ダリル・シトラー
| ダリル・シトラー | |
|---|---|
|
2008年 | |
| 本名 | ダリル・グレン・シトラー |
| 原語名 | Darryl Glen Sittler |
| 生誕 |
1950年9月18日(76歳) セントジェイコブス |
| 身長 | 6 ft 0 in (1.83 m) |
| 体重 | 190 lb (86 kg; 13 st 8 lb) |
| ポジション | センター |
| ショット | 左打ち |
| 所属したチーム | |
| 代表 |
|
| プロ選手期間 | 1970年 – 1985年 |
| 1989年殿堂入り | |
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| アイスホッケー | ||
| 世界選手権 | ||
| 銅 | 1982 フィンランド | |
| 銅 | 1983 西ドイツ | |
| カナダカップ | ||
| 優勝 | 1976 カナダ | |
ダリル・シトラー(英語: Darryl Sittler, 1950年9月18日 - )は、カナダ連邦オンタリオ州セントジェイコブス生まれの元プロアイスホッケー選手である。ポジションはセンター。
1970年代のトロント・メープルリーフスにおいて、すべての面において最高な選手というわけではなかったものの、堅実で勤勉な忠誠心の強いリーダーとして、絶大な人気を誇ったスター選手であった。
経歴
農業コミュニティで8人兄弟姉妹の一人として育ち、幼い頃から家畜の世話、ジャガイモやリンゴの収穫を摘んで過ごした。OHL(ロンドン・ナショナルズ及びロンドン・ナイツ)で3シーズン活躍した後、1970年のNHLドラフト1巡目 (全体8位) でトロント・メープルリーフスに指名された。
NHLにおいては1970年から1985年まで選手生活を送り、この間メープルリーフス(1970-1971シーズンから1981-1982シーズンの途中まで)、フィラデルフィア・フライヤーズ(1981-1982シーズンから1983-1984シーズンまで)及びデトロイト・レッドウィングス(1984-1985シーズン)に所属した。
1970年代のメープルリーフスの得点能力に優れた攻撃陣の一員として知られている。1972-73シーズンに77ポイントを記録して攻撃のスターとしての地位を確立し、1975-76シーズンの初めにはWHAに移籍したデイヴ・キーオンの後任として24歳でキャプテンに任命された。
1976年2月7日夜の対ボストン・ブルーインズ戦では、NHLにおける一試合最多ポイント記録(2026年現在も最多記録)となる10ポイント(6ゴール、4アシスト)を上げ、[1]シーズン終了時にはリーフスで初めてシーズン100ポイントを達成し、4月22日にはニュージー・ラロンドとモーリス・リシャールのスタンレーカッププレーオフ記録に並ぶ1試合5ゴールを挙げた(後にレジー・リーチとマリオ・ルミューも同じ記録を達成)。さらにその年の夏には、第1回カナダカップにおいて、ティームカナダに優勝をもたらす延長ゴールをたたき出した。
1976-77シーズンは38ゴール、90ポイントを記録し、プレーオフでチームは2回戦を突破できなかったにもかかわらず、わずか9試合で5ゴール、16アシスト、21ポイントという驚異的な成績を残した。
シトラー最高のシーズンは1977-78年で、チーム記録となる117ポイントを記録した(後にダグ・ギルモアが更新)。また、セカンドNHLオールスターチームに選ばれた。
もっともプレーヤーとしての名声が高まるのとは裏腹に、チームはプレーオフで1977–78シーズンを除けば2回戦止まりの状態が続き、狷介さで知られたメープルリーフスのオーナーハロルド・バラードとの折り合いは徐々に悪化した。友人でもあったラニー・マクドナルドが1979年12月29日にコロラド・ロッキーズにトレードされると、その心がぐらつくようになったといわれる。
当時メープルリーフスのゼネラルマネージャーは組織に復帰したばかりのパンチ・イムラック であり、シトラーのプレーについては評価していたとされるが、非常に交際術に長けているとの評判については、快く思わなかったといわれる。このため、イムラックは意趣返しの意味を込めて、シトラーの友人であるマクドナルドのトレードを画策したと指摘する者もいる。シトラーは、抗議のため一時メープルリーフスのチームキャプテンの地位を返上するが、翌シーズン初頭には再びキャプテンを引き受けている。
1982年1月20日、シーズン途中で自ら希望しフィラデルフィア・フライヤーズにトレードで移籍し、リーフスの歴代最多得点者として389ゴール、527アシストを記録してチームを去った。フィラデルフィアでの初年度には43ゴール、83ポイントを記録し、1982年と1983年の世界選手権に出場して銅メダルを獲得している。2シーズン半後の1984年10月10日にデトロイト・レッドウィングスにトレード移籍し、1年プレーしたあと現役生活を終えた。
1990年に気難しいハロルド・バラードが亡くなった後、シトラーはクリフ・フレッチャーの助けを借りて、かつてのリーフス組織との深い対立関係を修復し、その後はトロントの地域社会とリーフス同窓会の活動にかかわった。
2016年9月6日、エアカナダ・センター屋外の「レジェンズ・ロウ」でシトラーの像が除幕され、[2]10月15日にメープルリーフス時代の背番号27は、前任者であるフランク・マホブリッチと共に永久欠番となり、シトラーはリーフス史上最も偉大な選手100人の第4位に選出された。[3]
2017年には最高のNHL選手100人の1人に選出された。
詳細情報

通算成績
| レギュラーシーズン | プレイオフ | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | チーム | リーグ | GP | G | A | Pts | PIM | GP | G | A | Pts | PIM | ||
| 1967-1968 | ロンドン・ナショナルズ | OHA | 54 | 22 | 41 | 63 | 84 | - | - | - | - | - | ||
| 1968-1969 | ロンドン・ナイツ | OHA | 53 | 34 | 65 | 99 | 90 | - | - | - | - | - | ||
| 1969-1970 | ロンドン・ナイツ | OHA | 54 | 42 | 48 | 90 | 126 | - | - | - | - | - | ||
| 1970-1971 | トロント・メープルリーフス | NHL | 49 | 10 | 8 | 18 | 37 | 6 | 2 | 1 | 3 | 31 | ||
| 1971-1972 | トロント・メープルリーフス | NHL | 74 | 15 | 17 | 32 | 44 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | ||
| 1972-1973 | トロント・メープルリーフス | NHL | 78 | 29 | 48 | 77 | 69 | - | - | - | - | - | ||
| 1973-1974 | トロント・メープルリーフス | NHL | 78 | 38 | 46 | 84 | 55 | 4 | 2 | 1 | 3 | 6 | ||
| 1974-1975 | トロント・メープルリーフス | NHL | 72 | 36 | 44 | 80 | 47 | 7 | 2 | 1 | 3 | 15 | ||
| 1975-1976 | トロント・メープルリーフス | NHL | 79 | 41 | 59 | 100 | 90 | 10 | 5 | 7 | 12 | 19 | ||
| 1976-1977 | トロント・メープルリーフス | NHL | 73 | 38 | 52 | 90 | 89 | 9 | 5 | 16 | 21 | 4 | ||
| 1977-1978 | トロント・メープルリーフス | NHL | 80 | 45 | 72 | 117 | 100 | 13 | 3 | 8 | 11 | 12 | ||
| 1978-1979 | トロント・メープルリーフス | NHL | 70 | 36 | 51 | 87 | 69 | 6 | 5 | 4 | 9 | 17 | ||
| 1979-1980 | トロント・メープルリーフス | NHL | 73 | 40 | 57 | 97 | 62 | 3 | 1 | 2 | 3 | 10 | ||
| 1980-1981 | トロント・メープルリーフス | NHL | 80 | 43 | 53 | 96 | 77 | 3 | 0 | 0 | 0 | 4 | ||
| 1981-1982 | トロント・メープルリーフス | NHL | 38 | 18 | 20 | 38 | 24 | - | - | - | - | - | ||
| 1981-1982 | フィラデルフィア・フライヤーズ | NHL | 35 | 14 | 18 | 32 | 50 | 4 | 3 | 1 | 4 | 6 | ||
| 1982-1983 | フィラデルフィア・フライヤーズ | NHL | 80 | 43 | 40 | 83 | 60 | 3 | 1 | 0 | 1 | 4 | ||
| 1983-1984 | フィラデルフィア・フライヤーズ | NHL | 76 | 27 | 36 | 63 | 38 | 3 | 0 | 2 | 2 | 7 | ||
| 1984-1985 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 61 | 11 | 16 | 27 | 37 | 2 | 0 | 2 | 2 | 0 | ||
| NHL合計 | 1096 | 484 | 637 | 1121 | 948 | 76 | 29 | 45 | 74 | 137 | ||||
記録

- OHA-Jr. セカンドオールスターチーム(1969年)
- カナダカップ オールスターチーム(1976年)
- NHLオールスターチーム セカンドチーム選出(1978年)
- NHLオールスターゲーム出場 4度(1975年、1978年、1980年、1983年)
- ホッケーの殿堂(1989年)
- 最高のNHLプレーヤー100人(2017年)
背番号
- 27(2016年10月15日 トロント・メープルリーフスの永久欠番)
脚注
- ↑ 「Skater Records Most Points, Game」NHL.com Records 2026年10月21日閲覧
- ↑ 「Three 'Leaf Legends' immortalized in bronze at Air Canada Centre」Josh Dehaas - CTV Toronto Published: September 06, 2014 2026年9月16日閲覧
- ↑ 「Maple Leafs name greatest players in their history」Toronto Maple Leafs October 15, 2016 2026年9月15日閲覧
外部リンク
- NHL.com, or Eliteprospects.com, or Hockey-Reference.com, or Legends of Hockey, or The Internet Hockey Database
- Dave Stubbs (2017年1月1日). “Darryl Sittler: 100 Greatest NHL Players” (英語). NHL公式サイト. NHL.com. 2026年10月21日閲覧。
- Joe Pelletier. “Darryl Sittler” (英語). GreatestHockeyLegends.com. 2026年10月21日閲覧。
- ダリル・シトラー 公式サイト