ダイハツディーゼルNHN
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 |
567-0025 大阪府茨木市田中町12番34号 |
| 設立 | 2005年4月1日(創立1930年8月) |
| 業種 | 機械 |
| 代表者 | 古川博美(代表取締役社長) |
| 資本金 | 2015万円 |
| 従業員数 | 170名 |
| 主要株主 | ダイハツディーゼル |
| 外部リンク | http://www.dnhn.co.jp/ |
ダイハツディーゼルNHN株式会社は、大阪府茨木市に本社を置き、ドアクローザや自動ドアなどの製造販売を行っていた企業である。ダイハツディーゼルの子会社だったが、リーマンショックの影響および円高による経営不振によって、2009年2月に解散した。
解散後は、橋田技研工業がドアクローザ、自動ドア事業の移譲を受け生産・販売をしている。
沿革
ニッカナ
ツバサ工業
- 1952年9月12日 - オート三輪の販売店から自動二輪発売の要望を受け、ダイハツと阪神内燃機工業の共同出資でツバサ工業株式会社を設立[4]。阪神内燃機工業より茨木工場の譲渡を受け[5]、大阪府茨木市に本社並びに工場を置く[6]。
- 1953年7月 - 「強力・堅牢・経済」をモットーにした実用車、ツバサ号自動二輪車 T-80型(250cc)を発売[6]。ツバサの名は昭和初期のオート三輪から引き継ぎ、ダイハツのディーラーで販売された[4]。T-80型はマイナーチェンジで軽量化されてT-80A型となる[7]。
- 1954年4月 - 琵琶湖一周全日本オートレースに参加し、一着の栄冠を得る。この頃、ツバサ号を関西電力、九州電力、大阪瓦斯などに納入[6]。
- 1955年9月 - シャフトドライブのG-120型登場[7]。
- 1957年 - ダイハツ・ミゼットのエンジン及びリヤアクスル組立品の製造を開始[3]。
- 1958年10月 - セルモーター装備、ガソリンタンクとヘッドライトを一体化したユニークなデザインのファイター(125cc)発表[7]。
- 1959年
昭和20年代には中小バイクメーカーが乱立したが、昭和30年代半ばには単車業界の企業格差と淘汰が進んだ。ツバサ号は製品のバラツキやクレームの増大もあり、シェアは広がらなかった[7]。その一方で、当時のオートバイは250ccクラスで150kgもの荷物を積んで走行しており、当時最小クラスの750kg積みオート三輪と二輪車間の潜在的なニーズにこたえるものとして軽三輪車のダイハツ・ミゼットが生まれている[7]。
ダイハツディーゼル機器
事業所
脚注
- 1 2 五十年史, 1957 & p228.
- ↑ 五十年史, 1957 & p229.
- 1 2 3 4 5 六十年史, 1967 & p107.
- 1 2 大阪ダイハツ50 1981, p. 44.
- ↑ & 日本漁船発動機史 1959, p. 331.
- 1 2 3 五十年史, 1957 & p274-277.
- 1 2 3 4 5 6 大阪ダイハツ50 1981, p. 45.
- ↑ "子会社の解散に関するお知らせ" (PDF) (Press release). ダイハツディーゼル. 2009年1月28日. 2009年7月11日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2024年8月25日閲覧。
出典
- ダイハツ工業株式会社五十年史編纂委員編『五十年史』ダイハツ工業、1957年。NDLJP:/2484834。
- ダイハツ工業株式会社六十周年記念社史編集委員会『六十年史』ダイハツ工業、1967年。NDLJP:/2512136。
- ダイハツ工業株式会社六十周年記念社史編集委員会「ツバサ号自動二輪車の販売」『大阪ダイハツ50年のあゆみ』大阪ダイハツ販売、1981年12月、43-46頁。NDLJP://11955617/34。
- 『日本漁船発動機史』日本漁船発動機会、1959年。NDLJP:/2489168/174。