チャールズ・ジェネンズ

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チャールズ・ジェネンズ(トマス・ハドソン画)

チャールズ・ジェネンズ(Charles Jennens、1700年-1773年11月20日)は、イギリスの著述家、ウィリアム・シェイクスピア研究家。『メサイア』など、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルのオラトリオ作品の台本作家として知られる。

生涯

ジェネンズはおそらくレスターシャーのゴプソール(Gopsall)で生まれた[1]。ジェネンズ家はウォリックシャーを地盤とし、17世紀に鉄鉱業で財をなした一族だった[2]。1715年2月にオックスフォード大学ベリオール・カレッジに入学したが、卒業はしていない。ジェネンズはイングランド国教会の熱心な信徒だったが[3]、宣誓拒否者(英語版)(ステュアート朝のジェームズ2世とその継承者を正統とし、当時の英王室に対する忠誠を拒否する者)であり、その信条は終生変わらなかった[4]。

なお、『英国人名事典』では宣誓拒否者であったために卒業できなかったとするが[5]、スミスによると当時の富裕層は学位を取得しないことが多かったため、必ずしもそうとは言えないという[4]。

ジェネンズは音楽になみなみならぬ関心をもっていた。楽譜収集家でもあり、イタリア・オペラの楽譜を現地から取り寄せ、アントニオ・ヴィヴァルディの出版譜のほとんどを蒐集していた。ヘンデルにも自分のコレクションから楽譜を貸し与えている。ヘンデルの楽譜の忠実な予約購入者でもあり、ヘンデルの音楽を聞くためにロンドンのみならずオックスフォードにも出かけた[6]。

ジェネンズはまた、エドワード・ホールズワース(Edward Holdsworth)によるウェルギリウス研究の協力者でもあった[7]。

1747年に父が没し、ジェネンズは一家の広大な土地と建物をすべて相続した。ジェネンズはゴプソールの自宅を荘厳な邸宅に改築し、また絵画や彫刻を大量に収集した[8]。

1770年、70歳になる年にシェイクスピアの校訂全集の出版を開始し、1773年に没するまでに5冊を完成した。ジェネンズは本文と異文を同一ページに記載した最初のシェイクスピア劇編纂者であった[9]。

結婚はしなかった[5][10]。

台本作家としての活動

ヘンデルの作品のうち、以下の作品はジェネンズによって台本が書かれた。

『エジプトのイスラエル人』(1739年初演)の台本作者は不明だが、ジェネンズがかかわっていた可能性もある[11][12]。

ジェネンズの台本には彼の信条が反映されているとされる。たとえば『メサイア』には当時の理神論に対してキリスト教を擁護する立場があらわれているという[13]。しかし、ヘンデルがそのような意図を理解して作曲したとは考えにくい[14]。ヘンデルが『メサイア』をわずか3週間あまりで作曲してしまい、ジェネンズの手の届かないダブリンで初演したことについてジェネンズは腹を立てた[15][16]。

脚注

  1. ↑ スミス(2005) p.160
  2. ↑ スミス(2005) p.11
  3. ↑ スミス(2005) pp.31-32
  4. 1 2 スミス(2005) pp.27-29
  5. 1 2 英国人名辞典
  6. ↑ スミス(2005) pp.12-17
  7. ↑ スミス(2005) pp.17-18
  8. ↑ スミス(2005) pp.18-23
  9. ↑ スミス(2005) pp.24-26
  10. ↑ スミス(2005) p.23
  11. ↑ スミス(2005) pp.9-10
  12. ↑ 三澤(2007) p.123
  13. ↑ スミス(2005) pp.32-44
  14. ↑ 三澤(2007) pp.119-122, 153-155
  15. ↑ スミス(2005) p.44
  16. ↑ 三澤(2007) pp.147-148

参考文献

  • ルース・スミス 著、赤井勝哉 訳『チャールズ・ジェネンズ—《メサイア》台本作家の知られざる功績』聖公会出版、2005年。ISBN 4882741474。 
  • 三澤寿喜『ヘンデル』音楽之友社〈作曲家 人と作品〉、2007年。ISBN 9784276221710。 
  • “Jennens, Charles”. Dictionary of National Biography. 29. (1892). pp. 318-319. https://archive.org/details/dictionarynatio10stepgoog/page/n330 (英国人名事典)