パキスタン人民党

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パキスタンの旗 パキスタンの政党
パキスタン人民党
پاکستان پیپلز پارٹی
Pakistan Peoples Party
党旗
総裁 ビラーワル・ブットー・ザルダーリー
成立年月日 1967年11月30日
国民議会議席数
73 / 336   (22%)
(2024年2月8日)
元老院議席数
24 / 96   (25%)
(2024年4月2日)
政治的思想・立場 社会主義[1]
民主主義[2]
シンボル 矢
国際組織 社会主義インターナショナル
公式サイト Home - Pakistan Peoples Party
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パキスタン人民党(パキスタンじんみんとう、(ウルドゥー語: پاکستان پیپلز پارٹی‎、英語: Pakistan Peoples Party、略称:PPP[1])は、パキスタンの中道左派・社会民主主義政党。

概要

産業の国有化などの社会主義(イスラム教社会主義)政策、労働者や農民の生活向上、国民の国防参加、インドとの対抗上から親中・親米政策を掲げている。現在はこれに加えてイスラム主義勢力への対抗から、民主政治、世俗主義を強調している。

社会主義インターナショナル加盟。

沿革

ズルフィカール・アリー・ブットー
ベーナズィール・ブットー

1967年、ズルフィカール・アリー・ブットー(後に大統領・首相)を中心として創設された。彼がクーデターで打倒された後にムハンマド・ジア=ウル=ハクの手で処刑されてからはイスラーム圏初の女性首相を経験したベーナズィール・ブットーを党首として、ハク大統領の飛行機事故死後にパキスタンの民主化を進めた。

2007年からパキスタンで民主化運動が活発化し、パルヴェーズ・ムシャラフ大統領に抵抗する一大運動に発展すると、ベーナズィール・ブットーの暗殺(英語版)を経て、その夫であるアースィフ・アリー・ザルダーリー大統領と長男のビラーワル・ブットー・ザルダーリーを共同総裁としていた。このように、ブットー家の党という一面もある[3]。主な地盤は南部のシンド州だが、他の地域にもそれなりの勢力を持つ。

2008年のパキスタン下院総選挙(英語版)で第1党となり、党指導者のひとりユースフ・ラザー・ギーラーニーが率いる連立政権を統一民族運動(MQM)などと成立させた。しかしMQMは後に政権から離脱している。

アースィフ・アリー・ザルダーリー大統領(元共同総裁)

2013年のパキスタン下院総選挙(英語版)では党の汚職体質や経済無策を批判され、さらにイスラーム過激派のパキスタン・ターリバーン運動からもテロ攻撃の対象とされるなか惨敗した[4]。

2015年にアースィフが共同総裁を退き、ビラーワルが単独で総裁となった。

2024年2月8日に執行された総選挙(英語版)では直後に与党パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ・シャリーフ派(PML-N)と最大野党パキスタン正義運動(PTI)の双方が勝利宣言するなど混迷を極めた[5]が、選挙の結果、264議席中、PTIが支援する無所属議員が93議席を獲得したほか、PML-Nが75、パキスタン人民党(PPP)が54議席を獲得し、2月13日にPPPはPML-Nなどとの6党で連立政権を樹立することで合意した[6]。

脚注・出典

  1. 1 2 “パキスタン人民党 パキスタンじんみんとう Pakistan People's Party”. コトバンク. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. 2019年10月26日閲覧。
  2. ↑ M・イリヤス・カーン (2018年7月24日). “パキスタン総選挙 「忍び寄るクーデター」の懸念”. BBCニュース (英国放送協会) 2019年10月26日閲覧。
  3. ↑ 萬宮健策「パキスタンにおける政党の位置づけ―パキスタン人民党を事例として―」5.パキスタン人民党の政治活動 (3)パキスタン人民党の活動概観
  4. ↑ パキスタン総選挙、野党第1党に 米との関係焦点(日本経済新聞 2013/5/12)
  5. ↑ “パキスタン総選挙、カーン氏・シャリフ氏双方が勝利宣言 混迷一段と”. ロイター. (2024年2月10日) 2024年2月15日閲覧。
  6. ↑ “パキスタン旧与党が連立合意 シャバズ・シャリフ前首相の再任目指す”. 朝日新聞. (2024年2月14日) 2024年2月15日閲覧。

外部リンク