ハッコウマーチ

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ハッコウマーチ
現役期間 1991年 - 1997年
品種 アングロアラブ(アラブ血量26.78%)[1]
性別 牡[1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1989年5月29日[1]
死没 不明(1998年6月1日用途変更)
抹消日 1997年6月20日[2]
父 ハツタダイドウ[1]
母 ハツコウタイム[1]
母の父 タイムライン[1]
生国 日本の旗 日本(北海道三石郡三石町)[1]
生産者 佐藤陽一[1]
馬主 八田澄治(兵庫)
→中内晴子(高知)[1]
調教師 福村正義(兵庫)
→東原己俊(高知)[1]
競走成績
生涯成績 54戦33勝[1]
獲得賞金 6903万8000円[1]
勝ち鞍 菊水賞(園田・1992年)
南国梅花賞(高知・1996年)
南国桜花賞(高知・1996年)
南国菊花賞(高知・1996年)
アラブ大賞典(佐賀・1997年)
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ハッコウマーチとは日本の競走馬である[1]。高知競馬場で連勝記録の日本新記録を達成する可能性がある馬として、大きなブームを巻き起こした。

概要

3歳の1991年6月10日に園田競馬場でデビューし勝利すると、順調に使われ、翌4歳の1992年2月12日には当時の兵庫アラブ三冠の1冠目の菊水賞で重賞初勝利を挙げる。2冠目である楠賞全日本アラブ優駿では4着に終わり、3冠目の六甲盃では2着に終わっている。古馬編入後も順調に使われていたものの、5歳になった1993年3月16日に古馬のオープン競走を最後に屈腱炎を発症し、長期休養を余儀なくされる。6歳になった1年半後の1994年9月7日に大阪スポーツ賞で復帰するものの、8頭立ての7着に終わり、屈腱炎で順調に使えない事から、高知競馬場に移籍することとなった。

高知競馬場では1995年2月4日のC1級2組で見事転入初勝利を飾った。高知競馬転入当初はあまり注目されておらず、高知競馬転入後は連勝街道を走っていたものの、内にもたれる癖があり、いつか負けるであろうと見られていたという。それが10連勝・15連勝と積み重ねるうちに注目され始め、1996年2月11日の南国梅花賞で高知競馬場での重賞初勝利を飾る。その後も連勝街道をつき走り、1996年12月1日の山茶花特別で1967年にトモエゴゼンが記録した日本記録の26連勝に並ぶ。

そして、連勝記録の新記録がかかった次走は大晦日の大一番である南国王冠・高知市長賞が選ばれ、単勝・複勝ともに1.0倍の圧倒的1番人気に支持される。日本新記録を見ようと高知競馬場にはレース前から1万人を大きく超える観客が集まり、スタンドは満員状態となった。レースがスタートするとハッコウマーチは好位からレースを進め、2周目の3コーナーで先頭に立つが、ゴール寸前で外から伸びてきたバイタルサインにかわされ、2着に終わり、日本新記録達成はならなかった。この時の高知競馬場は2周目の4コーナーをハッコウマーチが先頭で回ったあたりでスタンドが揺れるような地鳴りのような歓声に包まれ、バイタルサインにかわされゴールした瞬間、場内が静まり返り、数秒後には悲鳴に包まれたという。

南国王冠・高知市長賞で2着に敗れた後、高知で2戦しいずれも勝利した後、1997年3月9日に佐賀競馬場に遠征し、アラブ大賞典[3]に出走する事となった。このレースには当時全国のアラブ代表格級の馬であった兵庫のケイエスヨシゼンや福山のタッチアップが出走しており、ハッコウマーチはその2頭に次ぐ3番人気であったが、南国王冠で早めの競馬で敗れたこともあり後方待機策をとり[4]、先に抜け出した人気2頭を交わして優勝。当時の高知競馬では他地区に遠征して結果を残す馬はほとんどおらず、この勝利は高知競馬史に残る快挙であった。その後は地元の南国桜花賞に連覇をかけて出走したものの、ラッキーイチロウの2着に終わり、このレースを最後に登録を抹消されている。

その後、種牡馬になった[1]ものの、産駒は存在せず、1998年6月1日に用途変更になっている[5]。

エピソード

  • 参考文献において、橋口浩二アナウンサーが取材に応じ、南国王冠・高知市長賞当日の状況について振り返り、「後にも先にもこのようなことはもうないでしょう」と発言している[6]。
  • ハッコウマーチは1995年2月の高知転入時C1級からスタートしており、C1級を3連勝した後、1995年4月には当時の最下級クラスであるC5級に降級した。これは高知競馬が3月末と9月末時点で過去2年分の賞金で番組賞金を計算する編成替えを年2回行っているためである。これは現在だけでなくハッコウマーチの高知在籍時代も同じ計算方法で行われていた[7]。

血統表

ハッコウマーチの血統(血統表の出典)[§ 1]
父系ザテトラーク系
[§ 2]
父

ハツタダイドウ
1990 栗毛
父の父
スマノダイドウ
1970 鹿毛
ミトタカラ タカクラヤマ
金友(アラブ)
トキノメジロ(サラ系) メジロオー(サラ)
トキノハツエ
父の母
オーエヌカリム
1970 黒鹿毛
カリム(サラ) Nearco
skylarking
セフトイチ セフトワイ(サラ)
義浪(アラブ)
母

ハツコウタイム
1981 黒鹿毛
タイムライン
1969 栗毛
タガミホマレ ミネフジ
バイオレツト
リユウエイ シユンエイ
タツリユウ
母の母
ハツコマ
1972 鹿毛
ブロウニー トモエベビー
コンドル
クニハヤテ ホースニユース
ヒメハヤテ
5代内の近親交配 セフト 5×5
出典
  1. ↑ 血統情報:5代血統表|ハッコウマーチ|JBISサーチ 2022年8月20日閲覧
  2. ↑ ハッコウマーチの血統表|競走馬データ - netkeiba.com 2022年8月20日閲覧

脚注・出典

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 “ハッコウマーチ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年8月20日閲覧。
  2. ↑ ハッコウマーチ 2022年8月20日閲覧
  3. ↑ 1995年まで中央競馬で行われていたアラブ大賞典や、荒尾競馬場で行われていたアラブ大賞典とは別のレースで、2001年に西日本アラブ大賞典に改称される前のレースの事。改称前から西日本地区の交流レースであった。
  4. ↑ 『優駿』1997年5月号、日本中央競馬会、130頁
  5. ↑ “アア ハッコウマーチ(JPN)”. 血統書サービス studbook. 公益社団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年8月21日閲覧。
  6. ↑ 取材に応じた時点でハルウララはブーム前どころか、デビューすらしていない。
  7. ↑ 『競馬名馬&名勝負読本'98 ファンのファンによるファンのための年度代表馬'97』宝島社〈別冊宝島 競馬読本シリーズ〉、1998年3月16日、57頁。ISBN 978-4796693691。

参考文献

『競馬[隠れ名馬]読本-ダート、地方、障害、アラブ…黙殺され続けた名馬500頭!』宝島社〈別冊宝島 競馬読本シリーズ〉、1998年1月3日、220-221頁。ISBN 978-4796693554。 

外部リンク