シオンの聖マリア教会

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シオンの聖マリア教会
旧教会
所在地 ティグレ州アクスム
国 エチオピア
教派 東方諸教会
伝承 エチオピア正教会
歴史
創設者 原初: アクスムのエザナ(英語版)(4世紀頃)
旧教会: ファシリデス(英語版)(17世紀頃)
新教会: ハイレ・セラシエ1世(1950年代 - 1964年)
守護聖人 聖母マリア
建築物
現況 教会群(旧教会、新教会)
様式 旧教会: ゴンダール様式(17世紀頃)
新教会: 現代風バシリカ/ドーム(中世 - 20世紀頃)
建築物概要
建築資材 旧教会: 石、モルタル
新教会: 鉄筋コンクリート、石
管轄
主教区 アクスム教区
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Modern Church of St. Mary of Zion
新教会

シオンの聖マリア教会(シオンのせいマリアきょうかい[注釈 1])は、エチオピアにあるエチオピア正教会の教会である。契約の箱(聖櫃)がここに安置されているとされ、エチオピア正教会において最も神聖な教会とみなされている[1]。

この教会はエチオピア北部のティグレ州アクスムに位置し、近くにはアクスムのオベリスクがある。原初の教会は西暦4世紀頃、アクスム王国において初めてキリスト教に改宗した王であるエザナ(英語版)の治世下に建築されたと信じられ、それ以降何度か再建されてきた。

旧教会内への女性の立ち入りは許可されておらず、聖櫃の原型を示す聖母マリア像が安置された場所のみ女性の立ち入りが許されている[2]。

歴史

初代アクスム司教フルメンティの時代に創建されて以来、少なくとも1回、伝承によれば2回、この教会では破壊と再建が行われた。最初の破壊は10世紀に女王グディト(英語版)の命により行われたとされるが、これは歴史学的には確認されていない。2回目の(歴史学的に確認されている唯一の)破壊は、16世紀にアダル・スルタン国の将軍アフマド・イブン・イブリヒム・アル=ガジーにより行われた。その後、皇帝ゲラウデウォス(英語版)によって再建され、17世紀の皇帝ファシリデス(英語版)によって拡張がなされた[3][4]。

エチオピア皇帝の戴冠式は、伝統的にシオンの聖マリア教会で行われてきた。すなわち、皇帝がこの教会で戴冠されなかった場合、あるいは、少なくともこの教会の特別な礼拝で戴冠が承認されなかった場合、その皇帝は「アツェ」(Atse)の称号を名乗ることができなかった[5][6][7]。

ティグレ紛争

アフリカに関する欧州海外プログラム(英語版)(EEPA)によれば、ティグレ紛争中の2020年12月中旬、この教会に隠れていた750人が過激派により連れ出されて殺害された(アクスムの虐殺(英語版))。地元住民は、これは契約の箱を盜み出すためではないかと疑ったが、その主張を裏付ける証拠は見つかっていない[8][9]。

アムネスティ・インターナショナルによるより最近の報告書では、アクスムとのその周辺におけるエリトリア軍による戦争犯罪やこの教会に対する「神聖性の剥奪」が指摘されているが、これらは独立した調査やエチオピア人権委員会によって確認されていない[10]。

エチオピア政府は、教会の敷地内への法医学調査官の立ち入りや、アクスム周辺で起きた人権侵害に対する国外からの調査を拒んでいる。エチオピアに関する国際人権専門家委員会(英語版)(ICHREE)はエチオピア政府に対し、「人権侵害の申し立てを徹底的に調査するため、ICHREEやその他の独立した調査機関、および独立系メディアに対し、妨げられることのないアクセスを許可する」ように求めたが、2023年8月現在、エチオピア政府は依然としてこれを拒み続けている[11]。

契約の箱

石板の礼拝堂
シオンの聖マリア教会の壁画に描かれた九聖人(英語版)(写真には全員は写っていない)。

この教会は、オリジナルの契約の箱(聖櫃、アーク)を保有していると主張している。伝承によれば、後にエチオピアの初代の王となるメネリク1世がエルサレムを訪れ、父でイスラエル王のソロモンと会ったとき、ソロモンが持っていた契約の箱をエチオピアに持ち去ったという[12]。

聖櫃に収められた石板から発せられる聖なる「熱」によって、それまで収蔵していた旧教会の内陣の壁にヒビが入ったとして、契約の箱は旧教会に隣接する「石板の礼拝堂」に移設された。現在の礼拝堂の建設費用は、皇帝ハイレ・セラシエ1世の后メネン・アスファウ(英語版)が負担した。

ロンドン大学のエチオピア学の元教授のエドワード・エレンドルフ(英語版)は1992年のインタビューで、1941年にイギリス陸軍の将校としてエチオピアに駐屯していたときに、この教会に収められている契約の箱の検分を行ったと述べた。エレンドルフは、箱の中身は空であり、箱自体も「中世中期から後期にかけて、その場しのぎで作り上げたもの」であると述べた[13][14]。

現在、聖櫃を見ることができるのは1人の守護僧のみである[15]。これは、コーヘーン(英語版)(古代イスラエルの祭司階級)以外の者が聖櫃に触れるのは危険であると聖書に書かれているためである。このように、一部の人物しか聖櫃を見ることができないことや、聖櫃がエチオピアにあるという記述に対する疑問から、外国人研究者だけでなくエチオピア人の中にも、聖櫃に関するこの教会の主張の真実性に対して疑念を表している者がいる[16]。守護僧は、自身が亡くなる前に次の守護僧を任命し、前任者が亡くなると、事前に任命された者が守護僧の任務に入る。前任者が次期守護僧を任命せずに亡くなった場合は、教会内の聖職者による選挙が行われ、次の守護僧が選出される[17]。任務に入った守護僧は、残りの生涯にわたって石板の礼拝堂に籠もり、聖櫃に祈りを捧げ続ける[18]。

脚注

  1. ↑ ゲエズ語:ርዕሰ አድባራት ቅድስተ ቅዱሳን ድንግል ማሪያም ጽዮን (ローマ字転写: Re-ese Adbarat Kidiste Kidusan Dingel Maryam Ts'iyon)、ティグリニャ語:ቤተ-ክርስትያን እመቤትና ማርያም ጽዮን (ローマ字転写: Bet-Kristiyan 'Embetena Mariyam Ts’iyon)、アムハラ語:የእመቤታችን ማርያም ጽዮን ቤተ ክርስቲያን (ローマ字転写: Ye’Imebētachin Mariyam Ts’iyon Bēte Kirisitīyan)
  1. ↑ Fitzgerald, Mary Anne; Marsden, Philip (2017-11-20) (英語). Ethiopia: The Living Churches of an Ancient Kingdom. American University in Cairo Press. pp. 18. ISBN 978-977-416-843-7
  2. ↑ “Sacred Sites of Ethiopia and the Arc of the Covenant”. Sacredsites.com. 2016年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月26日閲覧。
  3. ↑ UNESCO World Heritage Centre. “Aksum - UNESCO World Heritage Centre”. Whc.unesco.org. 2016年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月26日閲覧。
  4. ↑ “Microsoft Word - EOTC - English version.doc”. 2017年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月26日閲覧。
  5. ↑ Paul Raffaele. “Keepers of the Lost Ark? | People & Places | Smithsonian”. Smithsonianmag.com. 2016年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月26日閲覧。
  6. ↑ Carillet, Jean-Bernard; Butler, Stuart; Starnes, Dean (2009). Ethiopia & Eritrea - Jean-Bernard Carillet, Stuart Butler, Dean Starnes - Google Livres. Lonely Planet Publications. ISBN 9781741048148. オリジナルの2016-08-08時点におけるアーカイブ。 2016年8月26日閲覧。
  7. ↑ “en_070”. 2016年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月26日閲覧。
  8. ↑ Hundreds reportedly dead after massacre at Oriental Orthodox church in Ethiopia, Catholic News Agency
  9. ↑ Massacre ‘of 750’ reported in Aksum church complex, Tigray, Ethiopia, Church Times
  10. ↑ “Eritrean troops massacre hundreds of civilians in Axum, Ethiopia” (2021年2月26日). 2026年10月18日閲覧。
  11. ↑ “Ethiopia: Authorities must grant independent investigators, media unfettered access to Amhara region to probe violations under state of emergency”. Amnesty International. 18 August 2023. 2025年1月15日閲覧.
  12. ↑ “Where Is the Ark of the Covenant?”. Britannica.com. Encyclopedia Britannica. 2025年1月15日閲覧。
  13. ↑ “Documentary : Does Trail to Ark of Covenant End Behind Aksum Curtain? : A British author believes the long-lost religious object may actually be inside a stone chapel in Ethiopia.”. Los Angeles Times (1992年6月9日). 2019年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月24日閲覧。
  14. ↑ “Sorry Indiana Jones, the Ark of the Covenant Is Not Inside This Ethiopian Church”. Live Science (2018年12月7日). 2019年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月24日閲覧。
  15. ↑ “Smithsonian magazine investigates the Ark”. 2014年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月15日閲覧。
  16. ↑ エチオピア人による聖櫃への懐疑的な見方は、少なくとも15世紀の時点で既に記録が残されている。
    • Pennec, Hervé; Boavida, Isabel; Ramos, Manuel João, eds (2013). Pedro Páez's History of Ethiopia, 1622. Ashgate Publishing. pp. 122. ISBN 9781409482819
    • Haile, Getachew, ed (2003). The Geʻez Acts of Abba Esṭifanos of Gwendagwende. Leuven: Peeters. p. 47. ISBN 978-90-429-1740-8
  17. ↑ Griswold, Eliza (16 December 2010). “Advice From the Guardian of the Ark of the Covenant”. Slate. The Slate Group. 2025年1月15日閲覧.
  18. ↑ “L'Arche d'Alliance en Ethiopie ?”. Histoire-pour-tous.fr. 2016年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月26日閲覧。

参考文献

座標: 北緯14度07分49秒 東経38度43分10秒 / 北緯14.13028度 東経38.71944度 / 14.13028; 38.71944