グルジア県

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Грузинская губерния
グルジア県
ロシア帝国の県
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1801年9月12日 - 1841年1月1日 →
政庁所在地 チフリス
歴史
 - 設置 1801年9月12日
 - 廃止 1841年1月1日
1801年のグルジア県の地図
1823年のグルジア県の地図

グルジア県 (グルジアけん、ロシア語: Грузинская губерния、グルジア語: საქართველოს გუბერნია、英語: Georgia Governorate) は、1801年9月から1841年1月までロシア帝国の南カフカースに設置されていた県。1801年9月にカルトリ・カヘティ王国がロシア帝国に併合された後、ロシア皇帝アレクサンドル1世の布告に基づいてグルジア県は設置された[1]。県都はチフリスである。

郡

1812年7月に批准されたブカレスト条約によって県域は拡大した。元来は5つの郡に分かれていた[2]。

  1. ゴリ郡(ロシア語版)
  2. ドゥシェト郡(ロシア語版)(中心地はチフリス)
  3. ロリ郡
  4. シグナフ郡(ロシア語版)
  5. テラフ郡(ロシア語版)

廃止

1840年4月10日のロシア皇帝ニコライ1世の勅命によってグルジア県の廃止が承認され[3]、1841年1月1日より発効した。グルジア県はイメレティア州・アルメニア県を廃止・統合する形でグルジノ・イメレチア県へと再編されている。

脚注

  1. ↑ Полное собрание законов Российской империи, собрание 1-ое, т. XXVI, ბრძ. 20.007, გვ. 781[リンク切れ]
  2. ↑ Установления по Грузии от 12-го сентября 1801 года. Vol. 1. Тифлис. Акты собранные Кавказской Археографической Коммиссиею. 1866. pp. 437–438.
  3. ↑ Полное собрание законов Российской империи, собрание 2-е, т. XV, ბრძ. 13.368, გვ. 237