コンバット豊田

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コンバット豊田(コンバットとよだ、1967年10月26日[1] - )は、日本の元女子プロレスラー。本名豊田 記代(とよだ のりよ)。和歌山県和歌山市出身。身長168cm、体重80kg。[2][3]

経歴

1986年9月17日、宍戸江利花との試合でデビュー、同年に全日本女子プロレスの新人王を獲得。1988年にザ・ダイナマイトから脱退し素顔に戻ったグリズリー岩本にかわり覆面を被りダイナマイト・ベア(2代目)に変身するも間もなく全日本女子プロレスを退団する。[2]

その後、全日本女子プロレス時代の同期であった天田麗文、工藤めぐみと共にFMWのマットに乱入し、1990年3月13日に親友の工藤と組んでカムバックする。この2人をはじめとする元全女選手のFMWへの加入は、女子プロレスへの注目度を一気に上げた[4]。初は本名で通していたが、しばらく後、リングネームをコンバット豊田に改めた。[2]

パワーボムとライガーボムをその決め技として転戦しつつ[3]、シャーク土屋などの後継を育成した。(土屋は、豊田との抗争中であっても雑誌インタビューでは「豊田さんは心から尊敬している」と語っていた)豊田は体重100kgの大型レスラーでありながら動きが俊敏なのが特徴であり、ドロップキックの名手でもあった。

1996年5月5日、豊田は長い付き合いとなった工藤(ライバルであるが盟友でもあった)とともに、女子としては史上初であったノーロープ有刺鉄線・電流爆破デスマッチを行い、世界のハードコア・レスリングの歴史にその名を大きく留めるとともに、この試合の終了をもってプロレスラーを引退した。[5][2]

引退後はラーメン屋台「半次郎(祖父の名前)」を開店。FMWの選手や師匠のダンプ松本・大仁田厚などがよく来店したという。先輩のブル中野などや同期の仲間からは「のんちゃん」と呼ばれている。

その後、千葉県浦安市の有名焼肉店で12年間修行した後、2013年8月には兵庫県尼崎市に炭火焼肉ホルモン店『いこら』をオープンして現在も営業中である。

2015年の超花火を中山香里とバッドナース中村と最前列で観戦。後輩のミス・モンゴルの幸せを快く思わない松山勘十郎に、制裁のラリアットを決めてみせた。

現役時の時は週刊プロレスで表紙を飾ったこともあった。表紙には「命短し リングに恋せよ乙女」とあり、1996年5月5日に行われたノーロープ有刺鉄線・電流爆破デスマッチで豊田が被爆している場面を採用している。

得意技

フィニッシャー。所属団体の総帥大仁田厚譲りのサンダーファイヤー・パワーボムバージョンであった。
  • CTスキャナー
ライガーボムは、サイド・エレクトリック・チェア・リフトの体勢から移行する形で繰り出されました。現在、安齊勇馬はこの技の派生形として、片腕でのリストロックを併用した形のものを使用しています。
コーナー最上段からのミサイルキックも得意とした。

獲得タイトル

資料

  1. ↑ Combat Toyoda(英語) - IMDb
  2. 1 2 3 4 FMWの部屋: アウトブレーカーズ
  3. 1 2 Combat Toyoda(英語)
  4. ↑ 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)47ページ
  5. ↑ BBC - h2g2 - History of the Hard Core Wrestling Match(英語) - BBC