ヒポクラテスの定理
ヒポクラテスの定理(ヒポクラテスのていり、英語: Hippocrates's theorem)は、幾何学の定理である。二つの円弧で挟まれた月形という図形(英語: lune,lunule)の面積の和が、ある直角三角形の面積に等しいことを主張する。イブン・ハイサム(アルハゼン、10世紀)が示した[1]。なお、図1と図2の月形を各々アルハゼンの月形(lune of Alhazen)、ヒポクラテスの三日月(lune of Hippocrates)という[2][3]。定理の名前は、月形の面積の研究を始めた紀元前5世紀のキオスのヒポクラテスに由来する。ただし、ヒポクラテスは本定理やその特殊ケースにあたる主張は残していない[4]。イブン・ハイサムやヒポクラテスの命題は、一見して意外性が高く、しかも初等的に証明できることから、現代の中等教育の副教材や啓蒙的な解説でも取り上げられる。
ヒポクラテスは、「月形を用いて、円積問題を解決した(与えられた円と同じ面積の正方形の作図をした)」という誤った主張をしたとも伝えられている。しかし、彼がどのような意図で何を主張をしたのかについては、不明な点が多い[5]。ただし、中世や近代の初期において、月形は円積問題としばしば結びつけて論じられた。直接的に解決に用いようとする場合もあれば、解決の可能性を示す状況証拠として用いることもあった。また、曲線で囲まれる図形と直線で囲まれる図形が比較可能であることを示す例としても用いられた。しかし、アルキメデス流の曲線図形の取り扱いが広まり、微分積分学が確立すると、単なる幾何学や代数学の例題の一つとなっていった。
数学史においては、ヒポクラテスの月形の議論は、詳細が伝わる最古の論証数学であることから、様々な角度から分析がなされている。また、アラビア語圏、ヘブライ語圏、ラテン語圏にまたがって伝わり、哲学的な注釈書の伝統と数学書の伝統の双方で論じられるため、学術的な交流の痕跡を追跡する立場からも研究がなされている。

定理(イブン・ハイサム)

直角三角形で、斜辺を直径とする半円が内接していて他の2辺を直径とする半円は外接している。
斜辺でない方の2辺の半円と直角三角形の和と斜辺の半円の面積の差は、元の直角三角形の面積と等しい。つまり図1では青と赤の面積が等しい。
証明
直角三角形で斜辺を直径とする半円が内接していて他の2辺を直径とする半円は外接している。
円周角の定理より直角三角形の各頂点は斜辺の半円の円周上にある。
円の面積は半径の二乗に比例するので、三平方の定理より、斜辺の半円と、他の2辺の半円の和の面積は等しい。
斜辺の半円と他の2辺の半円で重なる部分がある。この部分を引くと、三日月型と直角三角形が現れる。
よって、斜辺でない方の2辺の半円と直角三角形の和と斜辺の半円の面積の差は、元の直角三角形の面積と同じだということがわかる。
定理の名前と発見者
本定理は、10世紀の数学者イブン・ハイサムの著書『月形について』にはじめてあらわれる[7].。一方、定理の名称は、紀元前5世紀に月形の研究をはじめたキオスのヒポクラテスに由来する。
ヒポクラテスの月形の研究は6世紀のアリストテレスへの注釈書に残っているが、そこには上記の定理の記述はない[8]。また、その特殊な場合(たとえば直角二等辺三角形の場合)に相当する主張も現れない[9]。そして古代においては、ヒポクラテスの議論を引用するのはもっぱら哲学者・注釈家であって、数学者たちは月形の研究にあまり言及していない[10]。しかし、近代に入って、なぜか本定理はヒポクラテスの業績の中に紛れ込んでしまった[11]。
イブン・ハイサムは、古代の流れを受け継いで、円積問題への取り組みの一環として月形に興味をもったようである[12]。この主題については、3つの著作が現代に伝わっており、それら全てに「ヒポクラテスの定理」の記述がある(詳しくは、月形研究の歴史·中世·アラビア語圏)。最初の二つの著作は、円積問題の議論が主な動機になっているが、第三の著作では、円積問題をさほど意識せず、円弧で挟まれる様々な図形の正方形化を試みる。現時点においては、イブン・ハイサムのこれらの著作のラテン語訳は知られていない[13]。
科学史家 M. Simonの調査によれば、ヨーロッパにおける本定理の初出は17世紀後半のイグナス・ガストン・パルディ(英語版)の幾何学書である[14][15]。
ただし、14世紀のヨハネス・デ・ムリス(英語版) De arte mensurandi(『計測の術について』)には、角の一つが60°の直角三角形の場合の「ヒポクラテスの定理」が命題26として述べられている。そして、証明にはイブン・ハイサムと同様の論法を用いており、一般の直角三角形にそのまま適用可能である[16]。
ヒポクラテスによる月形の求積
月形の理論を開拓したのは、紀元前5世紀のキオスのヒポクラテスである。
彼の理論については、アフロディシアスのアレクサンドロス(紀元2-3世紀)の伝える手短な議論と、ロドスのエウデモス(紀元前4世紀)の伝える詳しい議論の両方が伝わっている[注 1]。ここではまず後者について説明したのち、前者についても説明する。
エウデモスによると、ヒポクラテスは以下の三種類の月形( 古希: μηνίσκος,羅: luna,lunula, figura lunaris、阿: الشكل الهلال(ash‑shakl al‑hilāl))の正方形化(古希: τετραγωνισμός,羅: quadratura、阿: تربيعٌ(tarbīʿun))に成功した。「正方形化」とは、与えられた図形と等しい面積の正方形を作図することである。そのための第一段階として、ヒポクラテスは与えられた月形と等しい面積の多角形の作図を示している[17]。(許容された作図の手段については後述。)
エウデモスの伝える三つの例
エウデモスは、月形の正方形化の成功例として、次の3つの例を伝える。例1では外側の円弧が見込む中心角が180°、例2では180°以上、例3では180°以下である。
例1

図(ヒポクラテスの三日月)は、次の二つを満たすように作図されている。
- 3つの弓形⌓CDA、⌓AEB、⌓CFBは相似
上記の条件を満たすためには、まずBCを円の直径とし、点Aを円弧BCの中点とする。すると円周角の定理より△CABは直角二等辺三角形である。次に、内側の円CFBを半径を外側の円CABの半径の√2倍にする。すなわち、円弧CFBの中心角が円弧CDA、円弧AEBと同じ90°となるようにする。すると、3つの弓形⌓CDA、⌓AEB、⌓CFBは相似になる。また、三平方の定理より相似比の二乗は上記の値になる。
月形と三角形の面積が等しいことの証明

証明のポイントは
- 相似な図形の面積の比率は、相似比の二乗
という事実である。これと上記の1と2ゆえに、⌓CDA、⌓AEB、⌓CFBの面積の比はになる。すなわち、S=2Tであり、⌓CDAと⌓AEBを合わせた面積(赤の部分)が、⌓CFB(青の部分)の面積に等しい。
一方、△ABCに弓形⌓CDAと⌓AEB(赤の部分)を付け加え、⌓CFB(青の部分を)を取り除くと、月形CABFを得る。よって、△ABCと月形CABFの面積は等しい。
例2, 例3も証明はほぼ同じパターンであるので、省略する。
例2

図は、次の条件を満たすように作図されている。
- 弓形⌓DEA、⌓AFB、⌓BGC、⌓DHCは相似。
これらの条件のもと、⌓DEA、⌓AFB、⌓BGC、⌓DHCの面積の比はになり、例1とほぼ同じ理由で、影をつけた月形の面積が台形ABCDの面積に等しい。
これらの条件を満たすには、まず、となるよう対角線ACとDBを定めて四角形ABCDを作図する。そして、この四角形に外接するように外側の円DABCを作図する。すると、トレミーの定理から四角形ABCDの辺の長さの2乗の比は、1:1:1:3になる[19]。次に、内側の円DHCの半径を外側の円の半径の√3倍にする[注 3]。すると、円弧DEA、円弧AFB、円弧BGC、円弧DHCに対応する中心角を全て等しくなって、作られる弓形は相似になり、相似比の二乗は上記の値になる。
例3

図は次の条件を満たすように作図されている。
- 弓形⌓DFA、⌓AGB、⌓BHC、⌓DIE、⌓EJCは相似
これらの条件のもと、弓形⌓DFA、⌓AGB、⌓BHC、⌓DIE、⌓EJCの面積の比はであり、例1とほぼ同じ理由で、影をつけた月形と五角形ABCEDの面積は等しい。
条件1を満たす等脚台形ABCDは、DA=AB=BC=1、とし、を方程式の解とすれば得られる。この方程式は△DABと△AEBが相似であることから導かれる。灰色部分の月形は、等脚台形ABCDの外接円と△DECの外接円に挟まれた図形である。ここで条件2が満たされていることは、次のようにしてわかる。円弧DIEと円弧DFAに対応する円周角はともに∠ACDあるから、対応する中心角も等しい。よって、⌓DFAと⌓DIEは相似である。条件2に現れる他の弓形も相似であることも、同様にして示すとこが出来る。
本定理との関係
イブン・ハイサムの『月形詳論』(Maqāla mustaqṣāt fī al-ashkāl al-hilālīyya)では、本定理を用いた「ヒポクラテスの三日月」の正方形化の別証明を与える[20]。右図の△ABCに対して「ヒポクラテスの定理」を用いると、月形AEBFの面積の2倍が△ABCに等しいことがわかる。△ABCの面積は△ABOの面積の2倍であから、月形AEBFの面積は△ABOに等しい。

この証明はエウデモスの伝える論法と異なり、むしろ紀元2-3世紀のアフロディシアスのアレクサンドロスによる説明に近い[22]。まず、右図において、
- 半円AEBDの面積と四分円AFBOの面積は等しい。(∵三平方の定理を△ABCに適用)
一方、
- (月形)=(半円AEBD)―(⌓AFBD)=(四分円AFBO)―(⌓AFBD)=(△ABO)
であるから、月形と△ABOの面積は等しい。△ABCに三平方の定理を適用する点はイブン・ハイサムと共通するが、二つ目の月形を考えることはない[注 5]。
円と月形の和の求積
ヒポクラテスは、月形と円の和の正方形化も試みている。
例4

紀元前4世紀のエウデモスの伝えるところによると、左のような円と月形の面積を足した部分の面積が、六角形ABCDEFと△GHIの面積を足したものに等しいことを示したという。ただし、外側の円の直径は内側の円の直径の√6倍であり、円弧GH, 円弧HI 円弧GJIの中心角はいずれも60°である[23]。なお、六角形ABCDEFと△GHIは、どちらも外側の円に内接する正六角形の面積の1/6であるから、この結論は「△GHIの面積の2倍」と言い換えることもできる。
例5

紀元2-3世紀のアフロディシアスのアレクサンドロスは、また別の月形と円の和の正方形化をヒポクラテスに帰する。右において、月形3つと半円を合わせた灰色の部分の面積は、四角形ABCDの面積に等しい。ただし、AB=BC=CD=EFであり、円弧はすべて半円である[24]。
円積問題との関係
古来、ヒポクラテスの月形の研究は円積問題、すなわち円の正方形化との関係で言及されることが少なからずある。すなわち、もしも円と月形の和と同じ面積の正方形が作図でき、月形の面積と同じ正方形の両方が作図できたとする。すると、それらを組み合わせて、円の正方形化もできるのではないかというのである[注 6]。
ただし、例4,例5で円と足し合わせた時に正方形化できる月形は、それ単独で正方形化できていない。よって、この論法では円の正方形化を示したことにはならない。この誤まりは、すでに古代の注釈家たちがアリストテレス『自然学』への注釈で指摘している(後述)。一方、ラテン語圏の中世後半の論考では、これを無視して正方形化に成功したとするものがみられる(後述)。なお、ヒポクラテスの実際の主張や意図については不明な点が多い(後述)。
なお、円周率πが超越数であることから、円の正方形化は、定規とコンパスではもちろんのこと、ネウシス作図を援用しても不可能である。とはいえ、このことが明らかになったのは19世紀のことである。
作図可能性について
以上、月形の面積と等しい多角形を具体的に示した。しかし、目的は月形の「正方形化」が目的であるから、これらの多角形を作図しなければならない。(多角形の正方形化は、エウクレイデス『原論』第2巻·命題14で与えられているから、多角形に変形した時点で正方形化は達成されたことになる[注 7]。)また、円積問題の解決に用いるのであれば、月形もまた、作図できなければならない。
作図の手段としては、後のエウクレイデス『原論』の平面幾何学は、コンパスと(目盛りのない)定規のみを許容している。しかし、エウデモスの伝える例3の作図では、定規とコンパスの使用の他にネウシス作図を許している[25]。シンプリキオスは、円積問題の機械的な曲線を用いた作図法を解決と見做さない一方で、ヒポクラテスのネウシス作図の利用には特に注意していない。
古代ギリシャ・ローマの文献においては、円積問題の解法でどのような作図法が許されるべきかを明示したものは見つかっていない[26] 。中世や近代初期においても、揺れが見られる。
ただし、ヒポクラテスが示した事例の場合はネウシス作図は実は不要で、コンパスと定規のみで作図できることがわかっている[注 8]。
近代以降の一般化
ヒポクラテスが示した三つの例は、いずれも次のように構成されている[27]。
- 月形の外側と内側の円弧の中心角を、各々およびと設定する(nとmは互いに素な自然数)。
- 外側の円弧の半径を、内側の円弧の半径をとしたとき、
そして、外側と内側の弧を中心角の弧に細分し、各々の弧の両端を直線でむすぶ。例えば、エウデモスの伝える例1では(n,m)は(2,1)、例2では(3,1)、例3では(3,2)である。
このように一般化した構成において、次のことが成立する。
命題 以上のようにして作図された月形と 角形の面積は等しい。例えば、例3では外側の円弧を3等分、内側の円弧を2等分して作った五角形ABCEDと月形の面積は等しい。
証明は、例3の場合の議論を素直に一般化すればよい[28]。科学史家のKnorrによれば、ヒポクラテスもこのような一般化は念頭にあった可能性がある。ただ、対応する図形を構成してみせることはできなかったであろうという[29]。
近代に入って、三角法と代数的な手法が結びつくと、この構成は比較的簡単に遂行できるようになった。また、幾何的な作図の規範を(目盛りのない)定規とコンパスに限定する規定も一般的に共有されるようになり、これと二次方程式を用いることが同値であることも、明らかにされた。
以下では、共通の弦の長さを2とし、角度は弧度法を用いる。すると条件1と2から、
を得る。この方程式を解いてを求めれば円弧の半径がわかるから、月形の作図が可能になる。[注 9]
例えば、オイラーはこれらに加えて(n,m)=(2,1)~(5,4)の各々の例を全て調べ、この範囲では、二次方程式に帰着できるのがヒポクラテスの示した3例と(5,1)、(5,3)(合計5例)に留まることを指摘した[30]。(オイラー以前にも、同様の研究はあった。詳しくは「月形研究の歴史·近代以降」の節。)
19世紀に入って代数学の理論が進むと、「ある(m,n)については、(1)は二次方程式に帰着できない」ことを厳密に証明できるようになった[31]。その証明は徐々に一般化され、20世紀の中頃、ソ連の数学者 ニコライ・チェボタリョフ とその学生Anatoly Dorodnovが既知の5例以外の場合は二次方程式に帰着できないことを証明した。証明にはガロア理論を用いる[32]。
ここまでの説明では簡単のために、前節の条件1と2、すなわち式(1)を出発点として仮定した。しかし、この条件は月形の作図と正方形化の両方が定規とコンパスで可能であることから導くことができる。
命題 与えられた月形が定規とコンパスで作図でき、また正方形化もできるならば、前節の条件1と2が導かれ、式(1)を得る。
証明 月形の弦の長さを2とすると、月形の面積は
と計算される。
月形が定規とコンパスで作図可能であるから、外と内の円弧の半径、は代数的数となり、よって、も代数的数となる。仮に、と書けないとする。すると、ベイカーの定理から、は代数的数の上で一次独立であり、よっては超越数である。そしてXの残りの項は代数的数だから、Xは超越数になってしまう。
そこで、、(すなわち、条件1が成り立つ)とする[注 10]。すると、が代数的数であることから、も代数的であり、よっても代数的数である。よってリンデマンの定理からは0でなければ超越数である。は月形がつぶれてしまうので、は超越数である。一方、、、、は代数的数である。よって
が代数的数になるためには、(1)が満たされなければならないことがわかる。(証明終)
月形研究の歴史
ヒポクラテスの月形の理論は、曲線に囲まれた図形が直線図形と面積が等しいという、非常に意外性の高い結論を示している点で興味深い。それに加えて、次のような数学史上の重要性がある。
第一に、紀元前5世紀のキオスのヒポクラテスは、論証的な数学を展開した最初期の数学者だと考えられている[33]。(現代の数学史家の多数は、タレスやピタゴラスなどの人物の数学者としての活動を認めていない[34]。)そして、彼の業績の中で詳しい内容が伝わるのは、月形の正方形化(与えられた月形と同じ面積を作図すること)に関する研究のみである。つまり、黎明期の論証数学を知る貴重な手がかりなのである。
第二に、月形は円積問題と関係して言及されることが多い。これには、次の二通りがある。第一に、円積問題を月形の正方形化を利用して解決しようとするものである。第二に、円の正方形化の可能性の、肯定的な状況証拠として利用しようとするものである。例えば、「曲線図形と正方形は比較可能」といった議論の反例に用いたり、心理的な拠り所としたりするなどである。
第三に、アラビア語圏、ヘブライ語圏、ラテン語圏にまたがって伝わり、哲学的な注釈書の伝統と数学書の伝統の双方で論じられるため、学術的な交流の痕跡を追跡する立場からも研究がなされている。
古代
アリストテレスの著作には、ヒポクラテスの月形研究に言及していると読める語句がいくつかある[注 11]。それらは非常に手短で意味も取りにくいことから、古代後期から末期にかけて注釈がつけられたが、テミスティオスとピロポノス、そしてシンプリキオスの注釈が現代に伝わっている[35]。前二者は、非常に簡潔にヒポクラテスが月形を円の正方形化に誤まって応用した(「円積問題との関係」の節を参照)と伝えるのみである[36]。
一方、シンプリキオスの『自然学』の注釈では先行する文献を長く引用し、数学的な内容にまで踏み込んで深い検討をしている。彼はまず、ヒポクラテスの誤まりを伝える典拠としてアレクサンドロスの『自然学』注釈を引用する。そして、より古いエウデモス『幾何学史』を用いて、アレクサンドロスの説明に批判的な検討を加えている[37][38]。
このように、ヒポクラテスの月形の研究には、哲学的な文献ではやや詳しい言及がある。しかし、エウクレイデス『原論』を含め、数学的な文脈での言及はない[39]。あえて挙げるとすれば、エウトキオスのアルキメデス『円周の測定』への注釈が知られるのみである。それもやはりアルキメデスの業績の意義を円積問題と関係させて説明する中で、過去の誤った議論の一つとして手短に言及するのみで、数学的内容に踏み込んではいない[40][注 12]。
シンプリキオスの註釈
ヒポクラテスの理論は、アリストテレス『自然学』第一巻185a14-17へのシンプリキオスの注釈からうかがい知ることができる[41][42]。
まず、シンプリキオスはアレクサンドロスの註解を引用する。それによれば、アリストテレスのいう「誤った解答」は、「ヒポクラテスの三日月」(月形の例1)と「円と月形の和の求積」の節の例5を誤って合成したものだという。すなわち、たった一種類の月形の正方形化しか示していないのに、(それとはことなった)月形と円の和の正方形化の証明から、円の正方形化を結論してしまったのだという[43][44][45]。
次にシンプリキオスは、アレクサンドロスの見解を批判的に再検討するため、アリストテレスの弟子エウデモスの『幾何学史』の断片を(間に注釈を挟みながら)長文引用する[注 13]。ヒポクラテスの時代により近く、より信頼できると考えるからである[46]。エウデモスによると、ヒポクラテスは異なったタイプの三種類の月形(例1~3)の正方形化を論じ、そのあとに「全ての月形」(πάντα μηνίσκον)の正方形化ができたと述べる[注 14]。そして、円と月形の和の例4の証明を述べたところで記述が終わる[47]。つまり、円の正方形化を導く議論は含まれていない。(ただし、シンプリキオスが手にしたエウデモス『幾何学史』はすでに断片だった可能性がある[48]。)シンプリキオスは断定を避けてはいるが、アレクサンドロスの説明にはどちらかと言えば否定的で、「ヒポクラテスは誤まった議論をしておらず、アリストテレスもヒポクラテスが誤ったとは述べていない」可能性があるとしている。
また、シンプリキオスは次の理由でヒポクラテスが全ての月形の正方形化に成功しなかっただろうと推測している。まず、アリストテレスが円の正方形化が達成されていないと考えていること[注 15][49]。次に、ヒポクラテスの示した例では、内側の弓形が外側の弓形に相似でなければならない。しかし、それでは無限にありうる円弧の種類を尽くさないだろうという[50]。
シンプリキオスはさらに、月形を用いた正方形化の他のパターンとして、「円を月形に分解する」という誤った議論があったことを伝える[51]。シンプリキオスは典拠を示していないが、アレクサンドロスの注釈による可能性も指摘されている[52]。この議論はピロポノスやテミスティオスの注釈には紹介されていないが、似た議論は、中世においても登場する(後述)。
一方、「円は曲線で囲まれていて、直線で囲まれる多角形とは種が異なるから正方形化できない」という議論には[注 16]、月形の正方形化の成功が反例になることを指摘している[53]。
シンプリキオスの引用する二つの情報源のうち、3世紀のアレクサンドロスの注釈については、成立年代と語法の新しさゆえに、どの程度ヒポクラテスの議論を反映しているかは議論が分かれる[注 17]。また、紀元前4世紀のエウデモス『幾何学史』は貴重な史料であるが、目的論的な進歩史観にのっとっているため、エウデモスの時代の考えに従って加筆や取捨選択がなされた可能性がある[54]。
ヒポクラテスと円積問題
ヒポクラテスの議論を伝える著作は、いずれも後世のもので、もっとも充実したシンプリキオスのものも、すでに述べたような問題がある。このため、ヒポクラテスの意図については科学史家の間でも様々な議論があった[55]。
ヒポクラテスの高度な数学的な能力を考えると、果たしてアレクサンドロスらが述べるような単純な誤りを犯しただろうかという疑問は自然である[56]。しかし、「ヒポクラテスが誤った議論を述べた」という見解が広まっていたことは、残っている史料から明らかである。したがって、ヒポクラテスやその周辺から、少なくとも誤解を招きかねない説明が発信された可能性がある。
例えば、Hoyrup 2020 はヒポクラテスの学生による不適切な表現の講義録が広まり、それがアレクサンドロスの記述の原型の可能性があるという[57]。斎藤 2013は、ヒポクラテスはソフィスト的な活動を業としており、余興のための詭弁かもしれないという[58]。Netz 2004は、幾何学が主題でない書物に問題意識を明確にせずに書かれていた内容を、後世の読者が再解釈した結果であろうという[59]。いずれの説も、ヒポクラテスがギリシャ幾何学の黎明期の人物であることを意識している。
月形の理論に見るヒポクラテスの数学
紀元5世紀のプロクロスのエウクレイデス『原論』第一巻への注釈によると、ヒポクラテスは『原論』(Στοιχεῖα )を著したという[60]。そして、ヒポクラテスの月形の理論を証明するためには、エウクレイデス『原論』の第1~4巻および第6巻に該当する内容が必要になる[注 18]。そこで、ヒポクラテスの『原論』も、完成度は低くとも、これらに相当する内容を含んでいたと推測されていた[61]。
一方、Hoyrup, Mueller, Netzらは、ヒポクラテスは理論の前提となった知識を証明したとは限らないと考える。当時の証明は、公理から出発するのではなく、読者にとって明らかな事実から出発するタイプの証明だとしている。たとえば、エウデモスによる「ヒポクラテスの三日月」の説明の冒頭、相似な図形の面積の比に関する事実が宣言されているが、彼らはこれを証明された命題ではなく、出発点の仮定であるとする[62]。出発点として用いられる知識の源として、HoyrupやNetzは実践化たちによる知識を想定し、バビロニアの書記官の数学やギリシャの建造物の遺構から、様々な幾何学的な知識が実践家に知られていたことを示そうとする[63]。また、ヒポクラテスの『原論』についても、それはがエウクレイデスの同名の書のような公理から出発する構成ではなかった可能性を指摘する[64]。
いずれにせよ、ヒポクラテスの月形の理論は、最も初期の論証数学であり、次のような性質が指摘されている。
- 書物に書かれ、図を伴う
- 角度を幾何学的な量として扱っている
- 辺の長さなどの具体的な数値がほとんど現れない
例えば、月形の例2と例3においては、三平方の定理(の一般化)を、角度が鋭角か鈍角かの判定に用いている。これは、バビロニアではこの定理がもっぱら辺の長さの計算に用いられたのとは対照的である[65]。
作図法においては、すでに述べたように、定規とコンパスの他、ネウシス作図を許容している。これは、定規とコンパスで代替する方法を知らなかった故なのか、あるいはそれを知ったうえであえて用いたのかは不明である[66]。
中世
ヒポクラテスの月形の理論は、シンプリキオスの『自然学』注釈によって今日に伝わる。これは、さらにエウデモス『ギリシャ幾何学史』とアレクサンドロスの『自然学』注釈に基づいており、それらは各々、やや異なった議論を伝えている。
しかるに、シンプリキオスの注釈が広く流布するに至るのは、ラテン語圏の文芸復興期、すなわち15世紀中ごろ以降、ギリシャ語の写本やそのラテン語訳が刊行されてからのことである。それ以前もヒポクラテスの月形の理論は、アラビア語圏、ヘブライ語圏、ラテン語圏に伝えられていたが、それらの内容の多くは、アレクサンドロスの『自然学』注釈に伝わる議論に近い。
アラビア語圏
「月形」(ash‑shakl al‑hilāl الشكل الهلال)の語は、紀元900年前後のナイリージー(Al-Nyrizi)の『原論』注釈で定義が与えられているが、数学の内容は紹介されていない[67]。また、10世紀のイブン・ハイサムは、イブン・ハイサムは、月形に関係した次の三つの著作を残している [注 19]。これらは上から順番に執筆され、これら全てに「ヒポクラテスの定理」の記述がある。
- 『月形について』(Qawl fī al-hilālīyyāt قول في الهلاليات )
- 『円の正方形化について』(Qawl fī tarbīʿ al-dāʾira قول في تربيع الدائرة)
- 『月形詳論』(Maqāla mustaqṣāt fī al-ashkāl al-hilālīyya مقالة مستقصاة في الأشكال الهلالية)
これらの著作では古代人の影響が明言されているが、具体的な人名への言及はなく、どのような文献が参照されたのかはよくわからない。イブン・ハイサムは『エウクレイデス原論についての懐疑の解決』で、古代人の月形の理論を「円の中の正方形の上に作図した一つの月形についてのもの」だとし[68]、自らはそれを一般化したのだという。そして、もっとも詳しい『月形詳論』においても、エウデモスが伝えるような例2以降の議論は現れない。
現在までのところ、シンプリキオスの『自然学』の注釈のアラビア語訳は見つかっていない。アレクサンドロスの注釈も同様であるが、こちらはアラビア語訳が存在したと考えられている[69]。とはいえ、シンプリキオスの註釈が伝わった可能性が否定されたわけではない。例えば、ヘブライ語の月形の書物には、アレクサンドロスが伝えていない月形(例2)が伝える月形が現れるが、これはアラビア語を介して伝わった可能性がある(後述)。また、De lunularum quadratura (『月形の正方形化』)と仮称されるイタリア語の論考では、シンプリキオスのエウデモスの引用部分と同じ筋道でヒポクラテスの月形(例1)の求積をしているが、用語の分析から、この論考がアラビア語を経由している可能性が指摘されている[70]。
イブン・ハイサムの三つの月形の著作のうち、最初の二つの著作は、円積問題の議論が大きな動機になっている。第一の著作はかなり短く、月形についての4つの命題を示す。続く第二の著作では、ある比率に対応する線分が与えられた場合、その助けを借りて円の正方形化が可能であることを示す。後者は広く広くよまれたが、批判もされた[71]。
やや遅れて完成した第三の著作はもっとも長く、豊富で高度な内容を含む。上記の二つの著作と比較て、著しく主題の理解が深化し、問題意識も大きく変わっている。この間、数学的な存在や構成可能性について、かなりの考え方の変化があったようである。本著作では、円積問題をさほど意識せず、円弧で挟まれる様々な図形の正方形化を試みる。従来かなり後の数学者の仕事だといわれていた内容も含んでいる。また、イブン・ハイサムの後年の無限小解析の研究の出発点になっているという[72]。彼は直角二等辺三角形だけを考えていたヒポクラテスの議論を拡張して、一般の直角三角形を考察した。さらに、鈍角三角形の場合に理論を拡張した。そのための準備として、との関係(現代的にいい直すと関数の性質)を詳しく調べている[73]。これは、「近代以降の一般化」の節で示した条件2を念頭においてのことである。現時点においては、イブン・ハイサムのこれらの著作のラテン語訳は知られていない[74]。

ヘブライ語圏
イベリア半島には12−13世紀にかけて独自のアリストテレス主義が形成されたが、特にイブン・ルシュドの注釈はヘブライ語やラテン語に翻訳され、影響力があった。このイブン・ルシュドのアリストテレス『自然学』への中注釈と大注釈、『詭弁論駁論』の中註釈において、ヒポクラテスの「誤り」について簡単に述べている。特に、『詭弁論駁論』の中註釈では「(ヒポクラテスは)円を月形に分割できると考えた」と述べている。そして、イブン・ルシュドの『自然学』中注釈への注釈に、月形の理論について説明したものがある[76]。それらは、例1(ヒポクラテスの三日月)をアレクサンドロスの議論に似た論法で示す。さらに、月形と同じ面積の直線図形の作図では終わらずに、『原論』第I巻命題42を引用して正方形化可能なことを明言していることに特徴がある[77]。また、優れた数学者でもあるゲルソニデスの注釈書[78]につけられた注釈にも、同様の内容を含むものがある[79]。これらは、いずれもイブン・ルシュドを重視する注釈家によるものと思われ、「円の正方形化は不可能であろう」と論じる中で現れる[80]。
また、中世の前半において、ユダヤ人の数学的な活動は、アラビア語を用いてなされていた。ヘブライ語による本格的な数学の著作が出現し始めるのは12世紀に入ってからである。その後、13-14世紀にかけて基本的な文献のアラビア語からの翻訳が進んだ。次の14-15世紀においては、主にイベリア半島において独創的な研究が行われるようになった。このような状況の中で著された数学書の中には、月形について触れているものが見られる[81]。
この類型に含まれるものとしては、"The Hebrew Geometrical Compendium" (『ヘブライ幾何学集成』)と仮称される数学の百科全書的な著作が挙げられる[82]。この書の比例の幾何学への応用を示す巻(巻V)において、月形の例1(ヒポクラテスの三日月)と例2が解説されている[83]。前者の証明はまずアレクサンドロス的な説明のあと、エウデモス的な説明を手短に紹介している。また、例2ではトレミーの定理を用いて図形の配置を決定している[84]。本書には、円の正方形化の議論は含まれない[85]。
狭義の数学書ではないが、円積問題などに関する書"Sefer Meyasher `Aqov"(曲線図形の直線化の書)にも、月形の議論が含まれる[86]。本書の第1巻において「ヒポクラテスが円を月形に分割して正方形化を試みた」と述べ、これを運動に基づく新たな分割と合成の概念のもと、正当化できるとした。[87]。本書は運動を介して直線図形と曲線図形を結びつけようとしており[88]、コペルニクスも用いた「トゥースィーの対円(英語版)」をヨーロッパで初めて取り上げている[89]。月形の理論は、かなり後の方で「曲線に囲まれる図形だからといって、直線で囲まれる図形と比較不可能とは限らない」ことを例示するため、アルキメデスの円や球の理論とともに紹介されている[90]。ここでの月形の記述は『ヘブライ幾何学集成』に類似しており、例1と例2を扱う。ただし、例1ではアレクサンドロス的な証明のみを示す。これらの類似性から、両者の間には、なんらかの関係があることが推測される[91]。また、本書はヒポクラテスの名を明示している点が、他の中世の数学的な文献と異なっており、アリストテレス主義的な伝統に近い。「円の月形への分割」については、イブン・ルシュドの『自然学』大注釈や『詭弁論駁論』中注釈のヘブライ語訳の影響が指摘されている[92]。
この他、月形について触れたエウクレイデス『原論』の註釈が二つで知られているが[93]、どちらも例1のみを示し、イブン・ルシュドの注釈の伝統に現れるものに似ている[94]。
これら、ヘブライ語の文献はいずれもイブン・ハイサムの月形の著作とは異なる論法を採用しており、影響はほぼなかったと思われる[95]。また「円と月形の和の求積」で紹介したような、円と月形を合わせた図形の正方形化は紹介されていない[96]。
ラテン語圏
ラテン語圏にシンプリキオスの『自然学』注釈が本格的に導入されるのは、15世紀中ごろ以降の文芸復興に伴ってのことである[注 20]。しかし、それ以前からヒポクラテスの月形の理論が、円積問題と関係して言及されていた。12世紀の終わり以降、アルキメデス『円の計測』の様々な版が知られており、アルキメデス的な理論が円積問題への標準的なアプローチとなっていた。一方、月形を用いた円積問題の解法もそれと競合して広まった。それは、アレクサンドロスが伝える論法、すなわちヒポクラテスの三日月(例1)と円と月形の和の正方形化(例5)を組み合わせたものである。この議論は、アレクサンドロスやシンプリキオスが指摘するように[97]、明らかな誤まりである(円積問題との関係を参照) 。
しかし、この誤まりへの対応は様々であった。問題点の指摘も含めて議論の全貌を伝えるものもあれば、問題点に触れずに「月形による円の正方形化」とした文書もある。前者がただ一つの写本でしか残らないのに対して、後者はいくつもの写本が伝わっており、より広まっていたと思われる。前者はシンプリキオスの注釈の該当部分と(図に現れる点のラベル含めて)よく整合するが、後者はかなり異なっている[98][注 21]。
なお、後者に近い文面ながら、ある程度、この問題点について掘り下げた文書ものこっている。その中の一つは、『原論』(カンパヌス版)の相似の理論を引用して、例5で用いる月形と同じ面積の正方形が存在すること示して、これを問題点の解決と見做している[99]。また、別の文書では問題点をよく把握して説明しながらも、例5で用いた月形が正方形化できたとの仮定のもと、円の正方形化ができることを述べて、議論を閉じる[100]。以上は、いずれも1~2頁の短い独立の手稿である[101]。
このほか、De lunularum quadratura (『月形の正方形化』)と仮称されるイタリア語の論考[注 22]では、シンプリキオスがエウデモスを引用し伝える議論にのっとって、ヒポクラテスの月形(例1)の求積を進めている(アラビア語圏の節を参照)。すなわち、直角二等辺三角形の直角を挟む二辺の上に作図された弓形の面積の和が、斜辺の上に作図された弓形の面積に等しいことを用いる。この証明のため、シンプリキオスと同様、エウクレイデス『原論』の命題(第12巻2、第1巻47)を引用している。[102]。また、月形の正方形化から直ちに、何の説明もなしに円の正方形化の可能性を結論している[103]。用語の分析から、この論考は、イタリア語で著されたのではなく、ラテン語からの翻訳であり、さらにそれはアラビア語の翻訳から翻訳であると推定されている[104]。
14世紀のヨハネス・デ・ムリス(英語版)のDe arte mensurandi(『計測の術について』)は[注 23]、円積問題に全く触れずにいくつかの月形についての四つの命題を示す[105]。そのうち、二つ(命題26と28)はアレクサンドロスの伝える議論と同じであり、命題27と29はイブン・ハイサムが一般的に述べている命題を角の一つが60°の特殊な場合について述べ、ただし証明は一般的な直角三角形について示している。命題27は「ヒポクラテスの定理」で、証明はイブン・ハイサムに似ている。一方、命題29の証明はイブン・ハイサムのものとは異なる[注 24]。
また、1350年前後のニコル・オレームのQuæstiones super geometriam Euclidis(『ユークリッド幾何学問題集』)の問題18にも、月形の議論が伝えられている[106]。ここでは、曲線で囲まれる図形(の面積)と直線で囲まれる図形(の面積)が比較可能であることを示すために、ヒポクラテスの三日月が用いられる。証明は、アレクサンドロスの伝える方法に近く、ユークリッド『原論』の命題を引用しながら進めている[107]。
なお、以上のどの文献でも、ヒポクラテスやシンプリキオスなど、具体的な人名が語られることはなかった。ただし、アリストテレスの著作やその注釈書の翻訳の中には、ヒポクラテスと月形の正方形化を明確に結びつけるものがあったが、それらは数学的な議論を紹介してはいない[注 25]。
近代初期
15世紀中ごろ以降の文芸復興に伴って、ラテン語圏にシンプリキオスの『自然学』注釈のギリシャ語版とラテン語訳が出版される。月形への新たな関心を引き起こした。また、月形の論考ではヒポクラテスの名前が現れるようになる[108]。最も早い例としては、レギオモンタヌスがニコラウス・クザーヌスの円の正方形化の議論を批判する中で、ヒポクラテスの円の正方形化とその誤まりについて述べる。なお、ここでレギオモンタヌスはアレクサンドロスの注釈が伝えるヒポクラテスの議論(円積問題との関係)である[109]を紹介している。
初めての出版物といては、ジョルジョ・ヴァラ(英語版)の百科全書"De expetendis et fugiendis rebus" ,Bk. XI, Chap. viii (『追求すべきことと避けるべきことについて』、第11巻8章)が挙げられる。これも、やはりヒポクラテスの名前を明示し、アレクサンドロスの注釈が伝えるヒポクラテスの議論(円積問題との関係)に基づく。ヴァラのこの紹介は広く読まれ、おそらくはレオナルド・ダヴィンチの月形の探求の基礎になった[110]。
また、アルキメデスの理論を積極的に紹介した数学者フランチェスコ・マウロリーコ(英語版)のアルキメデス『円の計測』の紹介にも、同様の内容の解説がある[111]。
レオナルド・ダ・ビンチは、1496年にルカ・パチョーリと出会ってから数学を深く研究するようになり、円積問題にも取り組んだ。特に月形を用いた手法を熱心に探求し、膨大な数の図を手稿として残している (Codex Atlanticus, ff. 455;471 )。未完におわったが、De ludo geometrico(『幾何学の遊び』)という題のラテン語の幾何学書を計画していたという[112]。レオナルドは、ジョルジョ・ヴァラの"De expetendis et fugiendis rebus"を所持しており、また彼の関心は公理論的な証明よりも、構成的な作図にあったという[113]。

近代以降
近代に入って、シンプリキオスの注釈が公刊され、さらに三角法や代数的な方法論が広まると、エウデモスの伝えた議論が一般化され、外側の円弧をn分割、内側の円弧をm分割する月形が具体的に構成できるようになった(「ヒポクラテスによる月形の求積・近代における一般化」の節を参照)。
16世紀のヴィエトは、m=1の場合に、n=2,3,4の場合を続けて議論している[114]。これらの例についてヴィエトは、外側の円弧が与えられた前提で、(n+m)角形と内側の円弧の構成をしてみせている。(n,m)=(3,1)の場合は比例中項(media proportionalis、相乗平均)を用い[115],(n,m)=(1,4)の場合は二つの連続した比の比例中項(duae mediae continue proportionales)を用いる[116]。前者は定規とコンパスで処理できるが、後者は立方体倍積問題と実質的に同じ問題であり、不可能である[117]。これは、三次方程式に該当する[118]。
18世紀の後半、1766年にMartin Johan Wallenius of Aboが(n,m)=(5,1)と(5,3)に相当する例を挙げ、また月形と多角形の両方の作図が定規とコンパスでできることを示した[119]。また、オイラーはこれらに加えて(n,m)=(2,1)~(5,4)の各々の例を全て調べ、二次方程式に帰着できる(すなわち、コンパスと定規で処理できる)のがヒポクラテスの示した3例と(5,1)、(5,3)(合計5例)に留まることに注意した[120]。オイラーは、「近代以降の一般化」の節で示した条件2を指摘し、関数の性質を調べる。そして、具体的に構成可能な月形を見つけるために、条件1を仮定して、さらなる計算を進めている。オイラーは上記五つの例以外にも構成可能な月形がある可能性を捨ててはいない。探索した範囲外の(n,m)で該当するものがある可能性もあり、しかも条件1は必須とは言えないからである[121]。オイラーは月形と円の正方形化は結びつかないと考えており、月形などの円弧で囲まれた様々な図形が、作図可能かつ正方形化可能である可能性も捨てていなかった[122]。Clausen も同様の例を列挙したあと、これら以外の場合、角度を幾何的に求めることはできそうにないとする[123]。
14世紀のヨハネス・デ・ムリス(英語版)以降、ヨーロッパで初めてイブン・ハイサムの「ヒポクラテスの定理」に言及したのは、17世紀後半のイグナス・ガストン・パルディ(英語版)の幾何学書Elemens de Geometrie (初版1671年)である。1673年の第二版のparagraph VI.63で、ヒポクラテスの三日月の図を描いたあとにアルハゼンの月形を描いて定理と証明を述べ、"& c'est-là la quadrature des Lunes d'Hippocrate de Scio."(そしてこれこそがキオスのヒポクラテスの月形の正方形化である)と付け加える。これ以降、M. Simonが指摘するまで、本定理はヒポクラテスの業績として言及されることになった。同書では、同定理は三平方の定理の応用として語られ、円の正方形化との関係はごく簡単に否定的なニュアンスで触れられるだけである。
また、バルディElemens de Geometrie の1702年の英訳には、当時の最新の成果として、「ヒポクラテスの三日月(例1)を与えられた比率に分割する方法」が紹介されている[124]。

脚注
注
- ↑ これらは、いずれも紀元後500年頃のキリキアのシンプリキオスのアリストテレスの注釈書に収録されている。詳しくは後述。
- ↑ 原図では影は書き込まれていない.。また、本図では原図にあった補助線を簡単のため削除している。
- ↑ この四角形に外接円存在することについては、シンプリキオスが証明を付け加えている。
- ↑ 本図は原図にある作図のための補助線をほぼ削除している
- ↑ Knorr1989 p.30以降の説明では、辺BCの上にも半円を描き、月形を二つ作り、イブン・ハイサムの定理の特殊な形を経由する。ここでは、Heath 1921, pp.191-196,やSimplicius 2022,pp.99-100に従った。なお、イブン・ハイサム本人も、自らの理論の独自性を月形二つの和を扱うところに求め、古代人は一つだけの月形を扱うとしている( Rashed 2013, p.32)。
- ↑ 辺の長さがcの正方形とaの正方形が与えられた時、両者の面積の差と同じ面積の正方形は、三平方の定理を用いて作図できる。すなわち、斜辺の長さがc、直角を挟む辺の片方の長さがaの直角三角形を作図すればよい。すると、この直角三角形の残りの辺を一辺とする正方形が、作図したい正方形である。
- ↑ なお、Netz2004は、多角形の正方形化はヒポクラテスの当時はしられていなかったかもしれないとする。Netz 2004,p.283, n.47
- ↑ いずれの例も、図形の配置を決定するためには二次方程式を解くだけで済む。二次方程式の解は定規とコンパスで求めることができる。例3の作図に必要な二次方程式は、Heath 1921,p.196で解説されている。例2においては、線分ACが円弧DHCに接することを用いれば容易である。
- ↑ 逆に内外の円弧の半径が与えられれば、sin(Θ/2)も作図できる。中心角mΘ、nΘに対応する円弧を描き、互除法を用いて角度Θに対応する円弧を作図でき、sin(Θ/2)が作図できる。
- ↑ これ以降の議論は、Постников 1963 pp.211-212と同じ。また、Postnikov 2000からも証明の論法を読み取ることができる。
- ↑ それらはいずれも学問の方法論を論じる中で言及されている。次の3つの言及がある。 ①アリストテレス『詭弁論駁論』171b13においては、ある種の誤りの例として「ヒポクラテスの(図形)、すなわち(ἢ )、月形による(円の)正方形化」"τὸ Ἱπποκράτους ἢ ὁ τετραγωνισμὸς ὁ διὰ τῶν μηνίσκων" を挙げている。ここで()内に補った名詞や、接続詞ἢの解釈は斎藤2013, p17の翻訳に従った。ἢは並列の意味もあり、そのように解釈するならばヒポクラテスと円の正方形化は示唆されていないことになる。②『自然学』第一巻185a14-17では、" τμῆμα"(切片)に基づく誤った解答があったと述べており、これもやはりヒポクラテスの議論だと理解されることが多い。③『分析論前書』 69a32では、円の正方形化の月形の正方形化への変形を、問題の変形の例としてとりあげている。ヒポクラテスの名前にも議論の成否にも言及しない。
- ↑ "δῆλον γάρ, ὅτι τουτὶ ἂν εἴη τὸ ζητούμενον, ὅπερ Ἱπποκράτης τε ὁ Χῖος καὶ Ἀντιφῶν ζητήσαντες ἐπιμελῶς ἐκείνους ἡμῖν τοὺς παραλογισμοὺς εὑρήκασιν," (Archimedes, 1915/1972, Vol. 3, p. 264, lines 12–16) 以下に仮訳を示す。「というのも、次のことが明らかだからである。すなわち、これこそまさに探求されている問題であろうし、キオスのヒポクラテスとアンティフォンがこれをくわしく探究して、あの有名な詭弁的な議論をわれわれに示したのである。」
- ↑ エウデモスを引用した部分と、それに対するシンプリキオスの注釈の境目は、段下げのような明確な標識があるわけではない。Netzは、Becker1936の用語の新旧に着目した考察を是としてそれに従う。Netz2004, pp.248,253-4. Becker, O.1936: Zur Textgestellung des Eudemischen Berichts über die Quadratur des M’’ndchen durch Hippokrates von Chios, Quellen und Studien zur Geschichte der Mathematik, Astronomie und Physik 3: 411–419.
- ↑ この「全ての」がどういう意味かは、曖昧さが残る。ここで示した三種類の月形の意味である可能性もある。
- ↑ アリストテレス『範疇論』7b23-7b34に「円の正方形化はまだ知られてはいない」と述べている。
- ↑ アンモニオス・ヘルメイウの議論。
- ↑ 成立年代の他、用いられている表現が新しいとされている。Netzはヒポクラテスの議論の復元にあたってもっぱらエウデモスの逸文に頼る(Netz2004)。Menn2022は、アレクサンドロスの伝える議論はエウデモスの伝える議論を簡潔にしたものである可能性を示唆する(Menn 2022, p.114)。Knorrは文献学的にはエウデモスの古さを認めるが、議論の内容はアレクサンドロスが伝えるもののほうが古い可能性があるとする(Knorr1989, p.38)。HoyrupはKnorrに近い立場で、エウデモスのものは洗練を経たバージョンかもしれないとし、初期のバージョンが講義ノートのような形で流通したのではと推測する(Hoyrup2020, pp.171,181)。斎藤は状況に応じて長短二通りの弁論が準備されていた可能性を推測する(斎藤2013 pp.22-3)。
- ↑ ヒポクラテスの月形の理論には、三平方の定理、相似な図形の面積の比が相似比の二乗になること、そして直径の上に作図した内接三角形が直角三角形になること、さらに様々な円の性質や正六角形の性質も用いられる。
- ↑ 書名はRashed 2013, pp.30-32に準拠した。Jan P. Hogendijkの以下のサイト では、『月形について』『円の正方形化について』の両者のタイトルの最初の語"Qawl قول"に替えて、"Maqāla مقالة"を用いる(どちらも「論考」といった意味)。また、al-ashkalにかえてHogendijkは al-shaklをとる。ashkalはshakl(図形という意味、男性名詞)の複数形だが、統語的には単数·女性名詞として扱われる(属格)。なお、Rashed1993,p.103に掲載される底本およびQatar Degital Libraryで公開されている写本の冒頭に掲げられる書名では、いずれもal-ashkal(الأشكال)である。ただし後者のウェブページのタイトルではshaklになっている。
- ↑ 文芸復興期のアリストテレスの注釈書の写本の翻訳や出版については、Lohr 2002を参照。これ以前のギリシャ語の写本もイタリアからは見つかっているが、広まらなかった。
- ↑ 前者のアレクサンドロスの説明を忠実に伝えた手稿は、次のただ一つの写本(Oxford, Corpus Christi College 251, 83v-84r) で残る。(Clagett 1964, p.612)。Clagettはこれをシンプリキオスの注釈の該当部分の翻訳だとし、ロバート・グロステストが翻訳者かもしれないとする。(Clagett 1964, pp 60-1)
- ↑ Clagett 1978はこの草稿をレオン・バッティスタ・アルベルティに帰する従来の説を踏襲しているが、Raynaud 2006はそれに異議を唱える。
- ↑ 同書は、13世紀末から14世紀の間に無名の著者が書き始め、第五章の途中からヨハネス・デ・ムリスが書き継いだもの。面積や体積の求め方を、理論的な証明とともに述べる。第一章の初めに全体の構想が述べられており、全十一章が予定されていたことがわかる。デ·ムリスは当初の構想を尊重しつつも、それから離れる部分もあり、全十二章の書物として完成させた(Clagett 1978, pp.11-15)。Clagett 1978によると、第六章では円や弓形、月形を多く取り扱っているという(Clagett 1978, p.5)。現在、三つの写本が知られている(Busard 1974, p.148)。
- ↑ 命題29は、角の一つが60°の直角三角形の場合に、短い辺上の月形の面積は、直角三角形の面積の半分よりも小さいことを示す(Clagett 1978, p.1316)。これと同じ主張はイブン・ハイサム『月形について』の命題1にあり(Rashed 2013, p.43)。これを一般の直角三角形に一般化した主張は、イブン・ハイサム『月形詳論』命題9に見える(Rashed 2013, pp.65-6)。なお、ヨハネス・デ・ムリスの証明は注意したとおり、一般的な直角三角形に対してなされており、しかも『月形詳論』のものとは異なる。ヨハネス・デ・ムリスの証明については、Clagett 1978に引用された de arte mensurandiのテキストを参照 。(Clagett 1978, pp.1322-3, p.1325)
- ↑ アリストテレス『詭弁論駁論』のラテン語版の中には、ヒポクラテスと月形の正方形化を明確に結びつけるものがあったし、ムールベケのグイレルムスによるアレクサンドロスのアリストテレス『気象論』注釈のラテン語版も同様である。(Clagett 1978, pp.1317-18, n.7)
出典
- ↑ Rashed 2013, pp.39-46, Knorr 1989, pp.45-6.
- ↑ Hippocrates' Squaring of the Lune at cut-the-knot, accessed 2012-01-12.
- ↑ Alsina, Claudi; Nelsen, Roger B. (2010), “9.1 Squarable lunes”, Charming Proofs: A Journey into Elegant Mathematics, Dolciani mathematical expositions, 42, Mathematical Association of America, pp. 137–144, ISBN 978-0-88385-348-1.
- ↑ ヒポクラテスの理論については、Heath 1921, pp. 185-6, 191-198に史料の部分訳を交えて詳しく解説されている。これは、Simplicius 1882, pp.55-57, 61-68 (英訳 Simplicius 2022 pp.99-101, 105-113) に基づいている。
- ↑ Lloyd1987に諸説がまとめられている。日本語で読める文献としては、斎藤2013がある。
- ↑ Maqālah mustiqṣāh fī al-shakl al-hilālīyah مقالة مستقصاة في الشكل الهلالية Alhazen ابن الهيثم [73r] (7/18), British Library: Oriental Manuscripts, IO Islamic 1270, ff 70r-78v, in Qatar Digital Library <https://www.qdl.qa/archive/81055/vdc_100023644105.0x00009f> [accessed 14 May 2026]
- ↑ Rashed 2013, pp.39-46, Knorr 1989, pp.46
- ↑ 科学史家のKnorrは"Simplicius’ text does not mention this variant(シンプリキオスのテキストは、このバージョンの主張(すなわちイブン・ハイサムの示した定理)に言及していない)"と述べている(Knorr 1989, p.46)。また、M. Simonは " Hippokrates hat nur einen Mond (Meniskus, lunula) quadriert, und zwar zuerst den, dessen äußerer Bogen der Halbkreis, dessen innerer der Quadrant ist." (ヒポクラテスは一つだけの月形、外側の円弧が半円で内側の円弧が四分円の月形だけを正方形化した)と述べ、本定理をヒポクラテスに帰する説明を誤まり(der Irrtum)だとする。(Simon 1904/5, p.269)
- ↑ ヒポクラテスの理論は、 シンプリキオスのアリストテレス『自然学』第一巻185a14-17につけられた注に残っている。(Simplicius 1882, pp.55-57, 61-68、英訳 Simplicius 2022 pp.99-101, 105-113) その内容は、Heath 1921, pp. 185-6, 191-198に史料の部分訳を交えて詳しく解説されている。
- ↑ Langermann1996,p.32。科学史家 Simonによると、エウクレイデスやヘロンにも同定理はあらわれず、パップスによる、8巻に及ぶ古代数学の集成『数学集成』にも触れられていない (Simon 1904/05, p.269)。
- ↑ Knorr 1989, p.46, " but it has slipped into modem accounts as if by Hippocrates himself."
- ↑ Rashed 2013, p.40
- ↑ Clagett 1978, p.1316
- ↑ Simon 1904/05, p.269.これは Pardies, Ignace Gaston S.J. Elemens de Geometrie (初版1671年) であろうと思われる。同書は数カ国語に翻訳され、康煕帝への講義にも用いられた。Simonは1683年の第4版を挙げるが、1673年の第2版 pp. 87–88: (paragraph VI.63) にすでに同定理と同様の議論が紹介される。同節にはヒポクラテスの三日月の図を描いたあとにアルハゼンの月形を描いて定理と証明を述べたあと、"& c'est-là la quadrature des Lunes d'Hippocrate de Scio."(そしてこれこそがキオスのヒポクラテスの月形の正方形化である)と付け加える。後の1702年の英語版p.79-80もほぼ同じ説明ではあるが、ヒポクラテスの三日月の図がない。なお、1702年の英語版には、当時の月形の研究の最新の結果もレビューされている。"N.B. Since this, several wayas have been discovered of squaring any assign'd Portion of these Lunes (See the Philosophical Transactions N.259.pag.4.11). Of which this is one."
- ↑ Knorr 1989, p.46,はSimonを引用して”M. Simon notes having failed to discover this variant in works prior to the late 17th century. "と述べるが、Simonは調査で用いた図書館 Die Straßb. Bibliothekは"sehr arm an alten Werken" としている。
- ↑ Clagett 1978, p.1315
- ↑ エウデモスの伝える以下の3つの月形の議論は、Heath 1921, pp.191-196に解説されており、その部分はSimplicius 1882, pp.61-67 (英訳 Simplicius 2022 pp.105-111)によっている。 またシンプリキオスの注釈からエウデモスのテキストと推測される部分を抽出して英訳したものが、Netz2004, pp.248-252で提供されている。
- ↑ 本図は、Netz 2004, p.249 のエウデモス逸文の翻訳に付された図に基づく。なお、Simplicius 1882 (CAG 9), p.61の図もNetzの図に同じ。 ただし、原図では灰色の着色も文字によるラベル付けはない。
- ↑ この議論はエウデモスもシンプリキオスも述べておらず、この四角形の作図方法の提示はない。トレミーの定理を用いた方法は、中世のヘブライ語の数学書に見える(月形研究の歴史·中世·ヘブライ語圏の節を参照。)。
- ↑ Rashed 2013,pp.64-65, p.119
- ↑ Simplicius 1882 (CAG 9), p.56 の図にほぼ一致する。ただし影がつけられ、また点につけるラベルが異なる。
- ↑ これは、エウデモスの逸文と同じく、アリストテレス『自然学』第一巻185a14-17へのシンプリキオスの注釈に残る。以下の説明は、Heath 1921, pp.191-196, Simplicius 2022,pp.99-100 による。また、図5はSimplicius 1882 (CAG 9), p.56 の図にほぼ一致する。ただし影がつけられ、また点につけるラベルが異なる。
- ↑ Heath 1921,pp.196-198, Heath 1963, pp.129-130
- ↑ Simplicius2022, pp.100-101, Heath 1921, Heath 1963, p.186
- ↑ Knorr 1989, p.34
- ↑ ”What we never learn from the ancient writers on the circle quadrature, however, from the time of Aristotle and Eudemus in the 4th century B.C. right through to the time of the commentators in the 5th and 6th centuries A.D.., is what the precise constraints on a construction would be for any solution of this problem to be judged acceptable.” (Knorr 1989, p.364) また、Knorr 1989, p.40-41 も参照。
- ↑ Heath 1921, pp.199-200, Knorr 1989, pp.32-38
- ↑ つまり、外側のn個の弓形の面積の総和(例3の場合、赤色で示される弓形の面積の総和)と、内側のm個の弓形の面積の総和(例3の場合、青色で示される弓形の面積の和)が等しいことを示す。 まず、対応する中心角が等しいことから、多角形と円弧の間につくられる個々の弓形が全て相似であることに注意する。よって、各々の弓形の面積は相似比(=円の半径の比)の二乗に比例する。よって、外側につくられる弓形一つの面積を、内側につくられる弓形一つの面積をとすると 外側にはn個の、内側にはm個の弓形があるから、外側の弓形の面積の総和と内側の弓形の面積の総和は等しいことがわかる。
- ↑ Knorr 1989, p.34. エウデモスは「全ての月形が正方形化された」と述べるが、その「全て」を「このように構成される月形の全て」を意味する可能性を示唆する。
- ↑ Steele1965 p.317, Bieberbach1952, p.141, Euler 1771
- ↑ Knorr1989,p.37 に研究史が簡単に説明されている
- ↑ Postnikov 2000,pp.645-646, Dorodnov 1947, Постников1963, pp.211-218
- ↑ 斎藤2013, p.16
- ↑ 斎藤2013, p.16
- ↑ Ross 1960, p.463
- ↑ Philoponus2006,p.52, Themistius 2012,p.p.21
- ↑ Netz 2004,p.252-3, 斎藤2013, p.17.
- ↑ シンプリキオスの注釈の英訳は、Simplicius2022, pp.99-114. またHeath1921, pp.185-199にも、部分訳が多く含まれている。
- ↑ Langermann1996,p.32
- ↑ Lloyd 1987,pp.108,111. なお、p.111ではEutociusをDutociusと綴る。
- ↑ Netz 2004,p.252-3, 斎藤2013, p.17.
- ↑ シンプリキオスの注釈の英訳は、Simplicius2022, pp.99-114. またHeath1921, pp.185-199にも、部分訳が多く含まれている。
- ↑ Heath 1921, pp.183-201, Simplicius 2022, pp.20-21, pp.96-114
- ↑ Greek Mathematical Works, Volume I: Thales to Euclid. Translated by Ivor Thomas. Loeb Classical Library 335. Cambridge, MA: Harvard University Press, 1939. (Simplicius, Commentary on Aristotle's Physics A 2 (185 a 14), ed. Diels 60. 22-68. 32)
- ↑ ただし、Lloyd1987は、これをアレクサンドロス本人の意見というよりは、シンプリキオスによるアレクサンドロスの代弁(It is clear... that Simplicius represents Alexanderas attributing the fallacy to Hippocrat,(p.112)だとする。Hoyrup p.164 は、テミスティオスやピロポノスも「ヒポクラテスの誤り」に言及していることをもって反論する。
- ↑ 「たとえばアレクサンドロスが引用したような、ヒポクラテスとは異なる誰か別の人物による証明」(Simplicius2022, p.114,l.1-2)
- ↑ Heath 1921, pp.183-201, Simplicius 2022, pp.20-21, pp.96-114, また、斎藤2013, p.18
- ↑ " Indeed, why should it not be a fragment? Simplicius knew that not many readers would have access to whatever source..." (Netz 2004, p.255.)
- ↑ Simplicius2022,p.114
- ↑ Simplicius2022, p.114,
- ↑ Simplicius2022,pp.101-102
- ↑ Lloyd 1987, pp.114
- ↑ Simplicius2022,pp.103-104
- ↑ Netz 2004, pp256-7
- ↑ Lloyd1987 pp.107-8
- ↑ 例えばHeath1921, p.185
- ↑ Hoyrup 2020, p.181. そして、この場合、学生が不注意にヒポクラテスの結果の意味するところを大げさに書いた可能性があるとする。" a student may have been responsible for the over-enthusiastic interpretation of what had been achieved" Hoyrup 2020,p.181, n.40
- ↑ 斎藤2013 では、この可能性を追求している。「そう思ってみると,一連の 4 個の命題は誤った円の求積の,誤解を招くように仕組まれた議論に見えてきます.」(p.18)「時には....月形の求積を利用して,円の求積が出来たかのような議論を,たとえば座興としてやってみせた,ということを想定すれば,現存資料の解釈に何の困難もなくなります.」(p.20)など。
- ↑ "Readers who fitted him into the later geometric school could see his text as precise proof, showing the solubility of a certain problem; those who fitted him into a more cosmological or philosophical tradition could see an ambitious project to square the circle."(Netz 2004, p.277)
- ↑ Heath p.182, 斎藤2013 p.16, Morrow1970 p.54
- ↑ Heath 1921 pp.201-2, Knorr 1989, pp.26
- ↑ Hoyrup2020 p.170では、”δείκνυμι”を「証明する」の意味ではなく、「説明する」等の意味に取る。Mueller1982,p.160とNetz2004, pp.257-8は”δείκνυμι”を「証明する」という意味にとるが、エウデモスのテキストに二層構造を見て取る。すなわち、議論の出発点を宣言したヒポクラテスのテキストに、「それは証明されている」とエウデモスが注記したとしている。また、議論の出発点の提示に用いられている動詞τίθημιを「仮定する(assume)」と訳する。
- ↑ Hoyrup2020,pp.165,174-5,177-8、pp.173-4 なお、バビロニアと共通の要素について、伝搬は必ずしも主張されていない。
- ↑ Hoyrup 2020, pp178-9. Hoyrupは 初等的な命題集のようなものを考えている。一方、Netzは論証数学を書き記したに過ぎず、月形の理論を記した書物と別の著作の存在にも疑義を呈する。Netz 2004, p.275 を参照。Netz 2022 p.47では、エウクレイデス『原論』と同種の書だとする説、Hoyrup説と自説を3つとも並列して説明している。
- ↑ Netz 2022 pp.39-45
- ↑ Hoyrup 2020, p.179, n.32, p.179-180. Hoyrupは代替手段を知ったうえで、敢えてそれを隠してネウシス作図(Hoyrupはverging constructionとよぶ)を用いたとする。
- ↑ Lo Bello, 2009, p. 72, Raynaud, 2006, p.17, l.2 およびn. 50.
- ↑ Rashed 2013, p.32
- ↑ Lettinck 1994, pp.1,2-3参照。 フナイン・イブン・イスハーク訳の『自然学』の写本に若干の注が残っている(Lettinck 1994, p. 2)。また、イブン・ナディーム『フィフリスト』に、アレクサンドロスの『自然学』注釈の第一巻と第二巻が伝わっていると書かれている(Ibn al-Nadīm 1970, p. 602)。また、12世紀のイベリア半島の注釈者イブン・ルシュドはアレクサンドロスの『自然学』注釈を盛んに利用していることから、12世紀後半のイベリア半島では広流通していたとGrasnerは推測している。(Glasner p.161, l.1-3, およびn.528. )
- ↑ Raynaud 2006, pp.3, 17-20。なお、Raynaud 2206では、この論考はギリシャ語→アラビア語→ラテン語→イタリア語と翻訳を繰り返したと推測している。
- ↑ Rashed 2013, pp.39-41, 47-49.
- ↑ Rashed 2013, p.41
- ↑ Rashed 2013, pp.49-50. 同pp.50-90に数学的な内容の詳しい解説がある。
- ↑ Clagett 1978, p.1316
- ↑ Rashed 2013, p.85-6
- ↑ Langermann 1996において、文献C、D、Eとされているものたちは、『自然学』中注釈への巻末注(Langermann 1996,pp.32,35)。Langermann 1996, p.43-44にこれらの英訳と解説がある。
- ↑ Langermann 1996, p.36
- ↑ Langermann 1996の文献F
- ↑ Langermann 1996の文献G, H。Langermann 1996, pp.32-3, 36, 46-7.
- ↑ Langermann 1996, p.51
- ↑ Katz et al. 2016, pp.224-6
- ↑ 本テキストの書誌学的な事項については、Glasner,2019, pp.202-204。 マントヴァ写本(MS Mantua)の表紙に"ספר אקלידוס Sefer Aqlidos" ,(『エウクレイデスの書』)と書かれている。エウクレイデス『原論』の写本として目録に掲載されていた。著者は不明だが、Glasnerは単独の著者が執筆したと推測している。
- ↑ Glasner 2019のp.208に同書の構成を示す表が、II節(pp.219-)に平面幾何に関する部分(第I,II,III, およびV巻)の要約が載せられている。月形についての記述の要約は p.241
- ↑ Langermann 1996, pp.40-42に該当部分の英訳と解説がある。
- ↑ Langermann 1996, p.51
- ↑ "Sefer Meyasher `Aqov"は全訳と解説がGlasner & Baraness 2020 として出版されている。書誌的な情報や著者のAbner of Burgos (1270–1348, キリスト教に改宗後は Alfonso di Valladolid)については、同書のPreface およびChapter 1を参照。 また、同書についての簡潔な説明はKatz et al. 2016,pp.345、および Langermann 1996, pp.33-35。月形の理論は、第III巻 23で、Katz et al. 2016,pp.346-7 (Proposition 23), あるいは Glasner & Baraness 2020,pp.159-163 に"Property 23"として翻訳と解説がある。Langermann 1996, pp.37-40にも翻訳と解説がある。
- ↑ Glasner & Baraness 2020 pp.53-4, Langermann 1996, p.33
- ↑ Glasner & Baraness 2020, pp.5-7.
- ↑ Glasner & Baraness 2020, pp.194-196, Langermann 1996, p.33-4. 「トゥースィーの対円」は、直線の往復運動を円の合成で実現する仕組みで、13世紀の博学者トゥスィーによって発見され、後にコペルニクスが地動説を展開するにあたって、重要な数学的な道具として用いられた。両者の影響関係については、今なお不明な点が多い。Langermann 1996は、マラーガ学派からの同書への影響を推定し、また、この知識の北部イタリアへの伝搬に肯定的である。
- ↑ Katz et al. 2016,pp.345-6
- ↑ Langermann 1996, p.35, また、Glasner & Baraness 2020,p.161とその頁の脚注533も参照のこと。Langermannは本書が『ヘブライ幾何学集成』を参照した可能性を示唆しているが、それに対してGlasner & Baranessは両署の間の関係は複雑であるとする。
- ↑ Glasner & Baraness 2020 p.54、France, Paris, Bibliothèque Nationale, héb. 884, 9r, l.21. Digital Averroes Research Environment, 22/627
- ↑ そのうちの一つが、Langermann 1996に文献Iとして紹介されている。Langermann 1996, pp. 32-3, 36,47-8. また、Glasner & Baraness 2020のp.161脚注530に、Langermann 1996が言及していない文献が一つ(London BL MS 1013 Or. 2806, IMHM 6385 at the beginning)言及されている。
- ↑ Langermann 1996, pp.32-3
- ↑ Langermann 1996, p.50
- ↑ Langermann 1996
- ↑ Clagett 1978, p.1312
- ↑ Clagett 1964,p.60
- ↑ Clagett 1978, p.1313-4 Clagettは、例5で用いる月形に等しい面積の正方形の構成方法は示されていないことを強調する。
- ↑ Clagett 1978, p.1314-5
- ↑ Clagett 1964, p.64 に写本の書誌情報がある。
- ↑ Raynaud 2006, pp.4-5。同pp.24-5にあるテキストの校訂版も参照のこと。
- ↑ Raynaud 2006, pp.24-5。なお、Raynaud 2006はこのギャップの部分を「円を月形と弓形と直角三角形に分割し、弓形にはヘロンによる近似的な求積方法を適用した」と再構成している(同p.6)。
- ↑ Raynaud 2006, pp.3, 17-20
- ↑ Clagett 1978, p.1315
- ↑ Raynaud 2006, p.15, Clagett 1964, p.611, n.4
- ↑ Raynaud 2006, p.15の引用文を参照。
- ↑ Clagett 1978, p.1317
- ↑ つまり、例5と例1を組み合わせる議論。Clagett 1978, pp.369, n.31
- ↑ ヴァラの議論の概説は、Clagett,1978, p.464, およびp.1318。具体的な内容についてはClagett,1978, p.1318, pp.468-9 のラテン語のテキスト、およびFig.III.2.5.1, p.1438。
- ↑ Clagett 1978, p.611 n.4, および MS Paris, BN lat. 7465, 29r-v (リンク 2026年9月9日閲覧)。図からも明らかなように、アレクサンドロスが伝える議論である。29vにこの論法による円の正方形化の問題点が指摘されている。
- ↑ Kulski 2019, pp.199-204
- ↑ Clagett 1978, pp.477-8
- ↑ Simon1909, pp.173-4、Vieta 1593, CAPVT IX, Propositiones II-VI pp.18-20。なお、ヴィエトが(n,m)=(4,1)の場合を扱っていることは、Heath 1921, p.200でも触れられている
- ↑ Vieta 1593, CAPVT IX, Propositio III pp.19."sumatur media proportionalis inter BC BD"
- ↑ Vieta 1593, CAPVT IX, Propositio V pp.19-20."inter ipsas EF FG inveniantur duae mediae continue proportionales LK KF."
- ↑ "Denn wie Vieta bemerkt hat ist bereits der Fall (4,1) mit Hilfe der delischen Aufgabe zu erledigen." 「ヴィエトが指摘しているように、(4,1)の場合は立方体倍積問題に帰着できる。」Steele 1936, p. 318。ここで"delischen Afgabe"=「デロスの問題」、すなわち立方体倍積問題。
- ↑ Heath 1921, p.200 では、ヴィエトの扱った(4,1)の問題を三次方程式に相当すると述べている。立方体倍積問題が三次方程式の問題であることは、Heath 1921, p.264.
- ↑ Heath 1921, p.200; Simon 1904, p. 174
- ↑ Steele1965 p.317, Bieberbach1952, p.141, Euler 1771
- ↑ "Ad hoc problema solvendum vulgo assumisolent, binos angulos m et n inter se commensurabiles esse debere; nondum autem est demonstratum nullo alio casu solutionem obtineri non posse. " (Euler 1771, p.5, 13, 仮訳「この問題を解くために、通常は角度 m と n が互いに通訳可能だと仮定することが多い。しかし、他に解が得られる場合がないことは、まだ証明されていない。」)
- ↑ Euler 1771, 特に pp. 169-170.
- ↑ Heath 1921, p.200; Clausen 1840. "ich glaube schwerlich, dafs sich die Gröfsen, die die Winkel der, ändern Verhältnissen entsprechenden Ausschnitte bestimmen, geometrisch finden lassen."
- ↑ 英語版のparagraph VI. 64, pp.80-82. (英訳へのリンク2026年9月15日閲覧)。これは the Philosophical Transactions N.259.pp.4-11に基づく。(リンク 2026年9月15日閲覧)
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関連項目
外部リンク
- 『ヒポクラテスの定理とその証明』 - 高校数学の美しい物語
- ヒポクラテスの三日月~定理の内容や証明をわかりやすく解説
- The Quadrature of the Circle and Hippocrates' Lunes - Hippocrates' Lunes Mathematical Association of America (2026年6月㏦閲覧)