フランシス・ピカビア
フランシス・ピカビア | |
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1913年ころのフランシス・ピカビア | |
| 生誕 |
フランシス=マリー・マルティネス・ピカビア(Francis-Marie Martinez Picabia) 1879年1月22日 |
| 死没 |
1953年11月30日(74歳没) |
| 墓地 | モンマルトル墓地 |
| 国籍 |
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| 出身校 | |
| 著名な実績 | 絵画 |
| 運動・動向 | |
| 受賞 | レジオンドヌール勲章シュヴァリエ |
| 公式サイト | Le Comité Picabia |
フランシス=マリー・マルティネス・ピカビア(Francis-Marie Martinez Picabia, 1879年1月22日 - 1953年11月30日)は、フランスの画家、詩人、美術家。
1879年、パリでキューバ公使館員の父とフランス人の母の間に生まれた。早くから絵の才能を父親がピカビアの作品を1894年に、フランス芸術家協会のサロンに出品すると選外佳作を受賞した。1895年から1897年までパリの国立高等装飾美術学校で学んだ後、フェルディナン・アンベールとアルベール・ワレット(Albert Wallet: 1852–1918)、フェルナン・コルモンに学んだ[1]。
1897年、6歳年上の恋人エルミーヌ・オルリアックと共に旅に出た。成人し、母方の遺産を自由に使えるようになり、二人はモンマルトルに住んだが、モレ=シュル=ロワンやマルティーグ、サン=トロペへ旅行した。このころ印象派の画家、カミーユ・ピサロピサロの息子ジョルジュ・マンザナ=ピサロと親しくなった。
1902年、エルミーヌとセビリアを訪れ伝統的な衣装をまとった典型的なスペイン女性を繰り返し描いた。1902年から1903年の冬に印象派として活動を始め、1903年にサロン・ドートンヌとアンデパンダン展に出展した。1905年にはパリで初の個展を開いた。1908年に音楽家・芸術家であるガブリエル・ビュッフェ(Gabrielle Buffet)と出会い恋に落ちエルミーヌと別れた。1909年にガブリエルと結婚し、彼女の勧めで抽象画に転向した[2]。ガブリエルとの間に子供が生まれたが、1930年に離婚した。
1911年ピュトー・グループに参加し、セクション・ドール展(Salon de la Section d'Or)に参加した。1913年にはニューヨークのアーモリー・ショーに参加し、ニューヨークで個展を開催した。1915年から1921年の間は工業用の図面や機械のパーツをモチーフにした「機械時代」の作品を描いた。
1918年にスイスに渡り、チューリッヒのダダイストグループのメンバーとなった。彼は『母を失った少女の詩と絵』という書籍を出版し、雑誌『ダダ』にも寄稿しました。1920年に雑誌『カニベール』の発行を始めました。
1921年ころダダイズムの主張を時代遅れだという立場にたち、シュルレアリスムを受け入れ、アンドレ・ブルトンと密接に交流したが1924年ころにはシュルレアリスムも否定した。
第二次世界大戦中はスイスで過ごし、そこでガートルード・スタインと親交を深めました。戦後、彼はパリに戻り、実存主義者たちと親しくなった。また、舞台美術にも専念した。
時期により、その作品のスタイルがめまぐるしく変わったことでも有名であった。
主たるスタイルとその時期は、以下のとおり。
- 印象派の時代(1902年-1909年)
- フォーヴ・キュビスム・オルフィスムの時代(1909年-1914年)
- 機械の時代(1915年-1924年)
- ダダの時代(1915年-1924年):ニューヨーク・ダダのメンバーでもあった
- 「機械の時代」と「ダダの時代」をひとまとめにする考え方もある
- 怪物の時代(1924年-1927年)
- 透明の時代(1927年-1932年)
- 模索の時代(1932年-1939年)
- 具象の時代(1940年-1944年)
- 抽象の時代(非具象の時代)(1945年-1951年)
- 機械の時代の作品『キャンター』、『裸の若いアメリカ人少女の肖像』、『私は見た』
- 「Toy, monkey, and, ink, on cardboard (illustration in the journal „Cannibale“, no. 1」1920
- 「Transparence」1929
日本における主要な展覧会
作品
- モレの古い柳の木 (c.1905)
- 「馬」(1911)
国立近代美術館 (フランス) - 「カシスの風景」(1911/1912) 個人蔵
- 「春のダンス」(1912)
フィラデルフィア美術館 - 「大西洋横断汽船に乗るスターダンサー」(1913) 個人蔵
- 機械は速く動く (1916/1918)
ナショナル・ギャラリー (ワシントン) - " Les seins" (1927)
- 無題 (c.1938)
- "Printemps"(1942/1943)
- "La peinture du meilleur avenir" (1945)
日本語の主要文献
- 上記各展覧会の展覧会カタログ
- ユリイカ1989年9月号・<特集>ピカビア--生成変化するダダイスト
脚注
- ↑ Karin von Maur, Gudrun Inboden (Bearb.): Malerei und Plastik des 20. Jahrhunderts. Staatsgalerie Stuttgart, 1982, S. 252.
- ↑ Vgl. Claire und Anne Berest: Ein Leben für die Avantgarde. Die Geschichte von Gabriële Buffet Picabia. Aufbau, Berlin 2021, ISBN 978-3-351-03855-7, S. 100f.
- ↑ “ギャラリー > ピカビア展 > 伊勢丹美術館”. CALDO HONDA. 2015年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月28日閲覧。
- ↑ 1999年、伊勢丹博物館で開催されたピカビア展の広告より[3][信頼性要検証]。
関連項目
- 「The Spring」ピカビアの作品
- ダダイスム
- ピュトー・グループ
外部リンク
- Le Comité Picabia - フランシス・ピカビア公式ウェブサイト
- Francis Picabia - テート・ギャラリー
- FRANCIS PICABIA - ポンピドゥー・センター内国立近代美術館
- Francis Picabia Dada Movement (1919) - ニューヨーク近代美術館
- Francis Picabia French, 1879–1953 - ニューヨーク近代美術館
- FRANCIS PICABIA ARTWORKS - シカゴ美術館
- Francis Picabia - Art UK
- Francis Picabia / París, Francia, 1879 - 1953 - ソフィア王妃芸術センター