ザラズーストラ
| ザラズーストラ | |
|---|---|
| 欧字表記 | Zarathustra |
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 青毛 |
| 生誕 | 1951年 |
| 死没 | 1967年 |
| 父 | Persian Gulf |
| 母 | Zummerudd |
| 母の父 | Sansovino |
| 生国 |
|
| 生産者 | Harold Stannus Gray |
| 馬主 | Terence James Stannus Gray |
| 調教師 |
Michael Hurley( Cecil Boyd-Rochfort( |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 25戦13勝 |
| 獲得賞金 | £33,337 |
ザラズーストラ(英語: Zarathustra、1951年 - 1967年)は、イギリス及びアイルランドの競走馬である。主な勝ち鞍はアイリッシュダービー(1954年)、アイリッシュセントレジャー(1954年)、ゴールドカップ (1957年)。
来歴
ザラズーストラは1951年、北アイルランドのアントリム県にあるグレイマウントで、ハロルド・グレイ卿によって生産された。
同年後半にグレイが死去すると、所有馬は、息子で作家や哲学者として知られるテレンス・グレイ(ウェイ・ウー・ウェイ)に引き継がれた。
グレイは仔馬の売却の打診を複数断り、アイルランドのマイケル・ハーレー厩舎に預託した。
なお、元ウィンチェスター侯爵夫人のバプシバヌー・パヴリーが、パールシーとして、馬に預言者ザラスシュトラの名前が付けられていることはゾロアスター教を冒涜するものであり改名すべきだと抗議している[1]。
競走馬時代
アイルランド時代(1953年 - 1956年)
後に長距離路線での強さで知られる馬であったが、2歳時にはフェニックスパーク競馬場のブレイクプレートなど最短距離の5ハロン戦で3勝を挙げている。
3歳時にはアイリッシュダービーとアイリッシュセントレジャーを制したほか、カラ競馬場のデズモンドプレートでも勝利を収めた。アイリッシュダービーに勝利した後、2万ポンドで購入したいという打診があったものの、馬主はこれを断ったと伝えられている[2]。
4歳時にはロイヤルウィップステークスに勝利した。
イギリス時代(1956年 - 1957年)
5歳時に1戦して敗れた後、イギリスのサフォーク州ニューマーケットにあるセシル・ボイド=ローチフォート厩舎に移籍した。同年はイギリスにおいて、5馬身差を付けたアスコットステークスや[3]、グッドウッドカップなど計4勝を挙げた。
同年のタイムフォームは、ザラズーストラに対しイギリス調教馬として3番目に高い131ポンドのレーティングを与えた[4]。
6歳時には管骨を骨折したが[2]、2ヶ月間療養した後に復帰を果たし、ゴールドカップに出走した。なお、厩舎の主戦騎手であるハリー・カーがエリザベス女王の所有馬アトラスに騎乗するため、ザラズーストラの鞍上はレスター・ピゴットとなった[5]。レースでは先頭集団を追走し、直線に入って早めに先頭に立ち、セントレジャーステークス勝ち馬のカンブルメールに1馬身半差付けて勝利した[6]。
種牡馬時代
引退後はアイルランドで種牡馬入りした。アイルランド時代の代表産駒はステイヤーのクロージアーで、ドンカスターカップを制している。
1965年からは日本で供用され、初年度の種付け数は30頭台、3年目の1967年には50頭台となっていたが[7]、同年に死亡した。
日本時代の代表産駒カツタイコウは種牡馬入りしているほか[8]、アングロアラブでセイユウ、シユンエイの半弟にあたるリュウデンコーがアングロアラブ向け種牡馬として最大年間85頭と一定の牝馬を集めた[9]。
主な産駒
※海外馬は主要競走勝ち馬のみ、日本馬は中央競馬の重賞馬のみ
母の父としての産駒
※海外馬はG1馬のみ、日本馬は中央競馬の重賞馬のみ
血統表
| 父系 | バーラム系(ブランドフォード系) [§ 2] | |||
|---|---|---|---|---|
父 Persian Gulf1940 鹿毛 |
父の父 Bahram1932 鹿毛 |
Blandford | Swynford | |
| Blanche | ||||
| Friar's Daughter | Friar Marcus | |||
| Garron Lass | ||||
父の母 Double Life1926 栗毛 |
Bachelor's Double | Tredennis | ||
| Lady Bawn | ||||
| Saint Joan | Willbrook | |||
| Flo Desmond | ||||
母 Salvia1939 黒鹿毛 |
Sansovino 1921 鹿毛 |
Swynford | John o'Gaunt | |
| Canterbury Pilgrim | ||||
| Gondolette | Loved One | |||
| Dongola | ||||
母の母 Love in the Mist1927 黒鹿毛 |
Buchan | Sunstar | ||
| Hamoaze | ||||
| Ecstasy | Volta | |||
| Love-Oil | ||||
| 母系 (F-No.) | (FN: 1-l) [§ 3] | |||
| 5代内の近親交配 | Swynford 4×3、Pilgrimage 5×5 [§ 4] | |||
| 出典 | ||||
- 父パーシャンガルフは、1944年のコロネーションカップ勝ち馬。
- 母サルヴィアの牝系子孫にはヴェンチュラ、エポカドーロなど。
脚注
- ↑ NAI TSCH97/9/1407; cited in National Archives of Ireland [@NARIreland] (16 August 2023). “As we said - protest can take many forms”. X(旧Twitter)より2026年7月21日閲覧.
- 1 2 Mortimer, Roger; Onslow, Richard; Willett, Peter (1978). Biographical Encyclopedia of British Flat Racing. Macdonald and Jane’s. ISBN 0-354-08536-0
- ↑ “Zarathustra is unlikely to be defeated in Cup”. The Bulletin. 30 July 1956. 2012年3月11日閲覧.
- ↑ Morris, Tony; Randall, John (1990). Horse Racing: Records, Facts, Champions (Third ed.). Guinness Publishing. ISBN 0-85112-902-1
- ↑ “GOLD CUP - British Pathe”. Backup.britishpathe.com (1957年6月24日). 2012年3月11日閲覧。[リンク切れ]
- ↑ “English horse wins Gold Cup”. Spokane Daily Chronicle. 20 June 1957. 2012年3月11日閲覧.
- ↑ “世代・年次別(サラ系総合) 種牡馬情報 ザラズーストラ(GB)”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2026年7月21日閲覧。
- ↑ “カツタイコウ”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2026年7月21日閲覧。
- ↑ “世代・年次別(サラ系総合) 種牡馬情報 リユウデンコー”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2026年7月21日閲覧。
- 1 2 3 4 “5代血統表 血統情報 ザラズーストラ(GB)”. JBISサーチ. 2026年7月21日閲覧。