイランス班などと統合されたという[51](p132)。ただし、「疫学・データ班」という名前は、この日付以前から使われている[52][53]。 「クラスター対策班」という名前も、この日付以降の使用例がある[54]。

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関連項目