ダゴベルト・ゴドイ
ダゴベルト・ゴドイ | |
|---|---|
| Dagoberto Godoy Fuentealba | |
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ダゴベルト・ゴドイ | |
| 生誕 |
1893年7月22日 |
| 死没 |
1960年9月8日(67歳没) |
| 国籍 |
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| 職業 | 軍人、パイロット |
| 著名な実績 | 1918年にアンデス山脈の高所部を航空機で横断 |
| 配偶者 | エルネスティナ・リスボア・ウリベ |
| 子供 | 6人 |
ダゴベルト・ゴドイ・フエンテアルバ(Dagoberto Godoy Fuentealba、1893年7月22日 - 1960年9月8日)は、チリの軍人、パイロットである。1918年12月12日、ブリストル M.1C単葉機でサンティアゴ近郊からアルゼンチンのメンドーサ近郊まで飛行し、アンデス山脈の高所部を横断したことで知られる[1][2]。チリ航空史上の先駆者の一人とされる[1]。
生涯
テムコに生まれた[1]。父はアブラアム・ゴドイ・マルドネス、母はクロティルデ・フエンテアルバであった[3]。1910年2月25日に軍学校へ入学し、1914年に工兵将校として卒業した[4]。
1915年5月、軍航空学校への入学試験を受け、同年10月6日に操縦士免許を取得した[4]。1916年には中尉となり、飛行競技にも参加した[4]。同年、エンジン停止着陸の部門で共和国大統領賞を受け、ブエノスアイレスで開かれた飛行競技では2位となったとされる[5]。
アンデス山脈横断飛行
1918年当時、チリとアルゼンチンの間では、アンデス山脈の高所部を航空機で横断することが航空上の大きな挑戦となっていた。両国政府は、アンデス山脈の高所部を航空機で横断した飛行士に5万ペソ金貨の賞を与えることを取り決めていたとされる[4]。
同年半ば、チリはイギリスからブリストル M.1C単葉機を受領した[1]。ゴドイはこの機体の性能を用いてアンデス横断に臨むこととなった。
1918年12月12日早朝、ゴドイはサンティアゴ南方のエル・ボスケ飛行場から、ブリストル M.1C単葉機、機体番号C4988で離陸した[4]。機体は布張りで、約400キログラム、110馬力のエンジンを備えていたが、酸素装備や暖房はなく、開放式操縦席であった[1]。ゴドイはトゥプンガト方面からアンデス山脈を越え、高度約6,300メートルに達した[1][2]。
当初はメンドーサ近郊の飛行場に着陸する予定であったが、燃料不足のため、メンドーサ近郊ラグニタスの野原に緊急着陸した[1]。着陸時に機体は脚部、翼、プロペラなどを損傷した[1]。飛行時間については資料により差があるが、おおむね約1時間半から2時間程度とされる[1]。
この飛行は、アンデス山脈の高所部を越えた航空史上の快挙としてチリ国内で大きく称賛された[1]。ゴドイは着陸後、まずチリ領事館に成功を報告し、その後メンドーサ当局にも報告した[1]。成功の知らせは通信社を通じて広く伝えられた[1]。
1918年12月17日にチリへ帰国すると、サンティアゴでは歓迎行事が行われた。チリ国立航空宇宙博物館によれば、市内には凱旋門が設けられ、家々には国旗が掲げられ、約20万人が歓迎したという[1]。
後年
1919年、ゴドイは陸軍大尉となった[1]。1924年7月15日に陸軍を退役し、翌1925年にエルネスティナ・リスボア・ウリベと結婚した。2人の間には6人の子があった[5]。
1930年にチリ空軍が独立した軍種として創設された後も、ゴドイはチリ航空史上の先駆者として顕彰された。1956年、アルゼンチン政府から軍用飛行士の名誉称号を授与された[1]。1957年には、チリ空軍から空軍准将の階級を授与された[1]。
顕彰
1919年1月1日、ゴドイはアンデス山脈横断飛行の功績により、チリ政府から金メダルを授与された[6]。この飛行を記念して、チリでは12月12日が国民航空の日とされている[7]。
1965年、チリの法律第16334号により、テムコ市のペドロ・レオン・ガジョ広場は「テニエンテ・ダゴベルト・ゴドイ広場」と改称され、同広場への記念碑建立が認められた[8]。また、プエルトモントにはダゴベルト・ゴドイの記念碑があり、1977年12月12日、国民航空の日に除幕された[2]。
脚注
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 “63- EFEMÉRIDE: FALLECIMIENTO DEL GENERAL DE BRIGADA AÉREA DON DAGOBERTO GODOY FUENTEALBA” (スペイン語). Museo Nacional Aeronáutico y del Espacio (2022年9月8日). 2026年6月30日閲覧。
- 1 2 3 “Dagoberto Godoy” (スペイン語). Consejo de Monumentos Nacionales de Chile. 2026年6月30日閲覧。
- ↑ “En el centenario de su histórico vuelo: Los años en Temuco del teniente Dagoberto Godoy” (スペイン語). Identidad y Futuro (2018年12月11日). 2026年6月30日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “113- VITRINA DE LA ACTUALIDAD: GODOY, VENCEDOR DE LOS ANDES” (スペイン語). Museo Nacional Aeronáutico y del Espacio (2018年12月17日). 2026年6月30日閲覧。
- 1 2 “Godoy Fuentealba, Dagoberto (1893-1960)” (スペイン語). MCNBiografías.com. 2026年6月30日閲覧。
- ↑ “1- RESUMEN EFEMÉRIDES AERONÁUTICAS DESTACADAS DURANTE EL MES DE ENERO” (スペイン語). Museo Nacional Aeronáutico y del Espacio (2021年1月5日). 2026年6月30日閲覧。
- ↑ “Día de la Aeronáutica Nacional se conmemoró en el MNAE” (スペイン語). Dirección General de Aeronáutica Civil. 2026年6月30日閲覧。
- ↑ “Ley 16334 Denomina Plaza Teniente Dagoberto Godoy a la Plaza Pedro León Gallo de la ciudad de Temuco” (スペイン語). Biblioteca del Congreso Nacional de Chile. 2026年6月30日閲覧。
参考文献
- Alarcón Carrasco, Héctor (2010) (スペイン語). Dagoberto Godoy Fuentealba: Cóndor de los Andes. Santiago de Chile: Novum Editorial